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教育勅語に対する私論私見

教育勅語(教育ニ関スル勅語)について、様々な角度からの議論が始まっている。それ自体は悪いことではないし、新憲法あるいは教育基本法の下で、教育勅語の存在は現在の教育とは相容れないから「議論の必要がない」とも思わない。

 

以前にも実は書いたことがあって、私は教育勅語の内容を否定するものではないし、書かれている内容の、特に徳目部分は日本(人)の基本道徳として活かしたいとも思っている。

 

さりとて、全面的にOKだとか、復活すべしなどというのは余りに暴論で、歴史的意義をないがしろにしてしまうものだと思う立場だ。

 

そもそも、皆さんは教育勅語を読んだことがありますか?原文ではとても無理なので、読み下し文を明治神宮のサイトから転載する(漢字の読みは一部のみ)。

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朕(ちん)惟(おも)うに 我が皇祖皇宗 國(国)を肇(はじ)むること宏遠(こうえん)に 德を樹(た)つること深厚なり
我が臣民 克(よ)く忠に 克く孝に 億兆心を一(いつ)にして 世世厥(そ)の美を濟(な)せるは 此れ我が國體(国体)の精華にして 教育の淵源(えんげん)亦(また)實(実)に此に存す
爾(なんじ)臣民 父母に孝に 兄弟(けいてい)に友(ゆう)に 夫婦相和し 朋友相信じ 恭儉(きょうけん)己れを持し 博愛衆に及ぼし 學(学)を修め 業を習い 以て智能を啓發(啓発)し 德噐(とくき)を成就し 進んで公益を廣(広)め 世務(せいむ)を開き 常に國憲(こくけん)を重んじ 國法(国法)にニ遵(したが)い 一旦緩急あれば 義勇公に奉じ 以て天壤(てんじょう)無窮の皇運(こううん)を扶翼(ふよく)すべし 是(かく)の如きは 獨(独)り朕(ちん)が忠良の臣民たるのみならず 又以て爾(なんじ)祖先の遺風を顯彰(けんしょう)するに足らん
斯(こ)の道は 實(実)に我が皇祖皇宗の遺訓にして 子孫臣民の倶(とも)に遵守すべきキ所 之を古今に通じて謬(あやま)らず 之を中外に施して悖(もと)らず 朕(ちん)爾(なんじ)臣民と倶(とも)に 拳拳(けんけん)服膺(ふくよう)して 咸(みな)其(その)德を一にせんことを庶(こい)幾(ねが)う

 
いかがでしょうか。確かに表現は古く、また天皇から国民(臣民)に下された勅語の形ですから、現代人には違和感があるでしょう、それはいたしかたありません。

 
しかし、その内容には頷けるところも少なくないでしょう。というよりも、大方のところは普遍的に通じるものだと思われませんか。ですから、例えば「道徳教育の基本戦略」といった形で取り入れていくことは可能かとも思うのです。

 
全面的に否定するのではなく、さりとてまるごと肯定するのでもなく、是は是、否は否として組み立て直せば良いのではと思うのです。

 
少なくとも戦前のものは何でもダメだと言った意見も、また精神や内容が良ければ歴史的背景は無視して良い、などという考え方はしてはならぬと考えます。

 
皆さんはどう考えられますか?

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