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あなたは会社を佳くしたいと思われていますか

昨日からのMG学会2日目、ここに参加している50余名のメンバー(シーガルたち)は、年齢も仕事も会社での役割も様々ですが、『佳くしていこう』という思いの詰まった人たちです。Img_2708 (写真は2日目の千葉さん講話)

何を佳くしていく? その答はきっと様々ですが、その一つには「(自分の)会社を佳くしていこう」という答があるはずです。

コンサルタントとして経営相談に臨むと、まず私は「社長さん、あなたは会社を佳くしたいと思われていますか」とお尋ねします。大半の方がその問いに対して、怪訝な顔をされます。そんなこと当たり前じゃないかくらいはフツウで、中には怒りの顔色をされる方も。実際に口をとがらせて、「もちろんですよ」と言われる方もいらっしゃいます。

ではどういうことをやっておられますか、と畳みかけますと、とたんに答に詰まってしまわれる方がほとんどです。別にいじめるつもりなど毛頭ないのですが、ご自身の、あるいは会社としてやっていることが間違っているから「会社が佳くなっていない」のですよね。

あるいはやっていることは間違いなくても、効果が出ていないだけなのかも知れません。ではどうして、効果が出ていないのでしょうか。そこのところが分かっていないのでは、打つ手がないと思われているのも至極当然です。

そこで、とりあえずもつれている糸をほぐして差し上げます。というよりも、ほぐす糸口だけはアドバイスしますが、実際にほぐすのは社長ご自身です。現場にどっぷり浸かっておられると見えなくなっていること、気付かずにいることが、第三者から眺めると見えたり気付いたりするのです。

大事なことは、その指摘を素直に受け容れられるかどうかです。「(この業界を知らない)素人が何を言うか」といった顔をされるのは、これまたすぐに分かるものです。そういう方にはそれ以上何を言ってもムダですので、当たり障りのないことだけを言って、コンサルを終了します。あとは時間の無駄ですから。私だって忙しい(笑)。

でも「確かにおっしゃる通りですね」という方には、では一緒に考えていきましょうとお答えして、少しずつ先に進めていきます。そこから、コンサルティングの方向を定めて、サポート内容の組み立てをするのです。特効薬はありません、時間をかけて積み上げていくことがほとんどです。

特効薬を求められる経営者もいらっしゃいますが、それは劇薬です。劇薬は一時的に会社が佳くなったように見せかけますが、効果は長続きはしません。効果が長続きして、佳い会社状態を維持していく、それが大事なポイントです。

この2日間の学びと交流の中で、そんなことを再確認しております。

今年の夏もMG学会の熱気がすごい!

2日間の熊本CFMGが終わって、そのまま東京に移動。この週末土日は、西研究所主催のMG学会に参加しています。このセミナーは、全国からMGを企業内実践で教育に、そして実Img_2698 務に使われている方々が集まり、情報発表・情報交換をする毎年恒例のイベントです。

前身は1985年頃から始まったIIT(アイアイティー)セミナー、その後CAIT(ケイト)セミナーと名前が変わりましたが、私は89年のCAITセミナーが初参加でした。それからは、ほぼ毎年この場に参加していて、実践発表をさせていただいた年もありました。

初めて参加した当時はまだ私も若手で、若い方から数えていただいても早い方でしたが、今日参加してみますと、年齢は西先生ご夫妻を入れても上から5番目。考えてみれば、初MGが1987年の9月、もうすぐ29年になるんですね。その当時は35歳でしたから、、、

さて、今回のMG学会は久しぶりの2日間セミナー、発表メンバーの皆さんも第一級ならメイン講義のゲストも素晴らしい方で、心がワクワクします。もちろん、学習時間終了後の交流会も楽しみがいっぱいです。

MGは成績より期数、期数より交流、さらに向上を目指そう。私もまだまだ、学びを続けて、交流を求めていきますよ。皆さん、よろしくお願いします。

脳力開発は人間学であり行動科学です(81)

 さて、ちょっと理屈っぽい話を続けてきましたが、この辺りで次にステップに進もうと思います。そこで最後に、一連の創造作業のスタートとなる「つかむ」という作業についてもう一言。このつかむ作業があってこその創造につながるのです。つかむ作業の根幹は現状把握にあります。今どうなっているのかを正確につかむことが、最も重要です。それと同時に、以前はどうなっていたのかということ、さらに(このまま進むと)将来はどうなるだろうということもつかんでおく必要があります。

 過去、現在、未来をしっかり見つめ、その中心点を明らかにしていくところから、創造という仕事が始まります。その最初がどの方向に向かうのか、毎回言っております「戦略を決める」ことなのです。戦略の確立なくしては、先へ進めないのです。時には事例もお話もしたいとPhoto 思います。ある会社の社長から、先日ご相談をいただきました。新しい評価制度を作りたいので、アドバイスをもらえないだろうかというのです。多分同じようなことを考えられている企業も、少なくないでしょう。

 しばらく前には成果主義(制度)なるものが流行って、人事評価も成果主義を採り入れたものが主流になってきた感がありました。ところが、それがうまくいったという事例を、私は寡聞にして知りません。大企業でうまくいっている例もあるらしいのですが。成果主義とは業務の成果のみによって評価し、それに 至るまでのプロセスはさほど重視しないのですが、それをみても人間を大事にしているとはとても思えませんね。相談を下さった社長は、いったい何を目指しているのでしょうか。

熊本市に9年ぶりにやって来ました

おはようございます、今朝は熊本です。前回熊本にやって来たのは2007年のことですので、9年ぶりの訪問となります。その時には鹿児島での仕事の帰り道に、ちょっと立ち寄ったくらいでしたから、ゆっくり滞在するのは10数年ぶりになります。

もちろん震災後にお訪ねするのも初めてです。羽田からのソラシドエア、阿蘇熊本空港への着陸が西側からでしたので、阿蘇の山側からいったん熊本市の南側を海岸に出て旋回しましたので、上空から被災地をじっくり眺められました。

空から被災地を眺めるのは、あの阪神大震災の2日後に高松からの羽田行き空便で眺めT_7041512 た時、東日本のあとで仙台空港を飛び立った時以来でしたが、崩れた山肌が見えたり、ブルーシートの懸かった建物の多さに復興がまだまだ進んでいないのだと感じました。

空港から市内に向かい道筋にも、まだ工事半ばの建物があったり、赤や黄色の貼り紙がそのままの家なども見かけました。私自身も12年前の中越地震を体験しましたので、車の中でお話を伺いながら、これからまだ時間がかかるのだろうなと思いました。

夕方には、熊本市内の友人の経営するお店を訪ねました。地震でかなりの被害が出て、ようやく今月初めに再開したようです。既に今日のオープン時間は終了していましたが、まだ制限された中での再開のようです。ゆっくり元のペースを取り返してくれることを祈っています。

熊本城も、ホテルの窓や公園周辺から眺めました。相当の被害でしたね、完全な形への復旧には多くの時間とお金がかかるのでしょうけど、市民のシンボルでもあり、日本人の歴史財産でもありますので、元の姿を眺められるといいですね。

そんな中で、私の大好きな熊本の路面電車は元気に走り回っていました。今回は乗る機会はないでしょうが、また訪ねてくる日も益々元気でありますように。(写真は9年前のスナップです)

データをインフォメーション、さらにインテリジェンスへ

経営の三要素とか三資源という言葉を、セミナーや講演で耳にされたり、あるいは経営書の中で見られたことがあるでしょう。経営書の場合だと、たいていの場合は最初の20ページ以内にはほぼ必ず出てくるのではないでしょうか。

そこに曰く、「経営には大切な要素が3つある。それはヒト・モノ・カネである」と。新入社員として入ったとある大手企業の入社研修でも、社長講話の中でこの3つが語られ、しかもPhoto 「中でも大切なのは人である」と強調されたことを、40数年後の今日もまだ憶えています。

