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今年も山ちゃんに会場で会えました

この土日は芦田さんが主催されている、「軽井沢MG」に参加してきました。今回で第30回、毎年春と秋の2回定期開催されていますので、丸15年になります。そういった記念のセミナーですから、ぜひ参加しなければという思いでした。

7年前に亡くなった山崎進さんの思いを引き継ぐ仲間としても、この日を欠かすわけにはいきません。山崎さんには毎年私が主催する「長岡MG」にも参加していただき、とくに亡くなる3年前の2006年夏のMGは、特に記憶に残っています。

ところでセミナーの名は当初からの「軽井沢MG」ですが、現在の会場はかつての軽井沢・T_win_20161029_15_25_21_pro 浅間山麓から離れ、蓼科山麓の春日温泉に代わっています。山里の落ち着いた温泉で、この宿には2つの湯があり、朝晩で楽しんでいます。

全国各地でMGが開催され、おそらくこの週末も全国でいくつかのセミナーが開催されたはずです。その中で私が、あるいは古い仲間たちがここに集まるには、やはりその理由があるのです。それが何かは申し上げませんが、一緒に感じたい方はぜひ一度参加してみてください。

いくつかの理由がある中で、私が特別な思いを抱くのは、前述のように山崎進さんの存在です。私の方が少し早くMGを始めたと思いますが、そして最初に出会ったのがどこであったかも記憶の外なのですが、私がずっと続けているのもたぶん「山ちゃん」の存在が大きいことは間違いありません。

私もすでに山ちゃんがなくなった年齢を通り越し、そろそろ「レジェンド」などとこの世界でも呼ばれる年齢になりました。だからこそ、これからも自分の育った、学んだ世界のことを正しく伝えていく使命があると感じています。今回のMGでも、あるこだわりを持ち、それを叶える形で終えることもできました。

今回のセミナー会場にも、間違いなく「山ちゃん」が訪れていました。強い氣を感じながら、彼に笑われたくないMGをやらなければというプレッシャーも感じました。それがまた心地よいし、初日セミナー後のお酒も美味しくいただけました。山ちゃんに献杯しながら、これからの軽井沢MGの永遠を祈っておりました。

事業承継には時間がかかるのですよ

最近のサポート相談ではありませんが、時々耳にする話でもあります。それは事業承継した後で、前経営者(たいていは父親)が何かと口をはさんできて、ついつい言い争いになってしまうということ。家の中でならまだしも、会社の中で社員のいるところでやられるので、何とかならないかと。

商工会議所で中小企業の支援コーディネーターをやっていた際には、毎月のように事業承継の話を受けましたが、ぎりぎりになってからという事例も少なくなかったですが、こういう場合には前経営者がなかなか現場から離れないことがあります。

さて、事業を受け継いだ側からいうと、せっかく重しが取れて青天井になるかと思ったら、豈はからんや、何かと口をはさんでくるし、時には社員にも直接に仕事の指示をしていたりすPhoto る、とんでもないことだと。経営のことでアドバイスしてくれるのはありがたいが、少なくともそれだけは勘弁してほしいと。

事業を引き継がせた方としては、新たな経営者(たいていは子供)のやることが歯がゆくてしょうがないのでしょうし、何もかもスパッと譲ってしまい、完全に口を出さないということは実際には難しいことかも知れません。それでも相談されるまでは、あるいはギリギリのところまでは見守る姿勢が肝心です。

何より、社員の皆さんがじっと様子を見ています。社員さんばかりではなく、周りの方々も、仕入先やお得意先なども固唾をのんで見ているはずです。それこそ、せっかく引き継がせた新しい経営者の評価を落とすことになっては、元も子もないでしょう。

第一に考えたいのは、事業承継には時間がかかるということです。最低でも3年くらい、できれば5年、そして承継のプランを作って引継ぎする相手に伝えるのは10年前に、というのが理想的です。

私の知っているある経営者は、65歳で承継する計画書を55歳の時に作り上げ、長男にそれを示して承継の確認を得てから、本格的な経営者教育を始めたそうです。3年前に、すなわち62歳の時に社員さんを全員集めて「式」を行い、まず経理印を引き渡したそうです。

その日から主要なお得意先や仕入れ先を一緒に回り、取引銀行にも挨拶を重ね、1年前に実印を引き継ぎました。これなどは、内外に示す意味のほか、承継者の覚悟を促すことにもつながります。それだけ時間をかけ、一緒に仕事をする時間もありましたから、最後に承継の式典を行った後は、会長にはなりましたが代表権は返上しました。

もちろん、現場の仕事には一切口は出しません。ですが、後継社長は家に戻ると大事なことは報告してくれます。時にはアドバイスを求めてきます。ですから、わざわざ会社に出向いていく必要もなければ、たまに現場に行っても社員さんに笑顔で「元気か」と声をかけるだけです。

3年後には会長も退いて、取締役にもとどまることなく、会社の行事やゴルフの会に顔を出すだけで、もちろん経営も順調だそうです。

そんなのって理想だよというなかれ、ちゃんとやっておられる会社も多くはないが、あるのですから。70歳や80歳で現役社長、それも元気な証拠でいいのですが、早めに跡継ぎを決めたらと思うことも多々ありますし、退いてからも「老害」的存在になっている方を見ると、晩節を汚さぬようにと祈るばかりです。

鉄道路線の廃止が加速していくかも

今日は旅の話ではありません。大好きな鉄道の悲しい話題です。

その前に私の人生歴をご紹介しますと、生まれたのは大阪市内のど真ん中、そして小さい頃育ったのが旭区でそこには路面電車・大阪市電が走っていました。男の子の多くがそうであるように、私は大の電車好きになり、以後「鉄道ファン」と呼ばれる人種になりました。

次に移り住んだところは阪急電車の線路の近くで、また少し歩けば国鉄(東海道本線)も通っていました。頻繁に通り抜ける電車や列車(当時はまだSLも走ってました)を、いくら見ていても飽きない少年で、やがて親父のカメラを借りて写真を撮り始めました。

学生時代からは、バイトでお金を貯めると当時あった「均一周遊券」を握りしめ、北へ南へ、T_img_3048 東へ西へとカメラを抱えて走り回り、その内撮り鉄よりも乗り鉄の方が主体になってきました。故宮脇俊三さんの書を読んで、国鉄全線踏破を目指して暇さえあればキシャに乗っていたわけです。

そんな鉄路が少しずつ消えていきつつある、もしかしたらこれから加速していくのではないかと懸念が広がります。間もなく、JR北海道・留萌線の末端部分、留萌-増毛間が廃止されることになっており、1年半後には中国地方の三江線(JR西)もなくなってしまいます。

さらにJR北海道は多くの路線の廃止を考えており、その内3つの路線は地元自治体などに廃止・バス化の提案がなされるようです。その3つとは、上記の留萌線残存区間の深川-留萌間、日高線の鵡川-様似間、そして根室線の富良野-新得間です。

後2線は現在災害運休区間になっており、場合によってはこのまま廃線に向かう可能性もあります。いずれもかつては「本線」という名前の付いた幹線でした。先日株式上場を果たしたJR九州も、鉄道事業はすべての路線で赤字、JR四国も例外ではありません。

JRと言えども私企業である限り、赤字をただ垂れ流すわけにはいきません。上場したJR九州などは、より厳しい株主の目が光るでしょう。しかし、鉄道(会社)は同時に地域の公共交通を維持していく責務を負っています。高齢化がますます進む今日、安全確実な交通手段としての役割も小さくありません。

鉄道ファンの立場からは路線の存続を望みたいところですが、だからといって一人の経営者あるいは経営コンサルタントの立場から言うと、すくなくとも経営を維持できない状況は打開していかねばなりませんし、鉄道会社だけの努力では困難です。

鉄道維持のために様々な方式が考えられ、いくつかの鉄道で実施されていますが、何よりも「乗って残す」ことが第一でしょう。乗る人の立場での鉄道の存続、いや鉄道ではもはやダメならバスや他の交通手段への転換もやむを得ないことです。
乗り鉄ファンとしてはとっても悲しい現実ですが、地元の人たちにはもっと悲しいことかもしれません。鉄道ファンとしての立場もわきまえながら、これからも乗り鉄旅を楽しみたいと思います。

脳力開発は人間学であり行動科学です(107)

