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『他人のせいにしない』ことが最大ポイント

私が独立創業(個人開業)し、ヴァンガード経営研究所という看板を掲げたのは2008年だ。すでに1999年からその名で名刺を持って「二足のわらじ」を履いていたが、正式に個人事業の開業届を出したのは6月6日(開業日は6月1日)だった。

同時に、青色申告事業者としての登録も行った。それによって、必要な経理書類を持つことが義務づけられるが、既に自作(マイツールというソフトで)で仕組みは作っていたので、あとは個人銀行口座に「法人口座」を付けてもらうことくらいだった。個人と法人を分けたのは、小さいとはいえ「公私混同」を避けるためだ。

Photo ところで2008年といえば、何が思い出されるだろうか。そう、リーマンショックだ。開業してすぐに(夏頃に)起こった世界的な経済ショックが、いち早く日本にも波及し、まさかまさかで超零細の私の事務所にも波紋を拡げてきた。

つまり、企業研修を考えられていた会社から見合わせの回答が来たり、講演会開催がキャンセルになったり、公開セミナーへの参加者の数が明らかに減り始めたりした。幸い、地元の商工会議所から企業サポート専門家としての登録依頼がきたおかげで、一定の収入は保証された。また大きな社員研修が、ショックの前に完了していた。

しかしながら、リーマンショックの影響は短期間には終わらなかった。じわじわと製造業、流通サービス業へと拡がり、創業2年目もかなり苦労をさせられた。この時に、経済には国境などないということを思い知ったが、その意味では大いに勉強をしたわけだ。

脳力開発的な言い方をすれば、これらの出来事・現象は「条件」である。リーマンショック後に、上記の会議所を通した経営コンサルティングやサポートの依頼は急増したが、経営者に面談すると口を揃えて「昨今の経済状況が悪くて」とおっしゃる。それが「原因」で経営が苦しいのだというわけだ。

脳力開発では、原因と条件の混同を戒めている。つまり、条件を理由にしている内は解決に結びつかないというわけだ。しかし、目の前の経営者にそれをストレートには言えないので、かなり苦心した。(その条件に対して)御社は何を考え、何をしているかということを聞き出すようにした。そこからアドバイスの糸口を見つけるのだ。

お分かりいただけるだろうか、条件は前提であったり利用すべきものなのだ。その条件下で、自社は何ができるのか、今やっていることはいいのかどうか、ダメだとしてらどう改めるかということが大事なのだ。

自社・自分以外に原因を求めないこと、これが最大のポイントなのだ。もっと易しい言葉で言えば、『他人のせいにしない』ことなのだ。今のあなた(の会社)はどうだ?

独立を志向する「高齢化予備軍」人の方へ

高齢化と少子化という。しかし、この2つは全く別のものであることは言うまでもない。それなのに、例えば一般には「少子高齢化」という一括りで語られることが多いようだ。全く別の次元のレベルのものを、同じ土俵で語ろうとするからムリがあるなと思う。もっとも、ここでそのことを論じようとは思わない。

さて高齢者の方だが、実は私もあと半年足らずで統計上の「高齢者」に仲間入りする。しかしながら、まだまだ当分は現役を続けていくつもりである。今現在企業の中で、キャリアを磨いておられる方の中には、そのキャリアを退職後も活かしていきたいと考えている方が多いだろう。

私は定年のおよそ5年前に自らリタイアを申し出て、退社した翌日に独立し、今に至る個人事業を立ち上げた(実際に開業届を出したのは3ヶ月後)。おそらく現在現役でバリバリやPhoto っている人の中にも、リタイアしてすぐに個人事業を開業、あるいは法人を立ち上げる人がいるだろう。

思うことはいくつかあるだろうけど、その代表的なものは1つは今のキャリアをさらに活かしていけるだろうということ、2つ目はこれまで築いてきた仕事の人脈がプラスになるだろうということだ。どちらも間違ってはいない。