あとの2つを使いこなすのは人間だから、それ故に「ヒト」が一番だと曰った役員さんもいらっしゃいました。もっとも、その方は部下をこき使うことでも名高い方でしたが。それはそれとして、昨今は以上3つに加えて4つ目の要素として「情報」が入った教科書もあります。経営の四要素、あるいは四資源ということでしょうか。

さてその情報についてですが、世は情報氾濫時代ということで、会社の中にも外にもナントカ情報、カントカ情報が溢れかえっています。ついこの間まではインターネットのイの字も知らなかった私の妻でさえ、調べ物はiPadを開いています。おかげさまで本来私の仕事道具であるはずのiPadは、現在私の手元からは遠ざかったままです。

そんな情報の氾濫ということはさておき、会社の中の情報についてです。小さな会社でもコンピュータを多くの場面で使っていますから、当然その中(PCの中、サーバーの中、クラウドの中)には、情報がたくさん詰まっています。売上情報も、仕入情報も、在庫情報も、顧客情報もありとあらゆる情報が、目の前に用意されています。

コンサルティングやサポート、あるいは相談の面談に伺っても、『こういう情報をいただきたいのですが』とお願いしますと、時間をおかずにプリントアウトされた資料が目の前に並びます。しかし、その情報から『どういう状況を読み取られていますか』と聞きますと、答が返ってこないことが多いのです。

まさか、そういうことはコンサルタントのあなたが、この情報の中から読み取って下さるのでしょうといった感じなのでしょうか。必要とあればお答えはしますがね。

つまり、目の前に出されている情報は「データ」のレベルなのです。言ってみれば加工前の原始情報というところです。ハッキリ言いまして、この情報はさほど役には立ちません。経営に役立つこともなく、現場の行動にも大して役立ちません。質より量程度と言ったら叱られますかね。

このデータを加工して、もう少し役立つ情報にしたものが「インフォメーション」です。情報の見える化も、せめてこのレベルまでにはしたいものです。しかし、これはまだ50点です。少なくとも、まだ経営情報すなわち経営者が意思決定に使うにはまだ不十分です。

つまりさらに加工を加えるのですが、そこには経営者の意思や判断も加えていかなければなりません。意思や判断は、情報の加工の仕方(切り方)・リテラシーと名付けられるモノです。ただ、残念なことに情報のリテラシーを容易に、しかも経営者の思い通りにできるPCソフトは、ほとんどありません。私の知っている限りはたった一つ(のソフト)です。

今日はそこまでは触れませんが、こうしてできあがった情報が「インテリジェンス」です。あなたはこのレベルで、情報を活用されていますか?

脳力開発は人間学であり行動科学です(80)

 創造の前段階に不可欠なのが、判断というプロセスです。ここをいい加減にすると、その先も曖昧になってしまいます。とくに、判断における比較作業がその中核をなしています。その主流あるいは基本は論理的であることでしょう。出発点が思いつき、すなわち非論理的Photo_2 であっても、この判断段階では論理的に見てどうなのかが大きな基準になります。発想の段階から論理的に組み立てを行うこと、現実や事実から論理的にはじき出される発想や着想が一般的です。

 いわゆる発想法などは、これを基本としています。しかし時には、そういう枠組みそのものを外してしまい、自由な飛び越えた発想も必要ありでしょう。論理的な展開ではブレイクスルーできないこともあります。論理が制約になってしまうことがあるからです。判断の比較段階では、測定という作業が行われます。測定というのは、望むべき方向に対してどうなのかを、様々な角度から眺めることをいいます。大きく分けると客観的に見てどうなのか、そして主観的に見てどうなのかです。

 客観的な測定基準は事実と法則を主体とします。一方、主観的測定は価値と必要性が主たる基準になるでしょう。その両方から眺めることが必要で、一方に偏ってしまうと判断を誤ります。判断そのものに、両角度を含むからです。しかし順番があると言います。まず客観的な測定基準の方から測定する(眺める)ことが大切で、そのあとで主観系の測定を行います。後者のことを評価ともいいます。前者を行わず、後者だけを行うのは大変危険です。何故なら空論に陥る恐れが大きいからです。

中大兄皇子は失礼ながらうさんくさい存在

青森県(八戸市)への遠征から昨夜遅く戻りました。さすがに、疲れが残っています。気力は充実していますが、やはり年齢には勝てないのかなと感じています。今日明日の2日間休むと、また水曜日は朝から遠征に出発します。

さて、古代史コラムは中大兄皇子の話に入っていますが、どうもこの人物は歴史の教科書にかつて書かれていたような「英雄」ではないように感じます。私の時代には、中大兄皇子は中臣鎌足と一緒に大化の改新を推進した人物であり、それまでの政治体制を一新し律令政治の元をつくったと教えられました。

どうもそれが違うようなのです。もちろん通説には、大きな変更があるわけもないのですが、通説とが違う歴史の解釈が多くなってきているのは事実です。かつて読んだ本には、中大兄皇子は実は百済の皇子・余豊璋であったのだと書いてありましたが、最近は余豊璋は中臣鎌足ではないかという説が有力になっています。

中臣鎌足、のちに藤原の姓を賜り藤原氏の祖となる存在です。しかし、その素性は大きな謎に包まれています。ある意味突然に歴史の表舞台に現れ、途中はなぜか姿を消して、天智天皇即位後にまた再び表舞台に現れます。

さてこの2人の出会いは「蹴鞠」の会(練習?)で、中大兄皇子の沓が脱げたのを鎌足が拾い上げて差し出したことからと言われています。この当時「蹴鞠」が既にあったのかどうかPhoto も疑われていますが、偶然の出会いにしても出来過ぎた話と思われませんか。

それまで全く無名の鎌足が、皇極天皇の息子である中大兄皇子に接触できるというのもおかしいですが、もし鎌足イコール百済の王子(人質)だったら可能かも知れません。この2人が何人かの同志を誘って乙巳の変を起こします。ここにもおかしな事実があります。

一つは、中大兄皇子はなぜ「仲の良い」弟、すなわち大海人皇子を仲間に引き入れなかったのでしょう。本来なら最も信頼できる肉親であるはずなのに。もう一つは、大極殿の中で蘇我入鹿に暗殺剣をふるったのは中大兄皇子ですが、この時鎌足は少し離れた柱の陰で見ていたとか。役者が反対なら分かりますが、どうしてなのでしょう。

こんな風に疑問がやたらと多いのですが、日本書紀に基をおいた通説にはかなり矛盾が多いことを、感じているわけです。書紀が編纂された時代は藤原不比等(鎌足の長男)、そしてその息子たちの全盛時代、鎌足やその「親分」たる天智天皇を持ち上げることに全力を注いだことは、十分に予想されることです。

歴史書は割引して読む必要がある、日本書紀もまた例外ではなさそうです。

うみねこMGに参加しています

「教えない、教え合う、紙は自分で」--このトライアングルは、西研MGのキーワードです。このキーワードを初めて耳にしてから、もうすぐ29年になります。初めて聴いた時にはサッパリ何のことやら分からなかったことが、自分なりに理解して、色んな方々にお伝えできるようになってきました。

でも本当に分かっているのかなと、いつも新鮮な思いでセミナーに臨んでいます。毎回毎回再確認して、そうだその通りだと納得するのですが、それを教えて下さるのは一緒に参加しているメンバーの皆さんです。

とくに、初めてMGに参加される方であるとか、まだ初めて体験の少ない方から教えられることがたくさんあります。普段は私は教える側です、MGのインストラクターの「免許」を最初Img_2645 にいただいたのが1988年ですから、それから数えて28年間、たくさんのインスト体験を重ねてきています。でも、まだ毎回のように新しい気付きがあるのです。

多分、それが私がMGを続けている理由なんだと思います。第1期シミュレーション、インストラクターの個性が出ると同時に、その力も試される時間です。力が入る、初めの頃の私自身もそうですが、全てを分かってもらおうとするのです。大事なことが詰まっているから、何が何でも分かってもらおうとして、ある意味学びの押しつけになっていました。