●思考方法の整備という視点から

前回までで「精神的姿勢」についてのお話は一区切りとし、今日からは「思考方法の整備」という視点からのお話になります。思考とは脳の重要な働きですが、脳力開発では、行動に結びつくものでないと本当の思考とは呼びません。思考方法の土台として大切なことは、物事の中心を明らかにT_img_3096 することです。私たちは、どうしても目立つところに視点を合わせがちですので、物事の一部分(一局面)だけに目を奪われてしまい、そこが物事の中心だと思いがちです。

 また逆に、余りに全体を意識する余りに、あれもこれもと複雑に考えてしまい、何が何だか分からなくなってしまって混乱してしまう、そういう思考習慣もよく見られます。いずれも、物事を考える上では極めてまずい習慣だと言えます。いつでも全体を考える習慣、「鳥の目で見る」という言葉もありますが、まずは全体を大づかみすることです。そこから目を徐々に「虫の目」に変えて、枝葉末節をいったん外していくのです。そうすると、中心・骨組みが明確になってきます。

 脳力開発では、これを「つかむ」そして「計画する」と位置付けています。「つかむ」とは客観的な作業で、既に在るものから中心・骨組みを取り出す(読み取る)ことです。中心というのは、全体に対し最も影響を持っている要素やポイントです。それが動くと大勢が動き、もしそれが片付くとおおかたのことは片がつく、といったような要素のことです。ただ、これをつかみ出すのは日々の訓練でしか上達しません。常に意識して、まずつかみ出すことを心がけて下さい。
(写真は今月スタートの「未来に舵切る脳力開発講座」です)

今回遠征「乗り鉄」旅のエポックは

JR東日本の大人の休日倶楽部を長年利用していますが、現在は「ミドル」なのですが、あと少し12月の誕生日が過ぎると「ジパング」に登録できます。そうなると全国のJR線を30%割引で利用できますので、乗り鉄の私にとっては非常にありがたいことです。誕生日の1か月目には切り替え案内がくるとのこと、心待ちにしています。

それはそれとして、今月は「乗りつぶし」が一つできました。北海道新幹線の新青森-新函館北斗間148.8㎞ですが、今年3月の開業から新青森には2度も訪れていたのですが、余裕時間がなくて足が延ばせず、ようやく実現したわけです。
青函トンネルは在来線で通過していますが、新幹線ではもちろん初めてで、いわゆる3線区間(新幹線のレール幅1435㎜と在来線の1067㎜の共用)を味わってきました。と言っても、いつの間にか2つのレール幅が合流し、いつしか離れていくというわけで、特別な実感はありません。

新函館北斗から札幌までも整備新幹線として、2031年頃の開業を目指しているそうですが、果たして予定通りとなるかどうか。もし実現できたとして私は80歳、まだ元気で旅を楽しめておればいいのですが。

さて今回の遠征では、もう一つ、これまで乗った体験のない車両に乗ることもできました。それは近鉄の特急車両の内、23000系「伊勢志摩ライナー」と呼ばれるものです。実はもう20Img_3110 数年前に新造されていて、私自身も伊勢には何度も足を運んでいるのですが、なぜか乗る機会に恵まれませんでした。

名阪特急の21000系・アーバンライナーとイメージは同じですが、こちらは観光特急らしい内外装になり、とくに先年の式年遷宮に合わせてリニューアル、しかもそのうち半数の編成はふりそそぐ太陽をイメージしたサンシャインレッドに変わりました。今回乗車したのはこのカラー。

デラックスカーやサロンカーは眺めるだけでしたが、大阪難波から伊勢市まで1時間40分の快適な旅を楽しみました。伊勢志摩路にはよりデラックスな観光特急「しまかぜ」も走っていますので、次回はこれを狙ってみようと思っています。

今回の旅では大阪難波に向かう阪神電車の中で、鳥取県中部の地震本震に遭遇。車内の乗客が持っている携帯やスマホの緊急警報が一斉に鳴り出し、一時騒然としたり、安全確認でしばらく停止したりしましたが、大きな遅れもなく無事に旅できたことはありがたいことでした。

持統と不比等、そして県犬養橘三千代まで

再び古代史に戻って、持統天皇に触れながら、いよいよ藤原不比等という「巨人」にアプローチしてみたいと思います。不比等については、かつてあまり興味を持たなかったのですが、15年くらい前だったでしょうか、黒岩重吾さんの『天風の彩王』という長編小説を読んで、大きな興味を抱いたのです。

天智天皇のご落胤という説もあり、黒岩さんの小説でもそのような設定でしたが、定説では中臣鎌足の子供(次男)であるとされています。中臣鎌足は、天智が中大兄皇子時代からPhoto の股肱之臣であり、乙巳の変における同志、陰の立役者でした。

その後天智の側近として大きな力を発揮し、藤原の姓と、死の直前には「大織冠」と大臣位を贈られたとされています。それがゆえに、残された藤原一族は壬申の乱では大友皇子を支持し、大海人皇子=天武天皇に逆らった形になり、不遇の時代を迎えます。不比等も都の外に逼塞を余儀なくされ、下級官吏の道からスタートします。

それが急に持統天皇に見いだされ、そこから一気に昇進していくのですが、そんなことからご落胤説が出てきたのかもしれません。史実としては、持統の息子である皇太子・草壁に仕えていたことから、持統の目に留まったと思われますし、もちろん不比等自身も余人にはない才能を持っていたのでしょう。

文武天皇(軽皇子)の即位に力を尽くした功績もあり、日本書紀編纂にもおそらくプロジェクトリーダー的な役割を担ったとされていて、このあたりから持統・文武朝で頭角を現していきます。そして娘である宮子が文武に嫁ぎ(夫人=ぶにん)、首皇子が生まれます、後の聖武天皇です。

さて持統天皇ですが、最愛の息子であった草壁の即位はその死によって実現せず、夢は孫の軽皇子に託されようやく実現を見ます。しかし文武は15歳という若さであり、先例がないということで周囲の抵抗も大きかったようです。そこで、持統は太上天皇を称して後見役
を務めます。おそらくここに不比等も力を尽くしたのでしょう。

さて、もう一人不比等の異例な出世の影響をもたらしたと思われる人物、女人がいます。それが県犬養橘三千代ですが、再婚した不比等との間に生まれた娘が、後の聖武天皇の皇后になる光明子です。では、次を乞うご期待。

脳力開発は人間学であり行動科学です(106)

ではどうすればいいのでしょう。他人を変えるのではなく、「自分を変える」ことに力を向けることです。過去と他人は変えられないが、未来と自分変えられるというわけですから、変えることのできる自分を変えるのです。変化していくこちらの姿を見て、相手もまた次第に「自分を変えていく」のです。これは変革の原理ともいうべきものです。ただこの変革は、徐々にゆっくりとしか進みませんので、決しPhoto て焦ったり一喜一憂しないことが大切です。

 でもそうやって、これまでは自分にとって都合の悪かった人が、自分に協力してくれるようになったら、素晴らしいことではありませんか。間違いなく1+1が2以上になります。そうなってこそ、脳力は一段と発揮されることになるのです。マズローの欲求5段階説によれば、その最高段階は「自己実現欲求」であり、自分の能力を引き出し創造的活動がしたいといった欲求であると言います。使命感という、社会的価値実現への行動と言い換えることもできるでしょう。

 しかし、なおそれ以上のものがあるとも言われています。それは「自己超越」という段階です。目的の遂行・達成だけを純粋に求めるという領域で、見返りも求めずエゴもなく、自我を忘れて目的のみに没頭するというのです。脳力開発でも、純粋に社会的価値を追求し、毎日の自分の活動に「生き甲斐」を感じることは、本質的な脳力の発揮であるとしています。社会的貢献や、世のため人のためというのが口先ではなく、人間本来の自然な脳力発揮だと考えていきたいものです。

就業規則書はちゃんと作っていますか

突然ですが、あなたの会社には就業規則がありますか。労働基準法89条では、常時10名以上の労働者を使用する企業には、就業規則の作成と届け出を義務付けています。10名未満の会社では必要ないというわけではありませんから、小さな会社でもぜひ作成してほしいものです(届け出義務はありませんが)。

就業規則を作っていても、その規則は労働者の意見を反映しているでしょうか。またせっかくきちっと冊子になっていても、棚の隅っこに押し込まれていて、従業員の誰も見たことがなImage い、内容を知らないというのではお話になりません。

