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初めて『天皇』号を称したのは天武天皇らしい

672年の壬申の乱を経て、いよいよ大海人皇子は即位します。これが天武天皇ですが、天武という和風諡号は奈良時代に淡海三船によって撰進されたもので、和風諡号では「あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと」とおっしゃいます。

天智天皇とは同母兄弟とされ(天武が弟)ていますが、これにも諸説があって、異父兄であるという説も一方では有力です。母が皇極天皇であることは間違いないようですが、父は高向王で「漢皇子(あやのみこ)」が正しいとも言われています。

Photo 日本書紀には生年が書かれておらず、年齢の推定が難しく、その理由を天智の弟ではないことを隠すためというのが、異父兄説の1つの理由です。もっとも、書紀には生年を記していない天皇(大王)も少なくはなく、強い理由にはならないとの反対論も多いようです。

歴史学者ではない私などは、「天武は(天智の)兄である」という説に傾いているわけですが、乙巳の変の際に中大兄皇子が大海人皇子を仲間に引き入れていないのは、大海人皇子が幼少だったからだと論破されると、それに反対できる何も持たないわけです。ただ何となく、通説には従えないなと思うだけです。

さて「天下分け目の戦い」に勝利し、天武は近江京を廃墟にして飛鳥(島宮)に戻ります。即位されたのは673年で、そこは岡本宮だったといわれていますが、その両方の宮を合わせて飛鳥浄御原宮が造営されました(完成は天武の晩年)。

さて、天武天皇の皇后と言えば後の持統天皇、「うののさららのひめみこ」ですが、天智天皇の娘ですから、叔父(または伯父)と姪の関係にあります。当時はそういう近親婚は当たり前の時代でしたが、実はその姉である大田皇女が最初に嫁いでいます。その間の子が大津皇子であり、この後の悲劇を招くことになります。

一説に(というか書紀には)、天武と皇后(持統)との夫婦仲は非常に佳かったと言われていますが、果たして真相はどうであったのか、色々と事実をつなぎ合わせてみると、どうも疑問符が付いてくるのです。その辺りのことは次回以降に。

ホントに古代史はミステリアスです。

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