それが嵩じると「どうして分からないんだ」という顔色が洗われてしまいます。自然体でなくなってしまい、初心者の方は見えないプレッシャーを感じてしまう。そのことに気が付かないままに、言いたいことだけ言い、やりたいことだけをやってしまうのです。

初心者は、そんな自分へのリトマス試験紙なんだと感じ始めたのは、いつ頃からだったでしょうか。会社の中でもそうです、専務あるいは社長という立場で、ついつい「こうあるべきだ」と、社員さんに押しつけていた自分を発見したのです。

社員さんもそれぞれの立場があり、役割の中で同じことを語っても受け取り方が違う。会社の目指す方向性だけは同じでないといけないが、そこから先はみんなにできるだけ任せていこう。その姿勢が「教えない」であり、社員さんたちにとっては「教え合う」になり、そして自主性や主体性が養われて「紙は自分で」の社風ができる。

MGはそれを教えてくれた道場であり、これからも私自身を鍛えてくれる場である。今回もそんな思いでゲームに、決算に、そして先生や皆さんの話に素直に耳を傾けることを目指していきます。どこまでも自然体で。

(このコラムはMG初日に書いています。2日目の朝にアップします)

奥入瀬渓流を眺めて来ました

忙中閑。

昨日は北陸地方が梅雨明けしたようです。新潟県は北陸なのかな、だとすれなば梅雨明けになるのですけれど。地理の教科書的に言うと中部地方で、その意味では北陸地方に属するようですが、天気予報では関東甲信越とひとくくり。時には東北南部とも言われます。ちなみに電気は東北電力、ガスは北陸ガスです。

それはそうとして、一昨日の夕方から青森県八戸市に遠征中です。オホーツク海高気圧が南に長く伸びてきていて、その分空気が冷たく、今朝の気温も15度前後と肌寒いくらいでImg_2633 す。日中も昨日は夏日にまでは至らなかったようで、過ごしやすい1日でした。

土日のMGセミナー(うみねこMG)の講師とした来られた西順一郎先生ご夫妻と、MG主催者の岩岡さんの案内で奥入瀬渓谷に連れて行ってもらいました。

初めて奥入瀬に足を踏み入れたのは大学時代でしたから45年くらい前、青森側から南下してきて、十和田湖畔の子の口から焼山まで川沿いの道を歩いて下りました。泊まりはユースホステルでした。バスで十和田市(三本木)に出て、十和田観光電鉄の電車で三沢に向かった記憶があります。

それからも1度か2度きていますが、前回からは10数年ぶり、あるいは20年ぶり以上かも知れません。星野リゾートのホテルで緑の渓流を眺めながらコーヒータイムを楽しみ、少し上がって「阿修羅の流れ」(写真)を眺めてUターンしました。

そろそろ夏休みですので、この土日くらいからは観光客も増えてくるのでしょう。ずっとこの自然の妙が残り続け、人の心を癒やし続けてくれますように。

さて、心身共にリフレッシュできたところで、2日間のMGセミナーと交流を楽しむことにいたします。

脳力開発は人間学であり行動科学です(79)

創造とは新しい組合せのこと
 思考についてのお話をつづけていきます。思考の一連の動作は、情報集めることから始まり、すでに知識として保っている記憶情報も合わせて、それを組み合わせることで発案し提起します。出てきたものを判断し、選んで決定するという流れです。ところでよく創造力とPhoto いう言葉が使われます。あの人は創造力に優れているというようなことですが、今までになかった全く新しいものを生み出すという意味でしょうが、組み合わせもまた、この創造力の範疇に入るというのが私の考えです。

 いずれにしても、発案し決定までたどり着いても、次の段階で実際行動が行われて初めて、創造が成立します。実際行動に至らないものはまだ「思いつき」レベルであって、着想や発案イコール創造ではないということになるのです。会社の会議の中でも、素晴らしいアイディアや新鮮みのある企画を打ち出す方がおられます。しかし、昨日の話を当てはめてみれば、まだそれは着想や発案の段階であって、創造には達していません。実験も含めた、実際行動が不可欠なのです。

 とはいえ、着想や発案がなければ一歩も前には進みません。全く何もないところからは、生まれないことをすでに申し上げましたが、ではなにが要素として必要なのでしょうか。要素とは、基礎となる土台と言い換えてもよいでしょう。第一に素材となる情報あるいは知識です。これはデータともいいますが、たくさんある方がベターでしょう。次に組み合わせの訓練です。それも、過去にとらわれないなど、自分の中にある思い込みや制限、制約を取り外すということが大切です。

「はてな?」に覆い尽くされる天智天皇とは

第38代の天皇、もっともその時代にはまだ「天皇」とは呼ばれていなかったはずで、おそらく大王=おおきみ=と呼ばれていたと思います。和風の諡は「あめみことひらかすわけのみこと(天命開別尊)」、後に天智天皇と諡された方です。
Photo
というよりも、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)という名の方が有名でしょうね。第34代舒明天皇と、第35代皇極天皇の間にお生まれになりました。教科書の古代史では、聖徳太子と並んで重要視されているのではないでしょうか。

以前は、少なくとも私が中学や高校で日本史を学んでいた時代には、大化の改新最大の英雄であり、古代日本の律令制など基礎を築こうと努力されていた方として、尊敬の対象でありました。「乙巳の変」と呼ばれている政変を敢行し、忠臣である中臣鎌足と悪人・蘇我入鹿を誅殺した勇気ある人物として、尊敬の対象でもありました。

しかし今、その英雄像はほぼ完全に崩れ去ったのではないかと。少なくとも私の中では、まさに落ちた偶像でしかありません。

中大兄皇子、あるいは天智天皇の事績や行動にはいくつかの「??」がつきまといます。乙巳の変だけに絞っても
 1.なぜ無名の中臣鎌足と組んだのか
 2.すなわち、なぜ弟の大海人皇子と組まなかったのか
 3.乙巳の変ではなぜ皇子自ら剣を振るった(部下に任せなかった)のか

 4.なぜ皇極天皇の目の前で暗殺したのか
 5.変後に皇極天皇が譲位したのになぜ自ら即位しなかったのか

まだまだありますが、その後も薨去されるまで「はてな?」がいくつもつきまといます。一説には百済の王子(人質)だったとも言いますが、それはないなと考えます。なぜかということも含めて、この後しばらく「歴史と人間」ひとりごとでは、この方を取り上げて参ります。

ちなみに現在の天皇家は、「天智系」の天皇であることも付け加えておきます。

こんな忙しい時に休みを取るのか!?

突然ですが、あなたの会社の社員さんは有給休暇をキチッと取っていますか?

