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藤原不比等の登場前夜

ついに持統天皇が即位されます。政治的に有能であったとされる大津皇子を、無実の罪に陥れてでも即位させようとした皇太子・草壁皇子は、ついに即位することなく若くして亡くなってしまいました。その子である軽皇子はまだ幼少で、それなりの年齢でなければ即位が認められなかった当時は、皇后自身が即位するしかありません。

でなければ、大津皇子亡きとはいえ、天武天皇の皇子や、その前の天智天皇の皇子もまだ多くが健在であったのです。そちらに皇位が移っても不思議ではない状況で、「鉄の女」持統は長い称制期間を経て自ら即位しました、690年のことです。

夫であった天武の治世を引き継いで、律令の制定と新しい都の造営を継続していきます。律令の内、まず令の方(通常は律が刑法、令はその他の法令と言われています)である、飛鳥浄御原令が制定されます。草壁皇子死去のすぐあと、いきなりという感がありますが、おそらく何らかの混乱を鎮める効果を狙ったのでしょうか。

Photo この中で、初めて「天皇」号について明記がなされます。あるいは戸籍などについても規定が現れますが、やはり急遽出されたものであったようで、710年の大宝律令制定までの間に、かなりの修正追加がなされたようです。

そして新しい都の造営、本格的な唐風のそれまでにない大きな都城です。日本書紀には「新益京」と記されていて、藤原京という呼び名は中心が藤原宮であったことに因んで、近世に名づけられたものです。また、近年の発掘調査によると、その規模は平城京よりも大きかったと言われます。

ここで花開いたのが白鳳文化です。一口で言えば、天皇や貴族を中心とした仏教文化ですが、薬師寺の薬師三尊像はこの時代の代表作で、私の最も好きな仏様です。

では次回はいよいよ、藤原不比等の登場です。不比等は、大化の改新の中心人物と言われた中臣(藤原)鎌足の息子(次男)ですが、天武の時代には地方に逼塞していたと言われています。それが持統天皇の時代になって、突然歴史の表舞台に登場するのです。

この謎の男・不比等が、この後の歴史に大きな影響を与え、その流れはもしかしたら今に至っているのかも知れません。日本書紀もまた、その流れの源流なのかも知れません。

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