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歴史閑話休題徒然に

古代史シリーズを月に3~4回連載していますが、飛鳥時代の推古天皇あたりからスタートして、奈良時代の終盤にさしかかっています。次回には、平安時代の幕開きを担った桓武Photo_3 天皇(山部王)が登場する予定です。

 

平安京への遷都が794年、その10年前に長岡京への遷都が実行されていますので、平城京時代は僅か70年余りで終わることになります。

 

この時代区分は、奈良時代すなわち平城京時代から明確になるわけですが、長岡京は未完成のままでしたから「長岡時代」とは呼ばれず、奈良時代の終焉期と位置づけられます。

 

飛鳥時代は宮城地が天皇によって変遷することが多かったのですが、天智天皇(と弘文天皇)は近江京を都としました。平城京につながる中国式の都城となったのは藤原京ですが、その建物の資材の多くは平城京建設に用いられます。

 

平安時代は、鎌倉に幕府が開かれるまでと位置づけられますが、天皇の住まいするところということであれば、明治初年まで続いていることになります。もっとも南朝が正統であるなら、一時吉野に都が遷都されていたことにはなりますが。

 

時代区分で不思議なのは「安土桃山時代」です。武家政権の時代区分は、幕府の置かれたところという位置づけで、鎌倉時代、室町時代、そして江戸時代と呼ばれますが、安土桃山時代、ことに「桃山」とは?

 

安土はほぼ全国支配に近づいた信長が居城としたところですので、時代の名前になってもおかしくはありませんが、桃山城はありません。桃山時代とは豊臣秀吉政権の時代であるわけですが、その居城は大坂であり京都・伏見です。

 

よって「織豊時代」と呼ぶのが最も正確なところと言えますが、では一体『桃山』とは何でしょうか。実は、桃山は江戸時代に入ってから名付けられました。すなわち、伏見城の跡地に桃の木を植えたことにより、その地が桃山と呼ばれたそうです。

 

ちなみに大坂城といえば秀吉がすぐに連想されますが、秀吉は関白になるとすぐに京都の聚楽第に移り政務を執りますし、秀次に関白を譲ってからは伏見を居城としていますから、大坂にて政務を執った期間は極めて短いのです。

 

また鎌倉時代がいつ始まったのかということも、何度か変わってきています。私たちの頃までは、「イイクニ作ろう」ということで1192年と覚えさせられましたが、最近は1185年説(または1183年説)が有力になっています。

 

そういえば、鎌倉時代初代将軍源頼朝の肖像画も、かつて教科書に載っていたのはどうも足利直義(尊氏の弟)らしいというのが定説です。

 

歴史は時代の変遷と共に、また新たな史料発見とともに変化しています。つい最近では、教科書に聖徳太子とは記述せずに厩戸皇子とすると決まりかけ、反対が多くて元に戻すというようなこともありました。

 

おそらく今後も、そういったことがいくつも起こってくることでしょう。ただ、少なくともその時代の為政者の都合で変えられることのないように、願いたいものです。

行き詰まりの原因はお客様離れに過ぎない

Photo かつて隆盛を誇った企業、店の倒産や廃業が目立ってきた。最近では、一世を風靡したカリスマ美容師の店が話題に上った。要するに過去の栄光にすがりつき、変化する時代の流れについていけなかったということなのだろう。

 

倒産にはそんな難しい原因などはない、ごくごく単純なことばかりだ。いくつも要因はあっても、たった一言「お客様が離れた」ということに過ぎない。そのために、お金・キャッシュフローが回らなくなった、それだけのことだ。

 

単純な原因なのだから、答もいたって明快なはずである。しかも脳力開発的にいえば、手段や方法・道具などは山ほどある。それを選び出して、実行する、これまた単純明快だ。

 

ところがあれこれ言い訳を作ってなかなかやらない、やらないでいる内にタイミングを失してしまう。あわてて取り繕うとしても、もう間に合うはずがないのだ。とにかく、先送りがいけない。

 

その内に、自分(自社)がやれないことを「他人のせい」にしてしまう。自分はちっとも悪くない、周りが協力してくれないのがいけない、社員が動かない、あげくにこんな世の中が悪いと言い出す。

 

こうなるともう崖っぷちだ。コンサルタントにとっても、救いようがない状況で、「一番良い方法は、あなたがおやめなることです」となってしまう。

 

特別な処方箋があるわけではないが、まずは
 1.現状を素直に認めること
 2.そして「過去の栄光(成功)」を捨て去ること
 3.さらに思いつきでもいいから「まずやってみる」ことだ

 

ベースは周りの人たちの幸福、特に社員の幸福を常に考えていることであり、いかにお客様に自社の価値(商品やサービス)を提供できるかだ。価値には、費用(価格)だけでなく時間や距離、あるいは心やすさなどもあるはずだ。

 

それをよく知っているのが現場の社員たちだ。あるいは彼らの家族たちだ。彼らはいつもお客様という立場で、ものやサービスを買い、あるいは利用しているからだ。

 

変化は待ってはくれない、急がなければならない。時を逸すれば、あなたの会社・店からもお客様が離れていってしまうだろう。気が付いた頃にはもう遅い。

脳力開発は人間学であり行動科学です(158)

変革のための指針、第9条は「レベルの高い方が苦労するのは宿命である」。サブリードは、「真のリーダーにとって、困難と苦労が生じなければそれは異常」です。何だかリーダーへの慰めのような章ですが、実はその通りなんです。

 
 これまでにも書いてきましたように、組織や人をある方向に向けていこうというのは骨の折れることなのです。人の行動や思考の習慣、すなわち土台を変革に向かっていくようにするのは、一朝一夕にはいきませんので時間がかかります。

 
 その間、リーダーはじっくりと見守りながら、タイミングよく適切なアドバイスやフォローを忘れてはいけません。時には壁にぶち当たることもあるでしょうし、第一に相手はなかなか言うT_201704_262 ことを聞いてはくれません。しかし諦めてはいけないのです。

 
 レベルの高い方が苦労する、ここでいうところのレベルの高い人がリーダーです。リーダーにも専門性の高いI型リーダーと、総合力のT型リーダー、さらにバランスのとれたV型リーダーがいます。ここではTまたはV型リーダーを取り上げています。

 
 少し別の角度から見てみましょう。「2/6/2の原則」ってご存じでしょうか。組織の中の「じんざい」は、2割・6割・2割の割合でそれぞれ、人財と人在、そして人罪に分かれるというのです。どの組織にも共通する法則だそうです。

 
 人財は積極性があり、優秀な実績を残していく上位20%のグルー プ、人在は上下どちらでもない60%のグループですが多数派です。そして人罪は積極性もなければ実績も出ない、行動もしない下位の20%グループです。

福島県の浪江町に向かっています

昨日までの軽井沢MG、ほぼイメージ通りのゲーム展開ができて、今年28期目を終了、通算の期数も1250期を超えました。「成績より期数」だが、やる限りは全力を尽くす、それが他のメンバーへの礼儀だとも思っています。
 

昨日は佐久平駅前での打ち上げ後、上野まで達して宿泊。やはり疲れが出たのか、ぐっすり休んで朝5時過ぎの起床となりました。今日はMG仲間のまじゅろさんの提案で、福島県の20170424_8_35_14_3 浪江町の現状を見に行くツアーに参加することになり、特急でいわきに向かっています。
 

浪江町には、まじゅろさんが仕事とした水の浄化装置が完成しており、その見学を主体に大震災後6年余り経った町が「実はどうなっているのか」を肌で感じてきます。町役場の方にもご案内いただけるようで、現場の本当の様子もお聞きします。
 

