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生涯独身の女性天皇ついに崩御

藤原仲麻呂の乱は、図らずも孝謙上皇の権力の強さを証明するものとなり、淳仁天皇は廃位されて、764年上皇が天皇位に復帰されることになりました。これが称徳天皇です。

 

古代史を彩った女帝の歴史も称徳天皇で終焉を迎え、この後江戸時代初期に即位された明正天皇(第109代)までおよそ850年間、女性天皇は立てられることがありませんでした。

 

その称徳天皇のお気に入りとなり権力の座についたのが、弓削道鏡であり、仲麻呂の乱平定に功績のあった吉備真備でした。この年、道鏡はついに太政大臣禅師に昇ります。この時道鏡は既に64歳だったと言われています。

 

さらに766年にはついに「法王」の位に昇り、弟を始め一族も高い位を与えられます。当然Photo のことですが、藤原氏を始め朝廷貴族からの反発も次第に強くなっていきます。しかし、称徳天皇の信頼は圧倒的で、表立っての行動はなかなかできませんでした。

 

そしてついに769年、宇佐神宮の神託事件が起こります。「道鏡が皇位に就くべし」との信託でしたが、どうもこれは天皇におもねった神官どもの策謀だったかもしれません。

 

ただ、自身に子がなかった独身の天皇は、一説には父親の聖武上皇から「次代の皇位は自らの思い通りに決めて良い」と伝えられていたと言い、もしかしたら道鏡に譲位する意思を持っておられたのかも知れません。この辺りの記録は一切ありませんので、ただ想像するばかりです。

 

思い通りにされたい天皇でしたが、神託を確かめて確実なものにするために、宇佐神宮に使者を送ります。使者に選ばれたのは側近の和気広虫であり、実際にはその弟の和気清麻呂が九州に赴きます。

 

清麻呂は神託が偽物であると天皇に報告し、怒り心頭に発した天皇は姉弟を流罪にしてしまいます。しかし、これで道鏡を皇位に就けることはできなくなります。やがて天皇は病が重くなり、比例して道鏡側の権力が落ち、太政官側の巻き返しが始まりました。

 

称徳天皇は770年に崩御されましたが、病の祈祷などが宮中内外でなされた記録がないと言われており、治療もほとんどされずに放置状態だったとも言われます。後継天皇について遺言されたとも言われますが、もしあったとしても無視されたようです。

 

白壁王を皇位に就けよという遺詔が読み上げられますが、これはどうも太政官側の藤原永手や吉備真備が工作したもののようです。もっとも真備は別の皇族を推していたとも言われていますが、真備も既に高齢(75歳)でした。

 

そして白壁王が即位します、これが光仁天皇(第49代)です。

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