厚生労働省の統計調査によると、我が国の有給休暇所得率は先進国では最も下位だそうで、全企業では50%に届かず、とくに従業員100名未満では42%程度となっています。そPhoto_2 れも30名以上の従業員のいる企業ですので、それ以下の小企業ではもっと低いのではないかと思われます。

年間休日日数が平均104日、そして有休の取得が7~8日ですので、欧米に比べるとかなり少ない休日数になります。もちろん欧米と比べる必要などありませんが、そういうことではなく、果たして有休を気兼ねなく取れる会社であるかなしか、そこに小さな会社の課題があると考えています。

せっかく就業規則に年間の有休日数が規定されていても、取得するのがためらわれるというのではお話になりませんね。それはしょうがない、必要最低の人数でやっているのだから、誰かが休めばそのしわ寄せが他のメンバーに降りかかる。あるいは、有休を取ろうとすると白い目で見られるので、言い出せない。

実は、私が現役の経営者だった会社でも、有休の取得率は極めて低いものでした。仕事の季節変動が大きく、有休を気軽に取れる時期が限られていることもあって、とくに営業マンの取得は少なく、それで当たり前という雰囲気がありました。当時は仕方無しと思っていたのですが、今から思えば努力が足りなかったと悔やんでいます。

有給休暇を取る理由は様々です。その多くは家族サービスだったり、子供たちの学校などでの行事であったり、家族や自身の病気もあるでしょう。つまりはホントにやむを得ざることが、少なくないのです。もしそれなのに、周囲に気兼ねして休みを取らなかったら、仕事へのやる気が落ちてしまわないでしょうか。

休んだ社員さんの戦力をカバーしなければなりません、それも現有人員の中で。まずは「休みの取れる会社にしようよ」という気持ちに、経営者も社員さんも同じ思いになることです。そこに工夫や知恵が生まれます。喜んで休みを取ってもらうようにしよう、そうすれば休んだ社員は、その気持ちに応えようとしてくれるでしょう。

そうやって好循環が回っていくのです。丸1日ではなく、半日でも休めるようにするだけでも佳いかも知れません。半日がんばると、本来の半日以上の仕事ができるかも。「ありがとう」の気持ちが、エネルギーを倍増させ、仕事の効率を上げていくのです。

昨今は色んな休暇制度を設ける会社も増えてきました。しかし、仏を作って魂入れずでは何にもなりません。みんなが、気軽に気兼ねなく休みを取り、周囲への感謝が感謝を生んでお互いを思いやる空気が、さらに会社を佳くしていくのです。みんなが支え合う気持ちを持っている企業風土、つくっていきたいですね。

目指せ有休取得率100%! さすがにそこまでは申しませんが、等身大の努力で相互支援の明るい雰囲気の会社を目指していきましょう。もし、あなたの会社が「社員を大事にする」会社を目指すのであれば。

脳力開発は人間学であり行動科学です(78)

 脳力開発のセミナーでは、ケーススタディによる演習を多用します。個人作業が主ですが、グループディスカッションも採り入れてやっています。グループでのやり方は、ブレーンストーミングの手法を盛り込んでやることにしています。私はこのやり方を「バズセッション」T_img_9255 読んでいます。バズ=BAZZとは小鳥のさえずりという意味もあり、文字通りワイガヤと自分に意見を述べ合うことです。このあたりがディベートは違うところで、ブレスト同様、人の意見に反駁をしないのが原則です。(写真は一昨年の脳力開発セミナーでのミニセッション)

 むしろ人の意見や発言に便乗して、自分の意見を組み立てることもOKなのです。時にはリーダーを決めなくてもいいといいます、その方が自由闊達なセッションになるからです。企業の中でもこの手法を採り入れ、「今日はバズしようか」と言っているようです。さて、このバズセッションは、脳力開発の中の「思考」を中心としたトレーニングになります。思考力とは、主として考える、あるいは整理する力のことです。思考の前提として、まずは必要な情報を集め選別することがポイントになります。

 情報処理(情報のコントロール)とは、情報を集める、集めた情報を分ける、比較する、そして組み合わせる、さらに選び出すという5段階が必要です。その中でも後半の3段階が重要です。すなわち、比べる、組み合わせる、選ぶの3つです。比べることは判断の中枢になる事柄です。組み合わせることによって、これまでになかった新しいもの・ことを作り出すことができます。すなわち、着想や発案です。そして既にあるもの、新しく組み合わせたものから選ぶ作業が、決定ということになります。

なぜ古代史をイフで語ろうとするのか

歴史の真実は一つです。人間が行動したその結果が歴史なのですから、一度に相反する二つのことはできませんから、それは当然のことです。

しかし、歴史書が正しい歴史、すなわち真実を伝えているかということは甚だ疑問です。現代のように多数の記録媒体が存在し、しかも即時的に真実が残っていく時代ですら、その真実は絶対かと問われれば「??」と応えざるを得ないこともあります。ましてや、記録のPhoto 少ない古代はどうなのでしょう。

正史と呼ばれる「日本書紀」や「続日本紀」は、果たして真実を伝えているでしょうか。正史だからといって、「正しい歴史」を書き残しているとは限らないというのが真実です。いや、むしろ当時の為政者・権力者によって真実が曲げられている、隠されていることを当然として読む必要があります。
もっとも現代は伝える手段が余りに多すぎて、いったいどれが真実かを見極めるということが難しいという、別の悩みがありますが、古代史は記録がほとんどないことによって、真実が見えてこないという悩みがあります。となると、正史をまずは素直に受け入れながら、逆説をいくつか想定して「歴史のイフ」に迫ることが必要になるでしょう。

私などは歴史家でも何でもないので、「歴史のイフ」を唱えたところでなんの影響ももたらしませんし、せいぜいこのブログを読んで下さる方がうなずいて下さるくらいです。でも、想像をたくましくしていくと、これまでと違うモノが見えてくるのは不思議です。基本は、普通の人間ならどう動くかという、脳力開発的な見方です。普遍性と特殊性、とくに普遍性の方にフォーカスして見るわけです。

さてこれまで、古代史の中でもなかなか真実が見えてこない飛鳥時代、蘇我馬子を中心に天武・持統朝といわれる時代にかけてを見てきましたが、みれば見るほど正史、あるいは教科書的歴史に{??」がいっぱい付いてきます。何かつじつまの合わないことが多いなぁと思わざるを得ないのです。

例えば、馬子の事績はなぜ日本書紀に詳しく書かれていないのか。聖徳太子という名前が書紀に出てこないのはなぜか。中大兄皇子は、どうして乙巳の変の直後に即位しなかったのか。天武天皇は、皇后(のちの持統天皇)と仲が良かったと書紀に書いてあるけれど、他の天皇(大王)のことはどうして書いていないのか。

その他挙げていくとキリがないのですが、素人の限界でとても真実には迫れません。そこでこれからも、ほかの方の論を借りながら思いつきを書いていこうと思っています。引き続きお付き合い下さい。

誰も辞めない会社を目指していく

企業は人なり、とは本当に重い言葉です。その割に、人を「経営資源の一つ」としか考えていない経営者が、余りに多いことを不思議に思います。

確かに経営書には、経営の三資源あるいは三要素として、「ヒト、モノ、カネ」の3つを挙げています。中にはキチンと、ヒトが最も大事な資源であり、残り二つはヒトが使うものと記した本もあります。それにしても、やはりヒト(人)は資源の一つなのでしょうか。

昨今はAI(Artificial Intelligence)、すなわち人工知能が注目されていますが、その内経営の意思決定もAIがやってしまうような時代が来る、そんな予測も浮かんできます。すでAi に何十年も前に、手塚治虫さんがマンガの中でそういう時代を描いています。これなどは、人も経営資源の一つという考え方の、延長線上にあるような気がします。(写真はイメージとしてHPより借用しました)

さてそれはともかくとして、社員がやめない会社と、社員が(よく・頻繁に)やめる会社の2つがあります。ホワイトとかブラックとかそういうことではなく、単純に考えてその2つにハッキリと分けられるということです。あなたの会社はどうなのでしょう。

社員がやめてもすぐに補充ができるというのは、人も資源の1つという根本思考につながるものですが、現実的にそういうことができる時代にはなっていかない事実に、しっかり目をむけていかねばなりません。人の配置転換でしのげる大企業でも、もはやそんな簡単にはいかない時代がやって来ています。

ましてや小さな会社では、社員がもし辞めたら、たちまち誰がその仕事を補っていくのか。いや、辞めなくても病気で倒れたり、精神的な病に出社しなくなったり、あるいはまた出産や子育てという状況が、いつやってくるか分かりません。

かといって、小さな会社では人員の余裕を持つ、などということはほとんどできない相談です。しかし、能力(技能や知識)の余裕、あるいはバッファを持つことは可能かも知れませんね。多能化という言葉もありますが、どうもこれも人は資源という考えに近いのかと思ってしまいます。