幸い天気は良さそうで、東京出発時は雲がやや多めでしたが、常磐線を北に向かうにつれて青空も次第に広がってきました。いわき駅到着後はレンタカーで現地に向かう予定です。
 

常磐線乗車も久しぶりで、E657系に乗車するのも実は初めてです。筑波山を左に観ながら春と言うより、初夏の趣の田園地帯を快走しています。あちこちで田の代掻きをやっているのが見えています。
 

それはさておき、私たちは震災地のことをどれだけ知っているでしょうか。先週木曜日には、ある方の講演の中で、当時の状況と今日の様子をビデオとスライドで拝見しました。岩手県の大槌町でした。自分は何も知らないということに、申し訳ない思いでした。
 

福島県の浪江町も、現役時代に取引のあった地元のお店を取材に訪れたことがありました。気にはかかっていましたが、どうすることもできず、ただ知らないということはそれだけで「いけないことなのだ」と思います。今日現地に足を踏み入れることは、私にとってすごく意味のあることです。
 

新潟県中越地震から今年10月で13年、私自身も大きな揺れと避難を体験し、旧山古志村では全村避難という出来事もありましたが、おそらく地元の人を除いては記憶に殆どないのではないでしょうか。
 

東日本大震災も、節目の日には報道も増えますが、日常で目にしたり感じたりできることは少なくなりました。福島県の原発と津波の被災地では、帰還が始まっていますが、その真実は断片的にしか伝わってきません。

 
浪江町もその一つです。ほんの一部しか観られませんが、肌で真実を観て参ります。

MGは成績より期数、期数より交流、交流から向上へ

一昨日降り立った佐久平の駅周辺では、桜が満開でした。そこからマイクロバスに揺られて蓼科山麓に向かうと、途中の桜は五分咲きから三分咲き、そして着いた春日温泉の桜はまだつぼみでした。

 

その桜が今朝にはもうほころびてチラホラ咲き、夕方帰る頃にはかなり咲き始めていることでしょう。桜並木の上に少し噴煙を上げる浅間山が、青空に映えると良いのですが。

 

さて一昨日の夜から軽井沢MGに参加、前泊組での前夜祭(MGではこれを0.5期と呼んでいます)から始まり、充実の時間を送っています。

 

軽井沢でもないのに軽井沢MG? かつては軽井沢町の浅間山麓にある研修所で始まり、現在の会場に移ってからも16年間ずっと続けられています。今回が第31回目。

 

セミナー名を変えないのも、軽井沢MGを始めた2人の思いがこもっているからです。その120170422_mg1_2 人、山崎進さんは帰らぬ人になってしまって久しいですが、今回も会場のどこかで私たちを見守っていてくれています。

 

笑顔がとっても似合う人でした。豪快でありながら、どこか繊細で気遣いの人でした。私も何度も励まされ、なぜかくじけそうになっているタイミングで電話がかかってきたりしていました。

 

そんな「山ちゃん」に逢うために、可能な限りこのセミナーには通ってきていますし、これからもそうです。ここにくると、「MGは成績より期数、期数より交流、交流から向上へ」という言葉を強く実感します。

 
今日2日目、山ちゃんに「何やってんだ」と言われないように、エンジン全開でいくことにしましょう。

早春の飯山線を川の流れに遡行して

昨日は今月最終の遠征移動日で、新潟から長野・佐久平に向かった。通常であれば、上越新幹線で高崎に行き、そこで北陸新幹線に乗り換えるのが早い。
 

しかし、せっかく丸1日の余裕があるので、今回(昨年は上記のコース)はローカル線の旅を楽しむことにした。つまり新潟から長岡に行き、上越線電車に乗り換えて越後川口、そこから飯山線のディーゼルカーにさらに乗り換えた。

飯山線は、長野の北豊野を起点に飯山、十日町を通り越後川口に至る「超ローカル線」である。前身は飯山鉄道という私設鉄道が国に買収されたもの、千曲川・信濃川に沿って走る。

大変な豪雪地帯で、長野・新潟県境にある森宮野原駅では、かつて7mを超える積雪を記録した。これが日本の鉄道では、積雪の最深記録であり、それを示す柱が立っている。

この飯山線、長野寄りの区間は比較的乗客も多く、列車も2~3両連結で本数も多い。しかし、戸狩野沢温泉を過ぎて県境を越える区間は2~4時間に1本くらいしか走らない。

越後川口で乗り換えた列車は1両だけ、ただ「おいこっと」という観光イベント車両に改装された、キハ110-235が運用に入っていた。乗るのは2度目だが、前回は夜の闇の中だった。

飯山線は、信濃川の河岸段丘を走るところが多く、雪の他にも水害などにも度々襲われている。この季節桜も咲いているが、山陰には雪も残っているし、ふきのとうが花を咲かせたりT__20170421_15_11_02 している。木々の新芽は、そろそろ芽吹きの季節だ。

そういった景色を楽しみながら、信濃川を遡っていく。新潟県側を「妻有(つまり)路」と呼んでいる。もちろん路線は単線で、合理化で行き違いのできる駅はずいぶん減ってしまった。主要駅にはラッセル車も置かれているが、冬の豪雪時には除雪のため運休の日も少なくない。

並行するバス路線も含めて、過疎と高齢化で赤字路線であることは言うまでもない。昨日も、中間区間では乗客の数が5~6名程度だった。かつては急行列車も走ったが、これも2~3両でもガラガラ、鈍足急行だったのを記憶している。

それでも沿線に観光地は少なくないし、豪雪もまた都会の人たちには魅力的かも知れない。信濃川(長野県では千曲川)や、遠くの雪山を観ながらの旅もなかなかいいものだ。リゾート列車も、シーズンには走っているし、地酒や今の季節は山菜も美味しい。魅力を活かす鉄道利用企画が望まれる。

乗り鉄ファンとしては、季節を変えての旅がこれからも続くようにと望んでやまない

脳力開発は人間学であり行動科学です(157)

数日後、多分若社長が私の言ったことを始めて実行した日だったのでしょう、勢い込んだ電話がかかってきました。曰く、「とんでもないヤツだ、あいつは!」と。とにもかくにも、相当な剣幕で怒り心頭という感じでしたが、これは予測の範囲でした。

 
 若社長は言われた通りに、A君が出社(数分遅刻)してきた時に朝礼の場から離れ、彼の前に立って「おはようございます」と一礼したのだそうです。ところが彼は返礼どころか、一言も発しなかったと、一気にまくし立てるのでした。

 
 そうだろうね、と私は冷静に答えました。当たり前です、すぐにすぐA君ができるくらいなら、これまででもできていたはずなのですから。「明日からもまだやるんですか?」「そりゃあPhoto 当たり前でしょう」絶句する様子が受話器から伝わってきました。

 
 途中経過は省きましょう。若社長は在社時には、毎日A君への挨拶と声かけを続けたのです。後から「よく続けたね」と褒めたものです。結果としてA君が軽く一礼を返したのが1ヶ月目くらい、ボソッと聞き取れないほどの声を出したのがさらに半月後。

 
 時間はかかりましたが、3ヶ月経つと何とか人並みに挨拶ができるようになりました。そうなると次は遅刻です。これにも秘策があって実行し、効果が得られたのですが、これについては公開のセミナーにご参加いただければお話ししましょう。

