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初めて『天皇』号を称したのは天武天皇らしい

672年の壬申の乱を経て、いよいよ大海人皇子は即位します。これが天武天皇ですが、天武という和風諡号は奈良時代に淡海三船によって撰進されたもので、和風諡号では「あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと」とおっしゃいます。

天智天皇とは同母兄弟とされ(天武が弟)ていますが、これにも諸説があって、異父兄であるという説も一方では有力です。母が皇極天皇であることは間違いないようですが、父は高向王で「漢皇子(あやのみこ)」が正しいとも言われています。

Photo 日本書紀には生年が書かれておらず、年齢の推定が難しく、その理由を天智の弟ではないことを隠すためというのが、異父兄説の1つの理由です。もっとも、書紀には生年を記していない天皇(大王)も少なくはなく、強い理由にはならないとの反対論も多いようです。

歴史学者ではない私などは、「天武は(天智の)兄である」という説に傾いているわけですが、乙巳の変の際に中大兄皇子が大海人皇子を仲間に引き入れていないのは、大海人皇子が幼少だったからだと論破されると、それに反対できる何も持たないわけです。ただ何となく、通説には従えないなと思うだけです。

さて「天下分け目の戦い」に勝利し、天武は近江京を廃墟にして飛鳥(島宮)に戻ります。即位されたのは673年で、そこは岡本宮だったといわれていますが、その両方の宮を合わせて飛鳥浄御原宮が造営されました(完成は天武の晩年)。

さて、天武天皇の皇后と言えば後の持統天皇、「うののさららのひめみこ」ですが、天智天皇の娘ですから、叔父(または伯父)と姪の関係にあります。当時はそういう近親婚は当たり前の時代でしたが、実はその姉である大田皇女が最初に嫁いでいます。その間の子が大津皇子であり、この後の悲劇を招くことになります。

一説に(というか書紀には)、天武と皇后(持統)との夫婦仲は非常に佳かったと言われていますが、果たして真相はどうであったのか、色々と事実をつなぎ合わせてみると、どうも疑問符が付いてくるのです。その辺りのことは次回以降に。

ホントに古代史はミステリアスです。

脳力開発は人間学であり行動科学です(90)

 出発点(現状・現実)から到達点に向かって、実際に近づいていく行動こそが「人生」であることは、誰でも観念的には分かっていると思います。しかし実際面では、とくに思い通りに進んでいかない場合には、そのことを忘れがちです。思い通りに進まないのは自分の努力Photo が足りない、あるいは怠慢だったりするのに、その間違いを言い訳するかのように、自分以外のせいにしてしまっています。もしかしたら、そうやって自分を慰めているのかも知れません。

 言葉では自己革新・現状打破を唱えながら、しかし現実の努力は全部誰かにやってもらおうという「習い性」が、あなたの思考・行動に染みついてはいませんか。口では理想や目標を言っても自分では動かない、そのくせ自分の言う通りに動かない他人をけなす。それでは何も変わっていかないでしょう。自分は(会社という)組織の歯車にしか過ぎない、とおっしゃる方が少なくありません。自嘲的に唱えておられるようで、本当のところどう思っておられるのかはよく分かりません。組織の中では自分の思い通りにならないから、嘆いているのでしょうか。

 組織には特定のルールが存在し、制約事項や命令も山ほどあります。また自分とは「違う」他人が周囲に存在していますから、思い通りにならないのが当たり前とも言えます。それを「我慢するよりしょうがない」と、消極的に受け入れ自分を慰めています。そのくせ心の底では、もっと自分に(都合の)よい環境になっていれば、自分も能力を発揮できてどんどん良い仕事ができるのだけど、と思いつづけています。こういうのも人頼りの姿勢の典型で、毎日がますますつまらなくなるだけです。

社員教育は「・・・だけ」ではいけません

「教育は全ての業務に優先する」、これはMGの開発者・西順一郎さんが1984年に編著された本です(残念ながら絶版です)が、MGを初めて半年後にこの書に触れて意気を高めたものでした。まさに私自身が「人財づくりコンサルタント」を目指すきっかけ、出発点となった書でもありました。

現在までに多くの企業の社員教育のお手伝いをし、また経営者の皆さんへのアドバイスを重ねてきましたが、全く教育に無関心で何も手をつけない会社は別として、企業教育がうまくいかに例を大別すると次の2つに集約されます。

 1.社長(経営者)だけが熱心にセミナーに繰り返し通っている

 2.社員に教育は受けさせるが、社長(経営者)はそこに殆ど参加しない

1.の事例については、社長お一人が色んなセミナーや講演会に足を運ばれる。それはそれで悪くはないのですが、社員さんとの間に「心のすき間」ができてしまうことがあります。会社に戻る度に新しい情報をみんなに語る、それもいいのですが、「この間のセミナーに行って来た後とは違うなぁ」などとなっていては、お話になりません。

Img_2801 また、出かけれるセミナーや講演会は著名なコンサル会社主催や、著名な講演者である場合が多かったり、または成功事例やハウツウが主体になっているものに、主として目を向けられるようです。後者の場合は、それをそのまま自社に持ち込もうとしたり、あるいは自社にはとても無理だなぁと差を嘆く。

2.のケースも少なくない事例です。研修を受けるのは社員であって自分ではない、社員の成長を願ってやってるのだからいいではないというのが、たいていの言い分です。最初の内は感想を聞いたり、何を学んできたかのレポートなどを出させるのですが、それに対するレスポンスはないので、社員の方もいい加減にしか書かなくなる。

また、繰り返し研修を受けて向上成長した社員が、これまでにないような提言や企画を出してくると戸惑ってしまい、適切な受け答えができない。対応ができないままに放っておくと、社員さんの側は「なぁんだ」という気持ちになってしまう。時には、こんな会社にいては自分の力が発揮できないと見切りをつけてしまう。

つまり、どちらも「社長と社員の間が開いてしまう」事例です。1.は社長が社員さんを置き去りにしてしまう、2.は社員さんの方が社長や会社を見限ってしまう。とても不幸な事例です。

そうだろう、だから当社では私も殆どセミナーや講演会には行かないし、社員も研修には出さないのだとうそぶく社長に出会いました。アホかお前は!と怒鳴りつけたい気持ちを抑えて、そうですねと苦笑いをした私です。

西研MGでは、『上からやる、下からもやる、みんなでやる』を教育の基本にしています。あなたの会社はどうでしょうか。

長岡でのMGは今後とも続けて参ります

この27-28日、MGの開発者・西順一郎さんを迎えて、第32回長岡MGを開催しました。県内外、全国から42名の方が長岡の地に集まり、学びと交流の時間を過ごしています。2Img_2804 日目のプログラムが始まり、ただ今は西先生の「戦略会計」講義の時間です。

MGをまだ体験したことのない方のためにちょっとばかり解説しますと、MGの基本プログラムは2日間の経営のシミュレーションゲームです。300円の資本金を元手に、初日は3年間、2日目は2年間の経営を行います。しかも「社長」として、設備投資から人の採用、材料の仕入・製造、そして販売までを一人で行います。

さらには自分で考えて戦略投資や資金の借入なども行い、最後の決算まで手作業で行います。途中には経営計画の策定や、中間決算・損益分岐点のチェック、自己分析(ビジネスパワー)も行います。もちろん、講義の時間や、時には参加者による体験講話もあります。

そんな盛りだくさんの2日間ですが、初日の夜は基本・全員参加の交流会をやります。もちろんアルコール入りで、情報交流が中心ですが、MGを経営に活用している体験話、とくには相談事なども交わされます。MGの参加者はマインドがオープンですので、どんなことでも話してくれます。この時間はとっても貴重な時間です。

とにもかくにも、この2日間は非常に濃い時間が流れるのです。もちろんゲームですから、成績は最終的な自己資本額で評価されます。しかし単に上げればいいというのではなく、会社のカタチ(例えばBSで表されるもの)も良くなければなりません。

今年のMGは、私が新潟市に転居したもので、長岡開催はこれで最後にしようかと考えていました。しかし、交流会の場などで「ぜひ継続を」という声を多くかけていただき、来年も長岡で継続開催することを意思決定しました。

2017年の開催は8/26-27の土日、会場も同じアトリウムさんになる予定です。今後ともどうぞよろしくお願いします。

MGやったら次はMT、そしてOA大会を

MG(MQ戦略ゲーム)をやったら、次には必ずマイツール(MT)をやれ、というのが実践のホップ・ステップです。しかし残念なことに、MGをやってもMTを使おうとする人は100人1人くらいでしょうか。さらに会社経営や現場で活用している人は、その中の10%くらい?