労働基準法に反するような内容はもちろん言語道断ですが、諸規定の内容がいい加減であったり、会社(使用者)側に都合のいいものであることもいかがなものでしょうか。100%完璧にとは申しませんが、会社の基本土台になるものですから、経営者としてなすべきことはきちんとしてほしいものです。

基本形・ひな形はネットでとることもできますし、顧問の税理士さんなどにお願いしても、提供していただけます。また労働関係の役所や商工会議所・商工会などからも、いただくことができるでしょう。

大事なことは、そのひな形なりを利用するとしても、自社に状況に合わせて、また経営者として考えている基本姿勢を盛り込んで、キチンと作り変えることです。その際に社員の皆さんの意見なども聞いて、その希望なりを反映することも必要でしょう。

内容が法律に違反していないかなどは、専門家にチェックしてもらいましょう。労働基準監督署に届ける前には必要なことです。また就業規則に付随する諸規程、賃金規定や退職金規程なども忘れずに。

そして作成した就業規則書は、会社の誰もがいつでも見ることにできるところに、置いておくことが大切です。大企業では新入社時に渡す書類の中に、入れておられるところもあります。小さな会社でも、従業員が目に触れやすいところに常備しておくのが良いでしょう。

また企業の姿勢は、その中にどれだけ独自の項目が入っているかからも伺えます。本当に社員を大切にする会社なのかどうか、ざっと目を通しただけでも感じられるものにしていきたいものですね。

神都・伊勢でのキャッシュフローMG開催

この土日、22-23日は三重県伊勢市でキャッシュフロー(CF)MGセミナーです。昨年は駅伝と重なって予定が流れましたが、地元の河西税理さんが、毎年秋の10月~11月にセミナーを主催していただき、これまでは脳力開発あるいは脳力開発プラスMGをやってきましたが、今年は初めてCFMGをやることになりました。

Img_3120 キャッシュフローMGはこれまでにも何度かご紹介してきましたが、通常のMGが仕入れも販売も含めて、すべて「現金主義」で行うのに対して、仕入は原則買掛で、販売は原則売掛で行います。意思決定の幅が広がりますが、集金(のタイミングなど)も含めて考えるべきことも増えます。

通常の企業では、買掛や売掛の両方、あるいはどちらか一方があることが多く、その意味ではCFMGは現実の仕事にも近いということができます。

CFMGの歴史はけっこう古く、私の記憶では1988年頃にはできていて、私自身もその年の秋に最初の受講を体験しています。90年代の初めころまではまだ開催されていましたが、20年くらい記憶の中に埋もれてしまっていたのを、数年前に蘇らせました。通常のMG用紙を使うことを前提にしましたので、少し記帳などは面倒ですが、愉しく学んでいただけます。

MGの期数を重ねてきた(ベテランの)方でも、いつもとは違う記帳や意思決定に、新鮮な感覚を持たれるようですし、その分新しい気づきも体験していただけるようです。もちろん、キャッシュフローは企業経営の軸となるものですし、「勘定合って銭足らず」はなぜ起こるのかなどの答も、体得することができるでしょう。

全国ではこれまで主として東京と神戸で開催してきていますが、今年から熊本や伊勢での開催も加わり、おかげさまで来年の開催予定も順次決まり始めました。これからももっと多くのことに、私自身の経営体験も含めて、MGの真髄をお伝えしてまいります。

鳥取県中部で大きく揺れましたね

鳥取県の中部を震源とする大きな地震が起こりました。浅いところで地盤(断層?)がずれたとのことで、直下型の揺れでしたが、幸い被害は少なかったようです。停電や断水に加え、余震の頻発で被災地の皆さんは眠れぬ夜だったことでしょう。

私もいくつかの地震を体験しましたが、ちょうど12年前(10月23日)の中越地震のことを思い出しました。震源地に近かった長岡市の震度は6強、しかも震度5を超える余震が続きまし041024_01 たし、停電や断水で、さすがに当時住んでいたマンションにいるのは不安で、近くの小学校に避難して一夜を過ごしました。

インフラは早めに復旧して、日常生活も戻ってくると思いますが、余震だけはいつまで続くのか予想もつきません。熊本のように、そろそろ大丈夫かと思った頃にさらに大きな揺れがやってきた、というようなことのないことを祈っています。

昨日の地震が起こった時には、神戸の仕事を終えて阪神電車で大阪難波に向かっているところでした。なんば線の九条駅に着く直前でした。突然車内で一斉に「緊急地震情報」の警報音が鳴り響き、やかましいやらびっくりするやら。まさか、南海とか東南海地震じゃないだろうね、と少し身構えました。

表示では鳥取県とあり、地下線車内の故かほとんど揺れは感じませんでしたが、ネット情報で震度6弱の大きな地震だったことがわかりました。すぐにアナウンスがあり、安全確認が終わるまで一時停止するとのこと。10分ほどで解除され、運転が始まりましたが難波駅までは徐行運転でした。

鳥取方面の仲間たちからも、ようやく無事の知らせがSNSなどに入り始め、ホッと胸をなでおろしました。ただ、当面は電話回線なども混乱するだろうと思い、直接連絡することは控えておきました。

難波駅でも、電車の遅れがアナウンスされていましたが、幸い大幅な遅延や運休もなく、私の乗る「伊勢志摩ライナー」も僅かな遅れくらいで出発。大阪市内を抜けると快調な電車旅となり、伊勢市駅にも時間通りの到着。その間に、鳥取の仲間たちとはSNSでのやり取りで状況を確認できました。

それにしても、ここのところ日本の各地で揺れが続いていますね。どこで揺れてもおかしくないと専門家たちは言いますが、その内にドカンと来ないか、人知の及ばぬことではあっても気懸りです。皆様方もお気を付けください。

脳力開発は人間学であり行動科学です(105)

近江商法に、「売り手良し、買い手良し、世間も良し」(三方良し)とあることはよく知られています。近江発祥の企業では、これを企業の理念とされている例もあります。脳力開発の「自分もよし、他人もよしの姿勢」も、これと軌を一にするものです。手前味噌ですが、ヴァンガード経営研究所ではこれをPhoto 少し言い換えて、「3S経営」を提唱しています。3Sとは、まずES(社員も佳し)、次にCS(お客様佳し)、そしてSS(地域社会にも佳し)の3つを実現しようということです。

 ESが先か、それともCSが先なのかが迷われるところですが、私はまず「社員とその家族」が幸福であることが第一だと思っています。土台がしっかりしていてこそ、夢や目標の実現に向かって進むことができる、私はそう思っています。よく言われるのは、「1+1は2ではなく、やり方次第で3にも4にも、そして10にもなるよ」ということです。しかし逆もまた真で、バラバラなまま組織力が結集できずに、力が分散してしまっている例もよく見かけます。

 こういう組織の問題は、リーダーの素質や器にかかっていると言われますが、リーダーだけにその責めを負わせるのではなく、どの役割の人も自分の立場の中で「リーダー意識」を持つことが、組織力・総合力の発揮につながるものなのです。また、なかなか協力してくれない相手を、協力してくれるように変化させるのも重要なポイントです。しかし、他人はこちらの思い通りにはなりません。「他人を変える」のは至難の業、というよりそれはできない相談なのだというのが土台の考え方です。

戦略を理解できなかった義経はおバカさん

古代史コラムを続けていますが、今日はちょっと箸休めで、時代を一気に進めて平安時代末期、鎌倉幕府が開かれる直前のお話です。

ちょっと前までは、鎌倉時代の開始は1192年に源頼朝が征夷大将軍に任じられた時として、私たちも中高校生時代には「いいくに作ろう鎌倉幕府」と覚えたものでした。その後諸説が出されましたが、昨今の教科書では、守護・地頭設置権を認められた1185年という解釈に落ち着いているようです。

ところで、壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼしたのは1185年(文治元年)ですが、これはひとえに義経の活躍によるものでした。一の谷、屋島、そしてこの壇之浦と、それまでの戦いの常識を超えた戦術で兵士を圧倒し、ついに兵士が奉じた安徳天皇は二位の尼(平清盛の妻)に抱かれて入水、関門の海に消えました。

Photo まさに義経は戦の天才というべき傑物で、彼がいなければ源氏の勝利はなかったとまで言われています。しかし、義経は戦、すなわち戦術あるいは戦闘の天才ではありましたが、戦略についてはセンスがなかったというか、そもそも戦略を理解しえなかったと思えます。そのことが、義経を滅ぼす最も大きな原因でした。

