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犬伏の別れ、意思決定は揉めなかったか

ここのところ古代史を取り上げていましたが、今回だけですが歴史の歯車を巻いてみて、大河ドラマの「真田丸」を題材にしてみることにします。

「真田丸」の主人公は真田幸村ですが、彼が生前に「幸村」と名乗らなかったことは以前にも書いた通りで、またドラマにおいても「信繁」の名で通すような感じです(この先大坂の陣が近づくと分かりませんが)。

その信繁と兄の信幸(のちに信之と改名)とが、東西に分かれる場面はこれから少し後に出てくるわけですが、世に言う「犬伏の別れ」ですね。信幸は家康の養女(本多忠勝の娘)を正妻に迎えており、また信繁の正妻は大谷吉継の娘ですから、その縁でも東西への別れは当然だと考えられています。

20160209182946033 犬伏というところは現在栃木県の佐野市ですが、近くの小城に真田勢は陣を敷いていたそうです。西軍の石田三成挙兵の報せが家康の元(小山の陣)に届いた頃、ここにもおそらく同じ情報が伝わってきていたはずです。

しかし、吉継が三成に味方することに決めたタイミングは、三成挙兵から少し後ですし、吉継自身は東上するために軍を率いて敦賀を出ており、その途次に佐和山城に立ち寄って、再三の三成の説得によって味方する方に翻意しています。ですから、犬伏の密議の時点で岐阜がどちらに付いたのか、信繁は知っていたのでしょうか。

季節は7月ということですが、吉継が三成の元を訪ねたのが初旬、毛利輝元が西軍の総大将に担ぎ上げられたのが上旬、そして小山評定が20日過ぎですから、おそらく犬伏での真田兄弟は事実を全て知っていたでしょう。真田の忍びは非常に優秀だったそうですから。

しかし事実を知っても、意思決定は一家の存続にかかわる重大事ですし、当然そこには父の昌幸もいたわけです。だが、東西に別れる意思決定はすぐに出され、昌幸と信繁は夜陰に紛れて沼田を目指して戦線を離脱していきます。

となると、こういう事態になったらどうするかといった話し合いは、事前に為されていたと考える方が自然でありましょうね。だからこそ、三成が挙兵(することは早くから分かっていたでしょう)し、信繁の岐阜である吉継が味方に付くという事実が伝わると、真田親子はすぐに意思決定をしたに違いない、私はそのように考えます。

さて、大河ドラマのシナリオはどうなっているのでしょうか。前後の心の動きも含めて、注目したいところです。

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