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元正天皇と妹婿である長屋王の勢い

元明女帝の710年に平城遷都が行われ、朝堂では藤原不比等が実権を握って律令の運用を推し進めていきます。不比等はただの知識だけではなく、実際知識という部分でも他を圧倒していたようです。持統天皇時代、そして元明天皇も実務は不比等に任せていたようです。

ですが、まだ藤原氏の全盛時代には時間がかかりました。先代の文武天皇の子である首皇子(元明の孫)は、不比等にとっても孫に当たりますが、皇太子とはならぬままで成長します。また不比等の4人の子もまだ若く、朝堂に上がってくるまでには間がありました。

そんな中で、どうもストレスを溜められ体調を崩された元明天皇は、娘(文武天皇の姉)である氷高皇女に譲位します。その年715年には首皇子がまだ14歳と若く、中継ぎにという意味だったと通説は言いますが、少しでも「藤原の子」の即位を遅れさせようとした、母娘の陰謀と見るのはうがちすぎでしょうか。

ところで即位された元正天皇(第44代)は、この年35歳で初めての未婚女帝です。ということは、ここで流れは途絶えるわけですが、「次は首皇子でいい」とアキラメたわけでもなさそPhoto_2 うです。七、八分はそうなると思われていたようですが、他の可能性もないわけではありません。

実際、元正天皇はいとこである長屋王に着目したようです。長屋王は、元正の妹である吉備内親王の夫であり、即位前に吉備と同居していた元正は、長屋王とも当然顔見知りであったはずです。そして718年、長屋王は一気の「飛び級」で大納言となります。

当時不比等は右大臣ですが、一つ上の左大臣は空位でしたので、名実ともに朝堂のトップでしたが、ここに大きなライバルが出現したことになります。その前年に養老律令が完成し、720年には日本書紀の編纂が完了します。しかし、この年不比等は病を得て亡くなります。

そこで元正は長屋王を右大臣に抜擢(721年)、皇親勢力が朝堂の中心になっていき、長屋王の子たちも皇位継承の「資格」を実質的に得たとされています。不比等の4人の子はまだ若く、雌伏の時であったと思われます。しかし、おそらくじっくりとその時を待って、画策を続けていたのではと思われます。

奈良時代は、謀略の満ち満ちた時代であるともいえ、やがて「呪われた都」として聖武天皇は遷都を繰り返し、桓武天皇は平城京を捨てることになるのです。

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