会社が仕掛けていくのではなく、社員自身が(もちろん経営者自身も)自ら目指していくのはどうでしょうか。そのための会社の環境、あるいは条件を整備していくことが、経営者の大きな役割です。具体的な手段方法は、それぞれの企業によって異なるでしょう。しかし根本的な考え方は、「社員(とその家族)を大事にする」ことにあります。

お題目ではなく、実際行動で会社を変えていきましょう。誰も辞めない会社にする、これがこれからの大きなキーワードになるはずです。

脳力開発は人間学であり行動科学です(77)

 前回もお話ししたような簡単なことから、脳力開発のトレーニングができますが、たった一人で黙って、つまり周りにナイショでやっているとつづかないこともあります。やらなくても分からないわけですから、ついつい怠け心が働いてしまうことがあります。一度怠けてやらないと、翌日も連鎖でやらないことがつづき、前進が遅くなるだけでなくやめてしまうことも起こPhoto_2 りがちです。そこで仲間を集めてグループでやるとか、一人でやる場合も周囲の人に宣言してやるなどの工夫をしてみるのです。

 あるいは実行しようとすることを紙に書いて、いつでも目に付くところに貼っておくのも一つの方法です。もっとも「禁煙」を宣言し、貼り紙をしてもうまくいかない例も少なくはありませんが。それでも頭の中だけというよりはマシなはずです。いずれにしてもまず「やる」こと、やり始めたら愚直に続けることが脳力開発のポイントです。徹底してやり抜く人が最も結果を出せるわけですし、最も進歩するのです。グループで取り組めば、一人の成功は周りを励まし相乗効果を生むことにもなります。

 うまくいくコツは何ですかと尋ねる方もおられますが、忠実にやりつづける以外に妙法はないのです。つまり「手法」がどうとかではなく、「習慣づくり」が大切なのです。手法はあくまで補助要素であるわけで、手法だけに頼っていても結果は出ないのです。また習慣づくりは、意識づくりでもあります。というよりも、まずはしっかり意識してスタートすることが必要なのです。やるのだ、つづけるのだという強い意識を保つことが求められます。やがて無意識の内に体が動くまでに習慣ができれば、「勝った」といえるのです。

参院選で目立たなかった「鹿児島の乱」に注目

参議院選挙が終わって、政局の注目は東京都知事選挙に移ったようだ。自民党は増田さんと小池さんの分裂選挙が決定的、一方野党側は鳥越さんを統一候補とできたことで少し有利になったか。でも浮動票の多い東京だから、カオス状態だ。

中堅国家並みの予算と権限を持つ都知事だから、マスコミもこれに注目して騒ぎ立てるのは当然といえば当然だが、どうも騒ぎすぎの感が強い。新潟県に住む私などは、極論でいえば、誰が都知事になろうがどうでも良いわけだ。新聞は読まないが、こんな話題は都内版でやってもらえば良い。

それはそれとして、参院選の陰に全く隠れてしまったのだが、同じ日に鹿児島県知事選挙が行われ、野党系の新人が四選を目指した現職を破って当選した。三反園(みたぞの)さん、記憶力のいい方はテレビ朝日でキャスターを務めていたのを憶えているだろう。

Photo私も鹿児島のことなので関心があるわけではなかったが、学びの道の先輩が盛んに推しておられたので、どうなったかと気にかかっていた。市民の側に立った県政を公約して勝ったわけだが、少数与党であり、また政治的手腕は全くの未知数だ。すでに、その辺りを懸念する声も上がっている。

しかしだ、政治のプロを称する人たちの中央政治がいかにだらしないか、とんでもないかは論を待たないところだ。この際、素人である方が、また余りしがらみのない方が良いかも知れない。最終的な審判は国民が為すものだ。

さて、三反園さんを担いだ市民側の多くは「脱原発」だ。鹿児島には再稼働した川内原発があるが、この今後の行方に目が離せない。もちろん、知事には原発を停める権限などはない。しかし、保守点検で停止後の再稼働にGO!を出すか否かは、知事の裁量によるのだ。強力な監視委員会を設置する動きも出て来ている。

実はそういう委員会は、私のお膝元である新潟県に既にある。ご承知の通り、地元の柏崎刈羽原発は世界最大級であり、現在は稼働していないが、東京電力は着々と稼働準備を進めている。これを押しとどめているのが、知事の意向を汲んでいる委員会だといえる。国の監視委員会とはむしろ対立しているが、市民の側にも立っている。

鹿児島がこれからどうなるか分からないが、明快なカタチで市民側の声が、それが脱原発であれ稼働賛成であれ、キチンと伝わっていくことが望ましい。

かつてキャスターとして、市民目線に立っていた三反園さんに大いに期待したい。

7世紀ヤマトのトップリーダーは蘇我馬子だった

645年に起こった事件を、最近の教科書は「乙巳(いっし)の変」と正しく教えています。私たちが学んだ頃は「大化の改新」とだけ書かれ、改革派の中大兄皇子と中臣鎌足が、改革反対・反動派の蘇我入鹿を殺し、蘇我一族を滅ぼしたと教えられた。

蘇我馬子のことを調べていて、この時代最大とも言うべき政治家の馬子のことが、正史である日本書紀では余り触れられていないことに疑問を感じたのは、高校時代からのことでした。担任の先生が日本史の担当で、当たり障りのない事象をお話になるだけでなく、時Kodaikeizu 代背景や通説以外のことに、少し触れられたせいでした。

私は歴史の、とりわけ古代史の専門家ではないので、感覚的に大まかに言ってしまえば、日本書紀の編者あるいはそれを命じた人は、馬子の事績を抹殺してしまったのではないか。代わりに聖徳太子という「聖人」を配置して、目くらましをしたのではないかと。そして、乙巳の変とは単なる「暗殺事件」に過ぎないのだと。

書紀が隠せば隠すほど、馬子の存在が大きいのだと感じているわけです。ではなぜ、隠す必要があったのか。それは、「蘇我氏を徹底的に悪者にしなければならなかった」からではないのでしょうか。では誰が?

私が学んだ教科書的歴史では、書紀(と古事記)は天武天皇が命じて編纂させたとありましたが、では蘇我氏を悪者にするというのは天武天皇の意思だったのでしょうか。ハイ、そのように信じておりました。ですが、もしそうだとすると、つじつまの合わないことが前後にたくさん出てくるのです。

ここではその一つ一つを挙げていくわけにはいかないのですが、それらをつなぎ合わせると「意思決定者」は天武天皇ではない。第一、書紀ができあがった頃にはというか、できあがる過程でもすでに薨去されて何年も経っているわけですから。では誰か?

一つのカギは、乙巳の変の後も蘇我氏が政治の中心にいたことです。確かに蘇我本宗家は滅びましたが、蘇我倉山田石川麻呂は孝徳天皇政権の中枢に位置し、他にも蘇我系の朝臣が脇を固めています。この事実はどう捉えたらいいのでしょうか。

第一、中大兄皇子はどうして乙巳の変後すぐに即位しなかった、いやできなかったのでしょうか。孝徳天皇が即位し、その後は称徳天皇が重祚し、ようやく天智天皇に至るのです。まだまだ謎はいっぱいあります。想像を膨らませるだけでもワクワクします。

いずれにせよ、7世紀の日本(ヤマト)を輝かせた英傑は蘇我馬子だ、そう断言していいのではないでしょうか。

脳力開発は人間学であり行動科学です(76)

 また繰り返しになりますが(大事なことは何度でも繰り返すのがいいので)、私たちは日常の生活の中では140億の大脳皮質細胞の、たった数%しか使っていません。それでも何の支障もなく生活が送れ、仕事の成果を出し、幸せになることができます。しかし、もっともっと使えるとしたらどうでしょうか。今の2倍から3倍の使い方ができたら、もしかしたら23倍、いやそれ以上の成果を得ることができるのかも知れないとしたら。そんなに頭を使ったらオーバーヒートするかも、と心配しなくてもいいのです。

