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脳力開発は人間学であり行動科学です(142)

変革のための指針、第4条は「変革という本質的変化には時間がかかるのである。」サブリードは、「自滅するな、そしてやめるな」です。変革というのは、誰かが口で唱えたぐらいではとても実現されないということを、肝に銘じておきましょう。

 
 単なる言葉ではない本当の変革、これを本質的変化と呼んでいるわけですが、何しろこれまでやって来たことを覆すくらいの変化なのですから、なまじの気持ちでは遂行できません。最高の脳力発揮の場であることを自覚して臨みたいものです。

 
 何故なら、現状という出発点が非常にまずい状況だから、変革という到達点はかなり高みにあるのです。本質を変えなければ、組織構造やシステムはもちろん、私たち自身の考え方や行動そのものを変えていかなければならないのですから。

 
 本業のコンサルティングの話になりますが、私の場合はその多くが人材の育成、つまり社員さんをレベルアップしていくというのが仕事の中心です。経営の体質強化や組織力をアップする、いずれの場合もまず人材力のアップが課題になります。

 
 私の場合は、主としてMG(マネージメントゲーム)を活用しての研修と、脳力開発のプログラムを対象企業の状況に合わせて提案し、取り組んでいただきます。その時に問題になるのは、効果が出るのにどのくらいの時間が必要かです。

 
 社長(経営者)とすれば、そのことは一番重要なポイントなのですが、「お湯をかけて3分で」という感じにはなりません。中には感性よくすぐに気付きを得て「自分を変えて」下さる方もいますが、全般的にいえば効果や結果が出るのは先の話になります。

早春の房総半島をぐるり旅

仕事の遠征の移動は、私にとっては楽しい乗り鉄の時間です。でも普段は特急や新幹線、あるいは飛行機での移動が多く、ローカル鈍行の好きな私にはいささか残念な感じです。

 

ところが今回の遠征では、なんとぽっかり1日が空いたのです。この機会を逃してはならないと、いろいろな企画を頭の中で組み立ててみました。

 
たとえば、一区間切符で首都圏の一筆書き旅、鶴見線をゆっくり乗ったり降りたりの旅、都内フリー切符の旅。

 
結局、「南房総フリーきっぷ」を使って、房総半島を一周することに決めました。この切符には大人の休日倶楽部割引もあります。

 
当日は品川駅がスタート、総武線直通快速に当初の予定より早めに乗って順調に・・・いかなかったのですね。新橋を出てトンネル内で信号停車。なんでも新小岩と市川駅間で「異音」があり、安全確認のためとのこと。

 
東京地下駅に列車が溜まり、結局15分余り遅れてしまいました。市川で途中下車、これはフリー切符を市川溌にして買うと、都内発よりかなりお得なのです。

 
千葉では後から来た外房線快速に乗り継ぎ、本来上総一ノ宮行きがこの日は茂原行きに変更、茂原で京葉線からの先行快速に接続して上総一ノ宮へ。

 
早めに昼ごはん、、、駅前には一軒だけ食堂がありました。お刺身定食を頼みましたが、さT_2082119_17 すが海に近いと美味しくてコスパもまずまず。

 
ここから先は209系の乗り継ぎ、京浜東北線から改造されてやってきた2000番台、2100番台は両端車がセミクロスシート。車内一部は荷物扱いで締め切られていました。

 
安房鴨川と館山で乗り継いで木更津へ。このフリーきっぷ、実は南房総地区のバスも乗れるのですが(2日間有効)、今回はローカル電車のみの旅。

 
木更津で久留里線のDCを撮り鉄して、再び内房線を引き返して浜金谷へ。駅から10分の金谷港から、東京湾フェリーで40分、久里浜港へ渡りました。

 
この日の目的地は京急の三浦海岸。駅前の河津桜はもう葉桜でしたが、花も残っていて1年ぶりの早めのお花見気分を楽しみ、乗り鉄旅も終わりました。

MGは究極のアクティブラーニング

MGフェスティバル2日目は、終日講義の時間です。

 

午前中は、菅原智さん(関西学院大学商学部教授)のお話。世界の、あるいは日本における会計教育についての講演ですが面白い。

 

昨夏のMG学会でもお話を聞きましたが、今回は夜は同室という幸運に恵まれて、大学にT_20170226_mgf4 おける色々なエピソードも聴くことができました。

 

先生によれば、MGは「アクティブラーニング」の最たるものだとおっしゃいます。確かに楽しく学べて、しかも実務にも効果をもたらすということを、私自身も常に実感しています。

 

しかも単に会計教育にとどまらず、人間教育あるいは人間学にも自然に踏み込めるというところが素晴らしいです。

 

私自身も公開セミナーを通じて、またクライアント企業での社員さん対象のMG研修を、さらに充実させていきます。

 

もっともっと積極的に、自社の教育プログラムに加えていただけるよう、自信をもって進めていきましょう。

 

さて、午後からは二人のMGシーガルたちの体験講話です。それぞれに素晴らしい体験をされていますので、こちらも大いに楽しみです。

我が命ある限りここに来ます

T__20170225_14_44_19 今年も始まりました、西研MGのお誕生日お祝い・MGフェスティバル。今日の三浦海岸は青空が広がり、海も穏やかです。

 

全国からMGシーガルたちが集まり、初日は10卓60名のMGです。第2期が終り、今日は次の第3期まででしょうか。明日は関学の菅原先生講演、そして午後はわれらの仲間たちの体験講話。

 

私が西研MGに出会ったのが1987年ですが、MGフェスティバルへの初参加は翌々年の89年、以来1度か2度を除いてほぼすべて参加しています。

 

初参加の時には、周りの方々の半数以上が初めてお目にかかる方、また私よりも以前にMGを始められた方が多数でした。企業での体験講話に、ただただ「すごいなぁ」と聞いていたものでした。

 

それから28年、ついに私も「長老」あるいは「レジェンド」と呼ばれる年齢になり、若い方々も増えたのはうれしい限りです。

 

そして、今もって同じ心でこの場におられることが、さらに嬉しいことです。大げさではなく、命ある限り参加していきますよ。

脳力開発は人間学であり行動科学です(141)

企業再建というものも変革、それもこれまで当たり前のことを覆していくくらいの、大きな変革になる場合があります。普通にやって来たことを否定されるのですから、戸惑い以上に反対や反発も不可避です。しかしためらってはおれません。

 
 私(の会社)の場合も、表だった反発こそありませんでしたが、消極的な態度などで反発しているなと感じました。基本土台を作るための研修や、これまでなかったパソコンの導入なT__20170220_15_13_36 どは、なかなか思うようには進めることができません。