これはとってももったいないことです。せっかくMGで「佳い会社づくり」を目指し、いざ会社で実践しようとしても「最適な道具(ツール)」を手にしていないと、宝の持ち腐れになります。

ではなぜマイツール(MT)なのか、理由はいくつかありますが、その最大のものは『MTは最良のリレーショナルデータベース』だからです。つまり、データを溜めておけば、それをいかようにも加工し活用できることにあります。

Img_2795 そんなこと他のソフト、例えばエクセルとかファイルメーカーなどでもできますねとおっしゃいます。その通りだと思います、できる人はできるでしょう。でも「だれでもできる」のか、というところで疑問符が付くのです。少なくとも私は使えません、やりたいことがやりたいようにはできないというのが、すごいストレスになるのです。

さて、MTをどう活用しているか、それを公開発表し情報交換する場がOA大会です。昨日は長岡でそのOA大会を開催しました。5名の方に、それぞれ自分が仕事などでやっている実例を発表していただきました。それも、実際の経営数字を公開して、その場で加工しながら進めていくのです。

そればかりではありません。参加している人たちが、自分だったらこんな風にやるとか、こちらのやり方の方がいいのではないか、その加工データからはこういうことも読み取れるのではないかなど、みんなが「ヤジ」を飛ばしてくれるのです。まさに共に学び、向上していくという実践です。

普通の研修や講習であれば、先生が実際例を元にハウツウを紹介してくれたり、あるいは発表事例に対して批評や「添削」を加えてくれるというのが一般的ですが、私たちのOA大会はその辺りが大きな違いです。『みんなでMG・MT』が私たちの目標です。

OA大会は社内研修としても効果はバツグンです。MGやって、さらにMTを導入してと考えておられましたら、お気軽に一声かけて下さい、ご指導にも参ります。

脳力開発は人間学であり行動科学です(89)

 人は誰でも、将来への目標、あるいは夢や理想を持っているはずです。そんなに大げさでなくても、ああしたいとかこうできたらいいなという、願いを持っています。時にはそれを口に出したり、紙に書いて見えるところに貼っておいたりします。ところがいつもそれがうまくいく、思い通りに叶えられるとは限りません。もしかしたら、願い通りに進むことの方が少ないということもあるでしょう。そういう場合に、うまくいかないのは現実の状況が自分の理想とあまりにも隔たりがあると嘆くでしょうか。

 自分の思い描く物事がうまくいかないのは、世の中が悪いせいだと愚痴をこぼしますか。Photo_3 自分は一所懸命やっているのに、周りがそれを認めてくれたり応援してくれないのがいかん」と、やけ酒でもあおってしまうのでしょうか。あるいはまたうまくいかないのを、「私はダメだ、自信がなくなった」としゅんとして、時には絶望的になってしまう人もいます。自分以外の他(人)のせいにするのもいけませんが、そこで自分を責めてみても落ち込むだけではらちがあきません。これも形を変えた人頼りです。

 理想と現実とは表と裏、真反対のものなのです。小さかろうが大きかろうが、理想と現実には最初から差があるものなのです。高い理想を描けば描くほど、その差は大きくなっていき、現実との隔たりは広がります。それを嘆いてみてもしょうがないではありませんか。現実とは、今自分が立っているところ、言い換えれば出発点です。理想というのは到達(目標)点です。出発点から到達点に向かって、実際に近づいていく行動こそが人生そのものです。そう、実際に自らが行動しなければ到達できないのです。

日本書紀は天武の正当性を主張してはいない?

さて、壬申の乱です。教科書的に書きますと、672年に起きた「乱」で、前年に薨去された天智天皇の後継者争いだということ。天智は皇大弟の大海人皇子に大臣の位を継がせず、息子である大友皇子を太政大臣にして後継者としました。これに反撥した大海人皇子はいったん吉野に逃れますが、兵を起こして近江京に攻め入り大友皇子を滅ぼした。

事実としてはそういうことなのでしょうが、かなり複雑な背景があるようで、これもまた古代史の謎の一つとして多くの説に彩られています。従来、日本書紀は大友皇子(弘文天皇)という天智の後継者を討滅させた、天武天皇(大海人皇子)の正当性を裏書きするために作られたとされてきました。

確かに天武天皇が、国史である日本書紀の編纂を命じたのは確かなことですが、果たして通説のような目的があったのかどうか、かなり疑問のあるところです。私なりの結論からいうと、「天武天皇のため」ではなく、また「持統天皇や文武天皇のため」でもない、もしかしたら藤原氏の都合のよいように編集されたのではないか。

Photo_2 まぁそれはそれとして、近江朝は、弘文天皇はなぜに自裁に追い込まれる敗北を喫してしまったのでしょうか。少なくとも、吉野に逃れた大海人皇子に大軍は付いていなかったし、吉野を出て伊勢神宮に詣でる頃になっても、まだ少数の味方しかなかったようです。

近江朝軍は徴兵権も握っていましたから、戦いに備えて兵を揃え、装備も万端にして待ち構えていたはずです。大海人皇子軍にも尾張の豪族が支援に付いたりし始めましたが、当時の近江朝軍は百済由来の最新装備を備え、正面からぶつかればおそらく圧倒的勝利を得たはずでした。

しかし、結果は私たちが知っている通りです。何が起こったか、それは裏切りです。ではなぜに裏切りが起こったのか、大友皇子に人望がなかったのか、確かに若い(24歳)後継者でしたが、決して力がなかったわけではないはずです。

やはり当時の政治情勢を、事実に基づいて把握する必要がありそうです。書紀に書いてあることが全て事実とは限りませんが、史料をしっかり読み取ることも必要です。

移動平均値をチェックしていますか?

毎月コンスタントな売上・利益のある会社でも、月によってバラツキがあります。俗に「にっぱち」と言いますが、今月8月などはお客様の動きも停滞するのでしょうか。2月の方は、新年商戦と新年度前商戦の狭間ですので、何となくそうかなとも思えます。

実は私のかつての会社は、8月の方は谷間の底のような感じでしたが、2月の方はピークの一歩手前と言ったイメージでした。実際には3月がピークで、そこである8月の売上だけを比べてみますと、何と25倍から30倍という凄まじいものでした。

こんな極端な会社は稀ではありますが、数倍から5倍くらいの振れ幅なら、多くの会社でもあるでしょう。こんな会社でも、月々の固定費(経費)の方はそれほど大きな差がなく、それが故に固定費と言われるわけです。

さて、私の会社ほど極端な季節変動ではなくても、上記のような振れ幅は存在するでしょうから、月次の管理をどのようにしたらよいのか、悩みも多いことでしょう。そこで指標として登場するのが、移動平均(MAV=ムーブ・アベレージ)、あるいは移動平均を12倍した移動年計といわれる数字です。Photo

私の会社では、毎月必ず移動平均あるいは移動年計を試算して、その動きを克明にチェックしていました。もちろん、その数値が常に上方に推移しておればいいのですが、ただそれだけでは足りません。少なくとも2つのMAV数値が必要です。

つまり、「12ヶ月MAV」(A)と「24ヶ月MAV」(B)です。
例えば、先月までの「12ヶ月MAV」は、2015年8月から2016年7月までの数値(売上など)を合計して12で割った数値になります。1ヶ月ずつ前後をずらせて計算するわけです。

「24ヶ月MAV」について言えば、2014年8月から2016年7月までの数値を合計して、こちらは24で割った数値です。この2つの毎月の数値を、グラフ化して比べてみるのです。AとBとの折れ線が並行してゆるやかに上昇していく、これが理想的ですが、実際には時々交差します。概してAの方が変動幅が大きく、Bの方がやや緩やかです。

Aの折れ線がBを上方に追い越す点をゴールデンクロスと呼び、逆にAがBを下方に追い越していく点をデッドクロスと言います。とくに後者には要注意です。デッドクロスを発見したら、すぐにでも手を打たなければなりません。この発見が現状把握です。

その次が原因究明と対策検討です。注意すべきは、いきなり対策すなわち戦術検討に入らぬことです。現状の把握、とりわけ事実をキチンとつかむこと、その事実が起こっている原因(条件ではない)を、正しくつかむことです。次はもちろんアクションですが、アクションを全社に徹底させるためにも、裏付けが欠かせないわけです。