 
 長々と書きましたが、要は「人を変える」には「自分を変える」ことが一番だというか、それ以外に方法はないと断言できます。無いものねだりをするのではなく、やれることを地道に実行していく、それが最良唯一の方法と言えるのです。

プラス方向のリストラを変革と言うのだ

東芝が経営の危機にある。第3四半期(昨年12月末)決算は発表が延期に延期を重ね、発表にはこぎつけたが監査法人の「意見不表明」という異例の形だった。本決算ではどうなるのか、そしてリストラがどのように展開されるのか見逃せない。

 

ここにきて、人員整理・希望退職の話も1000人規模で具体化してきているようだ。今日の「小さな会社のマネジメント」はこれに関わるテーマとしよう。つまりリストラだ。

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リストラ、正しくはリストラクチャリング(Restructuring)だが、本来の意味は「再構築」。人員整理などの人的リストラはその一部に過ぎないが、どうもそこに注目が集まる。また、本来はプラスの意味(増強)もあるはずだが、なぜかマイナスイメージが主流だ。

 

これはどうも日本の特徴傾向であるようで、リストラが不採算部門の縮小や撤退の際になされることととらえられ、しかもほとんどの場合従業員削減を伴うからだろう。人員整理や解雇という言葉がどぎついので、リストラと言い換えたのだろう。後ろめたさの軽減化?

 

本来は組織の再構築なのだから、プラスにもマイナスにも作用するし、目的が企業(組織)増強・強化であれば、例えば人的リストラも集中化とか、現場人員増強あるいは研究開発部門の育成強化ということになるはずだ。

 

間接部門の効率化や合理化を推進し、そこで生み出した人員を営業や研究開発に振り向けていく、、これが本来のリストラというものだ。だから、企業は勇気を持って機会あるごとにリストラ活動を推し進めていくべきだ。

 

小さな会社ほどやるべきだし、やることが山のようにあるし、そしてその効果も計り知れないほどに大きいと知るべきだ。特に上記の間接部門、管理や経理あるいは総務の仕事はどんどんIT化したり、場合によってはアウトソーシングする。

 
残業を含めた総労働時間の抑制も大事なポイントだ。給料を下げるのではない、同じ仕事をより少ない時間でこなせるように仕組みを変え、人財化するのだ。その方が社員は喜ぶに違いない。

 
時に「残業が減ったら実入りが少なくなる」という社員もいるかも知れないが、効率を上げて利益が上がれば、その分を賞与として支給することもできる。むしろ家族との時間や、自分のための時間が生まれて良いはずだ。

 
リストラという言葉がマイナスイメージであれば、改革とか変革という言葉を堂々と使えば良い。言葉の誤魔化しではなく、しっかりと将来戦略を描いて、社員の皆さんと夢を共有できればいい。というより、今こそそれをすべきだろう。

 
躊躇している暇などはない。人材がいないからだとか、お金などの経営資源がないからだとか、ぼやいている暇があったら、みんなで知恵を出し合えば良い。すでにやっている企業を、自分の目で(社員の目で)見てくれば良い。

 
とにかく一歩目を踏み出すことだ。それしかないだろう。

ついに天武天皇の皇統が途絶えた

770年、和風年号では神護景雲4年、古代最後の女帝・称徳天皇が崩御されました。それとともに、天武天皇の直系はここで途絶えることになりました。そして、天智天皇系の天皇が復活し、今に至る皇統が引き継がれていくことになります。

 

称徳天皇の後継者をどうするかは前回のコラムにも書きましたが、色々な暗闘があったようです。その過程の中で、多くの親王や王が粛清されたり暗殺されたり、不審な病死を遂げたりしてしまい、結果として直系嫡流の後継者が途絶えてしまいました。

 

そこで、白羽の矢が立ったのが白壁王でした。白壁王の父親は志貴皇子、すなわち天智天皇の息子ですから、王は天智の孫に当たります。皇位継承の暗闘に巻き込まれるのを怖れた王は、酒浸りの日々を過ごされたようで、それで生き残られたとも。

 

しかし62歳の白壁王がすんなり後継と認められたわけではなく、息子である他戸(おさべ)王が称徳天皇の甥、すなわち称徳の異母妹である井上(いがみともいのうえとも)内親王Photo の子であったこと。その内親王が白壁王の妃だということによるものでした。

 

すなわち他戸王は女系ではありましたが、天武系最後の親王ということになり、即位した光仁天皇の皇太子となり、井上内親王も皇后となりました。

 

ところが2年後、大変な事件が起こります。その皇后が呪詛を企て反逆の罪に問われ、皇后の座を追われたのです。次いで他戸親王も皇太子を廃されました。これらは密告によるモノですが、暗闘はまだまだ続いていたわけです。

 

さらに光仁天皇の姉(同母)の薨去に際し、やはり井上(元)内親王が呪詛したとされ、母子は幽閉され、やがて2年後の同日に共に急死してしまいます。これもまた、仕組まれた暗殺劇でしょうか。

 

いずれにしても、天武の皇統はこれで完全に断絶してしまいます。となると、仕掛けたのはどちら側か、誰かということも自ずと浮き彫りになってきます(と断定して佳いかどうかは別として)。

 

では『犯人』は!?

 

結果として「利益」を得た者は誰か? 他戸親王に変わって皇太子に任命された王、そしてその擁立を図った者、ということになるでしょうか。

 

奈良時代も残り20年足らず、どのように展開していくのでしょうか。

脳力開発は人間学であり行動科学です(156)

私も早速、ある朝状況を観察に出かけました。じっくり眺めてみて、確かにこれは困った状況になってしまっているなと感じました。一番は、周りが新人A君を当てにすることなく、それどころか存在を無視しているようになりつつあるなと感じたのです。

 
 社長も「どうにかなりませんか」というだけで、お手上げのようでした。どうにかしたいよね、と私は言いました。もちろんですよと社長。ならば善は急げです。早速、処方箋を書いてあPhoto_2 げることにしたわけですが、その内容に社長はびっくり。

 
 まずは「彼がよくなるのであれば、君は何でもやるな」と社長に念を押しました。ハイ、できるだけと答えますので、「それじゃダメだ、ゼッタイに何でもやるのでなければ」と言いましたら、分かりましたとの答です。さて、処方箋です。その内容はこうです。

 
 これから会社にいる時は毎日、彼(新人君)が出社してきたら、遅刻していてもそれをとがめずに、君の方から(社長から先に)「おはようございます」と頭を下げて挨拶をすることを、励行しなさいと。

 
 ええっ!?と社長は絶句しました。私の方からやるんですか、そんなことをと言うので、そうだよと答えました。いやぁ、それはできませんと言うので、やりもしないで頭からできませんと言っているんじゃダメだねと突き放しました。

 
 煮え切らない返事が続くので、じゃぁもう君の会社の相談事は受けないよと言いましたら、「分かりました、やってみます」と社長。さて、翌日から・・・ではなく、彼が実際に始めたのはそれから数日経ってからだと、後から社員が言っていました。

その情報はマネジメントに使えますか?