 
 しかし、一人また一人と積極的に研修に参加してくれる社員が現れ、パソコンをとにもかくにも使ってみるかという社員も出てきました。1年から2年かかって点が線になり、3年目くらいからそれが面として見えるようになってきました。

 
 点から線へ、そして線が面に広がっていくということは、情報の共有が実現していくということに他なりません。情報の共有はやがて目的の共有となり、その方向が一致すれば、そこから先、リーダーは細かい戦術指示をしなくて済むようになります。

 
 ということは、点から線にもっていくところが最も大変で苦労する部分であり、線から面へはそれよりは少なくとも楽であるということです。そして面が出来上がり広がっていく段階になると、リーダーは戦略チェックだけでもよくなるのです。

 
 とまぁ簡単に書きましたが、多くの場合その最初の段階、点から線への段階で音を上げてしまうことが多いようです。次の第4条はそのことをズバリ指摘しているのです。ここで書いたことを踏まえて、では次にステップを進めていきましょう。

リーダー意識で行動する方への脳力開発シニア講座

本日は、ヴァンガード経営研究所の新しい脳力開発セミナーについて。

 
一昨年から、30余年前に開催されていた『脳力開発講座』の中から、基礎編の部分を5回のシリーズにプログラム編集し、第1次から第3次の3回にわたり開催してきました。

 
延べで60名くらいの方に、神戸と東京で受講していただきました。その講座も、今日23日の東京講座で最終回を迎えます。

 
今回の5回シリーズ講座は「理入」中心、すなわち講座VTRを活用した講義が中心の内容でした。小さな演習やミニディカッションも入れましたが、まとめも含めて基本は理入。

 
そこで、新しい講座は理入と行入を組み合わせ、前半の講義で学んだことを後半のセッシT_img_9253 ョンの中で活用する、というパターンを取り入れます。(右の写真は数年前開催講座の様子です)

 
また隔月開講の3回シリーズとして、目的は「土台となる行動習慣を付ける」ことに焦点を絞り、重要な行動指針3つを取り上げていきます。

 
その行動指針は次の3つ(カッコ内はその対比姿勢)です。
 1) 自分で主体的に行動する姿勢 (人頼りの姿勢)
 2) いつも進歩発展を目指す姿勢 (現状に甘んじる姿勢)
 3) 他人にも利益を落とす姿勢 (自分だけ良しの姿勢)

 
このプログラムを「シニアプログラム」とし、講座名も「脳力開発シニア講座」とさせていただきます。土台となる行動習慣の向こうには、思い描く「夢の実現」があります。

 
受講対象はリーダー、あるいはリーダーを目指す方です。リーダー意識を育て、リーダーとして行動していこうという意欲のある方の受講をお待ちしています。

プレミアム・フライデーまで秒読みだぁ

いよいよ、明後日が始めてやってくる例の日です。

 

プレミアム・フライデー、月末の(最終)金曜日に定時より早めに退社し、買い物や旅行を楽しんでもらい、結果として個人消費を増やそうという試み。

 

今月24日がその最初だが、企業側の対応もどうもまちまちな様に思える。というより、戸惑っているといったところか。どうもな

 

その狙いはというと、こうである。

 

個人が幸せや楽しさを感じられる体験(買物や家族との外食、観光等)や、そのための時間の創出を促すことで、

 

 (1) 充実感・満足感を実感できる生活スタイルの変革への機会になる
 (2) 地域等のコミュニティ機能強化や一体感の醸成につながる
 (3)(単なる安売りではなく)デフレ的傾向を変えていくきっかけとなる

 
どうもなぁというのが、私の正直な感想だ。確かにプラスの影響もあるだろうが、それって広がりを持つとは思えないんだなぁ。
Photo
 
今回の第1回目は、何となく最初だからというので少し盛り上がるのかもしれないけれど、3月4月となっていくと、どうなんだろうか。

 
びっくりするほどの個人消費アップは、とてもないんじゃないか。

 
尻すぼみにならないことを祈ってはいるけれど。

脳力開発は人間学であり行動科学です(140)

同志が複数になり、さらに協力者が現れるようになりますと、「線」が増え、それらが相互に影響し合いだして「面」になっていくのです。こうなったらしめたもの、さらに面を増やしていくことができれば、主流の存在に近づきます。

 
 しかしながら、いつもそんなに順調に進むものではありません。よくある姿は、同志や協力者がなかなか出現しないで、あるいは少数しか集まらずにイライラしてしまうことです。そうなPhoto るとグチや不平、不満がつい口に出てしまいます。

 

 自分は正しいことをやっているのに、あるいは会社のためをおもって努力しているのにといったように、「のに」が口をつくようになると注意が必要です。それでは、一所懸命やっていることが無になってしまう、不本意な結末を近づけるだけです。

 
 正しいこと、いわゆる正論を主張し実行しているからと言って、それがそのまま認められる、そのまま通るとは限りません。あるいは、素直に耳を傾けてくれるわけでもありません。企業の発展に必要な研修だと言っても、素直に受けてくれるでしょうか。

 
 むしろ反対や抵抗の方が多いのではないでしょうか。何しろ現状を変革していこう、すなわちある意味現状を否定しようというのですから、抵抗があって当然なのです。社長やリーダーだからと言って、強権で突破しようなどと思わないで下さい。

 
 必ず味方ができる、それを信じてやり続けることが第一です。目標を持って、真剣に努力し続けることです。そうすればゼッタイに同志ができ、協力者も現れると確信することです。進歩発展を目指す姿勢を忘れぬことは言うまでもありません。

青春の街神戸とは縁が深かった

先週の金曜日から神戸に来ています。本拠地の新潟よりも関西での仕事が多く、神戸のMG仲間の事務所を「居候オフィス」としています。

 

実はこの街・神戸は、私の青春の街です。生まれは大阪の市内ですが、小さい頃は大阪と神戸の中間にある甲子園の浜で海水浴をしました。また小学校時代は六甲山に遊びました。

 

そして大学は神戸大学に進学をして、大阪郊外の自宅から1時間半くらいかけて通学をしていました。入学当時は「70年安保」の学生運動がまだ残っていて、家を離れる許可を親Photo_2 から与えられませんでしたが、運動の鎮静化でようやく下宿を許されました。

 

下宿は、学部のあった大学本部から歩いて20~30分のところにありました。時間の幅があるのは行きは上り坂が主体、帰りは下り坂が主体だったからです。

 
ちょうど六甲山系の山すそに当たり、頂上を眺めつつ、海(神戸港)を見ることもできるという、絶好のロケーションでした。しかも南に張り出した部屋で、三方が窓、明るくてよかったのですが、夏の暑さは半端ではなかったです。

