« 脳力開発は人間学であり行動科学です(106) | トップページ | 今回遠征「乗り鉄」旅のエポックは »

持統と不比等、そして県犬養橘三千代まで

再び古代史に戻って、持統天皇に触れながら、いよいよ藤原不比等という「巨人」にアプローチしてみたいと思います。不比等については、かつてあまり興味を持たなかったのですが、15年くらい前だったでしょうか、黒岩重吾さんの『天風の彩王』という長編小説を読んで、大きな興味を抱いたのです。

天智天皇のご落胤という説もあり、黒岩さんの小説でもそのような設定でしたが、定説では中臣鎌足の子供(次男)であるとされています。中臣鎌足は、天智が中大兄皇子時代からPhoto の股肱之臣であり、乙巳の変における同志、陰の立役者でした。

その後天智の側近として大きな力を発揮し、藤原の姓と、死の直前には「大織冠」と大臣位を贈られたとされています。それがゆえに、残された藤原一族は壬申の乱では大友皇子を支持し、大海人皇子=天武天皇に逆らった形になり、不遇の時代を迎えます。不比等も都の外に逼塞を余儀なくされ、下級官吏の道からスタートします。

それが急に持統天皇に見いだされ、そこから一気に昇進していくのですが、そんなことからご落胤説が出てきたのかもしれません。史実としては、持統の息子である皇太子・草壁に仕えていたことから、持統の目に留まったと思われますし、もちろん不比等自身も余人にはない才能を持っていたのでしょう。

文武天皇(軽皇子)の即位に力を尽くした功績もあり、日本書紀編纂にもおそらくプロジェクトリーダー的な役割を担ったとされていて、このあたりから持統・文武朝で頭角を現していきます。そして娘である宮子が文武に嫁ぎ(夫人=ぶにん)、首皇子が生まれます、後の聖武天皇です。

さて持統天皇ですが、最愛の息子であった草壁の即位はその死によって実現せず、夢は孫の軽皇子に託されようやく実現を見ます。しかし文武は15歳という若さであり、先例がないということで周囲の抵抗も大きかったようです。そこで、持統は太上天皇を称して後見役
を務めます。おそらくここに不比等も力を尽くしたのでしょう。

さて、もう一人不比等の異例な出世の影響をもたらしたと思われる人物、女人がいます。それが県犬養橘三千代ですが、再婚した不比等との間に生まれた娘が、後の聖武天皇の皇后になる光明子です。では、次を乞うご期待。

« 脳力開発は人間学であり行動科学です(106) | トップページ | 今回遠征「乗り鉄」旅のエポックは »

「歴史と人間」ひとりごと」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/107188/64396622

この記事へのトラックバック一覧です: 持統と不比等、そして県犬養橘三千代まで:

« 脳力開発は人間学であり行動科学です(106) | トップページ | 今回遠征「乗り鉄」旅のエポックは »