脳力開発は人間学であり行動科学です(88)

 原因と条件とは似て非なるものです。うまくいかない要因を条件に求めるのは、人頼りの姿勢なのです。暖冬だから防寒着が売れない、大型店が近くにできたからウチが売れなくPhoto なった。公共事業が減ったから大幅に受注が減って、経営が苦しくなった。

 では原因と条件の区分けはどうしたら良いのでしょう。大まかに分けるとすれば、自分や自社の力で解決できる可能性のあるものが原因ですし、そうでないものはすべて条件です。上記の例のような、暖冬や大型店の進出、公共事業の減少はどうにもならないことでしょう。自らが解決できる可能性があるということは、それこそが原動力になるということです。言い換えれば、明日を切り拓く原動力は常に主体者(自分自身や自社)の中にあって、外部(条件)にはないのだということになるのです。

 では、あなた自身はどうなのでしょうか。私も実は、脳力開発に出会う前は極めて人頼り、何でも自分以外のせいにしてしまうような生き方でした。職場でも一緒に仕事をしたくない相手がいても、相手の方が変わってくれるのを待つばかりでした。つまり相手が悪いという考え方で、自分は悪くない、ゆえに自分を変える必要などちっとも考えないわけです。しかし相手が変わっていくわけもないので、こちらには不満が溜まり、自分のことは棚に上げて相手への文句と愚痴をたらたら言い続けるわけです。

 こういうのは、うまくいかない要因を自分以外の他のところに求めているわけですので、うまくいくはずはありません。結局何も改善や解決は進まず、それどころか下手をすると、さらに事態が悪化してしまうことになりかねません。

前言の修正はしませんが、バンザイ!

リオ五輪で、陸上競技トラック競技では88年ぶりの銀メダル、そう、男子400mリレーの歴史的快挙です。88年前のアムステルダムオリンピック、その時の銀メダリストは若くして亡くなった人見絹枝さん。男子では今回が史上初めての銀メダルでした。

先週18日のブログに、「陸上競技選手の脆弱さが気になってしょうがない」と書きました。14051820_1214764605241587_747917383 そうしたところこのメダル獲得、それも世界一のジャマイカに肉薄し、アメリカ(失格でしたが)をもかわした素晴らしいレースでした。痺れました、バトンパスも素晴らしかったですが、走者順も思惑通りの上に、4人それぞれが持ち味を発揮してくれました。

個人の100m予選や準決勝の時よりも、決勝に臨んだ顔には自信が溢れていました。明るい顔だった思いますが、おそらく予選でトップ(全体ではアメリカに次いで2位)でゴールしたことが、プラスに働いていたと思います。

しかも、バトンパスの際に予選時よりも僅かに早めにスタートするという、戦術変更のチャレンジを決めたとのこと。この勇気には、正直に脱帽です。しかも、若干ヒヤッとする場面もありましたが概ね成功でした。その結果が予選よりさらに記録を伸ばし、銀メダルを獲得する力になりました。

素晴らしい銀メダルでした、素直に心よりのおめでとうを申し上げます。

しかし、前言を取り上げたり修正する気はありません。指摘した問題点や課題は、これからも大きなポイントになるでしょう。第一に、今回も個人のトラック種目、フィールド種目はほぼ全滅でした。男子マラソンは残っていますが、50km競歩で銅メダルの荒井選手が唯一ということになるかも知れません。

ちなみに、88年前の人見絹枝さんは本来100m(と走り幅跳び)の選手でしたが、こちらは決勝は進めずに終わりました。そして800mに出場してメダルを獲得したのでした。当時とは状況が違いますが、短距離選手が中距離種目に出ることは、昨今ではおそらく考えられないでしょう。

レベルは大違いですが、高校時代の私は専門は400m・800mでしたが、大会では400mリレーメンバーでもありましたし、冬場は駅伝(3000m区間)を走っていました。インターハイでは走り幅跳びにも出場しましたが、そういう選手の起用などは今はしないのでしょうね。

どんな時でも支払いは早うせぇや!

「ウズク」という言葉を聞かれたことはありませんか。「ウズク」は「UZK」と書きます。ちなみには売掛(正確には売上債権)のこと、は在庫のこと、そしては買掛(正確には買入債務)のことです。この3つ、実はキャッシュフローすなわち資金繰りにもろに影響を与える要素です。

そして経営者にとってはこの3つの要素が、直接には会社の懐具合に、間接的には社長の気持ちや胃の調子に相当の影響を与え、まさに「ウズク」のです。しかし逆に言えば、この3つをキチンとコントロールできればさほど疼かないで済むのです。

UとZはやたらと増やさぬことです。減らせればそれに越したことはありませんが、企業の成長期や繁忙期のように売上の上がる時期には増えがちになります。そこで、経営者からは早く集金してくるようにとか、在庫を売り切るようにと指示が飛びます。

しかし、現場の部隊は売れ筋商品を切らすとは何事かと、在庫をしっかり積むように要求します。また売上には熱心ですが、集金には売上に向けるほどの熱意は示さないことが多いようです。とにかく売ればいいんだろうと、売上は確かに上がりますが、つれて売上債権とくに売掛金が増えていきます。高額の集金をしてきたかと思うと、それが手形だったり。

ある1ヶ月ということでこのUZKを捉えますと、必要キャッシュの増し分は、「売上債権の増加分」に「在庫の増加分」をプラスし、そこから「買入債務」の増加分をマイナスして求められます。UU+ZZ-KK=WWという計算式です。このWWが必要キャッシュの増し分になります(W:Working Capital)。

こういうと短絡的な経営者はすぐに、ならば買入債務の支払を可能な限り遅らせようと考えます。確かに計算上はそれが成り立ちますが、現実の経営ではどうでしょうか。自分の会社の売掛は早く回収(集金)しようとするでしょう。買入債務先、つまり仕入先だって同じ思考を持つのは当たり前です。

支払を遅らせる、あるいは長いサイト(期日)の手形を切る、一見有効な手段のように見えますが、そんなことが長続きできるはずはありません。いずれは支払わねばなりませんし、決済しなければいけないものです。ならば、むしろ早めに払ってしまいませんか。

Photo 「出入」と言います。出すのが先なのです。人間の呼吸もそうですね、吐く(呼)のが先で吸うのは後でしょう。深呼吸もまずは肺の末端の空気まで絞り出すと、新鮮な空気が一気に取り込まれて活性化します。支払だって同じことです。

思いきって支払は可能な限り早めにしましょう。もちろん手形を切るなんて言語道断です。故一倉定先生も「手形は悪や」とおっしゃいました。手形の怖さを実務の中で体験した私が言うのですから、間違いありません。

そんなことを言っても「会社が苦しいので」と言われるあなた、そんなに苦しくなったのは実は出し惜しみしてきた体質にある、経営者の資質にあると腹をくくって、銀行から借金してでも買入債務(K)をきれいにしましょう。

そうしたところ、思わぬ取引先から売掛残高全額の振込があったとか、新たなしかも支払条件の良い得意先ができた、あるいは仕入の条件が良くなった、そんな話は山ほどあります。ウソだろうなんて疑う前に、やってみてはいかがですか。
(写真はイメージ)

「最後の仕事」がSMAPだったという昔話です

SMAP年末解散の話題が、オリンピックの裏側で日本列島を揺らせています。何しろ五輪メダル獲得の次に、NHKのメインニュースで報道され、大臣までがそれに対するコメントを次々に出すくらいですから。海外でも各国でニュースが飛び交いました。

解散までの数ヶ月余り、おそらく色んな事実や憶測、そしてリアルタイムの話題から過去の歴史まで、様々な報道が連日のように為されるのでしょう。私自身は芸能ニュースなどにほとんど興味を示さないというか、表面的事実以外は知ることも少ないという人種ですが、SMAPについては少し書いてみます。

実はホンの少しですが、関わりがあったことがあるのです。彼らがデビューしたのは1988年の春ですが、その前ですから、まだ「スケートボーイズ」時代に会う機会があったのです。もう40年近く前のことですから、書いても大丈夫でしょう。

Smap その頃の私は、会社の中で宣伝・販売促進の部門の現場リーダー(副課長)をしており、87年の秋の組織変更で別部門の課長に配置転換になったのですが、年度途中の変更だったこともあって、半年間だけ従来の広告部門も兼任していたのです。

そんな時に次年度のCMキャラクターとして、広告会社から持ち込まれた案がスケートボーイズでした。それも、来春(すなわち1988年)にはその中の6人が新しいグループを結成するということで、CMに起用しないかという話だったのです。