ただ、おそらくどちらも、特に後者の方で大きな壁を感じてしまうだろう。

まずキャリアの方だが、ごく特殊な技能や知識ならともかく、一般的なそれらは世の中に普通にあるものだから、飯の種として活かしていくには時間がかかるに違いない。私の場合は、現役時代に10年近く「二足のわらじ」を履いていた。すでに公開セミナーを主催し、他企業の研修を引き受け、時にはコンサルティングも頼まれていた。

つまりもう、10年近い別のキャリアを持っていたのだ。それから、人脈も会社の仕事とは別のネットワークをいくつか持っていた。というより、会社の中でのネットワーク人脈はほとんど捨ててしまうことにしたくらいだ。

独立を志向する人は、この人脈でつまずくことが多いようだ。つまり現在の仕事の人脈を当てにして、それをたどって「仕事にありつこう」とするようだが、その人脈は現在の名刺が生きていてこそ光を放つのだ。企業名や肩書き、その重みは現役の時にはさして感じないが、その名刺を使わなくなって初めて重さや価値を痛いほど感じるのだ。

新しい名刺に印刷した新しい社名、肩書きは(例えそれが代表と知り麻里薬であっても)、ほとんど光彩を放たず、当然に重みもないのだ。そのことに気付くまでに、時間を要してはならない。

現在のキャリアや人脈を捨てろとはいわない、がしかし、寄りかかり頼り切ってはならないということを、「先輩」として伝えておこう。幸い、昨今は「二足のわらじ」を容認してくれる企業も増えたという。もしそうなら、その条件を目一杯活用しよう。

それができなくても、会社とは離れたところに違うネットワークを作っておくことだ。そのネットワークに「独立しました」の案内を何枚送れるか、それが勝負の分かれ目になるだろう。せっかくのキャリアを活かしたければ、先を考えた助走をすぐに始めよう。

脳力開発は人間学であり行動科学です(72)

 「人財力」がこれからの大きな課題になる、それはいつの時代でも重要な課題なのですが、これからの企業とくに中小企業にとっては、最も中心課題になるでしょう。一人がこれまでの倍どころか、35倍の力を発揮してこそという時代になるからです。既に再来年春の採Photo 用に向けての活動が始まっていますが、大企業の採用枠が広がる上に、今後新卒者の数が漸減していくことが明らかですので、中小企業の採用が厳しくなることが目に見えています。もちろん新卒者を採る為の努力はしなければなりません。

 その上で、現状の人員をいかに「人財化」するかということが、さらに大きな発展要素になってくるでしょう。当社には優れた人材がいないから、などと呑気に言っている場合ではないのです。好むと好まざるとに関わらず、やらなければ立ちゆかなくなるでしょう。「人材の人財化」を推進していく上で最も大切なことは、リーダー(主に企業経営者)が「必ずやるのだ」という強い意思、曲げない決意を持つことです。やり始めたら途中でやめない、必ず実現するという覚悟を持って臨んでいただきたいのです。

 ここからは、脳力開発の基本に基づいていかに人材の人財化を進めていくのかについて、述べていきます。脳力開発だけでなく、他にも役立つ事柄があれば盛り込んで参ります。時には私自身の体験もまじえて、解説をさせていただきます。まずは「脳力」とは何かですが、脳力とは文字通り脳の発揮する力です。能力との違いは、根幹と枝葉、全体と部分の違い、さらには原因と結果の違いと言っても良いでしょう。脳力が発揮されてこその、能力であるとご理解下さい。(このイラストは田澤接骨院様HPより転載させていただきました)

新車がやって来ました

T_img_2470 都会と違ってローカルでは、車は必需品であり生活の一部です。もちろん、仕事で使うこともしょっちゅうです。これまでの車(TOYOTAラクティス)は、独立して個人事業をスタートした年に購入し、これまで8年と少しがんばってくれました。

これと言って悪いところがあるわけではありませんでしたが、新居に移ったのを機会に新車に買い換えることにしました。長岡にやって来る前からですから、もう30年以上ずっとTOYOTA車に乗り続けてきましたが、ふとした理由でHONDA車になりました。