戦略と戦術は脳力開発でも大きなテーマですが、この二つは全く異なるものです。元々は軍事用語で、世界で初めて体系建てたのはドイツ(プロイセン)のクラウゼヴィッツ。19世紀の初めに書かれた『戦争論』の中で、普仏戦争の実践体験からまとめられた名著です。このなかで、初めて戦略と戦術ということが整理して語られています。

さて、源氏のリーダー(司令官)たる頼朝の戦略は何だったのでしょう。平氏を滅ぼすことだったのでしょうか。もちろんそれも目的の一つではあったでしょうが、もっと大きな目的がありました。それは集約すれば、「独自の武家政権をつくる」ことにありました。

その為には当時の朝廷で最も力のあった、治天の君・後白河法皇(当時の天皇は後鳥羽天皇)にそのことを認めさせることでありました。後白河は権謀術数に長けた、一筋縄ではいかない人物です。しかし、弱みがありました。

清盛の孫でもある安徳天皇に代わり、後鳥羽天皇を即位させましたが、手元に「三種の神器」がなかったのです。これでは正当な即位とは言えない、ということになるわけです。頼朝はそこに目を付け、義経に「三種の神器を取り戻す」ことを厳命します。ある意味、それができれば、平氏の滅亡は二の次でした。

しかし、義経は平氏を滅ぼしたものの、三種の神器の内神剣を見失ってしまうのです。頼朝は激怒しますが、義経はなぜ自分が叱責されたのかが分からなかったようです。「神剣くらいいいじゃないか」と思っていたのではないでしょうか。

この後さらに、後白河の権謀に操られてしまいますが、政治的センスが全くなかったおバカさんと言われてもしょうがないところです。でもこんな風に言うと、判官びいきの日本人から袋叩きにされそうですね。

いずれにしても戦略が理解できず、戦術のみに突っ走った義経の、未来がなくなってしまうのはごく当然のことだったでしょう。皆さんも、戦略と戦術を脳力開発講座などでしっかり学んでみませんか。

反原発の主張を県民は良しとしたぞ

新潟県知事選で、野党系候補の米山(隆一)さんが、告示前の予想を覆して当選した。泉田前知事が四選を断念したところで、与党系の森さん(前長岡市長)が圧倒的有利と言われ、民進党は候補擁立を断念、他の3党(共産・自由・社民)に推された米山さんが、民進党を離党して立候補したが出遅れは否めなかった。

何しろ森さんは、長岡市長17年の実績、特に町の中心部活性化に腕力を発揮し、全国市長会会長も務めていたし、県議の大半が支持、自民・公明が推薦という圧倒的有利の中で、当初は間違いなく独走していた。

米山さんは北魚沼・旧湯之谷村の出身で、灘高校から東大というエリート、医師であり弁護士でもある。かたや森さんも長岡高OBで官僚(旧建設省)出身でもあり、地元での知名度ははるかに高い。私はどちらもよく知っているが、会った回数から言えば森さんの方だ。

米山さんはこれまでも何度か選挙に打って出たが、その都度所属政党が違っていたし、全て落選の憂き目を見てきた。次の衆院選挙では、民進党から立候補することも決まっていたが、現職には敵わないという見方が強かった。

それが急遽の立候補で、野党3党が推薦したとはいえ、おひざ元の民進党は自主投票を早々と決め、また連合は森さんを推薦した。しかし告示後、じわじわと支持の差が詰まってT_img_3081 いくのを感じた。投票日1週間前には、大接戦ということにまでなった。最後の最後にレンホウが、米山サイドの応援に駆け付けたのは、まさか「バスに乗り遅れるな」ではなかっただろうな。

与党側は大詰めに党の大物を送り込んできたが、実際には予想以上の大差(6万票余)がついた。新聞やテレビが報じたように、それは「柏崎刈羽原発再稼働に対する姿勢」の差だった。森さんも終盤「原発再稼働には慎重に対処」と言い出したが、泥縄だった。米山さんは、前知事の姿勢を継続することを当初から言い続け、それを県民の多数が支持した。

選挙戦当初は、「原発は争点にならない」という声が多かった。もちろん、選挙のプロや政治評論家どもの言葉だ。しかし、投票するのはシロウトの大衆なのだ。どっちかを選ぶだけのことなのだ、そんな単純なことがプロには見えてない。

正直言って、米山さんに投票したわけではないというシロウトも多いはずだ。森さんではいずれ再稼働に舵を切りそうだという思いが、次善の投票行為となった。AでなければBしかない、という選択だったかもしれない。

先だっての鹿児島県知事に当選した三反園さん、そして今回の米山さん。原発立地県の大衆の思いを読み間違えると、大きなしっぺ返しに合う。すべてがそうだとは言わないが、せいぜい政治家センセイは心してかかってほしいものだ。

今回のことも一地方のことに過ぎない、国政の方向には影響しない、などとは決して思わぬことだ。第一、方向というが、明確な国家戦略が見えていないのに何を言うかって感じだ。これから、米山さんの一挙手一投足に、それに対する政府や与党の反応に注目していこう。

脳力開発は人間学であり行動科学です(104)

前回も少し触れましたが、「降伏」と「妥協」とは違いますのでしっかり区別しなければなりません。原則のレベルでぶつかった時に、相手の力(相手の原則)に屈して、本心とは逆の方向に自分の原Photo 則を譲ってしまうことが降伏です。降伏は独立性や、主体性を放棄してしまうことを意味します。妥協は、あくまで自分の原則を守り抜くことが前提です。その上で、相手の原則との間に具体的な協調点を設けるわけですから、降伏とは本質的に異なります。

 すなわち、お互いに自分の原則を持ち、相手の原則を認め合った上で、妥協点や協調点を設けて調和や協力を維持していこうというのです。これによって、自分もよしであり、当然に相手もよしとなる状況が作られて、望ましい関係になっていくのです。会社や組織の中で、一緒にいたくないなあとか、一緒に仕事をしたくないと思うような人はいませんか。極端に嫌だというのでなくても、できるだけ避けたいなと思う人はいるのではないでしょうか。私も現役時代には、何度かそういう状況を体験しました。

 人に対する好き嫌いは、多かれ少なかれ誰でも持っているものです。それが嵩じると、嫌いな相手や苦手な相手を敬遠して、なるべく接触しないようになってしまい、自分とウマの合う相手とばかり付き合うようになってしまいがちになります。これも脳力にとっては大きなマイナスで、脳の使い方の中でも重要な、「周りの人を動員結集する」ことによって事をなす、ためには大変な損失につながります。誰でも活用するのが本来の脳力発揮なのですから、多大なロスだといってもいいでしょう。

鹿部電鉄を見学してきました

大学鉄道研究会OB会、メインは小倉先輩の庭園鉄道拝見。軌間15インチの本格軌道とは聞いていましたが。

前夜は函館駅前のイカ料理店で懇親会が盛り上がり、来年の開催地が私の地元・新潟に決まりました。さて、どんなところにご案内するか、1年かけてリストアップしていきますか。

そんな余韻を感じながら、函館発のローカル気動車に乗り込みました。車内は旅行客で満員に、何しろ1両だけなのですから。多くが大きなトランク荷物を抱えた海外の方、新幹線の連絡駅・新函館北斗で少し降車客がありましたが、多くが大沼公園を目指すようです。

私は1つ手前の大沼で下車、僅か1㎞手前なのですが、ひっそりした田舎駅の風情が残っImg_3051 ていました。下車するのはたぶん43年ぶりじゃなかったでしょうか。大沼駅から鹿部リゾートの小倉さんのお宅までは25㎞、そこに庭園鉄道もありました。

15インチゲージと言いますと、線路の幅は381㎜ですので、いわゆるナローゲージ(762㎜)の半分ですが、テーマパークや遊園地などの遊覧鉄道にもけっこう使われています。鹿部電鉄という名前を付けられていますが、これはかつて(戦前)鹿部から大沼公園まで実際にあった鉄道に因んでいます。

現在の軌道は30mほどですが、いずれは家の周りを円周しする構想もあって、レールもかなり準備されていました。分岐器(ポイント)は、グラインダーとやすりで自作される予定だとのことで、さらに車両も昔の実車両写真をモデルに作られるそうです。

すでに貨車と、いずれ電車になる車両の土台(台枠と車輪)まではできていて、ブレーキ装置も実際に近い形での自作で取り付けられています。ただただすごいなぁと、かつて数年ですがHOゲージの模型を自作していた私は、感心するばかりでした。