 
大学に入ったのが1970年、ちょうど大阪万博の年でしたが、その下宿にいたのは70年の秋から2年余りで、72年の夏ごろからは岡山に「移住」して、その年の暮れで下宿は引き払いました。

 
卒業前の1年半は岡山市内のユースホステルにヘルパーとして住み、授業やゼミのある日だけ、月に数回電車で(3時間近くかけて)神戸に通学していました。

 
下宿時代を軸に、神戸の街を山も海・港も暇さえあれば歩き回りました。貧乏学生でお金がなくて贅沢はできませんでしたが、心の栄養はたくさんいただきました。

 
現役時代は、仕事で神戸を訪れることはほとんどなかったのですが、独立開業をしてからは出会った方とのつながりの中で、神戸で仕事をする機会に恵まれました。

 
2015年までは大阪に拠点もありましたが、その少し前からセミナーを神戸で開催することが多くなり、今年も関西での活動の8割は神戸の地で行う予定です。

 
阪神大震災でかつて下宿した家も半壊で取り壊され、周辺の景色も変わりました。大学本部はかつての建物も残っていますが、新しい建物が増えました。「べっぴんさん」でロケ地に選ばれたのは、記憶に新しいところです。

 
気候がよくなったら、時間を作ってかつて青春を過ごしたキャンパスを、ゆっくり歩いてみたいと思います。

佳い波動に満ちている第2回スワールMG

金曜日から遠征がスタートし、前半は神戸に腰を落ち着けています。天候が再び冬型に逆戻りして、六甲颪が冷たく感じます。

 
この土日は、地元神戸のスワールコミュニケーションズの社内MGです。社長の小山瑞穂さんとMGを通じて出会い、当社のホームページの全面リニューアルをお願いしたご縁で、社員教育のお手伝いをさせていただいています。

 
昨年第1回目を行い、今回が第2回目です。社長をはじめ全員参加でも2卓がやっとですのT__20170218_15_26_08 で、社外の方にも呼び掛けて、たくさんの仲間が参加して来て下さいました。

 
瑞穂さんの思いが、周りのシーガルたちに伝わり、それがまた社員さんに佳い波動をもたらしてくれているようです。

 
仲間の皆さんの会社も、単独で社内MGを進めていくよりも、一緒にやっていこうという気持ちを持っていただいていますので、これからますます良い回転になっていくことでしょう。

 
私がもといた会社でも、1社だけでMG研修を進めていくことは可能でしたが、外からの刺激を得たいという思いから、最初から「公開セミナー」として開催することにしました。

 
実のところは、まだまだ自社の再建段階で社員を県外の外部セミナーに派遣する予算が確保できなかったのが本音でしたので、多くの仲間に来てもらおうと考えたのです。

 
おかげさまで大きな効果をいただきました。何より、参加していただける方の波動が素晴らしかったのです。例えば同じことを私が日々言っていても、彼らの一言の方が社員さんたちの心に響いていくのですから。

 
また、社内メンバーだけのMG研修は、もちろん自社の目指すところを伝えていくという大きなメリットはあります。しかし、どうしても視点が狭くなったり、ゲームで言えば戦術(手段・方法)の多様化が広がらないデメリットが否めません。

 
そんなわけで、スワールMGは「MGの社内推進」の1つのモデルとなるでしょう。自社だけで人数を確保できる企業でも、一部は周囲の企業にも公開することをお勧めします。

 
さて今日は研修2日目、昨夜の交流会もMG参加社員全員参加で和気藹々でしたので、今日もきっとMG効果をもたらしてくれることでしょう。

大仏建立の裏側で政権抗争が激化する

母も正妻も藤原不比等の子であるという、文字通り「藤原の子」であった聖武天皇の心の変化について、前回のコラムでお話ししました。

 

それは、永く引き離されて会うことのなかった母・宮子との再会が、大きなきっかけでした。精神の病に幽閉されていたらしい宮子と、天皇が出会ったのは実は光明皇后の邸であり、そこは不比等から譲られたものだったそうです。

 

すなわち、この邂逅を演出したのはどうも皇后であるように思われます。そういえば、皇后は聖武天皇の放浪ともいえる遷都行幸にずっと寄り添い、しかもその間大仏建立という大事業の意思決定に、背中を押されたようです。

 

天皇以上に「藤原の子」であった光明皇后も、またそこからの脱皮を図られたようです。不比等の娘であること以上に、橘三千代の子であることを意識し始めたのかも知れないということでした。

 

そんな中で大仏の製作が始まり、そこに膨大な費用と労役が投じられます。それに対するPhoto_2 庶民の怨嗟の声も上がったようですが、天皇は大仏の法力によって平和と安寧を実現したいという、強い思いを持たれていたようです。

 

しかし、大仏開眼の時には天皇はすでに譲位をされていました。開眼法要は752年の春、その3年前に皇太子である阿倍内親王に皇位を譲られたのです。

 
阿倍内親王あらため孝謙天皇は御年31歳、20歳で立太子されましたが、史上初の女性皇太子でした。ですが、それが故に生涯独身でなければならないという運命を背負うことになられたのです。

 
一方で、天武天皇直系の男系はここで途絶えることになりました。

 
さて、大仏開眼の裏側では、朝堂の権力者が入れ替わり始めていました。藤原4兄弟が天然痘で倒れた後で権力を握ったのは、橘三千代の子であり光明皇后の異母兄だった橘諸兄でした。

 
吉備真備や僧玄昉たちが周囲を固め、諸兄政権は盤石のように思えましたが、老いが彼らを政治の中心から去ることを命じます。それに代わって再び台頭してきたのが藤原氏、なかんずく南家の藤原仲麻呂でした。

 
仲麻呂は不比等の子であった武智麻呂の次男、叔母に当たる光明皇后に取り入り、その基盤を利用することで一気に地位を高めていきます。

 
そしてついに、諸兄政権を倒して朝堂のトップに躍り出てくるのです。次回はその仲麻呂の盛衰を中心に。

脳力開発は人間学であり行動科学です(139)

変革のための指針、第3条は「同志と協力者を一人ずつ増やしていくことが変革の過程である。」サブリードは、「点から面へ、そして主流に」です。経営再建の過程の中でも、まず心がけたのは、これからやろうとしていることを分かる社員を作るということでした。

 
 それには何より、私がやっていることを同じようにやってもらうということでした。当然のことですが、最初はみなおっかなびっくりです。拒否反応を示す、あからさまではないけれど、消極的に反対の姿勢を見せることも少なからずありました。

