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十七条憲法を作ったのは蘇我馬子だ

嶋大臣(しまのおとど)について、書いてみようと思います。非常に著名な人物ですが、「それは誰?」って、首を傾げられるでしょうね。

生年は不明ですが、おそらく(西暦)550年頃と推定されていて、没年は626年(推古34年)ですから、古代人にしてはけっこう長生きだったと言えます。年号でお分かりの通り、推古天皇の時代に活躍した方。といえば、推古天皇の摂政だった(と目される)聖徳太子の時Photo_2 代ということにもなります。

そう、蘇我馬子です。正直言いまして、どんな人だったのか良く分かりません。馬子について書かれた史料は日本書紀ですが、これは正史とはいえどこまで信じていいのか、すなわち本当に正しいのか疑問が残ります。

つまり、余りに悪く書かれすぎているからです。あまつさえ、崇峻天皇を殺害したとさえ書かれているのですから、どんなに悪いものかという印象を抱いてしまいます。権勢を誇り、権力をほしいままに行使した人物というイメージです。それは本当なのでしょうか。

キーポイントは、日本書紀は誰が編纂させたかです。いずれ書くことになると思いますが、首謀者は藤原不比等です。不比等の父、鎌足(中臣鎌足)は「藤原氏」初代であり、その藤原氏の最大の政敵が蘇我氏であったという事実です。

江戸幕府が、家康の政敵であった石田三成をとんでもない「悪者」と描いたように、不比等も徹底的に蘇我氏を叩いたのではないかと考えるわけです。

ここで考えたいのが、聖徳太子という存在です。この名はもちろん後世の人が名付けたもので、その時代にこう呼ばれたわけではありません。実在したかどうかと言えば、間違いなく「厩戸皇子」はおられたのです。この人がやられたという事績、十七条憲法とか冠位十二階の制定、あるいは遣隋使の派遣。

これらは、実は蘇我馬子の事績ではなかったかという説があります。しかしそれでは、藤原氏(蘇我入鹿を暗殺した中大兄皇子の支援者)が悪者になってしまうので、聖徳太子という偶像を作ってその事績としたのではないか。

この辺りのことを、もう少し考えてみますかね。(写真は馬子の墓と推定される石舞台古墳です)

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