 たったの数%使うだけで平穏な生活が送れているから、私たちはその状況に慣れてしまっています。そこでここはぜひ「かーつ!」を入れてみませんか、やると決めたら色々あるはPhoto ず。意識して取り組む、手と足と口を動かす、たったそれだけなのです。脳力開発は、自分自身の日々の平凡な実践そのものです。当たり前で地味で、それこそ「ナンテことない」ことを意識してやってみるところから始まり、続けることなのです。実践の積み重ねが意識の積み重ねであり、体が自然に覚え込んでくれるのです。

 私はまず腕時計を左手首から外しました。それまでの当たり前だった習慣を自ら解き放ったのです、大げさに言えば。それによって変わったことがたくさんありました、街中で時計を探したり、近くの人に時刻を尋ねたり。あるいは今までより早く行動を起こしたり。靴下をどちらの足から履くかにも挑戦しました。無意識の中だと、気が付かない内に右か左か、どちらから履くかという習慣ができあがっています。それを意識して、奇数日は左から、偶数日は右から履くことに決めました。変化が起こりますよ、きっとあなたにも。

想定内だった?参議院選挙結果

参議院議員選挙が終わった。結果は事前の予想通り、想定内の結果であったといえる。政治や選挙の専門家でもないので、大した感想もないが、少しガッカリという気持ちは否めないな。

自民党は単独過半数がとれず、1人区では取りこぼしもいくつかあって高笑いとはいかないだろう。むろん自党だけで参議院も2/3とはいかなかったから、憲法改正の発議をやろうとしても他党頼みとなる。与党連立は維持するらしいが、公明党は元々「加憲」なので意20101129_1379377 見統一は困難だろう。しかし、最重要政策の不一致は『野合』というのではないのか?

民進党は大きく議席を減らした。まぁ、6年前はまだ絶頂期だったので当然の結果だが、それにしてもだらしがない。「負け」たとハッキリ言った方がよほどマシだと思う。野党統一候補が善戦して、1人区の1/3は確保したが、『野合』感はぬぐえない。今後の国会活動は、どのようなカタチにするのか?

共産党と大阪維新の会は、まずまず存在感を見せたようだ。特に維新は、大阪で2議席をとって強さを見せた。社民党は党首が落選、国会での存在感がますます無くなる。生活の党も最後の1議席を辛うじて獲得、小沢時代は遠くに行きにけりだな。後はもって知るをべし。

新潟選挙区も全国有数の激戦だった。開票率99%を超えてもまだ当確が出ない。そこに至るまで開票経過が出る度に1位と2位が入れ替わり、その差も僅か。当確が打たれたのは開票率99.6%になってからだった、野党統一候補の元議員・森さん。時間はもう23時半だったし、その差も2千票余り。

当日の出口調査では自民党候補の有利が出ていたのだが、ホントに最後の最後での逆転サヨナラといった感じだった。そういえば、1人区で野党統一候補が勝ったのは、東日本、ことに甲信越と東北が多い。これはどういうことなのかな、もしかしたらTPPへの反撥も働いたか。

投票率は少し上がったがごく僅かだ。18歳や19歳の投票率はどうだったのだろう。若い人には自民党に投票した人が多いらしい(アンケートや出口調査)、これをどう読んだらいいのだろう。イギリスのEU離脱投票のように、終わってから「間違った」などとは叫ばないだろうが、何が変わるのか、何が変わらないのか不透明だなぁ。

次は都知事選挙か、本格的に動き出すね。

経費を上げて利益もグンと上がった

先日のブログで「利益を上げる常識」は、鵜呑みにしないで下さいと書きましたら、色んな方からご意見をいただきました。心より、感謝を申し上げます。多くは「そうだ、そうだ」という賛同でしたが、中には懐疑的な指摘もありました。

サポート先のご了承が得られれば、その事例をいくつか紹介できるのですが、こういう形・ブログやSNSでの公開は慎重にならざるを得ません。でも講演会やセミナーの席では、お話をしておりますので、ぜひそういうところにお越し下さい。

Mq ただ固定費(経費)を節減するのではなく、思いきって上げて利益を出すというのは、私自身の会社でやりましたので、これは少しここでお話しできます。その会社(販社)を、専務という役割で任されたのはもうずいぶん前ですが、累積赤字や多額の借入金を抱え、しかもキャッシュフローは破綻寸前という有様でした。

お恥ずかしい話、赴任直後の決算ではホンの僅かな経常利益をひねり出した、という内容でした。これを10倍、20倍にするといったら、周りは「そんなことができるかい」といった雰囲気でしたし、10数名のプロパー社員さん自身も懐疑的でした。

しかし、私にはやれるという自信がありました。それまで2年半MGを通じて学んだことを、キチッと現場に落とし込めば、社員さんと一緒に同じ方向へ進むことができれば、可能だと確信していました。そのためには、彼らの待遇を改善して喜んで働ける環境・条件を作るのが先だと思いました。

よって、経費とりわけ人件費をアップすることを第一目標にしました。もちろん一気にというわけにはいきませんが、改革5ヶ年計画で経費は140%に上げる、しかして経常利益は実質で10倍以上を確保する、これが戦略目標でした。

細かなことは書けませんが、結果だけ申し上げますと(5ヶ年の最終年で)経費は144%と計画を上回り、利益もオーバーして目標達成し、全社で美酒に酔うことができました。その後も賞与を、決算賞与も含めて年3回出せた年もあり、同時に内部留保もキチンと積み増すことがことができました。

やれるのです、経費を削るだけが能ではありません。むろん、ムダな経費・冗費は削らなければいけませんが、必要な費用は思いきって投下した方がいい場合があるのです。それによって、社員さんのモラル・やる気も上がります。自分の人件費は自分で稼ぐ意識が高まり、自主性や主体性が醸成されます。

もちろん、全てがうまくいったわけではなく試行錯誤や失敗もありました。それを乗り越えてこその成果です。ちゃんと科学的な、合理的な裏付けを持つことも必要ですが、あなたの会社もチャレンジしてみられませんか。

全員が初体験者というMG社内研修

今週の火曜日・水曜日に、新潟市内の企業でMG社内研修を行い、インストラクターとしてサポートさせていただきました。1ヶ月半くらい前にオファーをいただいたのですが、これまで一度もMGをやったことがないということでした。

研修当日に、社員さんと一緒に参加されていた経営者にきっかけを尋ねたところ、補助金のセミナーの中でMGのことを知り、それから情報を集めておられる中で当社のことを知っT_img_1698 たとのことでした。

ですから経営者の方も、参加されていた社員さんも全員がMG初体験、こういう場合には体験者の方に助っ人をお願いすることがありますが、今回は少人数だったので1人でもフォローできるだろうと、本番に臨みました。

MGを見るのも聞くのも(経営者を除いて)初めてですから、西研MGの基本通り進行し、特に第1期シミュレーションはいつもよりゆっくり目に、遅れそうな方の横に立ってフォローしていきました。それでもピッタリ昼ごはんまでに、マトリックス決算まで完了しました。

その後も比較的順調に進めることができたのは、参加者の方が皆さん前向きで「しっかり学ぼう」という意識を持たれていたこと、こちらのアドバイスを素直に聞いて実行されたことによるものでした。結局、第3期の決算は最後まではできませんでしたが、これは初日のみ参加の方がおられたので、MQ会計講義の時間をしっかりとった為でした。

2日目は残っていた決算をやっていただき、経営計画からのスタート。4期、5期もだいたい予定時間内に終えることができました。最終のまとめの講義では、MGの目指すところである、全員経営・戦略経営・科学経営についても触れることができました。

書いていただいた感想文でも、「難しかったが面白かった」あるいは「またやりたい」との言葉を、半数の方が書かれていた。ぜひ、MG仲間に加わっていただきたいという思いを込めて、「MG百回帳」を全員にお渡ししました。

脳力開発は人間学であり行動科学です(75)