東芝の問題が、年度末決算に向かってまだまだ波乱を呼びそうです。我が家の、経済問題などには全く疎いカミさんでも、「東芝、潰れちゃうの?」と心配しています。家の中には、けっこう東芝の家電品があるからです。

 

何しろ債務超過額が半端ではありません、優良部門の切り売りをして赤字の穴を埋め、再建を図るという図式で進めていくようですが、「経営の膿」を隠す体質とか「問題を先送り」Photo する風土が、どう改革されるのかがカギでしょうね。

 

この二つ、東芝だけの問題ではなく、どんな会社にも当てはまることです。小さな会社だって例外ではなく、あなたの会社にも少なからず存在している、20年余り色んな会社の事例を直接見てきて、感じることです。

 

隠蔽体質、これは双方向にあって、経営者が経営の本質的な問題点を社員に隠してしまうことと、現場が上にマイナス情報を上げないままに済ませてしまう傾向です。

 

経営者が問題を隠すのは、会社の(とくに悪い)情報を社員に伝えたくないという根本問題はともかく、もう一つは問題の本質を知っていないことにも原因があります。経営数字が読めない、数字から本質を読み取れないということです。

 

経営情報は日々「データ」という形で経営者に伝えられます。でもそれは単なる数字の羅列に過ぎませんし、その数字も終わってしまった過去の事実です。

 
これは、そのままでは経営(マネジメント)には使えません。データを加工して、インフォメーションあるいはインテリジェンスといった、より「高度な利用情報」に変えないと使えないのです。

 
そのデータ加工を誰がやるのか、が問題です。誰かがやってくれるのを待ってから?例えば、税理士さんから届けられる月次の試算表や、経営分析の数値表など。

 
でもね、先月の情報が半月後や1ヶ月後に手元に届いたとして、それはすぐの役には立ちませんね。経営の意思決定にはスピードが要求される今日、そんなに遅れてしまっては有効な手など、打てるはずもありません。

 
経営者自身が、あるいはその右腕となる社員が、上がってきた新鮮なデータをすぐに情報加工して、明日の仕事に役立たせるようになる必要があります。その努力をされているでしょうか。

 
やり方や、そのための道具はいくらでもあり、あなたの会社にあったモノを選べば良いでしょう。大事なことは『やる姿勢』、そして『すぐにやる』ことです。そんな企業風土があり、やれる人財がいる、あるいは経営者自身がやれることがポイントです。

 
いやぁ、私はもう歳だしダメだよとか、当社にはそんな人材がいないからとボヤいてはいませんか。そんなことでは問題や課題を隠し、情報がスムースに流れない、さらには問題を先送りする体質に陥ってしまいますよ。

 
どうしたらいいですか?私にすぐに電話をかけなさい(笑)

 
それはともかく、すぐに手を打つことをぜひお勧めします、生き残りのために。sonojouhou

新潟の桜も各地で満開です

4月も半ばになりますが、気温の乱高下が繰り返されています。例年より北の寒気が強いせいでしょうか、暖かい空気に覆い被さるように寒気が繰り返し降りてきているようです。

 

そんなわけで、桜の開花も早いところがあったり遅いところがあったり、早いところも一気に満開になるかと思ったら、ゆっくりゆっくり開花が進んでいたり。遅く花開いたところがあっという間に満開になってみたり、自然の営みは気まぐれです。

 

3月下旬から土日を挟んだ遠征が続き、のんびりとはお花見どころではない状況でしたが、今週はやっと日曜日の休みが確保でき、今日は家族でお花見に行ってこようと思ってImg_1499 います。

 

もっとも久しぶりに天候が安定する今日は、どの桜の名所も相当の人出が見込まれます。車で出かけたいところですが、駐車場探しも大変でしょうね。というわけで、電車かバスでいけるところを選ぼうと思っています。

 

さらには、今週の週末は長野県・佐久の山里に行く予定ですので、こちらでも桜の花をじっくり見ることができるかなと期待しています。

 
それにしても、日本人は桜の花が好きですね。私もそうなのですが。

 
昨日も大阪からの帰り道、列車の窓の外に見える桜を愉しんで戻りました。快晴の空の下の満開桜も佳かったですし、にわか雨にしっとりとした桜色もきれいでした。

 
さて、今日はどんな桜の花が見えられるでしょうか。
(写真は去年の長岡・福島江の桜)

小さなことの積み重ねが大きな効果となる

MG(MQ戦略ゲーム)を学びたい、体験したいという声をよく聞きます。私のところにも照会がきたりするのですが、基本的なコース・プログラムをお話しすると一歩引いてしまう方が少なくありません。

 

曰く、「2日間ですか、厳しいですね」というものが過半です。「1日とか、できれば半日くらいの研修はありませんか」と。

 

ゴメンナサイ。

 

お湯をかけて3分待てば、、、ではあるまいし。無論、どんな形でもやることはできます。事実ワンデーMGもやってますし、体験版と言うことで半日研修も工夫してあげたこともあります。

 

でもそれで、何が学べるのでしょうか。というより、そうやって学んだ(ような)ことが、実際の現場にどれだけ役に立つでしょうか。

 

どんな学びにも、近道というものはありません。

 

ましてや、学んだことを実践の中に活かしていきたいのであれば、なおさらです。一を聞いて十を知ることは不可能です、十を聞いて一がようやく分かる、そんなものです。地道に王20170414_10_07_43 道を学んでいくことが、結果的には『近道』です。

 

今回も、大阪で新たなMGセミナーを、とあるコンサルの会社とコラボで企画しました。できれば2日間の基本プログラム研修を3回、間をあけずに学んでほしいのですと。かなり難しい要求をして、組立てをしていただきました。

 

そんなわけで、スタッフを含めた少人数にならざるをえなかったので、先方には赤字出血覚悟となりましたが、もし最後まできちんと参加して下されば、メンバーの方には必ずプラス効果が出てくるはずです。

 

私ももちろん、120%全身全霊で参加者の皆さんに向かい合います。

 

来月の2回目研修には、スポット参加メンバーも増えてくれることを願っています。なぜなら、今回の参加メンバーは、次回には「(少し)教えられる」ようになっているからです。

 

進歩向上、小さなことの積み重ねが必ず大きな効果となって、跳ね返ってきます。
(写真は今回初コラボ企画のMG研修・特別講話の時間)

脳力開発は人間学であり行動科学です(155)

こんな話もあります。コンサルティングの仕事を始めて間もない頃なのですが、とある青年社長から相談を受けました。彼は先代社長からバトンタッチを受けて、張り切ってトップとしての仕事をスタートしたところでした。

 
 相談内容は、この春に入った高卒の新入社員がいるのだが、鍛え直してくれないかと言うのです。その年の新卒採用社員はそのA君だけだったのですが、毎日のように遅刻はすPhoto る、出社して来ても挨拶もろくにやらない、返事も悪いのだと言います。

 
 「遅刻はするなよ」と何度も注意はしているが、一向に直らない。僅か数分の遅刻なので「もう5分早く家を出ればいいだろ」と言うのだが、生返事をするだけで、また翌日も遅れてくる。同僚や女性たちがおはようと声をかけても、まともに挨拶を返さないのだそうです。

 
 入社してからしばらくは、先輩社員やとくに女性社員が朝の挨拶はもちろん、気を遣って色々と声をかけていたのですが、何しろ会釈や返事もろくにしないものですから、「なんだあいつ」という感じで、彼を無視するような雰囲気ができ始めました。

 
 それでも新人A君は我関せずといった感じで、一向によくなる兆しがありません。部下たちの不満を聞いて課長や部長も彼に注意をするのですが、その時には小さな声で返事をしても、翌日にはまた元の木阿弥です。

 
 部長はやむを得ず若社長に状況を伝え、社長も数日間A君の状況を見てみましたが、なるほど困った状況になっていました。それでA君を呼びつけて直接説教を試みましたが、一向に改善されません。というわけで、知り合いの私に相談がきたというわけでした。