嬉々として将来構想を語られる小倉さんの目は、きらきらと輝いていました。参加したメンバーたちも、童心に返りつつ完成を楽しみにして帰途につきました。ホントに充実のOB会、
幹事の富田さんにも感謝です。

他社の成功事例を自社に採り入れるには

社員のモチベーションを上げたい。上げるにはどういう手を打ったらいいんだろうか。というわけで、色々なところでセミナーが開かれています。おそらくそういうセミナーの中では成功事例が多数紹介されるでしょうし、中には成功した経営者が直接お話しされることもあるかと思います。

いやぁ、いい話を聞いたなぁ。問題はその次です。ようし、うちの会社でもできそうだからやってみるかと思うのか、それともあれはあの会社、あの社長だからできたんだと思うかです。後者はもちろん論外です。

ではできそうだと思ったあなた、第一関門は突破されたようですが、その次が問題です。話の内容によっては、そのままストレートにやってみてもやれることがあるでしょう。しかしたいていは、そのままでは導入が困難だというのが普通です。何故なら、お話の会社の環境条件と、あなたの会社の環境条件が異なるからです。

基本的な組織や仕組みも違うでしょうし、現在の社員さんたちの状況も全く違います。そういう現実を無視して、ただただ「いいことだからやってみよう」と始めたら、かなりの確実で挫折し、失敗するのではないでしょうか。思い付きレベルの実施では心許ないですね。

こんな事例がありました。ある会社で「ありがとうカード」、すなわちサンクス(感謝)カードで社員のPhoto_2 モチベーションが高まったという話を聞いて、早速自社でやってみられた社長がいらっしゃいました。やり方からカードそのものまで真似をして、名前だけを「ありがとうカード」としたのですが、結果はどうだったでしょうか。

幹部会議を通じて部課長に伝え、朝礼の場で全社員に参加を呼び掛けてスタートしました。部課長やチームリーダーが率先して書くように命じ、週末に提出状況を集計し、グラフで貼り出すなどで高揚を図りましたが、1ヶ月経過しての結果は思わしくありません。

さらに1ヶ月2か月と様子を見ましたが、カードの提出件数はむしろ下がっていく感じ。部課長に発破をかけて数日は効果が出るのですが、すぐに下火になります。結局半年経って効果がなさそうだと、やめてしまいました。やめて「ホッとした」という課長がいた、と後日談で耳にしました。

さて、この社長は何を間違われたのでしょうか。他社の成功事例を真似することは悪いことではありません。むしろ積極的にやるべきかと思います。しかし、自社の現状をよく見極めること、何のためにやるのか、目指すところを明確にすることを忘れてはなりません。その上で、一気呵成に勢いをつけてキックオフすべきです。

貴社のご成功をお祈りします。

今日から函館で大学鉄研OB会

今日から遠征の旅に出ています。その内の前半2日間はプライベートな鉄道旅行、そして大学の鉄道研究会OB会。今年の開催地は函館、北海道新幹線初乗りということにもなります。車両(H7系)にはすでに2回乗ってはいますが。
 
実は青函トンネルも久しぶりです。初めてくぐったのは1989年の1月で、その車中で昭和天皇の崩御をニュースで聞きました。その時の列車は寝台特急「日本海」1号、まだ海峡を越えて函館まで足を伸ばしている時でした。それからもう一度、今度は「はつかり」で。今回はそれ以来になります。

Photo 函館には先輩OBが鹿部町に住んでおられ、本格的な庭園鉄道(鹿部電鉄)を作っておられますので、それもじっくり見学させていただきます。詳細情報はまた後日ということで。

その函館にどうやって行こうかと色々考えました。新潟からは札幌まで空便がありますので、いったん新千歳まで行って特急「北斗」で引き返すか、東京まで行って羽田から函館空便にするか、あるいは新幹線で大宮乗り継ぎで行くか。

いや、やっぱりのんびりと在来線を日本海沿いに北上して、特急「いなほ」から「つがる」(写真)を中継して、「はやぶさ」で新函館北斗まで。最寄りの小針駅から函館駅までは、乗り継ぎ時間を含めて9時間半の旅になりますが、私らしくていいでしょう。

というわけで、すでに「いなほ」で北越後路を北上中です。秋田駅の乗り継ぎ時間30分余りですので、ゆっくりお昼ごはんとはいきませんが、おいしい駅弁と軽~くアルコールで一人旅を楽しみます。

OB会参加者は8名とのこと、昨年久々に参加した高山で会えたメンバーや、久しぶりに再会できる仲間との交流会も楽しみです。

脳力開発は人間学であり行動科学です(103)

衝突も、起こって良いとは言っても、何でもぶつかり合えばよいというものではありません。どうしても、相互間の調整が必要になります。調整をしなければ混乱ばかりで、ぶつかり合いをプラスの方向に変えていくことができません。各人が希望をそれぞれに持っている、これが前提です。その希望は二種類に分けることができますが、一つは「容易に譲れない、変えられない」希望です。これはかなり強固な決心であり、根本の生き方など、言うなれば原則の範囲の希望です。

Photo_2  もう一つは非原則の範囲の希望で、こちらは譲ってもよい、変えても良いという柔軟な対応を伴います。実際に、なるべく譲るようにしていけばよいわけで、言うなれば妥協するという対処をとることができるものです。原則を守る、原則の問題については譲れない。例えば、自分自身の信義や信念、あるいは信条といったものは基本的に譲ることはできないでしょう。また、そうでなければ他人や周囲に流され、「自分を失う」という状態になってしまうでしょう。

 原則を曲げることは「降伏する」ことにもつながりますし、主体性の放棄・自分を失うということにもなります。とは言っても、小さなことまで何が何でも譲らないとなると、「自分だけ良しの姿勢」になってしまうことがあります。以上のことを心得た上で、非原則の方も考え方や扱い方をしっかり確立していくことです。それによって協調性や協力する姿勢が身に付き、それを感じた周囲があなたの味方になってくれることでしょう。良い人間関係も築かれていくはずです。

藤原不比等の登場前夜

ついに持統天皇が即位されます。政治的に有能であったとされる大津皇子を、無実の罪に陥れてでも即位させようとした皇太子・草壁皇子は、ついに即位することなく若くして亡くなってしまいました。その子である軽皇子はまだ幼少で、それなりの年齢でなければ即位が認められなかった当時は、皇后自身が即位するしかありません。

でなければ、大津皇子亡きとはいえ、天武天皇の皇子や、その前の天智天皇の皇子もまだ多くが健在であったのです。そちらに皇位が移っても不思議ではない状況で、「鉄の女」持統は長い称制期間を経て自ら即位しました、690年のことです。

夫であった天武の治世を引き継いで、律令の制定と新しい都の造営を継続していきます。律令の内、まず令の方(通常は律が刑法、令はその他の法令と言われています)である、飛鳥浄御原令が制定されます。草壁皇子死去のすぐあと、いきなりという感がありますが、おそらく何らかの混乱を鎮める効果を狙ったのでしょうか。

Photo この中で、初めて「天皇」号について明記がなされます。あるいは戸籍などについても規定が現れますが、やはり急遽出されたものであったようで、710年の大宝律令制定までの間に、かなりの修正追加がなされたようです。

そして新しい都の造営、本格的な唐風のそれまでにない大きな都城です。日本書紀には「新益京」と記されていて、藤原京という呼び名は中心が藤原宮であったことに因んで、近世に名づけられたものです。また、近年の発掘調査によると、その規模は平城京よりも大きかったと言われます。

ここで花開いたのが白鳳文化です。一口で言えば、天皇や貴族を中心とした仏教文化ですが、薬師寺の薬師三尊像はこの時代の代表作で、私の最も好きな仏様です。

では次回はいよいよ、藤原不比等の登場です。不比等は、大化の改新の中心人物と言われた中臣(藤原)鎌足の息子(次男)ですが、天武の時代には地方に逼塞していたと言われています。それが持統天皇の時代になって、突然歴史の表舞台に登場するのです。

この謎の男・不比等が、この後の歴史に大きな影響を与え、その流れはもしかしたら今に至っているのかも知れません。日本書紀もまた、その流れの源流なのかも知れません。

経営管理に使ってはいけない「利益率」について

先日、このコラムで「売上高経常(営業)利益率」のことを書きましたが、ある経営者の方からこの利益率は「無視してはいけない比率だ」としかられました。別に無視しろと言った覚えはないのですが、「(経営管理に)使うのは無駄だ」と言いたかったことは事実です。

