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戦略を理解できなかった義経はおバカさん

古代史コラムを続けていますが、今日はちょっと箸休めで、時代を一気に進めて平安時代末期、鎌倉幕府が開かれる直前のお話です。

ちょっと前までは、鎌倉時代の開始は1192年に源頼朝が征夷大将軍に任じられた時として、私たちも中高校生時代には「いいくに作ろう鎌倉幕府」と覚えたものでした。その後諸説が出されましたが、昨今の教科書では、守護・地頭設置権を認められた1185年という解釈に落ち着いているようです。

ところで、壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼしたのは1185年(文治元年)ですが、これはひとえに義経の活躍によるものでした。一の谷、屋島、そしてこの壇之浦と、それまでの戦いの常識を超えた戦術で兵士を圧倒し、ついに兵士が奉じた安徳天皇は二位の尼(平清盛の妻)に抱かれて入水、関門の海に消えました。

Photo まさに義経は戦の天才というべき傑物で、彼がいなければ源氏の勝利はなかったとまで言われています。しかし、義経は戦、すなわち戦術あるいは戦闘の天才ではありましたが、戦略についてはセンスがなかったというか、そもそも戦略を理解しえなかったと思えます。そのことが、義経を滅ぼす最も大きな原因でした。

戦略と戦術は脳力開発でも大きなテーマですが、この二つは全く異なるものです。元々は軍事用語で、世界で初めて体系建てたのはドイツ(プロイセン)のクラウゼヴィッツ。19世紀の初めに書かれた『戦争論』の中で、普仏戦争の実践体験からまとめられた名著です。このなかで、初めて戦略と戦術ということが整理して語られています。

さて、源氏のリーダー(司令官)たる頼朝の戦略は何だったのでしょう。平氏を滅ぼすことだったのでしょうか。もちろんそれも目的の一つではあったでしょうが、もっと大きな目的がありました。それは集約すれば、「独自の武家政権をつくる」ことにありました。

その為には当時の朝廷で最も力のあった、治天の君・後白河法皇(当時の天皇は後鳥羽天皇)にそのことを認めさせることでありました。後白河は権謀術数に長けた、一筋縄ではいかない人物です。しかし、弱みがありました。

清盛の孫でもある安徳天皇に代わり、後鳥羽天皇を即位させましたが、手元に「三種の神器」がなかったのです。これでは正当な即位とは言えない、ということになるわけです。頼朝はそこに目を付け、義経に「三種の神器を取り戻す」ことを厳命します。ある意味、それができれば、平氏の滅亡は二の次でした。

しかし、義経は平氏を滅ぼしたものの、三種の神器の内神剣を見失ってしまうのです。頼朝は激怒しますが、義経はなぜ自分が叱責されたのかが分からなかったようです。「神剣くらいいいじゃないか」と思っていたのではないでしょうか。

この後さらに、後白河の権謀に操られてしまいますが、政治的センスが全くなかったおバカさんと言われてもしょうがないところです。でもこんな風に言うと、判官びいきの日本人から袋叩きにされそうですね。

いずれにしても戦略が理解できず、戦術のみに突っ走った義経の、未来がなくなってしまうのはごく当然のことだったでしょう。皆さんも、戦略と戦術を脳力開発講座などでしっかり学んでみませんか。

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