粉飾という誤魔化しはゼッタイにNGだ

法人企業には3月末決算企業が多い、官業や金融機関の年度末と合わせている方が便利なせいだろうか。上場企業の多くもそうだが、そちらは四半期ごとに決算を行うところも多いので、この時期が特に忙しい訳でもない。

 

とはいえ、この時期から申告期限の5月末までは企業も慌ただしいが、士業の方々、とりわけ税理士さんと公認会計士さんは「盆と正月」が一度にきた感じだろうか。確定申告終了でホット一息ついても、またすぐに書き入れ時だ。

 

企業の方も少しでも早めに士業の方に資料を渡して、早めに仕事を進めてほしいから、担当部門は今が忙しさのピークだろう。在庫を初めとする期末の残高確定、仕訳データにミスや漏れがないか、伝票や帳票はそろっているか。

 

会社勤めの頃、私の会社は6月末決算だったので、7月の中旬くらいまでが決算準備処理で大わらわだった。期末の棚卸在庫の差異をチェックし、少しでも誤差を小さくして確定する作業が一番大変だった。小さな会社だと、その差が最終利益に大きく響く。

 

さて決算申告というと、中小企業経営者は少しでも節税ができないかと腐心する。顧問税理士さんにも「何とかして下さい」と、お願いするかも知れない。それでも利益が出ているのだから、それほど心配することではない。

 

問題は利益が出るのかどうか、すれすれのところだ。取引先や金融機関に対しては、やはり利益が出ていないと格好が悪い。今後のことを考えても、赤字の決算では具合が悪い。公的入札のある企業では、それによってランクが変わる。

 

どうも赤字になりそうだと、何とかなりませんかと税理士に頭を下げる。税理士もやれる範囲、つまり合法的で脱法でない部分は何とかしてあげようとするだろう。

 

それでもどうにもならないことがある、というよりその方が多い。何しろ全国の法人企業の7割以上が赤字申告なのだから。最低限の税金だけ払ってそれで良し、などという経営者は消えてほしいものだが、努力しても赤字という場合もある。

 

そこで悪知恵がでてきたりする、誤魔化し、粉飾とも言う。法律ギリギリの範囲ではまだしも、そこを超えては犯罪になる。経営者が行えば背任行為になる。何が何でも黒字にしてPhoto_2 配当を出す、自分が大株主だからその配当は自分のものだ。

 

自分の足を食うイカのようなものだ、とは思わない。しかし、確実にキャッシュフローは悪くなっていく。キャッシュは企業の「血のめぐり」だから、動脈硬化になればじわじわと悪化が傾斜していく、ある日突然「狭心症」や「脳梗塞」で倒れる。

 

粉飾と言えば、最近起こった「てるみくらぶ」の破産が生々しい出来事だ。前期決算は債務超過にはなっていなかったが、未収収益や前受金の額を操作していたらしい。完全に債務超過だったのを隠して営業を継続していた。

 

その結果、突然の「狭心症」に倒れてしまった。企業の病は自社だけではなく、周囲に多大な迷惑をかける。そんなことにならぬよう、キャッシュフローを注視してほしいものだし、とにかく誤魔化しはゼッタイにNGだ。

生涯独身の女性天皇ついに崩御

藤原仲麻呂の乱は、図らずも孝謙上皇の権力の強さを証明するものとなり、淳仁天皇は廃位されて、764年上皇が天皇位に復帰されることになりました。これが称徳天皇です。

 

古代史を彩った女帝の歴史も称徳天皇で終焉を迎え、この後江戸時代初期に即位された明正天皇(第109代)までおよそ850年間、女性天皇は立てられることがありませんでした。

 

その称徳天皇のお気に入りとなり権力の座についたのが、弓削道鏡であり、仲麻呂の乱平定に功績のあった吉備真備でした。この年、道鏡はついに太政大臣禅師に昇ります。この時道鏡は既に64歳だったと言われています。

 

さらに766年にはついに「法王」の位に昇り、弟を始め一族も高い位を与えられます。当然Photo のことですが、藤原氏を始め朝廷貴族からの反発も次第に強くなっていきます。しかし、称徳天皇の信頼は圧倒的で、表立っての行動はなかなかできませんでした。

 

そしてついに769年、宇佐神宮の神託事件が起こります。「道鏡が皇位に就くべし」との信託でしたが、どうもこれは天皇におもねった神官どもの策謀だったかもしれません。

 

ただ、自身に子がなかった独身の天皇は、一説には父親の聖武上皇から「次代の皇位は自らの思い通りに決めて良い」と伝えられていたと言い、もしかしたら道鏡に譲位する意思を持っておられたのかも知れません。この辺りの記録は一切ありませんので、ただ想像するばかりです。

 

思い通りにされたい天皇でしたが、神託を確かめて確実なものにするために、宇佐神宮に使者を送ります。使者に選ばれたのは側近の和気広虫であり、実際にはその弟の和気清麻呂が九州に赴きます。

 

清麻呂は神託が偽物であると天皇に報告し、怒り心頭に発した天皇は姉弟を流罪にしてしまいます。しかし、これで道鏡を皇位に就けることはできなくなります。やがて天皇は病が重くなり、比例して道鏡側の権力が落ち、太政官側の巻き返しが始まりました。

 

称徳天皇は770年に崩御されましたが、病の祈祷などが宮中内外でなされた記録がないと言われており、治療もほとんどされずに放置状態だったとも言われます。後継天皇について遺言されたとも言われますが、もしあったとしても無視されたようです。

 

白壁王を皇位に就けよという遺詔が読み上げられますが、これはどうも太政官側の藤原永手や吉備真備が工作したもののようです。もっとも真備は別の皇族を推していたとも言われていますが、真備も既に高齢(75歳)でした。

 

そして白壁王が即位します、これが光仁天皇(第49代)です。

脳力開発は人間学であり行動科学です(154)

7条でも触れましたが、変革のためには、リーダーたる者は自らが動くことなのです。人を動かす前に、自分は何ができるのか、何をした上で周りを巻き込んでいくのかを考え、躊躇なく実行していくことが肝心です。

 
 私自身も脳力開発を学ぶ以前は、カタチの上では組織のリーダーたる地位にありましたが、人の好き嫌いが強かったり、また人に任せることも余りできない性格でした。そんな時にT_ 教えられたのは、うまくいくのもいかないのも全て自分の行いのせいだと。

 
 人をもし変えようと思うのだったら、まず自分が変わりなさいと諭されました。その時には、それでどうなるんだと反発の気持ちが働きました。何で自分が変わらなければならないのだ、変えるべきは相手の方ではないかと。

 
 相手を変えたかったら、まず自分を変えなさい。半信半疑ではありましたが、とにかくやってみようかと始めて見ました。しかしそんなにすぐに変化が訪れるはずもありません。何でだという思いで、反発さえ覚える有様でした。

 
 これでは相手が変わるはずもありません。また、一からスタートのやり直しを何度繰り返したことでしょう。その内に開き直りの心が生まれ、とにかくやるしかないだろうと、強い意識をもって臨みました。時間がかかってもしょうがないとも。

 
 私自身は実は余り気付きませんでしたが、数ヶ月たった頃に別の人から言われました、「最近、君の課の
△△君だけど、やる気が出てきたようだね」と。そう言われてじっと見ていると、確かに以前とは動きが変わってきたように見えました。

東京MG会場で徒然に感じたこと

3週連続の土日を挟む遠征がつづいています。期間は短いのですが、移動距離がそこそこ長い上に気温や天候の変化が激しいので、体調には気を遣います。

 