 
 そこでめげてはいけないのです。他人は(自分の)思い通りには動かないという、脳力開発の土台がありますから、とにかく時間をかけてやり続けるしかありません。必ず誰かが分かPhoto ってくれるはず、部分的にでも、部分を合わせれば形になると信じて。

 
 第2条のサブリードにありますように、変革はまず一人から始まります。というより、誰かが始めるのを待っていたり、行動を共にしてくれる仲間を待っていたのでは遅い。タイミングを遅らせることなく、自ら「まずやる」ことが大切です。

 
 しかし、一人で始めたと言っても、いつまでも一人でもがいているだけでは変化が出てきません。小さくても効果が表れ、周囲にも見えてこないと過ぎにステップに上がれません。そこで、同志や協力者の存在が必要になるのです。

 
 変革の方針や方向性を分かってくれる同志の存在は、とっても重要なものです。分かってくれるだけでなく、一緒に実践してくれれば、なお言うことはありません。同志ができれば、あなた自身と合わせて「線」ができるのです。

いつの時代も「変化の時代」なのだけど

世の中が、「変化の時代」あるいは「大変化の時代」などと呼ばれるようになったのは、さていつ頃からでしょうか。

 
おそらく人によってまちまちでしょう。蛮勇をもって私が思うには、それは人類発生の頃からではないでしょうか。つまりは人類史は常に「変化の時代」であったと。

 
ただ、その変化の中身がその時代によって違うわけで、つまりはその以前と変わっていくよということを「変化の時代」と呼んでいるものだと思うのです。

 
よって、何をあたふたしているんだというのが私の意見です。いつの時代であっても、昨日と今日とは違う、明日はさらにもっと違ってくる、それだけのことではないですか。

 
そして、人はいつの時代もちゃんと変化に対応してきました。対応してきたからこそ、今も地球上に存在しているわけですから。対応できなかった、例えば恐竜は滅びてしまったではないですか。

 
ただ、あなたが、あるいはあなたの会社が「恐竜」にならないという保証はどこにもありません。明日は我が身、ということが現実目の前にあるということも確かなことです。

 
よって変化の時代をどうやっていきぬくのか、どう対応していけばいいのかということを書いた本が売れています。時代によって内容は異なっても、至極当たり前のことが書き並べられています。

 
たとえば、最近めくった本の中には次のようなことが書かれていました。(だれかに話したくなる小さな会社」 浜口隆則・村尾隆介著 かんき出版 より引用)
 
Photo ■変化の時代のポイント
 1.商品の短命化
    ・会社全体のブランド化が重要な要素
 2.商品・サービスレベルの向上と飽和
    ・「いつものやつ」として選ばれるか
 3.マス市場の消滅
    ・専門性とユニークさ、少数対象も可
 4.人口の減少
    ・リピート率の向上
 5.価格競争
    ・価値を上げる発想/商品価値公式
 6.情報化とグローバル化
    ・プル型の情報発信/発見されやすさ
 7.労働市場の流動化
    ・良い人材を獲得できるチャンス

 
これが正しいとか、良いとか、そういう話ではありません。あなたは、あなたの会社はこういったことに対応していっていますか?という話です。

 
考えていなかったでは、もはやすまない問題です、論外と言えます。考えています、という答でも心配になりますね。既にやっています、行動しています、でなくてはいけません。

 
あなたは大丈夫ですか? あなたの会社は大丈夫ですか?

強い意識を持てる方だけ対象のセミナー

城野宏さんが生きておられたらなぁ、と思うことがあります。今の世を、今の日本をどう感じてどう断じられることでしょうか。

 

きっと、何を迷っているんだ、カンタンなことじゃないかって叱られるのでしょうかね。難しく考えてもいい知恵は浮かんでくるはずがない、思い付きでもいいから体を動かせ、すぐに行動せよと。

 

そうですね、ためらっている時間はありません。自分ができる最良のことを、やってやってやり抜くことしかありません。

 

いささか手前味噌になりますが、5月からスタートさせる新しい脳力開発講座は、私自身が201705 切り札として打ち出すセミナーです。よって、あえて「シニア講座」と銘打ちました。

 

シニア講座ですので、対象も限定します。とはいえ、世の中の立場とか役職とかを絞るわけではありません。むしろそういったものは邪魔なのかもしれませんから。

 

この講座で学んでいただきたい方は、自分がリーダーだという自覚を持っているか、もしくはリーダーにすぐにでもなりたいと強く思われている方です。

 

遠慮も謙虚さなど全く不要です。いやいや自分なんて(リーダーには遠い)と思われる方は、入り口からUターンをお願いします。

 

リーダーには何が必要な要素なのか、リーダーになるためにはどんな行動が不可欠であるのか。ハウツウではありません、こうやればいいと教える講習でもありません。

 

自ら学び、気づいて実践する、その最初の一歩を踏み出すトレーニングです。

 

神戸講座は5月より、東京講座は6月よりスタートします。いずれも隔月の3回シリーズ、詳細についてはホームページ案内をご覧ください。参加お申込も下記案内からできます。

脳力開発は人間学であり行動科学です(138)

私のささやかな体験をお話ししましょう。地方の販売会社に出向した時、詳細は申せませんが、その会社は危機的な状況でした。人材の頭数は揃っていて、また「できる」人たちでしたが、悲しいかな状況変化に対応できていませんでした。
 

 というより、現状を正しくつかんでいなかったと言った方が適当だったでしょう。そこですべてを明らかにして、ここを出発点に変革していくことを宣言し、彼らにも行動を求めました。しかし当然のことながら、すぐには動き始めません。
 

 そこでまずパソコン(マイツール)を導入し、形から変えていくことに取り組みました。さらにPhoto_2MG研修をやり、脳力開発をやって意識改革を試み、もちろんその目的を明示しました。でも、変革には時間がかかることを痛感させられました。
 

 まさに、変革は一人から始まるのだという脳力開発の教えを、実感したものでした。朝礼やミーティングの度に、なぜマイツールなのか、なぜMGをやるのか、脳力開発を学び学んだことを実践する目的は何かを、一所懸命に語りかけ続けました。
 

 正直言いますと、私の気持ちも揺らいでいました、自信を確信にはできない状況でしたから。本当に会社を建て直し、良くすることができるのか確信は持てませんでした。しかし腹をくくりました、何しろ剣が峰でしたから、やるしかないのです。
 

 やると覚悟を決めたら、決心したことを自ら率先して実行していくしかありません。戦略を決めれば、手段方法すなわち戦術はいくらでも出てくるものでした。いったん覚悟を決めたら、最初は悪かった体調も次第に良くなってきました。

