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日本書紀は天武の正当性を主張してはいない?

さて、壬申の乱です。教科書的に書きますと、672年に起きた「乱」で、前年に薨去された天智天皇の後継者争いだということ。天智は皇大弟の大海人皇子に大臣の位を継がせず、息子である大友皇子を太政大臣にして後継者としました。これに反撥した大海人皇子はいったん吉野に逃れますが、兵を起こして近江京に攻め入り大友皇子を滅ぼした。

事実としてはそういうことなのでしょうが、かなり複雑な背景があるようで、これもまた古代史の謎の一つとして多くの説に彩られています。従来、日本書紀は大友皇子(弘文天皇)という天智の後継者を討滅させた、天武天皇(大海人皇子)の正当性を裏書きするために作られたとされてきました。

確かに天武天皇が、国史である日本書紀の編纂を命じたのは確かなことですが、果たして通説のような目的があったのかどうか、かなり疑問のあるところです。私なりの結論からいうと、「天武天皇のため」ではなく、また「持統天皇や文武天皇のため」でもない、もしかしたら藤原氏の都合のよいように編集されたのではないか。

Photo_2 まぁそれはそれとして、近江朝は、弘文天皇はなぜに自裁に追い込まれる敗北を喫してしまったのでしょうか。少なくとも、吉野に逃れた大海人皇子に大軍は付いていなかったし、吉野を出て伊勢神宮に詣でる頃になっても、まだ少数の味方しかなかったようです。

近江朝軍は徴兵権も握っていましたから、戦いに備えて兵を揃え、装備も万端にして待ち構えていたはずです。大海人皇子軍にも尾張の豪族が支援に付いたりし始めましたが、当時の近江朝軍は百済由来の最新装備を備え、正面からぶつかればおそらく圧倒的勝利を得たはずでした。

しかし、結果は私たちが知っている通りです。何が起こったか、それは裏切りです。ではなぜに裏切りが起こったのか、大友皇子に人望がなかったのか、確かに若い(24歳)後継者でしたが、決して力がなかったわけではないはずです。

やはり当時の政治情勢を、事実に基づいて把握する必要がありそうです。書紀に書いてあることが全て事実とは限りませんが、史料をしっかり読み取ることも必要です。

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