それでも今回の遠征では、大阪・神戸そして東京で満開の桜を楽しめるたびになりました。暖かい雨に葉桜になり始めた木もありましたが、ライトアップされた夜桜も見ることができImg_3935 ました。

 

今日はいったん新潟に戻り、1日おいてまた大阪への遠征です。真ん中の12日はマグ(MUG)の上越例会に参加です。例年ですと、夕方からは高田公園の夜桜見物に出かけるのですが、移動時間の関係で残念ながら桜を見ることができません。

 

新潟市内の桜も開花して、今週中頃には満開になってくる予想ですが、今週は気温が下がる日がありますので、次の遠征から戻ってくるまで保ってくれるかも知れませんね。

 

さて、昨日は午後数時間ですが、時間がありましたので西研主催の東京MG会場(大井町きゅりあん)に顔を出してきました。8卓満席ですから50人近い参加者で、熱気ムンムンの盛り上がりぶりを目の当たりにしました。

 

ただ気になりましたのは、いささか守られていないルールがあるなと感じたことで、見渡してみますと100期を超えている、200期300期というベテラン体験者が僅かしか見当たりませんでした。

 

30期から7,80期くらいの方はゲームの面白さが分かり、戦略MQ会計の知識もそれなりに身につき、そしてゲーム後の決算もほぼ独りでできるようになっています。つまりは慣れてきているわけですが、その分自分の知識や体験の範囲で行動してしまいがちです。

 

分からないことはすぐに尋ねる、この基本を忘れてはいけません。自分流の解釈は、初心者のためにも避けてほしいところです。僅か5期だけの間でも、3つくらいルール間違いを指摘しました。

 

あと気になったのは、セミナー修了後みんなあっさりと帰ってしまうことでした。誰も「0.5期」にいきましょうという声が上がらない。参加者ではない私が声をかけるのも変ですので黙っていましたが、寂しいことですね。

 

聞いてみると、初日の会場交流会のあとの「3.5(3.6かな)期」にも、参加者はそれほど多くないともこと。なんだかなぁって感じですね。

 

ちなみに長岡MG(今夏からは米百俵MG)では、前夜祭(0.5期)と0.6期、当日の3.5期(交流会)と3.6期、さらに終了後の5.5期までフルにやっていますよ。ご参考までに。

知恵と汗とで自社だけの「もの」と「こと」を創る

かつて私の仕事の中では、入札競争あるいは相見積もりが避けて通れませんでした。当然なことですが、お客様は良い品質の商品を1円でも安く仕入れたい、買いたいと思われます。私がその立場でも、まずはそう考えることでしょう。

 

しかし、極端の事例では毎年同じことが繰り返されるが為に、毎年少しずつ納入価格が下がっていくという、販売する側には悪しき循環が生じます。

 

それでも量がさばけ、その量も年々増えていっておれば、何とか商売としては成り立ちます。ところが昨今のように人口減が目に見えてきて、特に地方では市場の縮小が顕著になると、とてもこれではいけないと誰もが思うようになります。

 

しかし、相変わらず相手の価格の下をくぐるような入札競争が繰り返され、お客様も相見積もりをとって安い方を選択するといった傾向はなかなかなくなりません。

 

確かに全く同じ商品を、右から左へ流すだけの商売であれば、それもまた当然だと言えるかも知れません。ということは、もしよりよい品質の商品を開発できて、よりよいサービスで提供できるのであれば、価格を上げられる、適正な価格で販売できる可能性があるというPhoto ことになります。

 

そのためには努力をしなければなりません。努力も無しにできるはずはなく、もしより弱いところの価格を叩くような傷のなめ合いになっては、長続きもしないでしょう。

 

さて、あなたの会社の商品やサービスは、このような状態に陥ってはいませんか。

 

その昔、ある会社から従業員さんのワークウェアについて引き合いをいただきました。その会社は地域では大変名の知れた、また私の知っている知識でも大変「良い会社」という評判のところで、社長も高い人格をもたれていると聞いていました。

 

すでに商品モデルや数量は決まっていて、そのワークウェアをいくらで納入できるかという問い合わせでした。幸い当社と取引のあるメーカーの商品でしたので、メーカーにも状況を詳しくお話しして、できるだけの価格を出していただきました。

 

それを元に納入価格や、当社としてできるサービスあるいは在庫フォローなどを書面にまとめ、私としては適正価格の下限と感じるプライスで見積書を提出しました。

 

数日後に担当部長からお電話をいただき、「御社に決めてもいいが、もう少し何とかなりませんか」。つまりもう少し値段を下げろというニュアンスです。1日時間をいただき、再度見積書を出しました。

 
ところが、残念ながらこれまで納入していたA社に決めたとの連絡が、数日後に届きました。最終的に値段で決められたようです。そのA社の社長から、「おたくのおかげで値段を下げられちゃったよ」と言われ、都合良く相見積もりに使われたことを察しました。

 
でも、実際には当社の価格をかなり下回っていましたので、いわゆる当て馬に使われただけだったかと、イヤな思いだけが残りました。その会社も社長も尊敬していたので、裏切られた思いでした。

 
もちろん私たちの努力がもう一歩足りないなとも反省し、次の同様の事例の際には、他社にはできないサービスを工夫し、前面に打ち出していくことができました。

 
世の中の変化を見ていますと、もはや昔流の商売すなわち「価格競争」の時代ではなくなったなと、確信できます。では、価格競争に巻き込まれずにどう生き残っていくか、知恵を巡らし実行していく時代です。

 
オンリーワンという言葉は昔から使われていましたが、さらにもう一歩、当社にしかない、他社には決してまねができない、それを小さくともいくつも持つことが大事ですね。

 
コストをかけるべきところにはしっかりかける、特に人へのコストは。その反面、コストをかけずにできる「もの」や「こと」にしっかり知恵と汗を使う。この時代をそうして、しっかり歩んで参りましょう。

教育勅語に対する私論私見

教育勅語(教育ニ関スル勅語)について、様々な角度からの議論が始まっている。それ自体は悪いことではないし、新憲法あるいは教育基本法の下で、教育勅語の存在は現在の教育とは相容れないから「議論の必要がない」とも思わない。

 

以前にも実は書いたことがあって、私は教育勅語の内容を否定するものではないし、書かれている内容の、特に徳目部分は日本(人)の基本道徳として活かしたいとも思っている。

 

さりとて、全面的にOKだとか、復活すべしなどというのは余りに暴論で、歴史的意義をないがしろにしてしまうものだと思う立場だ。

 

そもそも、皆さんは教育勅語を読んだことがありますか?原文ではとても無理なので、読み下し文を明治神宮のサイトから転載する(漢字の読みは一部のみ)。

Photo  

朕(ちん)惟(おも)うに 我が皇祖皇宗 國(国)を肇(はじ)むること宏遠(こうえん)に 德を樹(た)つること深厚なり
我が臣民 克(よ)く忠に 克く孝に 億兆心を一(いつ)にして 世世厥(そ)の美を濟(な)せるは 此れ我が國體(国体)の精華にして 教育の淵源(えんげん)亦(また)實(実)に此に存す
爾(なんじ)臣民 父母に孝に 兄弟(けいてい)に友(ゆう)に 夫婦相和し 朋友相信じ 恭儉(きょうけん)己れを持し 博愛衆に及ぼし 學(学)を修め 業を習い 以て智能を啓發(啓発)し 德噐(とくき)を成就し 進んで公益を廣(広)め 世務(せいむ)を開き 常に國憲(こくけん)を重んじ 國法(国法)にニ遵(したが)い 一旦緩急あれば 義勇公に奉じ 以て天壤(てんじょう)無窮の皇運(こううん)を扶翼(ふよく)すべし 是(かく)の如きは 獨(独)り朕(ちん)が忠良の臣民たるのみならず 又以て爾(なんじ)祖先の遺風を顯彰(けんしょう)するに足らん
斯(こ)の道は 實(実)に我が皇祖皇宗の遺訓にして 子孫臣民の倶(とも)に遵守すべきキ所 之を古今に通じて謬(あやま)らず 之を中外に施して悖(もと)らず 朕(ちん)爾(なんじ)臣民と倶(とも)に 拳拳(けんけん)服膺(ふくよう)して 咸(みな)其(その)德を一にせんことを庶(こい)幾(ねが)う