話を聞きますと、メンバーは小中学生だとのこと。実際SMAPとしてのデビュー時は、中居君と木村君が15歳、稲垣君と森君が14歳、草彅君が13歳、そして香取君が11歳だったと記憶していますから、写真を見た時には「若えなぁ」という第一声でした。

それでも私たちの販売商品の、年代にはピッタリ合うということやデビュー前で契約料もさほどではないということで、決定しました。海のものとも山のものとも分からないという反対意見もありましたが、実のところ私もまさかこんなにビッグなグループになろうとは、もちろん思いもよりませんでした。

私自身は4月の定期異動で兼務を解かれ、新部門の専属になる予定が決まっていましたので、キャラクター決定までは立ち会いましたが、その後のCM撮影やポスターなどの撮影・制作には直接携わることはありませんでした。

でも、宣伝部門の仕事としての「最後の仕事」でかかわったのが、SMAPであったというのは確かな記憶として私の中に残っています。こんなカタチで彼らがバラバラになるのは、非常に残念でありますが、30年近くグループとして第一線に活躍し、教科書に載るような歌を含め、全世界に大きな夢を与え続けたことは素晴らしいと思います。

5人が、これからも大人のタレントとして、さらに大きく飛躍されることを祈っています。
(写真は版権の都合もありぼかしてありますので悪しからず)

脳力開発は人間学であり行動科学です(87)

 人頼りの姿勢と反対なのが「自分で主体的にやる姿勢」です。そうは言っても、何が何でも全部自分でするというわけではありません。個人の力だけではどうにもならないことの方が多いし、周囲の協力が必要なことは言うまでもありません。しかし、主体性や自ら努力するという積極的な心があってこそ、周囲の力を活用して、あるいは他人の力を借りて成果を出すこともできるのです。あくまで自分の努力が中心にあって、必死に考え行動するから、周囲も巻き込めるのだといえます。

201302  それに対して人頼りのままでは、すなわち脳力を使わないままでは周囲を巻き込むことはできず、両者の結果には決定的な差が生まれてきます。人間はどちらの姿勢でもとることができます。あなたは、どちらの姿勢をとっていきますか。

 さてここで、少し視点を変えてみましょう。それは「原因と条件」についてです。例えば商品の販売について、計画通りに販売が進まない時などに、私たちは「なぜなのか」という視点でいくつかの要因を探り出してきます。つまり、あらゆる現象結果については、通常であれば複数の要因(影響因子)がからんでいます。この因子の中の中心的なモノを「原因」あるいは「主因」と呼んでいますが、これらは必ず主体の内部にある因子なので、内因とも言います。

 言い換えれば内因こそが原因なのであって、それに対して、周囲にある他のすべての因子は「外因」であり、「条件」とも呼ぶモノです。こちらの方は副因であり、環境的な要素だったり外部要因であり、原因(主因)ではないということです。

陸上競技選手の脆弱さが気になってしょうがない

リオオリンピックも折り返し点を過ぎて後半戦、日本選手の快進撃がつづいています。前半戦は柔道と水泳陣の活躍が目立ち、またメダルには届かなくても期待以上の結果を残した競技もありました。

そんな中で寂しく感じるのは陸上競技です。私は学生時代に陸上競技、短・中距離をやっていましたので、残念な思いで結果を見つめています。正直言って世界レベルとの差が歴然、余りに離されすぎています。

考えてみますと、水泳にもそういう時期がありましたし、柔道ですら金メダルの取れないオリンピックがありました。しかし、いずれも選手強化に取り組み、今回のリオでは見事に成果が実を結んでいるように思えます。

陸上競技を見ておりますと、短距離種目についてはトップ選手との実力差が余りに顕著ですが、こういってはなんですが、人種的な体格・体質差があるのではないかと感じています。それを埋めるのは並大抵ではなく、もちろん精神力だの根性だのというのは、屁の突っ張りにもなりません。

投擲種目も、ハンマー投げややり投げで個人的にトップに並ぶ選手はいましたが、こちらは強化による可能性があるように感じています。残念ながら選手層が薄く、指導者にも恵まれていないのが現状です。

Hakoneekiden 可能性が大きな種目はやはり中・長距離です。もっとも、最近はアフリカ勢による高速レースかで、一気に引き離されてしまう例がほとんどで、体力、持久力と共に脚力の強化が不可欠でしょう。

ただここには大きな問題が横たわっています。それは駅伝です。駅伝は日本独自の陸上競技種目で、近年はEKIDENとして外国選手の参加も増えていますが、この駅伝の存在が中・長距離選手のオリンピック種目における進歩向上を妨げているのではいう、議論も存在します。

駅伝、中でも箱根駅伝は元来、オリンピックに通用する長距離ランナーを育てることが目的でした。箱根駅伝の産みの親である金栗四三翁は、その夢を実現させるために学生選手層の強化を念頭に、このレースを提唱し実現させました。

それが今、日本陸上の中・長距離界の足かせになっている、私も実に同感です。世界に通じる、オリンピックに勝てる選手を育てることが本来の目的のはずなのに、箱根駅伝に勝つことが目的になってしまっている。

結果として、関東の大学に有力選手が集中する傾向があり、箱根駅伝を目指す練習に明け暮れる。ただでさえロードとトラックとの差があり、練習も違ってきます。駅伝の有力選手が片手間にトラック競技をやっている現状では、オリンピックで好成績をとることなど夢のまた夢です。

さらに、長距離選手は駅伝という華やかな舞台がありますが、短距離や投擲、あるいは跳躍の選手にはそういう舞台が少ないのです。それが故でもありませんが、競技人口が減っているといわれています。そんな中で、オリンピックに向けて選手強化を図る、東京まではあと4年しかありません。いったい、どうする気なのでしょう、日本陸連は。

大海人皇子は本当に天智の弟なのか

JR西日本・湖西線は、東海道本線山科駅を起点に北陸本線の近江塩津駅まで、琵琶湖の西岸を走る路線で、関西から北陸への短絡線となっています。その最初の駅が大津京駅ですが、もちろん天智天皇の京城に因んで、開業時の西大津駅から改称されました。

ところでこの大津京という名、日本書紀には出て来ません。書紀の中では「近江京」と書かれていて、大津京という名は明治以降に研究者が名付けたものとされています。天智天皇の在位時代はもちろん単に「京(みやこ)」と呼ばれていたでしょうし、日本最初の律令とされるものは「近江令」というものです。

それはともかくとして、この都は僅か5年で廃都になってしまいます。667年の遷都から、壬申の乱において大友皇子(弘文天皇)が自裁されて、大海人皇子が飛鳥に戻られるとともに、都としての機能は自然になくなります。

Photo この地に都が遷されたのは、白村江の戦いで敗れたあとで唐・新羅からの攻勢を防ぐためとも言われていますが、それならもっと東へ遷した方がいいのではと思ってしまいます。表向きにはそういう理由だったのでしょうが、本音は天智外交への反対派や、飛鳥に厳然として残る蘇我氏や旧来の豪族の影響を避けたのでしょうね。

さて、671年に天智天皇が崩御しますが、その前に大海人皇子は主な家族や郎党と共に飛鳥を超えて、吉野へ居を移してしまいます。かつての教科書には大海人皇子は、皇大弟として天智の後継者であったと書かれていましたが、当時はまだ皇太子とかいうような、王位継承の明確な規程はありませんでした。

しかしハッキリしていることは、天智の後を継いだ大友皇子は、少なくとも通常では後継者には慣れない立場だったと言われています。ただそれが天智のごり押しだったのかどうかということは、不明な点も多いわけですし、不可能を可能にすれば揉めることは自明の理だったわけですから、さすがの天智もそこまではやらかったと見ています。

だが現実に近江京の主は大友皇子になりましたし、それに反対する勢力は大海人皇子を担ぐことになったはずです。では大海人皇子は、本当に天智の弟(しかも同じ皇極天皇の出生)だったのでしょうか。これにも多くの異説があり、最近では「むしろ兄であった」説の方が有力になっています。

そんな深いことは私には分かりませんが、壬申の乱が教科書的な単なる王位の争いではなく、実は天下分け目の戦いであったし、そこにはもしかしたら壮絶な「女の闘い」があったのではないかと推察されるものです。

ところで『琵琶湖周航の歌』には、この近江京は「志賀の都」として、一番の歌詞に出てきますね。

脳力開発は人間学であり行動科学です(86)