 前回述べましたのが「役割の3面」ですが、一般的な「脳力開発の3面」形に置き換えると次のようになります。まず「原動力」ですが、これは精神面で「心の充実」と表現しています。意欲や情熱、感情、気分、感覚などの精神的姿勢が相当します。次の「プログラム」は、思Photo_2 考面で「思考力の向上」となります。例えば、思考方法や思考や行動の組み立てがこれに当たります。3つめの「データ」は知識面で「知識の拡大発展」です。知識や情報、認識や意識がこの面に当てはまります。

 この3つはバラバラにあるのではなく、常に同時進行で進めていく必要があります。つまりしっかりとしたトライアングルで、行動に移す強い意識や継続の心を持ち、必要な知識や情報を集め整理して組み立て、実行するという流れになります。脳力開発、脳力を高めていく目的は人間形成にあります。個人の一人一人が高まることによって、企業組織や社会のレベルが高まっていくことにつながります。その過程の中で人間性あるいは人格も、高まっていき確立されます。

 企業内の教育研修では、ともすれば知識教育や技術教育に重きが置かれます。もちろんそれらも大切な要素ですが、知識や技術を活かして使いこなせる人間力がカギになります。専門力を活かせる総合的な脳力をもった人づくりを、目指していきたいものです。学校教育においても、また昨今は家庭教育においても、知識教育に片寄る傾向が強くなっています。やはり、精神面の強化や思考力の向上ともバランスをとってやることが合理的であり、大いに効果的であると言えるのです。

増毛(ぞうもう)駅が無くなってしまいますよ

地方ローカル線が、また一つ消え去ろうとしています。廃止されるのは、JR北海道の留萌本線の末端部分、留萌から増毛までの17km足らずの路線です。本線とは名ばかりで、1両のディーゼルカーが1日片道6~7本運転されるだけです。

それでもまだ鉄道華やかなりしころには、札幌から直通急行がやってきていました。また、高倉健さん主演の映画「駅 STATION」の舞台にもなりました。私も1971年頃、大きなリュックを担いでこの「最果て」駅まで旅したものでした。駅前には食堂や旅館があって、それなりに賑やかでしたが、今は寂れた駅周辺だと聞いています。

Photo 増毛駅もホームが1本だけ、レールはさらに先に伸びていますが、すぐに車止めにぶつかり先にはいけません。それでも鉄道敷設法の「予定路線」としてはオホーツク海から石狩湾沿いに、計画中の破線が地図に記載されていたものでした。万が一延長されたとしても、ほとんど人の乗らない路線になったことでしょう。

なにしろ廃止区間は、100円を稼ぐための経費が数千円もかかるという、超々赤字路線です。最近では地元民の利用も減り、高校生の数も減っていることから、好転は望めません。地元の方は留萌、増毛の町の中央を結ぶバスを主として利用しています。

いや、それさえ昨今は車に押されて赤字になり、便数減も考えられています。人口減、過疎化の勢いも止まっていません。ローカルバスを乗り継いで旅するTV番組が人気ですが、あれを見ていても、ローカルバスが危機にあることを実感します。

とくにJR北海道は、札幌近郊を除くとそのほとんどが赤字線で、とくに今回の留萌本線などローカル線は、今後益々維持できなくなるという評価がされています。ということは、今後も廃止路線が増えることも予想され、特急の走る準幹線ですら前途は暗いそうです。

さて、増毛駅は健さんの映画の他、その名でも有名な駅です。そう、「ぞうもう」駅なのですが、入場券が根強く売れているとか。名産は昆布でしたっけね。この入場券はどうなるのでしょうか。気になる方もいるのでしょうね。。

利益を上げる常識は鵜呑みにしないで下さい

もしあなたが、「専門家」と呼ばれる方に経営相談をされたとしましょう。どうもここのところ利益が上がらなくて、今期もこのままでは赤字になるかも知れない。どうにかして黒字を目指したいが、どのようにしたらよいでしょうかと。

多くの「専門家」は、あなたにきっとこう答えるでしょう。

 その一、何といっても売上を上げていきましょう。
 その二、それからコストダウンを図っていくことです。
 その三、できるだけ経費(固定費)は減らすようにがんばって下さい。
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極めて常識的な答で、多くの経営書・ハウツウ書にもこのように書かれています。それは、次のような公式からも導かれる模範解答です。
 ●経常利益あるいは営業利益=売上高-変動費-経費(固定費)

変動費はコストの総額ですし、経費は一般的に販売および一般管理費です。この経費に金利などの営業外損益を含めば経常利益ですし、含まねば営業利益です。

この公式からいえば利益を増やそうとすれば、確かに変動費つまりコストをダウンし、さらに経費を削ることができれば実現できます、、、いや、実現できるように見えます。しかも専門家の口から語られれば、なるほどと思ってしまうでしょう。

だが、私たち「へそ曲がりのコンサルタント」は、次のようにいうかも知れません。
 1.これはぜひ売上げを落としていきましょう、半分くらいにしましょうか。
 2.コスト、なかんずく材料費を上げてもっと良いものを使いましょう。
 3.給料や販促宣伝費など、あるいは研究開発の費用をもっと使いましょう。
とんでもないコンサルタントですね。

もちろん、どんな会社にもこのようにアドバイスするわけではありません。でも、ケースバイケースでこのように勧めるかも知れません。それで確かに利益を上げていった会社がありますし、私自身の会社も2.と3.を実践して成果を収めました。

さて、あなたの会社はどうなんでしょうね。少なくとも、専門家のおっしゃることをごもっとだとは、安易に受け入れないで下さい。こんな事を言うと、専門家の先生から非難囂々かも知れません。でも、あなたの会社を思って声高く申し上げますから。

脳力開発は人間学であり行動科学です(74)

 さて、ここまで話を進めてきたわけですが、読まれた方の多くは「なるほどね」と思われたことでしょう。しかしながら、理解することと納得すること、そして体得することとは違うのです。もちろん目指すところは3つ目の「体得」なのですが。体得は、実践行動なしには実現しません。行動とは何度も繰り返しになりますが、手と足と口を動かすことです。動かした結果が行動の実現ということになります。そして動かし方(使い方)が行動内容であり、脳力開発の目指すところです。
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 聞いたり見たり感じたりしたことは、脳力開発ではペーパー知識と言います。ペーパー知識は実際に使う、つまり活用してこそ「体験知識」となります。セミナーに出て「良いことを聞いた」で終わっていては、もったいないのだということになるわけです。実践行動すなわち脳力発揮は、次に3つの作用に分けて考えられます。1つめは「原動力」であり、脳をできるだけ頻繁に、真剣につかうことです。これまでよりも、しっかり意識して手と足と口を動かすことだと言えば、分かりやすいでしょう。

 2つめは「プログラム」で命令やコントロールということですが、これは脳をできるだけ効率よく、上手に使うということです。3つめは「データ」で活用できる情報を多く得て、脳を幅広く多様に活用するということになります。これらは脳の機能や役割の視点から見たモノですが、別の視点からもとらえることができます。脳力開発では「ねらい」といいますが、原動力は「心の充実」、プログラムは「思考力の向上」、そしてデータは「知識の拡大発展」となります。

大切な一票がムダになってしまうのは残念

7月に入って梅雨らしい空模様が続いています。この蒸し暑さは苦手で、頭を使う仕事は早起きして、できるだけ朝の内に済ませてしまいます。ここのところ、放送大学の講座視聴ができていませんので、ちょっとねじを巻かないといけませんね。

さて、今週の日曜日10日は参議院議員選挙、選挙運動も残り6日間です。とは言え、今のところ誰一人として候補者の顔を見ていません。選挙カーが回ってくるのに、全く出会っていないのです。定数が一人減って与野党激突の激戦区のはずですが、そんな気配はニュPhoto ースで流れるだけです。

どちらの候補とも面識はありますが、ただ知っているという程度ですので、キチッと政見なども聞いてみたいところですが、幸いその辺りはネットでの確認ができます。それでも生の声って大事だなと思います。