もちろん、その時にも書きましたが、この数値を経営目標にされている会社もありますし、それで素晴らしい業績を上げておられる会社も存在します。ただ、高い利益率を出すために、数字の操作をしたりすることは間違いだとは申しました。言い換えれば操作しやすい率ですので、そんなものに寄りかかる経営はどうかなと言いたいわけです。

また、根本的な間違いをする事例をいくつも上げることができますが、今日はその中の一つ、私の会計セミナーの中で時々使う事例を紹介します。

【A社の事例】
 ・売上高 1億円  ・売上高総利益(粗利益) 2500万円/粗利益率25%
 ・販売費一般管理費 2000万円  ・営業外損益なし  ・経常利益500万円(利益率5%)
Photo このA社で、社員から「新しいパソコンを買って仕事を効率化し、正確迅速度や処理量を上げたい」という提案がありました。パソコンはソフトも含めて10万円です。そこで社長は、「それに見合う売上アップをしてくれればOKだ」こ答えました。

そこで社員は「どれだけ売上を上げれば良いですか」と尋ねました。社長は「200万円だ」と答えました。これは10万円を利益率5%で割って、算出したものです。社員はしばらく考えて、「とても200万円は無理です、パソコンはあきらめます」と言って退出しました。

さて、この社長の答は正しいのでしょうか。学校のテスト問題なら、これで良しとなることでしょう。経営の専門家(税理士さんや診断士さんなど)と呼ばれる方々も、たいていはこういう答をされることでしょう。

でも経営は算数ではありません、現実なのです。もし私であれば、「40万円だけ売上アップしてくれないか」と答えますし、提案があった時に間髪入れずOKだと言うでしょう。では、どうして40万円売上増という答が出てくるのでしょう。

これが分からないようでは、経営者失格だなどとは申しませんが、少なくともせっかくの社員のやる気を削いでしまってはもったいないことだと思いませんか。それが、使ってはいけない比率を使ってしまったから、ということに気が付いてほしいのです。

脳力開発は人間学であり行動科学です(102)

人によって希望も意見も異なるというのが、当たり前の土台なのですが、そのためにどうしてもぶつかり合いが生まれます。その時に「自分だけよしの姿勢」なのか、「自分もよし他人も良しの姿勢」なのかで、大きな分かれ目になります。何が何でも「自分の方こそ善で相手の方が悪である」と決めつけて、自分の意見を通していこうとしたらどうなるでしょう。あるいは多数決で決めればいいということで、強引に多数派工作をして意見を通してしまうようなことまで平気で行います。

Photo  また自由にやればいいではないかと、無責任に放り出してしまうと、収まりのつかない状態になって「乱世」状態になります。そうならないように世の中には法律やルールがありますが、すべてをそれで解決できるとは限りません。ぶつかり合い、脳力開発では「衝突」と呼んでいますが、衝突が起こってはいけないという意見も一方にあります。企業でもトップやリーダーが、衝突しないようにと考え、いわゆるトップダウンで決めつけていくことがあります。

 このようなやり方は確かに衝突こそ防げますが、時に数多くの意見が押さえつけられ、それによって元気ややる気を削ぐような結果を招くことがあります。これもまた、集団が持つ総合的な力を発揮させないままに終わるわけで、望ましくありません。むしろ「衝突」は大いに起こっていいではないかと、考えるところから出発してはどうでしょうか。なるべく意見を押さえつけずに、また強権を行使せずに、各人の持つ力を発揮できるような企業風土をつくることこそ、大切ではないでしょうか。

白紙領収書が「適法」だなどと宣う政治家ども

会社の名前に自分の名を付けたことを、最後まで悔やんでいたそうなのが本田宗一郎さんですが、松下幸之助さんは関連会社を含めて松下を使い続けた。もっとも、世の中には町の名前まで自社の名前になっても、何とも思わぬ経営者もいるからなぁ。

それはともかく、松下電器はパナソニックに名前を変えたのでともかくとして、泉下の幸之助さんは、政経塾にも松下の名を付けたことを後悔しているのではないだろうか。何しろ、期待されたはずの人材どもが、大した人間でなかったことを次々に証明してくれ続けているから。

今度はまた、極めつけの愚かさを見せてくれた卒塾生の出現だ。とうの昔にこの人間の愚かさ、浅はかさはいくらか分かっていたつもりだったが、ここまでとは思わなかった。しかも同じ大学を出ている(幸い学部は違うが)とあっては、嘆かわしいを通し越してしまう。

今回話題になっている「白紙領収書」事件。堂々と、総務大臣という立場で、「法律には違Img094 反していない」あるいは、「各党で統一ルールを決めてほしい」などと語ったそうだ。確かに政治資金規正法をそのまま読めば、白紙領収書を受け取り、それにもらった側が金額を書き込んでも違反にはならない。

しかし、しかしだ、だからと言っても最低限「正確な金額を書き込む」としてもだ、白紙領収自体が問題だろう。確かに税法上も、白紙領収書を出しても違法ではない。しかし、もらった側が違った金額を書いて申告をした場合は、明らかに違法になる。違った金額とは、たいていの場合は水増し金額だろう。

それをまぁ、政治資金規正法を所管する総務大臣が「適法だ」などと言ったら、白紙領収書を認めてしなうことになるではないか。世間の常識、庶民の感覚が分かっていない、阿呆な大臣としか言えなくなるよな。つまり、ナントカ政経塾とはこの程度なのか。

金額を水増しして書いても、きっと書いた人が勘違いをしたからと言い訳でもするんだろうな。官房長官までがお墨付きを与えてしまっているのは、もう何をかいわんやだ。

それとも泉下の御仁の会社も、大いに活用しているんだろうか。私も時々間違って、金額を明記しない領収書を渡してしまうことがある。中には、金額を「あなたの字で」書いてくれとおっしゃる方もいる。その人の爪の垢でも煎じてあげようか。

まぁとにかく、地方議会でも領収書の改ざんでセイカツヒなるものを水増しで受け取り、辞職に追い込まれる事例が相次いでいる。上がやるから下も真似をする、ってことなんだろうか。まことに腹立たしい。

「返事は早く」のつづきから先縁尊重へ

昨日の続きで、「返事は早く」についてもう少し書いていきます。

今は絞り込んでいますが、現役経営者の頃にはたくさんのサークルやクラブ、会組織にかかわっていました。中には会のトップや幹事役を務めたこともありますが、その時に感じたのはイベントや例会などの案内に対するレスポンスが、人によって大きな差のあることです。

しかも、レスポンスの早い人はいつも早いし、遅い人はいつも遅い。レスポンスを寄こさない人は、ほとんどいつも寄こしては来ないことです。また、出席の返事は出しても来ない(ドタキャン)人は、ホントによくすっぽかしてくれます。

Sw1 一度ならず数回は、案内の出欠記入欄の上に、「迅速な返信は最低限のマナーです」とまで書いてみたのですが、効果はありませんでした。そもそも見ていないのかな、とまで思ったものです。経営者のクラブ、あるいは勉強会などは経営者の人格を磨くためにやっているはずなのですがねぇ。

スケジュールなど、手帳やスマホなどのスケジュールアプリ、あるいは卓上のカレンダーなどを見れば一目瞭然。その日のその時間が空いているかどうかなど、時間をおかず分かるはずです。分かったらすぐに、返信すればいいじゃないですか。

そう言いますと、「いや、もしかしたら別の予定が入ってくるかもしれない」などとおっしゃいます。そうなったら、その時に欠席の連絡をすれば済むことです。それが面倒なのか、それとも「その程度」のクラブや勉強会なんでしょうか。

無断でドタキャンする方など言語道断ですが、そう言うと「だから最初から返事をしないんだよ」と言われた、年配の経営者がおられました。あきれてものが言えないし、その会社との取引など絶対にしたくないなとまで思いました。

私は案内をいただいたらすぐに、遅くとも一両日中に返信することを心がけています。そして出席の返事をしたからには、できる限り万難を排して出かけます。こちらは「先縁尊重」という考えに基づくものです。会社の大小にかかわらず、基本的で当たり前のことと考えていますが、いかが。

