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桓武天皇即位の裏側に何があったか

学校時代の歴史勉強で、おそらく多くの方が年号を覚えることに四苦八苦されたことでしょう。平城京遷都は、「ナント(南都)完成平城京」で710年、そして平安京は「ナクヨ(鳴くよ)ウグイス平安京」で794年と覚えましたね。

 

平安遷都を実行されたのは第50代の桓武天皇、しかし平安遷都は順調に行われたのではありませんし、奈良時代の最後まで「血塗られた時代」でもありました。

 

第一に、桓武天皇即位も決して順調、平穏に行われたわけではありませんでした。前回までに書きましたように、光仁天皇の皇后であり聖武天皇の第一皇女(称徳天皇の異母姉)であった井上内親王、その子で一時皇太子であった他戸親王の怪死事件がありました。

 
他戸親王が廃太子されたことで、山部親王が繰り上がったことになるのですが、ご生母の高野新笠は百済系渡来人の出身(和氏)ということで、出自からいうと皇太子になれる可能性は元来ほぼゼロであったと言われています。(後にご生母のルーツは百済の王族出身とされます)

 
山部親王自身も官僚としての立身を目指しておられたようでありますが、その朝廷の中で実力者であった、藤原百川の目に止まったということなのでしょう。百川は藤原式家、宇合の子ですから藤原不比等の孫となります。Photo_2

 
前述の井上皇后・他戸皇太子の事件にも、裏側にはこの百川が暗躍していたというのが定説になっています。光仁天皇の絶大な信頼の元で台頭していくわけですが、もし光仁の後を他戸親王が継いだ場合はどうなるのかを見通していたのでしょう。

 
そして思惑通りに山部親王が立太子されますが、百川自身は親王の即位を見ることなく亡くなります。その娘二人が親王に嫁ぎ、桓武の後の平城天皇がお生まれになります。

 
70歳を超えられた光仁天皇は、781年に譲位され桓武天皇が即位されますが、実は皇太子であった間に大病をされています。同じ頃天皇もご病気であったり、天変地異が相次いだので、人々は「井上皇后の怨霊」のせいではないかと怖れたそうです。

 
こうして紆余曲折がありましたが、桓武天皇は奈良時代最後の天皇として即位されることになりました。

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