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得意絶頂の長屋王陰謀に散る

長屋王の変、729年の出来事ですが、この事件にも謎が多く諸説がたくさんあります。日本人というのは、謎解きの好きな民族なんだなと思わせるところです。でも、意外と単純な事件だったんじゃないかと思うわけです。

歴史家、あるいは歴史学者と言われる人たちの場合は史料、すなわち裏付けがないといけないわけですが、私のような素人にはそんなものは不要で、要するにこうじゃないかと勘で推測すればいいのです。常識的に考えていけばいいわけですからね。

そこで当時の状況を見れば、724年の聖武天皇の即位に続いて長屋王は朝堂のトップ、左大臣に任じられます。藤原氏は不比等が720年に没し、その4人の兄弟たちはまだ若く、長屋王に対抗していくには力不足でした。しかし、徐々に力を付け職位も上っていきます。

しかしまだ長屋王の力は強く、皇親勢力が政権を担っているわけです。何しろ長屋王は天武天皇の孫(天武の長男・高市皇子の子)であり、妻は元明天皇の娘であり元正天皇の同Photo 母妹である吉備内親王。その2人の息子たちは、いずれも皇太子になれる資格を有しています。もちろん政治能力も一流だったのでしょう。

しかし、人間は絶頂になると危機に気が付かぬものです。それに対して足元を固め、腹心たちを育てておればいいのですが、長屋王もおそらくそれを怠っていたのではないかと推察されます。よほど自分の力に自信を持っていたのでしょう、だから足元をすくわれる結果に陥ったのです。

727年聖武天皇と光明子(藤原不比等の娘、母は橘三千代)の間に、基王が誕生しすぐに皇太子に指名しますが、翌年満1歳を待たない間に病死します。聖武と光明子の嘆きはいかばかりだったのでしょう。そこに付け入ったのが藤原一族、と考えるのが常識的感覚ではないですか。

729年に入ると密告が届きます。「基王の死は長屋王の呪詛(左道)のせいだ」というのです。なぜ、時間が経ったこのタイミングでというところにも、仕組まれた出来事のような気がします。当然聖武は激怒します、当然ですがまともな精神状態ではなかったはず。その意を汲んで藤原4兄弟がすぐに行動します。

長屋王の屋敷はすぐに多くの兵で取り囲まれ、訊問使が訪れますが、その直後に長屋王や吉備内親王、その息子たちは首をつって自裁するのです。余りに速やか過ぎて、誰かがシナリオを書いて実行した、そう感じませんか。

誰が事件の後に最大の利益を得たか。言うまでもありませんね。

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