 
いかがでしょうか。確かに表現は古く、また天皇から国民(臣民)に下された勅語の形ですから、現代人には違和感があるでしょう、それはいたしかたありません。

 
しかし、その内容には頷けるところも少なくないでしょう。というよりも、大方のところは普遍的に通じるものだと思われませんか。ですから、例えば「道徳教育の基本戦略」といった形で取り入れていくことは可能かとも思うのです。

 
全面的に否定するのではなく、さりとてまるごと肯定するのでもなく、是は是、否は否として組み立て直せば良いのではと思うのです。

 
少なくとも戦前のものは何でもダメだと言った意見も、また精神や内容が良ければ歴史的背景は無視して良い、などという考え方はしてはならぬと考えます。

 
皆さんはどう考えられますか?

脳力開発は人間学であり行動科学です(153)

自分の原則(主体性)を自分の中に土台として、確固として持っている人は、他の人(やもの)に対して協力や協調ができます。自分にゆらぎがないのですから、自分を信頼し同時に相手のことも信頼できるということになります。

 
 リーダーにはこの原則を持つことが欠かせぬ要因です。ところが中には、原則(主体性)を持つのだといって、原則に固執し、何でもかんでも原則に当てはめて考えたり、自分の原則ばかりを尊重し、他を無視してしまう方がおられます。

 
 こういう方は「自分だけよしの姿勢」になってしまい、根本的な協調性や協力性を損なう行動をとってしまいがちになります。本当の相互協調や相互協力は、互いの原則を、互いに尊重し合うところから始まるのです。

 
 変革のための指針、第8条は「まず自分が変われ、さらに一歩変われ」。サブリードは、Photo_2 「それが変革の原動力」です。他人を変えることはできません、原則不可能ですし、他人は変わらないのが当たり前だと以前にも申し上げます。

 
 変えられないもの(人)を変えようとムダな努力をするのであれば、変えられるもの(人)、すなわち自分を変えていくのが筋道であり、また近道でもあります。でも世の中には、一所懸命「人を変えよう」とがんばっている方がおられます。

 
 挙げ句の果てには、変わらない相手を怒鳴りつけてみたり、罰で相手を追い込んでみたり、逆に甘い飴をぶら下げることまでやっているようです。表面的には変わるかも知れません、しかしそれは「見せかけ」あるいは「取り繕い」に過ぎません。

車両の窓はきれいにしてほしいもの

乗り鉄旅の好きな私は、時間が許せばローカル列車に揺られたいのですが、遠方への遠征ではなかなかそうもいきません。時間に制約があれば、新幹線や時には飛行機の旅もやむをえません。

 

在来線の旅でも、特急列車を利用することが少なくありませんが、その際には混雑する季節や期間を除いては、自由席を利用します。一つには、その沿線ならではの景色を楽しめる座席に座りたいこと、時にはまた乗り鉄ファンの常として右側座席に座る為です。

 

特に景色を楽しむ旅は、日本に四季があることの素晴らしさをいつも感じさせてくれます。同じところを走っていても、春夏秋冬ではそれぞれ違う表情を見せてくれるからです。

 

いくつか好きな沿線景色がありますが、中でも日本海を眺められる信越本線の柏崎-柿崎間や、羽越本線の村上-あつみ温泉間はいつも楽しみにしています。特に後者は距離も長く、途中に「笹川流れ」と呼ばれる名勝もあります。

 

うまく夕暮れの時間帯にかかりますと、日本海に沈む夕日と、その前1時間くらいのえも言えぬ色彩の空を堪能できます。ハッと息を呑むこともしばしばです。

 

そんなわけで羽越本線では海側に座りますが、あつみ温泉を過ぎると、空いていれば右側に移ることがあります。出羽三山や鳥海山を観ることができるからで、とくに雪を被った季節は圧巻です。

 

ところが今回もそうでしたが、がっかり残念ということがあるのです。それは、車両の窓の汚れ・曇りです。JRの車両は、基地(羽越本線の特急「いなほ」は新潟)での洗浄、窓拭きT_485701_17 のサイクルが決まっています。

 

どうもサイクルの最後の方にかかった車両なのか、せっかくの景色を台無しにするような汚れ・曇りでした。編成ごと洗浄しますので、7両編成のどの車両もほぼ同じような程度でした。

 

これでは旅の楽しみも半減以下です。まさか人手不足で、自動機械洗浄だけを行い、ブラシにより人手の洗浄には力を入れていないわけではないのでしょうけど。せっかくの観光路線だけに極めて残念なことです。

 
羽越本線には観光列車「きらきらうえつ」(写真)も運転されていますが、窓の大きなこの車両は、しっかり磨いているのでしょうか。そうでなければ、お客様をがっかりさせてしまいますよね。

孝謙上皇の逆襲と藤原仲麻呂の乱

頂点に上り詰め、恵美押勝の名までいただいた藤原仲麻呂でしたが、太政大臣(太師)になった同じ年760年に光明皇太后が逝去されると、次第にその権勢に陰りが見えてきます。

 

孝謙上皇が弓削道鏡を信任し始めたことに焦りを感じた仲麻呂は、淳仁天皇に上皇を諫めるようにけしかけますが、これが逆効果を生みます。激怒した上皇は、天皇の権限を制限するとともに、実質的に返り咲きを図りました。

 

焦燥した仲麻呂は自分の兵権を活用して多くの兵を都に集め、天皇やその兄弟(親王)たちと共謀し政権の奪還を目指しますが、後難を恐れた一人が上皇側に密告します。仲麻呂側と上皇側との間で、孝謙発動のための鈴印争奪戦が激烈になります。

 

上皇は、仲麻呂の官位を剥奪、全財産の没収を宣言しますが、仲麻呂はいち早く平城京を脱出し、近江国を目指して北上しました。上皇は70歳の吉備真備(仲麻呂の政敵)を政権中枢に復帰させ、追悼軍の指揮を任せます。

 

瀬田の橋を先行して焼かれた仲麻呂は致し方なく、琵琶湖の西岸を北上しますが、氷上塩焼(塩焼王)を天皇に擁立しますが、愛発関を固めた上皇軍を破ることができず、南へPhoto 引き返します。

 

そして再び今度は船で愛発関を目指しますが撃退され、湖岸の三尾で妻子一族ともに斬られて敗北してしまい、塩焼王も誅されます。これが世に言う「藤原仲麻呂の乱」です。

 

淳仁天皇も廃位されてしまい、淡路国に流され(淡路廃帝)、やがて逃亡を謀って捕まり病死したと伝えられていますが、どうも殺されたようです。正式に天皇として認められ、淳仁の名が贈られたのは明治天皇の代になってからでした。