 前回の事例のようなことは、多かれ少なかれあなたの職場でもありませんか。あなた自身がそういう類の人間で、上司の無理解を嘆いていたり、不平不満を口にし、さらにはそんな上司を馬鹿にするようなことを言ったりしてはいないでしょうか。事はいつでも何でも他人次第、相手次第。そんな心構えになっていると、主体性や能動性が自分にはないということにPhoto なります。相手が動くことに期待している、言い換えれば相手の主体性や能動性に期待して、待ち続けているわけです。

 自分では気が付かずに「他(人)に頼っている」という働きを、あなたの脳はやっているわけです。知らず知らずの内にそうなっている、これが「人頼りの姿勢」の怖いところです。本当にうまくいかないのは、人のせいなのでしょうか。人頼りの姿勢に気が付いていない人は、実に非常に多くの人が無意識に(無自覚に)そうなっているのですが、本来自分が持っているはずの脳力を活かせない状態にあります。少なくとも、自分の脳(力)を真剣に使いこなすことにはなっていません。

 人頼りとは反対の、「自分で主体的にやる姿勢」を基本的姿勢としている人、それが土台的習慣になっている人は、いつでもどんな時にでも自らの努力を中心に進めていくことができます。他人には頼らずとも、自分の力で壁を突破していけるのです。だから、持っているはずの脳力を目一杯使おうと努力し、能動的に動いていきますから、相手もまたそれに真剣に対応してくれるようになり、結果として自分の目標とすることに近づいていけるのです。そして良い結果を得ることになるのです。
(写真はニュース映像より転載・本文とは直接関係ありません)

今日は敗戦の日だということを心に銘記する

今日は何の日? 答えられない日本人が年々増加しているという。家庭の中でそれを伝える人がほとんどいなくなったし、学校でも歴史教育の中で正しく教えていない(ようだ)。

終戦記念日となっている。でもこの表現はおかしいと思う、記念日という言い方に違和感を感じてしまうからだ。「終戦の日」あるいは、「敗戦の日」というのが正しいのではないか。その時からもう71年も経ってしまった。今日が何の日であるのかが分からない日本人、これ以上増やしてはならないと思う。

私は戦後6年経って産まれた。1951年、昭和26年はまだ「戦後」であった。私の幼い記憶の中でも、まだ戦後の光景がくっきりと残っている。大阪城の周辺のあった軍事工場群の焼け落ちたままの錆びた鉄骨姿、白い箱を首から提げた傷痍軍人(偽物もいたらしい)、闇市の名残が残ったバラック群。

私の父も戦後すぐには日本に戻って来られなかった。ハッキリとは話してくれなかったが、内モンゴル方面に出征していたらしく、そのままソ連軍に捕まり、シベリアに抑留されていたということだ。辛酸をなめ、ようやく帰国したのは戦後3年を経てからだった。昨年亡くなった母は、大阪空襲のことを時々話してくれた。

そんな中で生まれ育ったので、私には戦争は直接体験こそなかったが、決して遠い出来事Photo ではなかった。街中の防空壕は取り払われてきていたが、友人の家の庭にはまだ入口が塞がれて残っていた。入学した高校の校舎には機銃掃射の銃弾痕があり、屋上に爆弾が落ちた痕があって、死者も出たと聞かされた。

しかし、私自身も振り返ってみれば、そんな記憶の中の事実を娘に伝えることはなかった。話したところで、娘には「歴史の中の1ページ」ですらないだろうな。だからこそ、学校教育の中でしっかり伝えてくれることに期待するのだ。歴史の第1時間目は「敗戦」の事実だと思うのだ。

戦争反対を叫ぶ人がいる、もちろん私も大賛成だ、異議はない。しかし、8月15日以前の日本人が「罪を犯した」的な言い方には賛同できない。もしそうだったとしたら、私の父も罪人なのかと問いかけたくなる。そう言うあなたの父親や、その父親はどうだったのだ?

戦争法案だという、もしかしたらそうなのかもと考えたりする。法は為政者によってどのようにでも解釈、運用されることはこれまでの歴史が物語っている。確かなことは、私たちは私たちの手でこの国を護らなければならないということだ。敗戦から学んだことは、それではなかったのか。

平和憲法もその手段の一つだった。国を護るという大きな目的のための、手段の一つに過ぎない。だから変えてもいいとは言わない。現憲法を守り続けながら、国を護っていくことも可能なはずだ。知恵を働かせ、行動していくことだ。

敗戦の日に、思うところを書いた。

「2/6/2の原則」を活かした社員教育とは

各地で講座やセミナーの開催・運営をしていますが、本業はあくまで経営のコンサルティング&サポートです。専門というわけではありませんが、『人財づくり』、すなわち企業の役立つ人材を育てることをテーマとしています。

数百人の社員を抱える企業から数人の小さな会社まで、規模や業種業態は様々ですが、共通していることが二つあります。その一つはどの企業にも程度の差はありますが、「2/6/2の原則」が当てはまるということ、そしてもう一つは経営者の教育に対する熱気が成果を左右するということです。

後者についてはまた、別の機会に触れることにして、今日は「2/6/2の原則」について書いていくことにします。この原則は企業だけではなく、サークルや任意団体なども含め、あらゆる組織に当てはまります。ここでは企業・会社を念頭に書いていきます。

「2/6/2の原則」とは、会社の中には「よく働き、生産性も上がる優秀な人材」が2割、「普通に働き、生産性はそこそこという人材」が6割、「パッとせず、生産性も上がらず劣等な人材」が2割存在するという原則、法則です。

262 私は、①自ら考え行動して成果を出せる社員が2割、②周りから言われてもなかなか動かず成果も余り上がらない社員が2割、③その他の社員が6割と考えています。そして③の社員は、①か②の社員に引っ張られることが多く、そちらの大勢に影響されると。

またこんな風にも分析しています。一方は自分で自分に火を点けて燃えられる社員、もう一方には火を点けられてもくすぶって燃えない社員がいる。その中間にはどっちつかずの、火を点けられるとそれなりに燃えることもあるが、消えかかると再点火しない社員がウロウロしている。

会社の成長発展には、もちろん①の2割社員が重要な役割ですが、中間のウロウロ層をいかに上方に引き上げることができるかがカギになります。社員教育も、そこのところに力点を置くことになるのも当然です。

では、下方の2割は切り捨てた方が良いのでしょうか。その答は否です。経営者の中には、安易に切り捨てる道を選ばれる方がいらっしゃいます。その方が良い社員と普通の社員が残るからいいのではないかと。ところが不思議なもので、、残った8割の社員がちゃんとまた「2/6/2の原則」に基づいて分かれてくれるのです。

実は下方の2割社員(人罪などと呼んでは失礼です)も、ちゃんと役割があり、相応の力をもっていると考えた方が良いのです。要は活用の仕方、彼らの特性を知って立場や役割を与えて的確な評価をしてやれば、中間の6割以上の働きをしてくれるものです。

私は、社員研修ではそちらの面にむしろ力を込めてやります。実は、私自身がかつて下方の2割社員でしたので、そこのところがよく分かるのです。変化に対応できる人材が、企業にとっては不可欠であるといわれますが、意外にもその層に見出すことができるものです。

常識に馴染まない、組織からはみ出す、そんな社員にも目を向けて見ませんか。みんな、あなたの会社の大切な戦力社員ですから。

ホームページをリニューアルしました

残暑お見舞い申し上げます。長期予報で覚悟はしていましたが、ホントに暑い夏ですね。まだしばらくは猛暑がつづくようですので、皆さまご自愛のほど。

今年から8月11日が祝日(山の日)になり、お盆休みが増えたという会社も多いようです。個人事業の私の場合は何にも変わりがないのですが、それでも街中に県外ナンバーの車が増えてくるのを見ると、夏休みなんだなと実感します。

T_img_2766 さて、そんな中でヴァンガード経営研究所のホームページ(HP)を一新しました。久々のリニューアルで、早速色んな方から「見やすくなった」などのメッセージをいただきました。

これまでのHPは手作りにこだわり、市販の制作ソフトを使ってコツコツとやっていましたが、さすがにそれではページづくりやコンテンツの持ち方に限界があり(能力的に)、また仕事の合間を縫っての更新にも限界がありました。せっかくセミナーなどの案内をしても、申込が直接できない状況が続いていました。