「返事は早く」はご縁を大切にする心の表われ

私の尊敬する鍵山秀三郎さんの著書に、「困難にも感謝する」(PHP)というコラム集があります。その中には、日々の行動についての色んな気付きにつながることが書かれていますが、その一つに『返事は早く』というコラムがあります。

Photo 少しだけ引用させていただきます。

「経営から身を引いたいまも、手紙やハガキが毎日届きます。少ない日でも十通余り、多いときは二十通を超えることがあります。
私はその手紙やハガキに対して、時間の許すかぎり、その日のうちに返事を書くようにしています。けっして、私が時間をもてあましているからそうしているのではありません。
ひとえに、お便りをくださった方々へのお礼と感謝の気持ちをできるだけ早く伝えたい一心でペンを走らせています。
 (中略)

お礼や感謝の気持ちは、時間が経てば経つほど薄れていくものです。私はその気持ちを、まだぬくもりのあるうちにお届けするように心がけています。』(以下略)

私もこれを読んでできるだけ早めに、ハガキでもメールででも時間をおかずに送ることを心がけていますが、ついつい「今忙しいから」と理由を付けて、後回しにしてしまうことがあります。でもそれって、お礼や感謝の気持ちより大事なこと、優先すべきことがあるのかと反省しています。

問い合わせや企画提案に対して、いつまでも待っても回答をよこさない相手に、腹を立てることも一度や二度ではありません。最近もそういう事例がありました。相手にも都合があるのだろうなと思うようにしながら、私はそんなことはしないようにと、自分に言い聞かせています。

昨今はメールという便利なツールがありますが、上手に使わなければ宝の持ち腐れです。メールでは失礼かなと思っても、まずはお礼や感謝の気持ちをメールでお伝えすることは許されるでしょう。その後にまた改めて、余り間をあけないで、きちんとしたご返信を送ればいいと思います。

返事は早く、これからも心掛けて参りましょう。小さなことではありますが、人のご縁を大切にする心を忘れないようにいたします。

脳力開発は人間学であり行動科学です(101)

最初に申し上げましたように、私欲は誰にでもあり、また何かをやり遂げようとするためにも必要なものでもあります。ただ、自分の私欲ばかりに目を向けていて、他人の私欲を無視したり忘れたりするところに間違いが起こるのです。

 次に「自分だけよしの姿勢」の人は、他人の欠点や短所といったところが気にかかってしょうがないPhoto ようです。どんな人であれ、優点と欠点を、長所も短所も持っています。完璧で欠点のない人間などいないと言ってもいいでしょう。ところが、そんな当たり前のことが忘れられてしまうのです。そして、「あいつにはこんな欠点がある。そんなヤツとはつきあえない」などという始末です。良いところには目をつぶり、あるいは欠点ばかりを見て、見ていないということになっています。

 立場が違えば観点が違い、希望が異なってきます。これまた当たり前のことなのですが、忘れがちになります。職場で考えてみても、社長と課長、そして平社員や新入社員で、同じ事柄についてもとらえ方や意見が違ってくるでしょう。それなのに自分と反対の意見や考え方に対して、「何を言うか、けしからんではないか」と真っ向から反対してみたり、言葉に出さなくても反感や嫌な感じを抱くことが少なくありません。そして、あくまでも自分の主張を押しつけようとします。

 時には強権を発動したり、強圧的に相手を押しつぶしてしまうこともあるようです。こうなってくると、押しつぶされた方も絶対に協力してやるものかと反感を持ち、結局は周囲の力を結集できず、やろうとしていることが頓挫してしまう結果を招きます。

40数年前の思い出が懐かしい筑豊を行く

10月初めからの九州遠征、台風18号の動きを気に懸けながらではありましたが、学びに交流にとっても充実した4泊5日でした。そして、最初の日には空いた時間を活用して乗り鉄旅を楽しみ、その内の筑豊電鉄についてはすでに書かせていただきました。

筑鉄に乗る前には、博多から直方まで「福北ゆたか線」に揺られました。ここを初めて乗り鉄したのは45年前、1971年でしたから大学生の頃です。当時の篠栗線(吉塚-桂川)はまだ非電化で、キハ17系や20系の混在する編成だったように記憶しています。本数も今のようには多くなく、長者原(1988年開業)などの駅もまだできていませんでした。

勾配にさしかかると非力な気動車では速度も上がらず、喘ぎながら分水嶺を越える感じでD6032_1793_71 したが、今では快速電車は快調に飛ばしていきます。桂川からは筑豊本線に入り、両側に炭鉱のボタ山を眺めながらののんびり旅でした。

また、この時代はまだ貨物列車が多く走っており、とくに石炭車をつないだ蒸気機関車が筑豊の主役でもありました。また、筑豊線の各駅からは支線や炭鉱への専用線がいくつも出ていて、そこにもたくさんのSLたちが活躍していました。旅客列車も、SL牽引の客車列車が何本もあって、飯塚以北の複線線路をすれ違っていました。

いくつかの駅で降りて、SL列車を追いかけ、直方駅でもSLの一大基地だった直方機関区を見学させていただきました。何台ものSLが駐機し、もうもうと煙を上げる姿が今でも脳裏に焼き付いています。

そんな筑豊でしたが、現在は炭鉱はすべてなくなり、数多くの支線や専用線もほとんどレールがはがされてしまい、またシンボルとも言えたボタ山も緑の山に変わっています。高性能の電車が行きかい、40年以上の時間の流れを強く感じました。

写真は、その当時SL撮影のメッカであった「冷水峠」での客1793列車、牽引機は直方機関区のD6032です。今回は冷水峠は通過しませんでしたが、暑い夏の日だった思い出がよみがえりました。

実の子や孫への継承を望んだ持統天皇

天武天皇の即位とともに、鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)は皇后となりますが、その経緯は以前に書きました。つまり本来なら皇后位に就けなかったのが、実姉である大田皇女が天武即位前に逝去されていましたので、「繰り上がり」したわけです。

天武との間には男子が一人いて、その名を草壁皇子と言いましたが、天武即位の年には11歳か12歳でした。19歳で立太子したとありますが、大田皇女の息子である大津皇子は1歳年下でした。これも世が世であれば、大津の方が皇太子になっていたかも知れません。

Photo 日本書紀には詳しい記述はありませんが、もしかしたらこの時「草壁」支持派と、「大津」支持派の対立が裏側ではあったのかもしれません。といいますのも、草壁は健康的にはあまり恵まれておらず、また有能さにおいて大津に及ばなかったとの説もあります。日本書紀にも、大津の優れた才能を記した記事があります。

この時期はまだ、皇位継承についての定まったルールはなかった時代ですので、どちらに皇位を継承するかという、つばぜり合いもあったのではないでしょうか。そんな中で鸕野皇后は、当然ながら実子である草壁の即位を願い、根回しを行っていたと考えるのが自然でしょう。

しかし、現実の状況は厳しいものがありました。天武天皇が薨去されたのは686年ですが、すぐに草壁が即位することはありませんでした。その年に草壁は重病の天皇から大権を委任されますが、大津もまた同等の権力を得ていたようです。

そのために、悲劇的な事件が起こります。すなわち、天皇崩御の翌月、大津皇子は謀反の疑いをかけられ処刑されてしまいます。表立っては書かれていませんが、この事件には皇后の意思が働いたと見るのが妥当でしょう。何としても我が子を天皇にという強い意志です。

しかし、なお草壁は即位できず、皇后が政務を担います(称制)。これはこれまでもあったことなのですが、やはり大津処刑への反発もあったと思われます。しかも、天皇崩御から3年後に草壁が病死してしまいます。天武の子息もまだ二人のほかに何人かいたわけですが、皇后は一足飛びに草壁の息子・軽皇子(のちの文武天皇)への継承を望みました。

しかし皇子はまだ幼少、そこで自身が即位することになるのですが、それは天武の崩御から3年以上も経っていました。軽皇子が成人するまでのつなぎという意識を持っていたと思われますが、持統天皇はもっと強い意志と権力を発揮するのです。

脳力開発は人間学であり行動科学です(100)

他人の利益もはかる姿勢をつくろう

精神的姿勢の3つめのポイントは、「他人の利益もはかる姿勢をつくろう」です。言い換えれば「自分も良し、他人も良し」の姿勢です。自分にも利益、プラスがあり、なおかつ他人や周りにも利益やプラスをもたらす思考・行動をとることです。反対は「自分だけ良しの姿勢」ですが、これをやめようとPhoto いうことでもあります。人間は多かれ少なかれ私欲を持っています。私欲をなくすことはできません。時には私欲が前向きのエネルギーを生むこともありますから。