メール案内の暴力はこりごりだよね

メール案内やメルマガが毎日いくつも届く。真面目に数えたことはないのだが、おそらく100通近く着信していると思われる。

 

PCの方ではメール設定を頻繁に更新しながら、見たくもないものは「迷惑メール」に振り替えてしまっているが、タイトルだけ見て中身を見ないものはなお20通以上ある。時には見たい情報も送ってくるので、入り口でオミットできない。

 

ネット注文したり、宿泊のネット予約などをした際に、ご案内を送りますがいいですか?とのメッセージが出ていたりするが、気を付けていれば『要らない』をチェックするのだが、つい忘れてスルーしてしまうこともある。

 

でもほとんどの場合は、送られてくるメールにたいてい「配信停止」の案内がある。それをクリックして、二度と届かないようにもできるので困ることは少ない。

 
携帯電話やスマホの方にも、PCよりははるかに数が少ないが、それでも毎日いくつかのメPhoto ール案内が入ってくる。スマホはPCとリンクしているので問題はない、困っているのは携帯電話だ。

 
ざっと5社のメールが入ってくる。その内4社は一応必要メールと意識しているので良いが、残り一つは読む気も起らないので配信停止したいと思っていた。

 
それは日本で一番売上高の大きい、某家電量販店だ。ありていにいえばヤマダ電機だ。長岡在住時代から長い付き合い(ざっと25年以上)で、けっこうよいお付き合いをしてきたと思っている。

 
ところが昨年からいろんな問題が発生した。ポイント会員なのだが、使っている携帯でポイントが使えなくなった。さらに携帯変更しても、状況が変わらなかった。

 
さりながら、案内メールだけは毎日数通届けられるので煩わしい。ポイントが使えない(貯まるだけは貯まるのだが)ならヤマダで購入する必要性は少ないし、案内も不要だ。

 
そこで配信停止をしようとした。ちゃんと停止への案内もあるし、すぐにできるのだろうとクリックしてみた。ところがこれが、サッと簡単にできた、とはいかないのだ。何だか訳の分からぬサイトに誘われる。

 
実はこれを数回繰り返して頭にきた。当然、その間の通信費用は私持ちだからだ。停止できればまだしも、結局「分からない」でそのままだ。

 
こうなったら力づくだ、と友人たちにも意見を求めたが、意外とたくさんの仲間が同じように困っていることが分かった(ヤマダだけではないが)。

 
最終的には、携帯での「メール拒否」設定をした。一両日メールが届かなければ、成功したということになるだろう。

 
いずれにしても、同じようなことで腹を立てている人も多いのではないか。若い人なら何でもないことでも、高齢者やネット音痴には困っている人が多いだろう。

 
お客様のことなど、大して考えてはいないんだなということだけがハッキリ分かった。

「士業」者よ、もっとしっかり学びなさい

少し以前のお話です。あることがあって、ふと思い出したので。

 

それは数年前、経営に関係する「士業」の方を対象にしたセミナーでした。税理士、公認会計士、中小企業診断士、販売士、FP(ファイナンシャルプランナー)など、色んな士業の方が参加されていました。

 

そこで講話をさせていただいたのですが、普通の話をしても仕方がないので、いきなり質問をぶつけてみたのです。このコラムでも何度か書いた質問です。

 

曰く、「ある企業の社長さんがあなたにアドバイスを求めてきました。経営不振、経営停滞で悩んでおられます。どうやったら利益を上げられるでしょうかと」。

 

参加されておられた方々は、それぞれにジャンルは違いますが専門家です。小さな会社(ばかりではありませんが)の社長さんにとっては、きっと経営のアドバイザーと思われているでしょう。

 
大半の方の答は、私の予想した通りでした。表現は少しずつ違っていましたが、要するに先ずは①売上を努力してあげましょう、そして可能であれば②コスト(あるいは仕入価格)Photo を下げましょう。そして③経費を見直して節減しましょう。

 
以上の3つ、私がいつも言っている「常識の答」が返ってきました。おそらく、実際に顧問をされている会社でもそのようなことを言っておられるのでしょう。

 
そこで、もう一つ「意地の悪い」質問をぶつけました。曰く、「良い会社にするとは利益を上げるということですが、いったいどの利益を上げたらいいのでしょうか」と。

 
これは少し意見が分かれました。でも多くの方が経常利益と答え、あるいは当期純利益を上げることだと言われました。ただ、答えに窮した方もおられたのです。

 
ここで一つ注釈です。経営者側はこういった経営に関連する士業の方を、経営の専門家として認識していますが、実は税理士は税務(処理)の専門家、会計士は決算(処理)の専門家といったように、それぞれご専門の分野をお持ちです。

 
厳しい言い方をすれば、専門分野以外の部分は「専門家ではない」ということです。もっとも、ど素人などとは申しませんけど。

 
しかし、専門家として見られたり、中には信頼して相談される経営者も少なくないはず。だからこそ、しっかり勉強してほしいのです。今日挙げた二つの質問は、経営の基礎の基礎です。

 
この二つくらいにまともに答えられないで、専門家を名乗ってはほしくないものです。でも世の中では、あなたがた「士業」の方を、士業ゆえに評価しているのですから。

 
「士」が付いているだけで、名刺にそう刷り込んであるだけで、少なくとも市井の”無銘”の私などよりは、はるかに信頼される可能性をお持ちなのですから。

病に罹らないことが大事なのだけど

今週は体調を狂わせてしまった。風邪を引いたということだが、「風邪」は病名ではないので、おそらく上気道炎とか気管支炎というべきなのだろう。

 

幸いに検査の結果インフルエンザではなかった。体がだるかったり、節々に痛みを感じていたのでもしかしたらと案じたが、陰性と言われてほっとした。ちなみに、予防注射は秋11月に受けていた。

 

水曜日に、とある薬を処方いただいている内科医に診てもらい、薬をいただいたが、そのPhoto 中には抗生物質もあった。ということは細菌性の「風邪」症状ということなのだろう。

 

その薬のせいだとは言えないが、体温が平熱よりも下がってしまっている。常は36.5度±0.1度くらいなのだが、しばらく36度ジャストが続いていた。

 

症状が出た火曜日には37.6度あったので体がだるかったのだが、体が冷えすぎてもだるさを感じるものらしい。血圧も普段より下がった状態だ(もちろん正常の範囲内だが)。

 

ふだん、余り病気になることがないので、こうやって(常備薬以外の)薬の厄介になるとどうも効きすぎるらしい。と言って、自分の判断でやめるわけにもいかないので厄介だ。

 

