« 第4回神戸キャッシュフロー・CFMGセミナー | トップページ | 脳力開発は人間学であり行動科学です(85) »

中大兄皇子は飛鳥から追われるように遷都した

前回のコラムではちょっと戦国時代末期にワープしましたが、また古代日本の7世紀後半に戻ることにいたします。中大兄皇子、いやそろそろ天智天皇とお呼びした方がいいのでしょうね。もっとも、なかなか即位をされなかったのです。そこで諸説が飛び交うことになります。

実母である称徳天皇が、遠征先の筑紫(行宮)で崩御されたのが661年。その前年に百済が新羅に滅ぼされ、ヤマトに人質として送られていた余豊璋(一説には中臣鎌足と同一人)がすぐに百済に送り返されます。そして、663年冬倭軍は白村江で惨敗します。

Photo この間ですが、皇太子・中大兄皇子はまだ即位をすることなく、そのままの地位で大王の役割を果たします。教科書にもこれを「称制(しょうせい)」と呼ぶと書いてありますが、これは太古の昔から今日まで二例しかありません。すなわち中大兄皇子と、鸕野皇后(のちの持統天皇)だけで、ごく特異な例となります。

それにしても、天智天皇即位は668年のことですから、称徳崩御から6年半もずっと即位されなかったことになります。白村江での大敗後の後始末が必要だったことは分かりますが、いったん飛鳥に戻られた際に、どうして即位されなかったのか不思議です。しかも、飛鳥に落ち着くことなく、近江大津京に遷都をされます。

うーん、どうしてなのかなぁ。

そこで推理の頭を働かせれば、即位「されなかった」のではなく、即位「できなかった」あるいは「させてもらえなかった」とならないでしょうか。となると、中大兄皇子は教科書で言うような英雄などではなく、とんでもない人物ではなかったのか。もしかしたら、当時の上層部つまり貴族や皇族層に嫌われていたのではないか。

そこはまぁ、何の根拠もない素人の仮説に過ぎませんが、案外当たっているのではないかと考えたりしています。そうでもなければ、前帝が亡くなられたらすぐに、少なくとも敗戦処理に目処が付いたら、その時点で即位されて然りでしょう。何しろ「英雄」であり、「時代を改革する」先進的考えをお持ちなのですから。

ところがそうでない、となると天智天皇となってもその基盤は揺らいでおり、それが壬申の乱という「天下分けめ」の大乱につながる要因になったのではと推察するところです。そして即位から僅か4年足らず(671年)で世を去られるのです。では次回はいよいよ壬申の乱に話を展開していきましょう。

« 第4回神戸キャッシュフロー・CFMGセミナー | トップページ | 脳力開発は人間学であり行動科学です(85) »

「歴史と人間」ひとりごと」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/107188/64038974

この記事へのトラックバック一覧です: 中大兄皇子は飛鳥から追われるように遷都した:

« 第4回神戸キャッシュフロー・CFMGセミナー | トップページ | 脳力開発は人間学であり行動科学です(85) »