HONDA車に乗るのは30数年ぶり、前回は赤のシビックでした。今回は時代でもありますのでハイブリッド車です。色々と新装備もあって、慣れるのにしばらくかかりそうですが、年齢のこともあって、おそらくこれが最後の愛車になる予定です。そのためにも、日々安全運転を心掛けねば。

75歳で一区切りを付けようかと妻とは話していますが、4回の車検を受けてちょうどそのタイミングになります。それまで良い相棒でいてくれますように。

MGの学びにはゴールがないから素敵だ

この週末土日は、東京で薬樹さん主催のMGセミナーに2年ぶりで参加しています。しかも、ここのところ引越やらなんやらで、MGへの参加も半年ぶりです。

今回は7卓41名のメンバー、その内薬樹さんグループの社員さんがほぼ半数です。社外の方は遠く九州や東北からも、かく言う私も新潟からの参加ですからね。ほとんどの方が体験者、それもベテランが多く、進行も早くて翌日に向けての経営計画が完了したのは夕方Img_2453 でした。

その分、交流会もたっぷり時間がとれるというわけですから、学びも一段と深まります。美味しいお酒をいただきながら、私も色んな方とMGや脳力開発について、お話しさせていただきました。

MGは「成績より期数、期数より交流」、そして交流を通じて向上を目指します。経営のシミュレーションゲームであり、経営や会計について学ぶという主旨はありますが、それだけではないというわけです。参加者それぞれのMG体験、あるいはMGを活用した経営体験に接することも学びの一つです。

私がMGに出会ったのは1987年の9月ですから、間もなく学び始めて29年です。なんでそんなに学び続けているの、とよく聞かれます。しかも、毎回毎回同じところからスタートし、同じことを繰り返すのです。ベテランであろうが、今日初めてMGを体験する人も、スタートラインは同じです。

私たちは「芋洗い」と呼んでいます。色んな形や大きさの芋があって、それが同じ器の中で揉まれ合いながら、やがてキチンとした丸い形に整っていく。なのに、5年間の経営が終わると、成績には大きな差が生まれる。ベテランの成績が必ず良くなるわけでもない、しかしちゃんと結果に差がつく。

なぜだろうと考えるところから、新たな学びが始まります。私とあの人とはどこが違うのだろうか、何が違ってけっかがこうなったのだろう。最初は分かりません、聞いたり考えたりしてその時々で答を得るのですが、それが正解とは限らない。

あるいは真似をしてみるのですが、うまくいくとは限りません。また悩み、また考え、また試してみる。私もそうやって29年間学び続けてきて、そして間違いなくこれからも続けていくでしょう。

しかも、今回の「戦略」はいつもとは少し角度を変えてみました。残り今日1日、さてどんな結果になって、どんな新たな気付きになるのか、とっても楽しみです。

厩戸王(聖徳太子)は蘇我系の皇族だった

蘇我馬子についての2回目ですが、今回は馬子ではなく聖徳太子について。つまり、「聖徳太子イコール馬子(入鹿という説もあります)」という説がありますので、この際触れていかないわけにはいきません。なお、「聖徳太子は存在しなかった」説もあります。

前回も書きましたが、厩戸皇子(うまやどのみこ)という方は間違いなく実在したようです。用明天皇の第二王子で、母は穴穂部間人皇女で、この方は欽明天皇の皇女で母は蘇我氏。用明天皇の母も蘇我氏出身でしたので、厩戸皇子も「蘇我系」皇族でした。

厩で生まれたという説は、何となくイエスキリストを連想させますが、当時は母方の実家で出産ということを考えると、馬子の屋敷で生まれた可能性もあり、馬子屋敷→厩戸というのはうがち過ぎでしょうか。いずれにしても蘇我氏との縁が深く、馬子と連係して政務に当たった可能性も高いわけです。
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聖徳太子というお名前は、死(622年)後に諡されたものと思われますが、日本書紀にもその名は見られません。書紀の中では、「豊耳聡聖徳」とか「東宮聖徳」と書かれたいたと記憶していますが。平安時代初めには「聖徳太子」と称されたようです。

