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教育勅語よりも「挨拶、返事、後始末」だ

昨日は東日本大震災から丸6年だった、故に報道番組もそこに焦点を当てたものが多かったが、ふと感じたのは「風化」というどうしようもない現象だ。

 

科学的根拠も何もないが、出来事から1年たつと記憶が1/2になり、毎年その割合で風化していくとしたら。丸2年で1/4、3年で1/8、、、6年では1/64になってしまう。映像が再現されても、おそらく一過性の甦りで翌朝には忘れてしまう。

 

阪神大震災からは20年、新潟県中越地震からは12年余り、どちらも地元の人以外にはほとんど記憶に残っていないのではなかろうか。東日本の被害は大規模かつ甚大で、しかも原発事故という過去にない出来事があった。

 

その故に風化の速度も遅いかもしれない。だが、一方では心無いいじめや中傷といった、心の痛い出来事もまだ起っている。つらい悲しいことだけが、風化しないとは嘆かわしい。

 

風化と言えば、戦後71年を経過しても亡霊のごとく風化しないものが蠢き始めている。教育勅語、森友学園問題で妙な具合にクローズアップされてきている。教育勅語にとってもさぞ不本意なことだろう。

 

私も、実は教育勅語(の中身)については決して否定的ではない。一部を除き、その道徳的ないわゆる徳目については、守ってしかるべしだと思っている。法的にはすでに「存在しPhoto ないものだから」ということだが。

 

しかし、この120年前に登場した教育勅語が戦前に果たした役割や、その歴史的・思想的背景を鑑みれば、このまま塩漬けにすべきものだとも考えている。それは上記のプラス面を考慮したとしても、余りにマイナス面が大きすぎる。

 

また、道徳あるいは倫理というものは強制すべきものではない。頭を押さえつけて、さあやれ、やらなければだめだと強いるものではない。ましてや、守らなければ「非国民だ」などという攻撃はご免被る。

 

ましてや、意味の分からぬ幼児や児童に読ませることは、いくら「素読」が学びになるとはいっても限度があろう。「大学」や「論語」(私は「論語」の素読には反対だが)ならまだしも、教育勅語はなぁ。それは洗脳の類だ。

 

やるのであれば、森信三先生の「あいさつ、返事、あとしまつ」を記した文章を、子供たちに読ませ実行させるのがよい。もし私が子供たちを教育する立場なら、そちらを選ぶだろう。

 

風化に戻るが、今回の(森友学園)事件はこのまま風化していくのかどうか、その辺りも大いに気にかかるところではある。

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