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「最後の仕事」がSMAPだったという昔話です

SMAP年末解散の話題が、オリンピックの裏側で日本列島を揺らせています。何しろ五輪メダル獲得の次に、NHKのメインニュースで報道され、大臣までがそれに対するコメントを次々に出すくらいですから。海外でも各国でニュースが飛び交いました。

解散までの数ヶ月余り、おそらく色んな事実や憶測、そしてリアルタイムの話題から過去の歴史まで、様々な報道が連日のように為されるのでしょう。私自身は芸能ニュースなどにほとんど興味を示さないというか、表面的事実以外は知ることも少ないという人種ですが、SMAPについては少し書いてみます。

実はホンの少しですが、関わりがあったことがあるのです。彼らがデビューしたのは1988年の春ですが、その前ですから、まだ「スケートボーイズ」時代に会う機会があったのです。もう40年近く前のことですから、書いても大丈夫でしょう。

Smap その頃の私は、会社の中で宣伝・販売促進の部門の現場リーダー(副課長)をしており、87年の秋の組織変更で別部門の課長に配置転換になったのですが、年度途中の変更だったこともあって、半年間だけ従来の広告部門も兼任していたのです。

そんな時に次年度のCMキャラクターとして、広告会社から持ち込まれた案がスケートボーイズでした。それも、来春(すなわち1988年)にはその中の6人が新しいグループを結成するということで、CMに起用しないかという話だったのです。

話を聞きますと、メンバーは小中学生だとのこと。実際SMAPとしてのデビュー時は、中居君と木村君が15歳、稲垣君と森君が14歳、草彅君が13歳、そして香取君が11歳だったと記憶していますから、写真を見た時には「若えなぁ」という第一声でした。

それでも私たちの販売商品の、年代にはピッタリ合うということやデビュー前で契約料もさほどではないということで、決定しました。海のものとも山のものとも分からないという反対意見もありましたが、実のところ私もまさかこんなにビッグなグループになろうとは、もちろん思いもよりませんでした。

私自身は4月の定期異動で兼務を解かれ、新部門の専属になる予定が決まっていましたので、キャラクター決定までは立ち会いましたが、その後のCM撮影やポスターなどの撮影・制作には直接携わることはありませんでした。

でも、宣伝部門の仕事としての「最後の仕事」でかかわったのが、SMAPであったというのは確かな記憶として私の中に残っています。こんなカタチで彼らがバラバラになるのは、非常に残念でありますが、30年近くグループとして第一線に活躍し、教科書に載るような歌を含め、全世界に大きな夢を与え続けたことは素晴らしいと思います。

5人が、これからも大人のタレントとして、さらに大きく飛躍されることを祈っています。
(写真は版権の都合もありぼかしてありますので悪しからず)

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