« 脳力開発は人間学であり行動科学です(156) | トップページ | プラス方向のリストラを変革と言うのだ »

ついに天武天皇の皇統が途絶えた

770年、和風年号では神護景雲4年、古代最後の女帝・称徳天皇が崩御されました。それとともに、天武天皇の直系はここで途絶えることになりました。そして、天智天皇系の天皇が復活し、今に至る皇統が引き継がれていくことになります。

 

称徳天皇の後継者をどうするかは前回のコラムにも書きましたが、色々な暗闘があったようです。その過程の中で、多くの親王や王が粛清されたり暗殺されたり、不審な病死を遂げたりしてしまい、結果として直系嫡流の後継者が途絶えてしまいました。

 

そこで、白羽の矢が立ったのが白壁王でした。白壁王の父親は志貴皇子、すなわち天智天皇の息子ですから、王は天智の孫に当たります。皇位継承の暗闘に巻き込まれるのを怖れた王は、酒浸りの日々を過ごされたようで、それで生き残られたとも。

 

しかし62歳の白壁王がすんなり後継と認められたわけではなく、息子である他戸(おさべ)王が称徳天皇の甥、すなわち称徳の異母妹である井上(いがみともいのうえとも)内親王Photo の子であったこと。その内親王が白壁王の妃だということによるものでした。

 

すなわち他戸王は女系ではありましたが、天武系最後の親王ということになり、即位した光仁天皇の皇太子となり、井上内親王も皇后となりました。

 

ところが2年後、大変な事件が起こります。その皇后が呪詛を企て反逆の罪に問われ、皇后の座を追われたのです。次いで他戸親王も皇太子を廃されました。これらは密告によるモノですが、暗闘はまだまだ続いていたわけです。

 

さらに光仁天皇の姉(同母)の薨去に際し、やはり井上(元)内親王が呪詛したとされ、母子は幽閉され、やがて2年後の同日に共に急死してしまいます。これもまた、仕組まれた暗殺劇でしょうか。

 

いずれにしても、天武の皇統はこれで完全に断絶してしまいます。となると、仕掛けたのはどちら側か、誰かということも自ずと浮き彫りになってきます(と断定して佳いかどうかは別として)。

 

では『犯人』は!?

 

結果として「利益」を得た者は誰か? 他戸親王に変わって皇太子に任命された王、そしてその擁立を図った者、ということになるでしょうか。

 

奈良時代も残り20年足らず、どのように展開していくのでしょうか。

« 脳力開発は人間学であり行動科学です(156) | トップページ | プラス方向のリストラを変革と言うのだ »

「歴史と人間」ひとりごと」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/107188/65166512

この記事へのトラックバック一覧です: ついに天武天皇の皇統が途絶えた:

« 脳力開発は人間学であり行動科学です(156) | トップページ | プラス方向のリストラを変革と言うのだ »