手作りも佳いけれど、この際はプロの手を借りようという意思決定をして、一緒にMGを学んでいる仲間にお願いして、力を貸してもらいました。スタッフが女性ですので、私とは違う感覚での構成や画面デザインにしていただき、何より見やすくなりました。

まだまだ旧来のコンテンツを引きずっているコピーなどもあって、これから少しずつ更新していく予定ですし、セミナー情報などはタイムリーにアップして参ります。もちろん、HPから直接申込やお問い合わせもできるようになりましたので、ご活用下さい。

そう言えば写真も少し以前のものが多いし、まだまだ少ないので、より見やすくしていきますのでよろしくお願いします。まずは、ご覧いただければありがたいです。
http://www.vanken.jp/

脳力開発は人間学であり行動科学です(85)

 ところで当たり前のことなのですが、自分の脳(細胞)は自分でしか使えません。ということは、自分の脳力は自分だけがコントロールできるわけで、他人にはどうにもならないわけですし、他人は何もしてくれないということです。それなのに、うまくいかないことを他人や世間Photo_2 (世の中が悪い)のせいにしたりするのは、おかしなことですよね。あるいは、誰かがやってくれることを待ち続けたとしても、結局のところ待ちぼうけになってしまうだけに終わるでしょう。

 自分の基礎習慣(土台)づくりは自分自身でやる以外に道はないということです。何しろそれが脳の法則なのですから、好むと好まざるとに関わらず、です。まずはこのことを、しっかりと自分の腹に落とし込んでいておいて欲しいのです。自分以外の誰かがやってくれないかと、自分自身は何もせずにただ待ち続けている。ここでいう自分以外の誰かとは他人さん(他の人間)というだけではなく、例えば政府(が悪い)とか世の中が・・・という類も含まれます。

 相手や周囲がやってくれなければ、誰かがやってくれないかなぁ。相手が変わってくれればいいんだけどなぁ、などなど、とにかく一から十まで人頼りです。でも相手や周囲は何もやってくれないから、本人はもう諦め状態です。例えばこんなことがありませんか。自分は色んなアイディアを出したり、新しい企画書を出しているのに、部長や課長は全然取り上げてくれない。あいつらには僕の良いプランが理解できないらしい、ホントに頭が固くてどうにもならない、と。

中大兄皇子は飛鳥から追われるように遷都した

前回のコラムではちょっと戦国時代末期にワープしましたが、また古代日本の7世紀後半に戻ることにいたします。中大兄皇子、いやそろそろ天智天皇とお呼びした方がいいのでしょうね。もっとも、なかなか即位をされなかったのです。そこで諸説が飛び交うことになります。

実母である称徳天皇が、遠征先の筑紫(行宮)で崩御されたのが661年。その前年に百済が新羅に滅ぼされ、ヤマトに人質として送られていた余豊璋(一説には中臣鎌足と同一人)がすぐに百済に送り返されます。そして、663年冬倭軍は白村江で惨敗します。

Photo この間ですが、皇太子・中大兄皇子はまだ即位をすることなく、そのままの地位で大王の役割を果たします。教科書にもこれを「称制(しょうせい)」と呼ぶと書いてありますが、これは太古の昔から今日まで二例しかありません。すなわち中大兄皇子と、鸕野皇后(のちの持統天皇)だけで、ごく特異な例となります。

それにしても、天智天皇即位は668年のことですから、称徳崩御から6年半もずっと即位されなかったことになります。白村江での大敗後の後始末が必要だったことは分かりますが、いったん飛鳥に戻られた際に、どうして即位されなかったのか不思議です。しかも、飛鳥に落ち着くことなく、近江大津京に遷都をされます。

うーん、どうしてなのかなぁ。

そこで推理の頭を働かせれば、即位「されなかった」のではなく、即位「できなかった」あるいは「させてもらえなかった」とならないでしょうか。となると、中大兄皇子は教科書で言うような英雄などではなく、とんでもない人物ではなかったのか。もしかしたら、当時の上層部つまり貴族や皇族層に嫌われていたのではないか。

そこはまぁ、何の根拠もない素人の仮説に過ぎませんが、案外当たっているのではないかと考えたりしています。そうでもなければ、前帝が亡くなられたらすぐに、少なくとも敗戦処理に目処が付いたら、その時点で即位されて然りでしょう。何しろ「英雄」であり、「時代を改革する」先進的考えをお持ちなのですから。

ところがそうでない、となると天智天皇となってもその基盤は揺らいでおり、それが壬申の乱という「天下分けめ」の大乱につながる要因になったのではと推察するところです。そして即位から僅か4年足らず(671年)で世を去られるのです。では次回はいよいよ壬申の乱に話を展開していきましょう。

第4回神戸キャッシュフロー・CFMGセミナー

猛烈な暑さが続く神戸の街、6日の夜には神戸港の花火大会も催され、たくさんの花火見物客で盛り上がっていました。そんな中で、第4回・神戸キャッシュフロー・CFMGセミナーを、ビーラブカンパニーさんで開催(8/6-7)しました。

今年は3回開催の予定で、前回が4月、そして次は年末の12月となっています。今回の参加は11名(2卓)でしたが、全員がMGの体験者(CFMG未体験者は3名)でしたので、進行も早く講義時間もフルにとることができました。

上場企業では公開する決算書(財務諸表)に、必ずキャッシュフロー(CF)決算書を付けることが義務づけられています。その他の企業、なかんずく小さな会社でも税理士さんに決Img_2749 算業務をお願いすれば、ちゃんとCF決算書を作成していただけます。他の諸表もそうですが、そこに何を読み取るかが重要なポイントです。

ところであなたの会社では、こんなことはありませんか。損益計算書(PL)ではちゃんと利益が出ているのに、なぜか毎月支払日が近づくとやり繰りに苦労する。時には支払いするお金が足りなくなりそうで、銀行に借り入れを申し込んでいる。「利益が出ているのになぜ?」と首を傾げる。

黒字の会社でも行き詰まってしまう例もあります。決算書上利益を計上していても、現預金がマイナスになってしまうとアウトです。これが黒字倒産です。

こういう状態、キャッシュという企業の血液が滞る、つまり人間の体に例えると動脈硬化のような状態にならないように、しっかり目配りするためには正しいキャッシュフローの知識と対応策とが必要です。キャッシュフローMGでは、売掛や買掛のある経営を疑似体験し、いかにすればよいかを行入で身につけていくのです。

通常のMGでもキャッシュの重要性は学べますが、よりリアルな経営に近いCFMGなら、さらに集金(売上の回収)や、ムダな在庫を持たないことの重要性に気付くでしょう。

来月9月は東京での開催、10月は伊勢市で、11月は再び東京で、さらに12月は神戸で開催します。間もなく、ヴァンガード経営研究所のホームページをリニューアルして、そちらからもセミナー参加お申込が可能となります。

ぜひ一度、CFMGセミナーにいらっしゃいませんか。

脳力開発は人間学であり行動科学です(84)

 今日からしばらくは、脳力開発の土台づくり、まずは「精神的姿勢の確立」についての話です。これには3つの大きな項目があります。まずは「自分で主体的にやる姿勢をつくろう」、次に「いつも進歩発展をめざす姿勢をつくろう」、そして「他人の利益もはかる姿勢をつくろう」の3つです。前回も、必ず反対面も考える、つまり両面思考でとらえていこうという話201302 をしましたが、ここからはすべてその流れになります。第一の項目「自分で主体的にやる姿勢をつくろう」の反対面は、「人頼りの姿勢」(をやめよう)ということになります。

 では「人頼りの姿勢」とはどういうことでしょうか。一言で言えば、自分ではない他者に原因を求めていく姿勢のことです。他者とは他人であったり、自分を取り巻く環境や条件であったりします。例えば、世の中が悪いと嘆くような姿勢も含まれます。「人頼りの姿勢」をもう少し具体的に見ていきましょう。いつも他の誰かがやってくれるのを待っている、というより誰かがやってくれるのが当たり前だという気持ちが強い。上司は部下が悪いと言い、部下は課長や部長が言うことを聞いてくれないと嘆いています。

 企業経営者は我が社には人材が来ないと愚痴を言い、売上が減ったのは政府の政策が悪いからだとか、大型店ができてお客様をとられたと腹を立てています。いくら嘆いてみても何も変わってこないから、ますます不平不満が募っていくという流れです。ではその結果、どうなるのでしょう。結論から言えばどうにもなりません。周囲や他人はますます自分の思うようにならなくなり、自分はさらに自分の望まない方に流されていくのです。よって愚痴や文句、不平が増えていくだけの状態に陥ります。