まぁ、だるさを感じなくなったら、最低限抗生物質薬だけはやめることにして、金曜日で打ち切った。幸いに、それ以降は次第に体調が戻ってきているようだ。

 

何しろ、体が資本のしかも「1馬力」の仕事なので、正常な体調を保つことが第一だ。来週後半からは、今月の長い遠征が始まる。その時にはピークにもっていくことが肝心だ。

 

それまで1週間、徐々にセットアップしていくことにしよう。焦ってはいけない、気持ちだけ先走ってもいいことはない。

 

病を得ると教えられることが多いなぁ。むろん、病に罹らないことが大事なのだけど。

脳力開発は人間学であり行動科学です(137)

企業や組織のリーダーの基礎土台は、「進歩発展を目指す・現状打破の姿勢」です。進歩発展を目指し、成果を積極的も求めていくには、しっかりとした目的や目標を持っていなければなりません。実際行動は、その姿勢の中から生まれてきます。

 
 で、まず決心・覚悟です。これはリーダーだからこそ、リーダーでなければ決められません。逆説的にいえば、決めるからリーダーなのです。そして、「そう決めたんだ!」という強い決心、意思決定を、常に意識し確認することが大事です。

 
 その目標は「変革」ですから、進歩発展、現状打破が原則となります。とくに昨今のように変化の速度が早く、また変化の度合も大きな状況では、強い変革の意識をもつことが不可Photo欠です。真のリーダーに必要なのは変革の意識なのです。

 
 しかし、現状を変革しようとするリーダーは孤独です。スタートの時には、リーダーの心を誰も分かってくれず、徒手空拳状態かも知れません。周りは疑心暗鬼で眺めているだけ、あるいは真っ向から対立してくるかも知れません。

 
 でも、一人でも始めなければならないのです。泣き言など言っておられるかという、強い変革意識を保っていかなければなりません。始めなければ、行動を起こしていかなければ何も変わらない、企業は変化の中で生き残れないのですから。

 
自分を信じて、変革に向けてのキックオフをいたしましょう。一人で始めることは大変ですが、何事も自分で決めて自分でやれるというプラス面もあります。他人に頼ることなく、自ら主体的に行動すること、正しい戦略決定がその前提です。

光明皇后は橘三千代の娘なり

繰り返しになりますが、聖武天皇は「藤原の子」でありました。母である宮子は、藤原不比等の娘であり、皇后である光明子もやはり不比等の娘です。当時は母方の邸宅で幼少年時代をすごしますから、聖武(首皇子)も藤原邸でお育ちになられたのでしょう。

 

しかし変化が起こり始めます。そのきっかけの一つは、長屋王事件であり、それからしばらくして起こった不比等の4人の子の病死(天然痘)でしょう。

 

天皇は、長屋王が何ゆえに嵌められて失脚し、自死されたのかを薄々知っておられたでしょうし、その裏に藤原4兄弟の存在を意識されていたでしょう。

 

端的に言えば、藤原氏によって死に至った長屋王の祟り、すなわち怨霊です。この時代にはまだ怨霊という考えがなかったというのが通説ですが、そんなはずはないという考えも多く、私も同感です。

 

天皇は長屋王や、その他藤原氏によって失脚した人たちの怨霊に、おびえられたのではないでしょうか。そういう怨霊のはびこる平城京を捨てて、東国を御幸され、恭仁京や紫香楽の宮に遷都されたのもうなづけるところです。

 
さて、もっと大きな出来事が起こります。

 
母である宮子は、皇子をお産みになられた後どうもご病気に罹られたようです。その病はおそらく鬱病の類ではないかといわれていますが、皇子からも天皇からも離され幽閉されていたと思われます。

 
それが、橘諸兄政権の顧問格であった僧玄昉の治療で、病が平癒したようなのです。そしPhoto_2て、ある屋敷で天皇との「偶然の」再会を果たすのです。

 
そこはかつての不比等の邸宅、当時は光明皇后に譲られて皇后邸となっていました。ということは、その筋書きを演出されたのは光明皇后ご自身であったと考えるのが妥当です。

 
どうして!?という疑問がわきます。皇后こそ「藤原の子」ではないのか。藤原にとって隠さねばならない皇太后(宮子)を、夫である聖武に引き合わせる、それって、、、

 
この時、光明皇后も「藤原の子」であることから抜け出されたのではないか、そうとしか考えられません。確かに父は不比等ですが、では皇后の母は?

 
皇后の母は県犬養(橘朝臣)三千代、そう橘諸兄の母でもあります。一説には不比等に寝取られたとも伝わりますが、その母の思いを受け継がれたのではないか、とも考えられるところです。

 
藤原氏が行ってきた謀略を眼のあたりにしてきた皇后が、その祟りあるいは怨霊におびえると同時に、母の思い(藤原への復讐?)を感じたというのは、うがちすぎでしょうか。

脳力開発は人間学であり行動科学です(136)

結論的にいえば、世の中にそんなに良い条件ばかりがあるわけではありません。反対に悪いと思える条件も、それほどあるとは思えません。ということは、石ころみたいに見た目には役立ちそうもない条件が、やたらと転がっているということでしょう。

 
 良い条件が不足しているなら、石ころ条件でも拾い集めて組み合わせたり加工してみて、新たな条件に作り変えていくことです。アレコレやっている内に、石ころがダイヤモンドに変Photo_2 化してくることだって無きにしも非ずです。

 
 思い通りにならない、そのことを嘆くのではなく、だからこそ面白いのだと気持ちを切り替えてみましょう。心がプラス方向に向くだけで、同じものでも見え方が変わってくるかも知れません。真のリーダーならば常にプラス志向を忘れずに。

 
 変革のための指針、第
2条は「変革とは、それを具体的に不動の決心・覚悟として確立しないと始まらない」です。サブリードは、「変革はまず一人から始まる」となります。不動の決心・覚悟とは戦略であり、上位目標です。

 
 企業(組織)のリーダーたる者は、戦略を明確に打ち出すことを仕事の第一に定めなければなりません。戦略は分かりやすく、誰もが納得して協力、協調してくれるものでなければなりません。簡単には揺るがない、不動の決心であるべきです。

 
 その上で、自分がやるのだという強い気持ちを土台としなければなりません。誰かがやってくれたら、それにくっついていこうとか、一人では不安だから誰かいないかなと、不安な気持ちでいてはいけません。それではリーダー失格です。

個人事業の方は青色申告にしていますか?

