« 脳力開発は人間学であり行動科学です(125) | トップページ | 新年ご挨拶・2017年のテーマ »

真珠湾に出かけてなぜ会津には行かないのか

アベさんがハワイ、真珠湾を訪れてアリゾナ記念館で追悼の献花を行った。立派な演説も行われ、ハワイのみならず全米での評価も高かったようだ。

首相として初訪問かと思ったが、訪米の帰途などで(当時は飛行機の航続距離が短くハワイで給油が必要だった)、3人の首相が真珠湾の傍までは行ったらしい。吉田茂、鳩山一郎、そしてアベさんの祖父に当たる岸信介。さぞ、アベさんもご満悦だろう。

戦後70余年、真珠湾攻撃から75年を経過しての訪問、もちろんそれなりの大きな意義を認めないわけではない。対米的のみならず対外的に、評価も上がったことだろう。それはそれで良い、成果は素直に認めよう。

しかし、アベさん、いや、アベよ!(彼の方が年下だから呼び捨てもいいでしょう)

訪問して追悼、慰霊すべきところ、そして心から謝罪すべきところはもっともっと身近にあるんじゃないのかな。日本の国内に。それは会津だ、会津若松でしょう。

明治維新(本当は御一新というのが正しい)に際して、西軍とりわけ長州の奇兵隊と名付けられていた部隊の連中が、二本松でそして会津若松で何をやったのか。戦後の明治政府が会津藩に何をやったのか、歴史をきちんと理解するというのであれば、Photo そこのところもちゃんと学び知るべきだろう。

奥羽越列藩同盟の藩に加えられた、武士道の風上にも置けない仕業、それはハッキリ言って筆舌に尽くせないものがある。ようやく最近になって、色々なことが明るみに出て、表で語れるようになったことも多い。もちろん、一方からだけ見ることは危険だが、それにしてもひどすぎる。

だいたい長州藩(正確には藩とは言わない、防長毛利家かな)は、一時ではあれ朝敵であったわけだ。偽の密勅を画策したり、志士と称して今日の都でテロを行ったり、挙句には御所に大砲を打ち込んだ(届かなかったが)わけなんだから。吉田松陰を、志士という名のテロリストたちの親分だとまでは言わないが、あれは本当に正しい教育だったのか。毛利家重臣ですら持て余していた(が、明治以降は「先生」になった)。

伊藤(俊輔のちの博文)も井上(聞多のちの馨)、あるいは高杉(晋作)にしても品川御殿山の英国公使館に火を付けたり、松陰ご本人も幕閣要人暗殺を企てた。義弟の久坂(玄随)も禁門の変の主役なのだが、その松陰(長州では先生と呼ばねばならぬ)を尊敬してやまないアベ。

歴史から学ぶことが多いというアベなら、奥州鎮撫軍の参謀・世良修蔵がなにをやって、どういう末路だったかご存じだろう。そして会津若松に攻め込んだ西軍部隊が、どんなに卑劣だったかも。新政府とやらが、会津武士たちを斗南という寒冷不毛の地に「流刑」したことも。ちなみに斗南とは「北斗七星の南、すなわち地の果て」の意とか。

もうやめよう、年末の締めくくりにふさわしくなかった話題だ。しかし、なんとなく浮かれているアベや、その取り巻きや政府要人たち、そして西軍が模様替えした新政府とやらから今に引き継がれている「歴史教育」を、疑問にも感じていないあなたに、ちょっぴり辛口で迫ってみただけだ。

2017年が良い年でありますように。そして正しい歴史が伝わりますように。

« 脳力開発は人間学であり行動科学です(125) | トップページ | 新年ご挨拶・2017年のテーマ »

VANちゃん怒ってます」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/107188/64686753

この記事へのトラックバック一覧です: 真珠湾に出かけてなぜ会津には行かないのか:

« 脳力開発は人間学であり行動科学です(125) | トップページ | 新年ご挨拶・2017年のテーマ »