 
そしていよいよ孝謙上皇は、再び天皇の位に戻り(重祚)称徳天皇となられます。いわゆる天武系天皇の最後となるわけです。

脳力開発は人間学であり行動科学です(152)

さて、周りの人たち(他人)は「活用する条件」と書きましたが、他人にやってもらう、あるいは他人に任せるには、ただ口で指示したりお願いするだけでいいでしょうか。おそらく、それだけではすぐに実現はしないのが通常です。

 
 実現させていくためには、さらに「条件づくり」をしなければなりません。要は、こういった条件づくりと条件の活用などを、自ら推進していくこと、これこそが自分で主体的にやる姿勢で201302 す。実現するまでやりつづけること、リーダーの務めです。

 
 とはいえ、条件づくりの仕方が問題です。細かいところまで緻密に組み立てをして、その1から10までをやってもらおうとすることは、果たして正解なのでしょうか。目的や目標を示して、当面の到達点を示せばそれでいいのでしょうか。

 
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から10まで細かくやり方までを指示する、これを戦術指示といいます。反対に目的や目標だけを示し、当面の到達点だけを指示して後は任せる、これが戦略指示です。どちらがいいのでしょう、実はどちらとも言えません。

 
 正解はありません、ケースバイケースです。あえて言えばバランスを考えて指示を出すことでしょうか。その他人、個人でもグループでも組織でも、その特性を判断し、戦略と戦術のバランスのとれた指示を出していくこと、それがリーダーなのです。

 
 その時に大事なことは、リーダーとしてしっかりとした主体性を持つことです。主体性とは、言い方を変えると「自分の原則」を持つということです。原則が確立されていないと、フラフラして周囲の状況に流されてしまいます。

MG研修に消極的な社員さんをどうしますか

先週(福井MG)に引き続いて、今週も西研MGセミナーに参加しています。今回は、顧問先の会社が主催されている「うみねこMG」です。

 

第4期が終わり、残すところ午後からの第5期です。ここまでは、青(研究開発)チップなしでやってきましたが、予定通りには自己資本が上がらず、5期は戦術変更も視野に入れました。特別損失リスクもありましたが、それは言い訳にはなりません。

 

ところで、この「うみねこMG」は顧問先会社にとっては、社員教育の場です。社長の思いとしては、社員さん(バイトさんも含めて)全員が参加してほしいのですが、どうしても家庭の事情や体調不良での欠席が目立ちます。

 

心の優しい社長ですので、無理に出てこいとは言われません。それはそれでいいのですが、そのことに社員さんが甘えてしまっていては困ります。また、2ヶ月に1度のワンデーMGも含めていつも参加してくれている社員さんと、そうでない社員さんの差がついてきています。

 

それはMGの成績と言うことだけではなく、例えば笑顔や明るい挨拶一つをとっても、大きT__20170401_10_17_46 な差が感じられるのです。こういった差がつくというのが、ちょっと困りものなのです。

 

かつて、一時期ですが社員数が50名くらいのショップの経営指導をさせていただき、やはり同じような状況に直面したことがありました。50名を2つのグループに分けて、隔月交代でMGを受講していただきました。

 

ところが、どうしても「参加したくない」という社員さんが数人出てきました。しかも1人は店長クラスの幹部社員です。口に出しては言わないものの、研修が近づくとお腹の調子が悪くなる社員も出ていきました。

 

社長も色々と工夫をしたり、朝礼の場を通じて研修の大切さを語ったり、個別の面接などでフォローをされましたが、状況は余り変わりません。

 

サポートしている立場としても見逃せません。ポイントは、一所懸命に研修に取り組んでいる社員はいいのですが、どっちつけずの気持ちを持っている社員もいて、彼らの足(心)をひっぱるようなことになってはと心配になりました。

 

しかし、心配は杞憂でした。MGの体験期数を重ねていった社員が、どんどん明るく元気になり、しかも周りを思いやる社員に育ってきたのです。彼ら自身が、どうしてもMG研修に消極的な社員のお尻を押してくれ始めたのです。

 

おかげで、丸2年のサポート期間の終わり頃には研修効果が出始め、会社の業績も少しずつ上がってきました。何よりもお店が元気になり、一人一人が公的になり、また相互に助け合う雰囲気ができました。

 

ちなみに反対していた店長は、その後自ら退職していかれました。その際に社長は、最初は引き留めようと思ったものの、思い直して退職願を受け取ったそうです。その店長についてやめた社員は、ひとりもいなかったそうです。

 

さぁ、あなたの会社では、社員さんがニコニコして研修に出てきておられますか?

「うまくいかない」時の経営計画書は不必要ですか

またまた「年度初め」に関わる話題です。

 

多くの会社が年度初めまでに経営計画を立てます。商工会議所や中小企業者の勉強会などでも、経営計画の重要性が語られ、計画を作ることによって企業の発展につながりますと教えられます。

 

昨今では、計画を作りためのコンピュータソフトまであるそうですが、多くの企業では業績、Photo_2 すなわち売上・利益計画を軸に、年間の重要政策や行動目標などが明記されます。

 

ところでこの経営計画ですが、年度の到達目標や経営の基本姿勢などを「戦略」といい、具体的な数値目標(月次や部門別、項目別の目標など)や、政策や行動の各項目のことを「戦術」と言います。

 

言い換えると、戦略は(今年度)企業として進むべき方向であり、戦術はそれを達成するための手段や方法、あるいは道具というわけです。この二つは常にセットです。

 
戦略のない戦術は糸が切れた凧のようなもので意味がありませんし、戦術なき戦略単なる夢、砂上の楼閣といった感じです。もちろん、両者は密接に関わっているわけで、それぞれが別々に存在するわけではありません。

 
皆さんの会社もきっと、経営計画を作られていることでしょう。経営計画書あるいは経営指針書など、名前を付けて社員さんにはもちろん、顧問税理士さんや取引銀行さんなどにもお渡しになる会社もあるでしょう。

 
ところでその経営計画は「うまくいく」計画書ですよね。何が言いたいか、計画はいざやってみると、「うまくいく」こともありますが、「うまくいかない」ことだってあります。そんなこと当たり前じゃないか、そうなんです。では、「うまくいかない」計画書はなぜないのでしょう。

 
そこで一部の企業では危機管理という言葉を使い、「うまくいかない」場合の対処法を準備しているそうです。それはそれでいいのですが、そもそも両方の計画書があってもいいのでは?

 
要するに、今どこでも作っておられる経営計画書あるいは経営指針書は、そこに示されている到達目標(戦略)を達成するため(だけ)の戦術が記されています。しかし、物事は常にうまくいくとは限らないのが常です。

 
やってみれば分かります。うまくいく時や成功する事柄もあれば、うまくいかない時も失敗する事柄もあるはずです。ならば、危機管理などという「まやかし」じみたものではなく、ハッキリとうまくいかない時には「こうするんだ」と明確に書いてはどうでしょう。

 
それも一つや二つの代替戦術だけでなく、思いつく限りの手段・方法を記しておけばどうでしょう。その場に及んで迷うこともないでしょう。長々と会議を開いて、侃々諤々と不毛な議論を繰り返す愚も犯さないでしょう。少なくともすぐに対応して、時間の余裕を生むことでしょう。

 
何になぜ? 全員に行き渡らなくても、経営者や経営幹部だけにでも「うまくいかない」時にのための経営計画書を、作成しておく意味はあるのではないですか。

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