2月から3月、確定申告の時期ですが、個人事業主にとっては12月決算の申告時期でもあります。私のところでは青色申告を選択しています。

  

個人事業の場合は青色申告と白色申告とがありますが、もちろんその違いはご存知のことでしょう。青色申告でない場合は、必然的に白色申告になります。

 

青色の場合は、きちんと複式簿記で日々の経理処理をして、必要となる帳簿を備えておく必要があります。それによって、必要経費算入額の増と所得からの控除額の増という、メリPhoto_3 ットを受けられます。

 

とくに上限65万円の特別控除や、家族を専従者として登録して給与(もちろん損金計上)を支払えるのはありがたいです。また、減価償却資産も30万円未満なら一括償却できます。パソコンなどを買った時に使えます。

 

例えば現在無職の奥様を専従者とした場合、月に10万円未満なら税務署から業務内容を問われることはないでしょうし、8万8千円未満なら源泉徴収も不要です。

 

ただ、この場合確定申告の際の配偶者控除は受けられません。ただ配偶者控除は38万円ですから、それ以上に(上記範囲内で)給与とすれば、メリットがあるわけです。

 

その他にもいくつかメリットがありますが、デメリットもあります。おそらくそれは、冒頭に言いました複式簿記での記帳処理でしょう。BS/PLも毎年きちんと提出しなければなりません。

 

また、帳簿・帳票・伝票類についても5年ないし7年の保存義務があります。ただ、その期限が過ぎれば、永久保存義務のある一部の帳票を除き、捨てても問題はありません。

 

でも面倒だという方は税理士さんにお願いすることになり、そうなると当然ですが費用がかかります。まぁ、年1回のことなら65万円の控除額を越しませんし、税理士費用も損金処理はできますが。

 

しかも最近は白色申告でも、日常そろえるべき帳票・帳簿類が増えてきていますから、それなら青色申告を選んだ方がいいのではと思います。

 
さて、私は今年も1月末には自社の決算処理を完了、BS/PLも作成を終えました。2月初めに申告書も書き終えて、今日には税務署に行って提出します。全て自分でやりますので、余分の出費もなしです。

恵方巻は伝統的行事ではない?

昨日は立春、暦の上では春ですが北国の春はまだまだ先のようです。それでも、青空の雰囲気は気のせいか柔らかになったようにも感じます。

 

その1日前、つまり一昨日が「季節を分ける」節分でした。節分は本来各季節にあるわけですが、昨今は初春前だけがクローズアップされて、節分と言えばこの日という感じにいるようです。

 

で、節分と言えば豆まきと恵方巻に代表されます。豆まきは古代中国から伝わったそうですが、平安時代頃から一般的になってきたようです。かつては弓矢で邪気をはらっていたのですが、いつしか大豆を蒔くようになったとか。

 

鬼というのは邪気の象徴であり、大豆は「生命(力)」の象徴らしいですね。しかも炒り豆に限りますが、これは生豆だと拾い忘れた時に芽が出てくるのは縁起が悪いのだそうです。

 

豆まきはこのように古代日本で行われてきた伝統行事ですが、もう一つの恵方巻の方はPhoto ハッキリしません。諸説ありますが、関西方面から始まったことは間違いないようです。

 

しかしいつ頃始まったのか、どこから始まったのか、どうもはっきりしません。ちなみに私は大阪生まれの大阪育ちですが、大学卒業の頃まで恵方巻を知りませんでした。少なくとも我が家では、伝統行事ではなかったようです。

 

一説には、江戸時代の末期に浪花の商人たち、とくに船場商人たちの間で縁起担ぎという形で始まったということですが、確証はありません。

 

商家の旦那衆がお茶屋で芸者と遊ぶ際に、太巻きを芸者衆に咥えさせたナンていう話もありますが、これは俗説としか思えません。そういうお遊びもしたかもしれませんが。

 

それでも、80年代頃から大阪や京都方面では、「丸かじり寿司」として一般家庭でも食べ始めたようです。それが恵方巻という名で全国に広がったのは、セブンイレブンの商略でした。1998年だと記録されています。

 

また一説には、海苔業界の拡販戦術だったとも。いずれにしてもあっという間に大流行になったのは、バレンタインのチョコレートとか、昨今ではハローインのお祭りなどと同根でしょう。日本人はノリやすいということ。

 

今年は(もちろん何年も前からあったのでしょうが)、スーパーやコンビニチェーンなどで店員たちに「ノルマを課す」ことが問題になりました。販売数目標を設定するのは悪くはありませんが、それをバイトも含めて従業員に押し付けるのはねぇ。

 

私の友人の間では、「今年はもうやめた」などという声も聴かれました。中には1本2千円を超えるような「豪華な」恵方巻もあるとか、味わって食べる、感謝していただくという食の心に反すると思いますがね。

 

ま、私はいただきましたが、安い丸かじり太巻きを。

年賀はがきのあと始末はどうする?

新年もあっという間に1か月が過ぎ去り、もう2月が始まって4日目、立春という季節の節目になりました。寒さはこれからも繰り返されるようですが、気に掛かるのは花粉ですね。

 

私もここ数年いくらか花粉症気味ですので、花粉のピーク時には点鼻薬などを使いますが、できるだけ頻繁にならぬよう気を付けています。新潟は杉の木も多く大変です、3月頃から始まるのでしょうね。

 

2月と言えば確定申告の季節、今年も16日から受付が始まります。私は事業部分の青色申告がありますので、それと合わせて毎年受付の前に提出しています。

 

今年も自社の内部決算書類・帳票類は1月中に完了させて、2月に入ると同時に申告書作成に取り掛かりました。それも清書が終わり、添付書類も揃えて、来週早々には提出する予定です。

 

その他に恒例の仕事と言えば、いただいた年賀状や寒中見舞い、喪中はがきなどの整理です。転居された方、会社を移転あるいは転職された方もいらっしゃいます。電話番号やメールアドレスの追加や変更もあります。残念ながら亡くなられた方も。

 

そういった情報をチェックし、「住所録」を最新のものにリニューアルするわけです。この住T_mt_df 所録は、セミナーの案内や会社のお知らせ等をお送りする元データになります。

 

データのチェック、変更(追加)に使うのはもちろん「マイツール(MT)」というデータベースソフトです。MTをふだん活用されている方でも、余り馴染みのないのが「DF(Display by Format)」というコマンドですが、これが非常に便利です。

 

作業手順は、DFドン(ドンはEnterです)、JSB(=住所録のデータファイル名)ドン、そしてもう1回ドンで、写真のような画面になり、例えば山田さんのデータを検索する際には、氏名の欄に「山田*」と入力し、上の[F3検索]をクリックするだけで元データが読み込めます。

 

これをデータ修正し、最後に[F6変更]をクリックするだけでOKなのです。簡単でしょう。

 

さて、終わった年賀状はどうしましょうか。基本は「捨てる」です。でも、半年くらいは保管しておきます。中には、PDFにして保存されている方も知っていますが、そこまではやったことがありません。

 

ハガキの連続スキャニングも可能なスキャナーですので、やろうと思えばできますが。皆さんはどうされていますか?

