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お飾り天皇と『光明=仲麻呂』体制

藤原不比等の孫、藤原鎌足の曾孫である藤原仲麻呂は、奈良時代に入る少し前に生まれ、時代の後半に歴史から消えているので、まさに「奈良時代のど真ん中」を生きたと言えます。

 

叔母である光明皇后に可愛がられ、聖武天皇と皇后の間に生まれた阿倍内親王(皇太子)が孝謙天皇として即位する(749年)と、参議であった仲麻呂は一気に大納言に昇進しPhoto ます。

 

その以前の参議・式部卿時代、政敵であった橘諸兄の側近たちを次々に配置転換あるいは免職し、諸兄の力を削いでいきます。式部卿はそういう人事権を握れる役職でしたが、その力の裏にとくに皇后の後押しがあったと考えざるを得ません。

 

諸兄は光明皇后とは異父兄妹ではありましたし、皇后は「県犬養(橘)」意識も持っていましたが、それ以上に「藤原」意識を持たれていたようです。また、諸兄はやり手であり、ある意味やりすぎたのかもしれません。

 

また、聖武天皇の第二皇子であった安積親王が恭仁京で急死していますが、これも仲麻呂の指金ではないかと疑われています。安積親王は皇后の実子ではありませんが、皇位継承候補でした。

 

そして大納言として朝堂中枢に座ると同時に、皇后の「役所」である紫微中台の令(長官)を兼務することになります。これをもって『光明=仲麻呂』体制が確立し、孝謙天皇が全面的にそれを後押しします。ある意味天皇はお飾り的存在だったかも。

 

そしてついに左大臣諸兄が「舌禍」事件で失脚し、右大臣藤原豊成(仲麻呂の兄)に対しては、紫微内相に就いて実質的には上位に立ちました。

 

その仲麻呂の前に立ちふさがったのが、諸兄の子である橘奈良麻呂でした。次回コラムはその二人の全面対決のところからです。

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