あなたの会社は大丈夫ですよね

先日、大きな会社は「意思決定に時間がかかる」ということを書きましたが、これについては訂正をさせていただきます。「大企業の一部には、今以て昔ながらに意思決定に時間がかかる会社がある」というのが、正解です。

実は、最近の大企業は以前に比べると格段に意思決定が速くなりました。役所のように、印鑑の数がまだ多いというところもありますが、それでも遅々として進まずということはありません。それだけ現場に権限が落とし込まれている、証左であるとも言えます。

小さい会社の方が遅い、これはひとえに経営者の判断に迷いがあったり、そもそも進むべき方向(すなわち戦略)が曖昧あるいは皆無であるとかに因るようです。会社の進むべき方向や戦略目標が明確であれば、それに照らし合わせて即断ができるはずです。迷うことなどあろうはずがありません。

そういいますと、いや我が社にもちゃんと経営理念があり、毎朝みんなで唱和していますと反論された社長がいらっしゃいました。そこで早速会社を訪ねていきました。始業時刻の30分くらい前でしたので、出勤されている社員の数もまだまばらです。玄関先に立ちましても、どなたも「いらっしゃいませ」と言われません。

「おはようございます」と声をかけますと、少し年配の男性社員の方が「なんですか」と言わんばかりの姿勢で、立ち上がってこられました。名刺を出して、社長さんは来られていますかと尋ねますと、もうすぐ来るはずだとのこと。上がってお待ち下さい、という言葉は出て来ません。

Photo 少し遅れて出勤してこられた女性社員の方が、ようやく「上がってお待ち下さい」と言ってくれ、スリッパを揃えて出してくれました。応接室に通されましたら、なるほど経営理念が立派なパネルになって、飾られていました。事務所には大きなパネルとして、壁に掛かっています。

もっとも書かれていたのは、どこかで聞いたような、見てきたことがあるような二字熟語が三つ並んだものでした。そのなかに「迅速」という文字もあり、ありゃりゃと思ってしまった次第です。何しろ社員教育の企画案・プログラムをお出しして、もう1ヶ月以上も経っていて、何の返事もないのですから。(写真は本文とは無関係です)

社長が出社されたら、開口一番に「実践できてませんね」と言おうかと思ったくらいです。お茶を出してくれた女性に、経営理念を朝礼で唱和しているのですかと尋ねました。「社長朝礼の時には必ず」という返事。ということは、社長不在の時にはやっていない?

ちなみに社長が出社されたのは、ほぼ全社員が顔を揃えた、始業2分前くらいでした。そして、朝礼での理念唱和はありましたが、この日も企画書への回答(確答)はいただけませんでした。

犬伏の別れ、意思決定は揉めなかったか

ここのところ古代史を取り上げていましたが、今回だけですが歴史の歯車を巻いてみて、大河ドラマの「真田丸」を題材にしてみることにします。

「真田丸」の主人公は真田幸村ですが、彼が生前に「幸村」と名乗らなかったことは以前にも書いた通りで、またドラマにおいても「信繁」の名で通すような感じです(この先大坂の陣が近づくと分かりませんが)。

その信繁と兄の信幸(のちに信之と改名)とが、東西に分かれる場面はこれから少し後に出てくるわけですが、世に言う「犬伏の別れ」ですね。信幸は家康の養女(本多忠勝の娘)を正妻に迎えており、また信繁の正妻は大谷吉継の娘ですから、その縁でも東西への別れは当然だと考えられています。

20160209182946033 犬伏というところは現在栃木県の佐野市ですが、近くの小城に真田勢は陣を敷いていたそうです。西軍の石田三成挙兵の報せが家康の元(小山の陣)に届いた頃、ここにもおそらく同じ情報が伝わってきていたはずです。

しかし、吉継が三成に味方することに決めたタイミングは、三成挙兵から少し後ですし、吉継自身は東上するために軍を率いて敦賀を出ており、その途次に佐和山城に立ち寄って、再三の三成の説得によって味方する方に翻意しています。ですから、犬伏の密議の時点で岐阜がどちらに付いたのか、信繁は知っていたのでしょうか。

季節は7月ということですが、吉継が三成の元を訪ねたのが初旬、毛利輝元が西軍の総大将に担ぎ上げられたのが上旬、そして小山評定が20日過ぎですから、おそらく犬伏での真田兄弟は事実を全て知っていたでしょう。真田の忍びは非常に優秀だったそうですから。

しかし事実を知っても、意思決定は一家の存続にかかわる重大事ですし、当然そこには父の昌幸もいたわけです。だが、東西に別れる意思決定はすぐに出され、昌幸と信繁は夜陰に紛れて沼田を目指して戦線を離脱していきます。

となると、こういう事態になったらどうするかといった話し合いは、事前に為されていたと考える方が自然でありましょうね。だからこそ、三成が挙兵(することは早くから分かっていたでしょう)し、信繁の岐阜である吉継が味方に付くという事実が伝わると、真田親子はすぐに意思決定をしたに違いない、私はそのように考えます。

さて、大河ドラマのシナリオはどうなっているのでしょうか。前後の心の動きも含めて、注目したいところです。

熊本市電は新旧車両共に健在でした

路面電車の復権が叫ばれ始めたのは、私の記憶ではもう40年以上も前のことだと思います。ローカルの、当時の国鉄と市内中心や近隣の町、あるいは観光地を結ぶ路面電車は、すでに地域交通としては見放されて撤退していた。

そして都会地では道路交通の逼迫、それは車すなわちトラックや自家用車の急増による交通渋滞が、最も大きな要因でありました。つまり路面電車は道路の邪魔者であり、撤去の対象であったわけです。車がスムースに走るために、線路の上の大きな車両は自由が利かないが故に不要であり、なくなれば交通状態は改善される。

東京から、横浜から、名古屋から、京都から、大阪から、神戸から、そして福岡など全国多くの街中から、「都電・市電」と親しまれた路面電車のほとんどが消えていきました。ですが、それで道路交通は改善され、渋滞や事故は減り、便利になったでしょうか。寡聞にして、飛躍的に佳くなったという話を、私は知りません。

大都会でも、完全撤退をやめて一部路線を残したところが、いくつかあります。東京の荒川線を代表として、札幌市電はこのたび路線を新設しループ線としました。京都や大阪から市電は消えましたが、私鉄の路面電車は健在です。そして多くの中都市で、路面電車は「優しい交通機関」として復権し、益々元気になってきています。

函館、富山、高岡・射水、福井、岡山、広島、松山、高知、熊本、長崎、そして鹿児島。先日はセミナー開催の遠征で、9年ぶりに熊本を訪ねました。春の震災で、熊本市電も被災してT_img_1762 一時期運休を余儀なくされました。しかし、線路や車両の被害は少なく、震災から日ならず運転を再開、市民の足として力強くがんばりました。

元気に動く電車を見て、励まされた方も多かったことでしょう。全国から集まったボランティアの皆さんも、移動の手段として電車を活用されました。
熊本市電も一時期は全廃の危機にありました。市内に張り巡らされていた路線網も、現在の大別2線区に集約されました。しかし、そこで積極的に新型車両の導入、冷房化、運転本数の増大と運転時間の拡大など、「乗客本位の施策」を次々に打ち出したのです。勇気ある英断でした。

新型車両に混じって、車齢50年以上の古強者もちゃんと冷房機を載せて、市内を走り回り、多くの乗客の足となっています。久しぶりに熊本を訪ね、頻繁にやって来る電車を眺めて嬉しくなりました。10月には、北九州のLRT・筑豊電鉄を、これまた10数年ぶりくらいに訪ねる予定です。

脳力開発は人間学であり行動科学です(83)

「土台づくり」あるいは「基礎習慣づくり」を実行する
 脳力については、人間皆平等だということは、誰もが大きな潜在的可能性を持っているということに他なりません。しかしあくまで可能性ですから、本人がそのことに気付いて自分を変えていこうという意識と行動が出てこなければ、実現はされないのです。意識と行動、そPhoto れは例えば脳力開発の解説書や、城野宏さんが書かれた本を読めばたちどころにできるというものではありません。本を読んで分かった気になっただけでは、実は一歩も進んでいないわけなのです。分かる、できる、そしてやる、そこに至らねばなりません。

