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稀代の怪物・藤原仲麻呂の登場

奈良時代は「血塗られた時代」とも言われています。直前の天武・持統時代にも、有間皇子や大津皇子らの事件があり、聖武時代には長屋王が葬られました。

 

他にも天皇に即位できる資格を有する皇子や王が、何人か不審な死を遂げています。あるいは重臣の中にも、対立する重臣(ズバリ藤原氏)によって抹殺された例があります。

 

そしてまた、ここに一人の権力者が登場します。その名は藤原仲麻呂、藤原南家の武智麻呂の次男として誕生します。

 

武智麻呂たち四兄弟が相次いで天然痘で病死した際には、まだ30歳ちょっとで、聡明鋭敏Photo さは評価されていたものの、官位はまだ従五位下であり、政権を担う橘諸兄とは大きな差がありました。

 

しかし順調に階位を上げていき、743年に37歳で参議に昇任、つまり公卿の一員になりました。この頃から諸兄との対立を深めていったようですが、叔母である光明皇后の信任を得たことが大きな要素でした。

 

もっとも諸兄も皇后とは異父兄妹であり、どちらが「皇后を得る」かという権力闘争が強まったともいえます。そして結局、軍配は年若い仲麻呂に上がります。

 

749年に孝謙天皇が即位すると、仲麻呂は一気に大納言に上り、次いで、皇后のために設けられた紫微中台の長官に抜擢されます。

 

この役職はいわゆる令外官であり、中央朝廷である太政官とは別組織ながら、同じあるいはそれ以上の権力を持っていました。

 

755年に諸兄が左大臣を辞任し、ついに朝堂を追われてしまいます。右大臣は仲麻呂の兄である藤原豊成ですが、仲麻呂はこの兄の追い落としを謀ります。

 
そして756年に聖武太政天皇が崩御されると、政局は大きく動いていきます。

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