脳力開発は人間学であり行動科学です(135)

「条件」についてもう少し。条件というのは流動的なもので、固定しているものではありません。時には刻々と変化している条件もあります。また、今現在は悪くても明日には良くなることもあるでしょうし、その反対のこともあるわけです。

 
 人間の活動、行動次第でどのようにも動く、変化するといってもいいのです。活動だけでなく、気分でどのようにでも動くものでもあります。悲観的気分でいると、条件のマイナス部分しか見えてこなかったりするのです。

 
 悲観的な、自分(自社)にとってまずい側だけしか見えなくなってしまいます。つまり一面しPhoto か見えずにいるとますます悲観的になって、「これじゃぁしょうがないな」と、ハナから諦めモードに入ってしまう、そんなことはありませんか。

 
 条件の一面(一部)、それも悲観的な側しか見えなくなる習性(習慣)というのは、土台が「人頼り」すなわち「現状に甘んずる姿勢」であると言えます。最初から条件は変えようがないと諦めてしまい、現状に流されるままになってしまうのです。


 
 こんな社長のところに行きますと、話していてもため息ばかりが聞こえてきます。おそらく、精神的に疲れてしまっているのでしょう。精神的姿勢が後ろ向きで受動的だと、必然的にこうなり、行動としては腰が引け、現実から逃げ腰になってしまいます。

 
 ではどうすればいいのでしょうか。何よりも「条件は自力ではどうにもならない」という考えを捨て、「条件とは活用するもの」という気持ちになることです。少なくとも、思うだけなら誰でもできるでしょう。それが実は第一です。

ローカル旅に越後線をお勧めします

我が家(昨年のGWに移転)は、新潟市西区にあり越後線の小針駅が最寄駅です。新潟駅までは15分、日中は20分間隔で電車が発着しますし、深夜零時近くまで運転されているので至便です。

 

周辺は70万都市新潟のベッドタウンで、新潟大学の五十嵐キャンパスや高校、大学が多く通勤通学時は6両編成の電車がかなり混み合います。

 

さてこの越後線ですが、歴史は古く1912~13年にかけて開通・全通しています。その当時は越後鉄道という私鉄でした。起点は信越本線の柏崎で、本線が山沿いを通るのに対し、T_img_1644 こちらは海寄りを走ります。

 

もっとも、海寄りとはいえかなり内陸を走るために、残念ながら日本海を眺められるのはホンの一部に過ぎません。それも、関屋分水という信濃川の放水路を渡る一瞬だけです。

 

本線が長岡市や三条市、新津市(現在は新潟市秋葉区)などの都市を貫くのに対し、越後線沿いにはあまり大きな町はありません。その為越後鉄道は経営難に陥り、1927年に国有化されます。

 

これには、柏崎から新潟までを短絡し、本線にいざという時があれば代替線として活用できるという意味合いがありました。実際、2007年の中越大震災の時には、新潟-長野間の快速電車(特急の代替)が越後線を経由しました。

 

またかつては、越後線経由の準急・急行も走り、その後電車化(84年)された後に走った快速「やひこ」は、特急と同じくらいの所要時間で新潟-柏崎間を走りました。

 

現在は普通電車のみです。最高速度も85㎞に制限されているほか、一部の区間の電化が低コストの直接吊架式でなされたため、今後も優等列車の設定は難しそうです。

 

沿線は、新潟駅から内野駅(さらに一駅内野西が丘駅)までは住宅地で、大学もあり乗降者も地方都市らしい多さですが、内野駅を過ぎると越後平野の穀倉地帯を走ります。

 

中間駅の吉田駅(弥彦線の乗換駅)で、ほとんどの列車が運転区間を分けられ、全線を直通するのは1往復だけです。吉田以南は丘陵部を走る区間が多く、意外に単調な風景が続きます。全線で2時間ちょっとの旅、ノンビリ揺られてみませんか。

 

車両もE129系の2・4・6両編成に集約されてきており、写真の115系(他に湘南色・旧新潟色もあり)3・6両編成は次第に運用が減ってきています。また一部には、希少存在となったE127系運用もあります。

 

115系最後の雄姿を撮りにおいで下さい。

藤原の子から抜け出そうとした聖武天皇

さて、聖武天皇です。通説によると、体も心もややひ弱であられたらしく、とくに遷都を繰り返された頃から政務を顧みない状況が続いたとも。

 
聖武天皇(幼名は首皇子)は「藤原の子」と、異名されました。父は文武天皇(天武天皇の孫で草壁皇子の子)ですが、母は藤原宮子、すなわち不比等の娘です。

 
故あって、母親とは分け隔てられて育たれたようですが、幼い頃は藤原一族の庇護のもとにありました。母・宮子はどうやら、気鬱(ノイローゼ)症状があったようで、天皇は母の愛を受けることなく過ごされました。

 
そして、后にはやはり不比等の娘である光明子(幼名安宿媛)が皇太子時代に選ばれ、729年に皇族以外では初めての皇后となります。以後は藤原氏の娘が皇后になるという先例にもなるわけですが、光明皇后自身も「藤原の娘(藤三娘)」意識を持たれていたと推察Photo されます。

 
天然痘の猛威から3年後の740年から、聖武天皇の彷徨遷都が繰り返されるのですが、それは心の弱さの故かも知れませんが、もしかしたら「藤原の子」から脱却するための彷徨であったのかもしれません。

 
政は橘諸兄が中心になり、滞りなく進められています。「諸兄政府」に反対して反乱を起こした藤原広嗣はすぐに成敗されてしまいます。

 
都を転々とされる間に、全国に国分寺と国分尼寺を建てる詔が出され、その集大成として大仏建立が具体化していきます。そして天皇は、この大事業に民間の力を活用しようとされています。

 
その中心人物が僧行基です。その死後「行基菩薩」としてあがめられたこの人物、元は朝廷から弾圧された民間宗教集団のリーダーです。その行基を大仏建立の責任者に抜擢した聖武天皇、その底流に「反骨の精神」があったと私は想像するのです。

 
その大仏殿、天皇は紫香楽宮周辺に創りたかったようですが、様々な事件、例えば森林火災などが起こり、最終的に東大寺が創建されます。この火災、どうやら藤原氏の暗躍ではないかと思われるのですが。

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