 では何をやるのか、一言で言えば「土台づくり」あるいは「基礎習慣づくり」です。会社の中でも基本動作の徹底が重視されますが、それと同じように当たり前で平凡な内容のことばかりですが、それだけに意識から洩れやすいのです。平凡なことでも愚直に繰り返す、これが土台づくりあるいは基礎習慣づくりの基本です。分かりきったことでも、毎日繰り返し意識付けをして取り組む、もう意識しなくてもできているというレベルになるまで、積み重ねていくのです。

 ただ、余りに平凡なことですので、日常的に忘れてしまいがちになってしまいます。そこで、例えば毎朝起きたらその目標を口に出してみるとか、あるいは紙に書いて貼っておき、毎朝必ず確認する。これが意識を持つということの具体行動です。また脳力開発では、目標テーマを実現するための行動をしようというやり方と同時に、それに反する行動をやめようという目標を持つことも可能です。「自分を変える」というのであれば、そちらの方が効果があるとも言えましょう。

小さな会社だからこそできるという発想

セミナーなどにお誘いしたり、コンサルティング提案をした際に、「うちの会社は小さいから」という訳の分からない弁解をされる経営者がいらっしゃいます。まぁ、こういう方はどんなことでも「やらない」理由にされるのだろうなと思いますが。

セミナー前日になると用事のできる方とか、当日朝になるとお腹の痛くなる方、こういう反応には慣れっこになっていますが、常に予防線を張っていてはもったいないなと感じているわけです。もっとも、好きなゴルフであれば万障繰り合わせて出てこられるはずですが。

さて、実は「小さい会社だからこそできる」ことの方が多いということを、今日のコラムでは申し上げたいのです。

実際、大きな会社では企画提案を差し上げましても、それが実現されるまでにはたくさんのプロセスを必要とします。いくら即効性を意識した内容であっても、決まる頃には鮮度が落ちてしまっていることが少なくありません。もちろん、伸びる会社や発展している会社は、大企業であっても、現場優先でさっと決まるようですが。

小さな会社が、まずはみんなに図って会議をして、あるいは稟議を回して決めるようなことをしていたら、それはもう大企業病なる業病に取り憑かれていると考えた方がいいでしょう。

経営者が「会社を佳くする」という明確な戦略を、常に心の中に意識していたら、「やる」か「やらない」かは即座に判断することができます。いや、それだとトップダウンの、独裁的な会社になってしまう、当社はボトムアップでやっているので・・・

ボトムアップを否定はしません、民主的(?)に決めていくのも悪いとは言いません。しかし、大事なのは経営者自身の判断、あるいはその判断に基づく意思決定です。小さな会社だからこそ、その機能を存分に発揮すべきです。くれぐれも、大会社の真似はやらない方がよろしい、ということを重ねて申し上げます。

どんなに独裁的、独断的に決めても、それがちゃんと会社(の社員の皆さんの)為にプラスになったら佳いのです。大企業ならその決め方にいちゃもんが付くでしょうが、あなたの会社は大丈夫です。

さぁ、迷うことなく意思決定していきませんか。

MX会計が現場で日々深化している事実が世界へ

MG学会2016、そのエンディングにこんな素晴らしいことが待っていたとは。

ここではその全てを紹介することはできませんが、西研MGにとって、それを学ぶ全国の多くの仲間・シーガルたちにとって、とてつもないエポックメイキングなことが起こった、とだけ書いておくことにしましょう。

学会2日目の最終講義は、関西学院大学の菅原先生による、「イタリアのMX会計」と題したマトリックス会計の歴史がテーマでしたが、ゲストとしてMX会計の研究者(発案者の直T_img_1779 系ともいうべき)である、アンドレ・チローニ教授が来られました。

詳細を書くには、私の筆力が足らないのが残念ですが、何が起こったかだけを記しておくことにします。すなわち、日本のみならず世界のMX会計は、現在研究室の中で、研究者と一部の学生によって学ばれている、とされていたのです。

しかし、今回参加したシーガルたちの発言・発表で、すでに現実の経営の中で(まだまだ少数ではあっても)活かされているということが、世界の権威ともいうべき方々に認められたのです。しかも、マイツール(MT)という、私たちが誇るべき道具=武器=によって、現場の経営者たちの手によって実現されているという事実がです。

そして、多くの西研MGを学ぶものたち(シーガルたち)によって、MX会計は日々深化をとげていっているという事実を、認めていただいたのです。しかも、その事実はもしかしたら、近い将来世界に向けて紹介されるかも知れないということです。

具体的なプログラムやスケジュールが、遠くない内に明らかになります。可能であれば私自身も、そこに身を置きたいと思いますが。

MGに出会ってもうすぐ29年、実際に会社の中でMX会計を用いて週次決算や月次決算をやっていたこともあり、現在はそうやった体験をMGを学ぶ人たちに、伝えていくのが私の役割です。益々誇りに思って、これを続けて参ります。

脳力開発は人間学であり行動科学です(82)

 評価制度を作りたいというとある企業の社長に対して、私はまだサポートするかどうかの返事を出していません。でも、おそらくお断りすることになるでしょう。なぜなら、評価の主対象が成果や結果だけであり、私が進めていきたいY理論の考え方とマッチしないからです。もちろん、その社長は評価の目的はあくまで社員教育にあるのだとおっしゃいます。その人をT_img_0859 いかに育てるかの基礎資料なのだと。その主旨は決して間違っていません。しかし、脳力開発的に言ってもやはり再考してもらうのがいいなと思うのです。

 大事なことは、社員を評価という形で並べたり選別することではないでしょう。評価を元に個別教育をどうするかを求める、それはそれで良いと思います。しかし究極の到達点は、「社員みんなのレベルを上げつづける」ことだと思ったのです。社員のみんなのレベルを上げる、もちろんただ一律に上げるということではありません。個々の能力、潜在的な力を見極めていくことは大事なことです。しかし、それを成果や結果で評価したものをベースにするというのはどうなのでしょうか。

 能力には差があります、しかし人間が本来持っている脳力には差がありません。脳力を高める社員教育を行うことで、個々の能力は本人たちの日々の努力で必然的に高まっていくのでないか、そのことを、相談された社長にはキチッと伝えるつもりです。では脳力を高めるとは、というところにいきつきますね。具体的にはどういうことなのか、それを示さねばなりません。私自身も、以前現役でいた会社で、また現在コンサルティングをしている会社で試行錯誤中、それが正直なところです。でも答は見えています。

中大兄皇子はなぜすぐに即位しなかった?

かつて教科書の中でも英雄視されていた中大兄皇子、大化の改新はこの人物が推し進めたと習い、もちろんそうだと信じていたわけです。しかし事実を見ても、何だか変だなと感じていたのです。つまり、皇極天皇のあとを孝徳天皇が継がれたのはともかくとして、その後なぜまた斉明天皇の重祚となり、すんなり天智天皇とならなかったのか。

何だかおかしいよねと感じ始めると、おかしい事実がいくつも出てくるのですね。言ってみればつじつまの合わないことばかり、挙げ句に叔父でもある孝徳天皇を難波宮に置き去りにするとは、いったいどういうことなのかと。皇太子の行動としてはおかしいのではないか。

また孝徳朝の重臣の中には蘇我系の豪族が少なくない、蘇我本宗家は滅びたはずであるのに、例えば蘇我倉山田石川麻呂は右大臣に上っている。その石川麻呂はどうも殺された形跡があるが、その「下手人」は中大兄皇子につながるようだ。

Photo そして半島に新羅討伐軍を送ることになるわけですが、先頭に立っていたのは中大兄皇子ですが、そこに中臣鎌足の姿がない。最も信頼できる部下のはずなのになぜ、、、関裕二さんや何人かの方が、それは中臣鎌足がイコール百済王子の余豊璋自身だからだ、日本軍の進軍前に帰国して百済軍を率いていたからだと。

全面的に賛成するわけではありませんが、非常に有力な説だなと感じています。中大兄皇子自身が百済の王子だという説もありますが、これには矛盾が多いように思います。そして日本軍は、白村江で壊滅的敗北を喫してしまいます。

その敗戦前に斉明天皇が九州で薨去、敗戦に伴う防御陣地の構築や処理に追われて、しかもヤマトに攻め込まれるのを恐れて大津宮に遷都し、翌668年になってようやく天智天皇が即位します。どうも、即位に反対する勢力が多かったのではないかと推察されますが、どうなのでしょうか。

皇太子には大海人皇子がつきますが、ついに壬申の乱に至ることになります。

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