 問題は私欲が強すぎて、自分の私欲に自分が支配されるような状況になってしまうことです。他人にも私欲がありますが、そのことを忘れてしまうのです。ぶつかり合いが生じてしまい、他人との協調ができなくなってしまうのです。「自分だけ良し」の姿勢が強まると、他人との協調が図りづらくなると言いましたが、そうなるとより大きな仕事、より良い仕事の推進にマイナスになります。なぜなら自分一人の力は知れていて、どうしても周囲の協力が欠かせないからです。

 つまり、広く協力を結集していくという仕事ですが、これは脳力発揮の中でもかなり高い水準の仕事であるといえます。これは一見するとリーダーの仕事のように見えますが、実はどういう立場でも必要なことなのです。脳力の無駄遣いと言ってもよいでしょう。ともかく、他人や周囲、社会の利益を図る気持ちをもって臨むことが肝要です。平凡なことですが、この原点を忘れてはならないのです。少し詳しく述べていくことにしましょう。

九州脳開はこれが最終のセミナーですが

10月に入ってすぐにスタートした九州遠征、それは「MG・脳力開発」の仲間と交流する旅とも言えます。1日の夜は、古い仲間である藤山さんと梶谷さんと3人で旧交を温めながら、MGと脳力開発を肴に美味しく交流した。

決して昔話や思い出話に花を咲かせただけではない。今感じていることをストレートに話し、これからに思いを馳せていました。自社の近未来についても話が及んだり、それはすごいなぁという話もいくつかありました。

極めつけは、今現在私が自分のフェイスブックページ(ヴァンガード経営研究所・企業研修)で書いている、MGへのこだわり話に、「あれって遺書ですね」と。言われて気が付いたのですが、確かにそうだなぁと、ようやくあのコラムの位置づけを自ら納得したり。

Photo さて、2日は博多で「脳力開発フォーラム・東の会」を企画していただきました。河合さん・小澤さんが呼びかけて下さって、これまで九州脳力開発セミナーに参加されるメンバーが集まりました。実は今回が最終のセミナーになりますので、脳力開発で学んだことや気づいたこと、ふだん自分がやっていることをざっくばらんに語り合うという会でした。

私も講師という立場ではなく、一人のMG・脳力開発を学ぶメンバーとして参加して、城野先生との出会いや、初めての講演の中で特に印象に残ったことを話すとともに、脳力開発を通じてどんなことを目指すのかをまとめた資料をお渡ししました。

様々なキーワードが出てきました。それぞれが大切な意味を持っていますし、「行動を変える」原動力になるものです。そして基本・土台となる習慣づくりにつながっていき、行動してこそ脳力開発であるという原点に至るものです。

さらには、「戦略とは何か」を知ること、あるいは「戦略と戦術を区別する」ことを経営にも落とし込んでいく、進歩発展をカタチにしていくことを学びのテーマとしていきましょう。

ではいよいよ今日から最終セミナーです。今日はまだ天候も良さそうで、美しい博多湾を眺めながら学びを深めて参りましょう。

久しぶりに筑豊電鉄線完全乗車しました

昨日から九州への遠征ですが、今年もまた台風の動きを気にしながらの旅になりそうです。ともあれ10月に入った最初の日からスタート、まずは新潟空港からANA便で福岡空港へ。出発時は晴れていて、佐渡や能登半島なども眼下に見えていましたが、小松上空からは雲が出てきて、機体はその雲の上を飛んでいきました。
 
福岡空港上空では小雨が窓に当たり始めました。これは1日傘の出番かなと思ったのですが、着陸時には小雨もやんで日が射し始める幸運。もっとも気温も上がって蒸し暑くなり、上着は脱いで持ち歩く羽目になりました。
まずは博多ラーメンを食べて、JR篠栗線(福北ゆたか線)の快速で直方へ。813系3両編成はパラパラ立つ人もある程度、数分遅れての到着でしたので、すぐの折り返し。停車駅では降りる人が多く、飯塚までにはほとんどが入れ替わり、直方で降りた中の半数はそのまま黒崎行きに乗り換え。

へいちく線の車両や、直方区に休む813系、817系、キハ31などを撮って下車。そこから筑豊電鉄の直方駅まで歩こうとしたのですが、案内図が橋上駅の2階にあったのをちらっと眺めただけで、駅前にも行先表示は見当たらず。

過去の記憶を頼りに歩き始め、と言っても何しろもう20年近く前になるので曖昧。それでも10分余り歩いて高架駅の筑豊直方に到着。以前よりも運転本数が削減されて(途中折り返しがあるので黒崎発はそこそこの本数)いて、相対ホームの片側はほとんど使っていない感じでした。

T_img_1863 土曜日の午後、乗車率は6~7割といったところ、短区間の乗車が多く駅ごとの入れ替わりも多く、通しの乗車はたぶん私だけだったかも。車両は路面電車でも、筑鉄自体は全線地方鉄道線ですので、閉塞や踏切、路線脇の表示もきちんとした鉄道並み。けっこう勾配が多く、それも20とか30(パーミル)が繰り返されました。

車内には「下車」のお知らせボタンがありません。軌道線とは違い、乗降客がなくても停留所にはダイヤ通り必ず停車します。ただし、乗降は路面電車と同じく後ろ乗り、下車時支払い前降りで、ICカードが使えますので今回はスイカでスイスイでした。

終点の黒崎まで途中19駅にこまめに停まり、36分間の乗り鉄旅を楽しみました。途中、新型の5000系にも導入された2本ともにすれ違いましたが、写真を撮る条件が悪く眺めたのみでした。またいつか、乗る機会もできるでしょう。

経常利益率で一喜一憂するのはやめませんか

年度決算期が3月末の企業は、9月の末が中間決算期になります。今月には早いところから中間決算の発表が、TVや新聞紙上を賑わすでしょう。その際に取り上げられる数値の一つが「利益率」ですが、主として経常利益率(または営業利益率)のことですね。

正確には「売上高経常(営業)利益率」のことですが、要するに経常利益なり営業利益なりを売上高で割ったもの(%)です。あなたの会社でも、毎月出される試算表にはこの数字がPhoto 出ているはずですし、決算期ごとに税理士事務所さんから渡される資料の中にもありますし、顧問の先生から「利益率がねぇ」なんて言われたこともあるでしょう。

ある企業を会社訪問したことがありますが、そこでは経営目標(年度目標)の中に利益率目標が明示されていて、社長室にもパネルに堂々と「目標経常利益率〇〇%」と大きく書かれていたのが、すごく印象的でした。しかも、その会社ではほぼ毎年、その目標を達成されていると聞いて「すごいなぁ」と感じたものでした。

まぁ、日本の会社の8割が赤字だと言われている昨今ですので、利益率が高いということは胸を張れることなのでしょう。でもね・・・と、アマノジャクの私は、すぐにイチャモンを付けたくなるのです。なぜならそんな数字、いくらでも作れるのですから。

いや、もちろんその会社が粉飾決算しているとか、そういう意味で言っているのではありませんよ。高額納税者としてしっかり税金も払っておられるのですから、文句のつけようもありません。でもね・・・と言っているわけです。

つまり、「利益」と称するものは引き算の答えにしか過ぎないってことを、言いたいわけなのです。損益計算書つまりピーエル(PL)の中に、「利益」と名前の付くものがいくつあるでしょうか。数えてみてください、通常は5つありますね。上から順に売上総利益、営業利益、経常利益、税引き前当期利益、当期利益(当期純利益)の5つです。

それって、上から順に引き算していくのですね。例えば営業利益は、売上総利益から販売費・一般管理費を引き算します。その営業利益から、営業外損益をプラスマイナスしたものが経常利益です。というように、みんな「引き算の答」でしょう。

何を引き算するのか、そこのところが適当に(とは言いませんが)調整できる、あるいは調整しているのです。その調整項目が妥当・正当であろうがなんであろうが、そんな引き算の答を売上高で割り算した数字に、一喜一憂するなんてアホらしい。

こんなことをあちこちで言うから、専門家の先生から目の敵にされるのでしょうね。でも、経営にとって必要な数字は「経常利益率」ではありません、これは断言できます。そんなものに振り回されずに、自社の数字を正確に見つめてみませんか。

大事なポイントはそこではありません、ということが言いたいだけなのですから。

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