ところで我が家は5月に転居した(ことになっています)ので、長岡市での投票となり、すでに入場券は届いています。今週7日にちょうど長岡に行きますので、そのおりに期日前投票を済ませてくる予定です。でも、カミさんは同行しませんし、またわざわざ10日当時に往復の時間と費用をかけてまで・・・

これが同一市町村内の異動であれば、こちらの区役所に出向いて期日前投票も、当日投票も可能なのですが、同じ県内でも市町村が違うとダメなのですね。我が家ではたったの一票ですが、ちりも積もれば山になるでしょうね。

どこかで線引きしなければならないというのは分かりますが、このネット社会ですから、投票権があることが分かり本人確認ができれば、全国どこでも投票できるようにならないのかなと思ってしまいます。カミさんは、決して棄権の意思があるわけではないですし。私だって、たまたま他の所用があるから便乗できるわけです。

ネット投票までとは言いませんが、日本国内からなら、投票意思があるのならどこでも投票ができる、という仕組みにならないのでしょうか。

表の歴史から隠された蘇我馬子の事績を追う

さて、蘇我馬子に話は戻ります。聖徳太子と同時代に、政権の中枢にあったということは、前回・前々回の歴史コラムで書いた通りです。歴史の教科書では、仏教の導入に熱心で、それに反対した物部氏(物部守屋)をせめて滅ぼしたことが掲載されています。

そして、その戦いに若き日の聖徳太子(正確には厩戸王)も参加し、最前線で剣を振るったと記録にあります。この時仏に必勝を祈願し、勝利の暁には一寺を建立することを誓いますが、その寺が大阪の四天王寺です。余談ですが、四天王寺を建立するために百済から呼び寄せられた技術者等が「組合」を作り、それが日本最古の企業「金剛組」のルーツでPhoto す。

日本書紀には、厩戸王(とは記されていませんし、もちろん聖徳太子とは書かれていないことは前回記した通りです)の事績として、十七条憲法はじめ多くの政治的事業、あるいは小野妹子をはじめとする遣隋使の派遣などが書かれていますが、同時代にできた古事記とは記述の仕方や内容が異なります。

そこで、実はこれらの多くは大政治家であり、時の最大権力者であった馬子の事績ではないかという説が出されているわけです。私は史学者ではありませんし、そういう研究をするには知識も能力も持ち合わせません。多くの様々な立場で書かれた評説を、興味本位で眺めているに過ぎません。

そういった素人目線で、しかもただの第六感で物言えば、上記の説が正しいような気がいたします。とくに日本書紀は、どうも藤原氏の「正当性」をことさらに強調するために編纂されたようであり、その政敵であった蘇我氏を極端に貶めることに注力したと思われます。

ですから、少なくとも日本書紀には馬子の輝かしい事績はほとんど記されていません。多くのことが厩戸王という、後に聖徳太子と称される皇族のやったこととして記され、それが強調されればされるほど、馬子の存在が小さく見せられているようです。

そして馬子の孫に当たる蘇我入鹿が、中大兄皇子や中臣鎌足などの「革新的英雄」によって、誅殺されたことによって、さらに馬子の存在を低めていると見られます。この誅殺、すなわち乙巳の変については改めてコラムにまとめますが、こちらもどうもかつて歴史で学んだこととは大違いのようです。

蘇我氏の氏寺は、飛鳥の中央にある飛鳥寺(法興寺)です。橿原神宮駅から東へバスで10分足らず、ゆっくり散歩しながらでも1時間はかかりません。平城京にある興福寺が藤原氏の氏寺であるのと、どうしても対比して考えてしまいますが、非常にいいところです。

というより、飛鳥(明日香)というところ自体がとっても素晴らしいところです。古代史の中の輝ける時代が、そこに展開されていた。そんな心でゆっくり歩き回ってみたいものです。

引越による住所変更がこんなに多いとは

4月の末に引越をして、2ヶ月が経過した。生活そのものは落ち着いたという時期なのだが、色々な手続にまだ少々悩まされている。具体的にいえば住所変更の手続きだ。引越前からリストアップして、順番に手続きを済ませていったのだが、リストから漏れていたものもけっこうあるものだ。

それらは郵便で案内が届くと初めて気付くわけだ。つまり1年間の転送手続きをしているので、転送の住所シールを貼った郵便が届くことで、これも住所変更が必要だということになるわけだ。

それら数多くの住所変更をしていて、カードの枚数の多さに気付かされる。クレジットカードはさすがに数を絞っているが、それでも少なくない枚数だ。これらはネットで手続きができるところがほとんどなので、さほどは手間取らなかった。中には、電話での連絡が必要なとPhoto ころもあって、いったいこの電話料はどちら持ちなのだと気になることもあった。

その中の1つ、ある家電チェーンの住所変更に先日行って来た。店頭で申し出れば手続きができるのだろうと思っていったのだが、どうも違うらしい。しかも、会員の種類がいくつかあって
それぞれ手続きのやり方が違うという。

その1つはスマホでできるということで、店員が本部と確認しながら指導してくれて、まずはアプリのダウンロードから始まり、そこから住所変更にとりかかった。これはPCでできるのかと尋ねたら、携帯でしかできないのだという。しかも、パスワードを忘れてしまっていたので、その確認からしなければならなかった。

その手続きが終わっても、別のメンバー会員の方は電話でセンターとやりとりしてほしいとのこと。同じ会社じゃないか、一挙にできないのかと言いたかったが、そこまでで既に半時間くらいかかっている。カミさんがまだかという顔で立っているのでやめた。(ちなみに対応してくれた店員はとても一所懸命にやってくれました、念のため)

で、自宅に戻ってからそのセンターとやらに電話。幸い、こちらのやりとりはそれほどの時間を要しなかったが、同じ会社の仕組みなのだから、1つやれば全部に行き渡るようにしてほしいものだ。そういえば、別のところでも同じような疑問を感じたところがあった。

お客様第一といいながら、実情はそうなっていないケースが少なくない。商品・製品やサービスの品質以上に、価値満足という指標も大事になっている。しかも、お客様も時間とか精神的苦痛などの「コスト」を払っていることも、忘れてはならないと思うのだ。

あなたのところは、そこまで氣を配った仕事をしているのか?
(写真と本文とは関係ありません)

脳力開発は人間学であり行動科学です(73)

脳力とは何か
 脳力は人間の思考・行動の根幹ですが、もう一つ大事なことは万人が皆平等に持っている力だということです。何故なら誰でも140億(一説には150億)の大脳細胞を持っており、これは東西古今の人間に共通していることだからです。しかしながら、脳力の発揮の成果・結Photo_2 果として能力があるとすれば、その能力すなわち脳力の具体的な発揮や、結果の内容には個人差があります。これは各人の脳細胞回路のでき方の違いによる、言い換えれば実践行動の違いによるものです。

 「脳力開発」とは、自分自身の適切な脳細胞回路の構築を行うための、実践行動(実践訓練)に他なりません。回路の構築には新しく回路を作るということのほか、今すでにある回路の修正変更も当然に含まれています。脳細胞回路の構築あるいは再構築とは、どういうことなのでしょうか。そこが脳力開発の学びの要諦になるわけですが、簡単に言うと「習慣づくり」です。日常の中で、新たな(または更新された)習慣を形成し、確立していくことに他なりません。

 私たちは生まれてからこの方、ずっとこの習慣づくりをやってきています。例えば朝起きたら歯を磨いて顔を洗う、誰でもやっていることですが、これも小さい頃から親たちに教えられて、無意識の内に習慣となったものです。大人になると、無意識の内に習慣化されるものよりも、意識して習慣化していくものが増していくようです。意識して習慣づくりをすることが、脳細胞回路の構築なのですが、つまりは意識して「手と足と口」を活用することを日常化することなのです。(写真は生理学研究所発表資料より)

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