こういう高貴な(「聖」も「徳」も大変高貴です)名前を贈られるのは、怨霊になられるのを防ぐためという説もあります。つまり、死に際に何か不幸なことがあり、現世に大きな恨みを遺されたということです。何しろ記録が余りありません、また日本書紀の記録もあいまいであり、どこまで信頼できるか疑問も多いですね。

さて、聖徳太子の事績はこれまでは歴史の教科書にも大きく載せられていました。十七条憲法、冠位十二階の制定、遣隋使の派遣等々。隋の煬帝に宛てた「日出るところの天子」で始まる国書は、とみに有名です。これらのことが太子の手で行われたものか、それとも馬子との連係で行われたか、それとも馬子一人の業績なのか。

なんの史料もない中で、私などの意見は思いつき以上の何物でもないですが、この時代の政治の中心は蘇我氏であり、中でも馬子の実力も博識も抜きんでていたわけですから、馬子の業績なのでしょう。しかし、それではいかにもうまくないので、厩戸皇子・推古天皇の名で行われたのでしょう。

ところで太子が推古天皇の摂政であったかどうかですが、この時代に摂政という役職名はまだありません。後世の摂政に値する役割だったということなのでしょうね。いずれにしても太子と蘇我氏が対立関係だったわけではありません。事実物部守屋を滅ぼした戦いには、太子自身が蘇我軍の先頭に立っていたのですから。

そんなわけで謎多き聖徳太子ですが、最近の教科書には「厩戸王(聖徳太子)」と記されているようです。我々世代はお札の肖像という印象ですが、現代の子供たちはどのように学び、感じているのでしょうね。

脳力開発は人間学であり行動科学です(71)

 どんなに成功した戦術であっても、それがそのまま自分の会社に当てはまるかというと、決してそうではありません。戦術が成功した事実は、成功した会社の特殊性なのであって、どこにでも当てはまる普遍性ではないからです。ですから、自社の戦略と照らし合わせて、そPhoto の戦術が妥当かどうかを計算しなければなりません。つまり、戦略方向に当てはめて、それぞれの会社の条件に合うような具体的戦術にアレンジしていかなければならないのです。

 戦略を理解し把握し、様々な戦術を組み合わせて自社独自の戦術に組み立てていく、言い換えれば自社の特殊性を作りうる人財が必要だと言えましょう。そういう社員を育てる(育つようにする)、理想的には全員が人財になってほしいわけですが、脳力開発を学ぶ意味もここにあります。

 さて、世の中では会社を比較するのに売上高の大きさとか、社員の数の多寡をみるようです。100人の会社と20人の会社がライバルとして真っ向からぶつかれば、前者の方が勝つだろうと予測します。では実際にはどうなのでしょうか。

 例えば100人の会社は1人が1の仕事しかこなせないのに対し、20人の会社は1人が5人分の仕事をこなしているとしたら、単純計算では力が拮抗します。さらに後者の方は、一人一人が成果を倍出せる能力を持っていたら、力は明らかに逆転します。これが「人財力」と称される要素で、企業における社員教育によって作られていくモノです。企業の発展戦略に合わせた人財づくりが、教育計画の実行推進によって実現できれば、上記のような結果も可能になるわけです。

カラスの勝手に文句やグチを言わないの!

コンサルティングをしていて、いつの時代も相談の過半は「どうしたら売上げが上がるでしょうか」です。不思議なことに、景気停滞や下降の時はもちろんですが、景気の良い時でも同様の相談を受けます。

経済活動といっても、「経済」というものが勝手に動き回るわけではありません。人間が動いて、活動して生まれる結果が「経済」です。売上げという経済活動を取り上げれば、「売る」ということと「買う」という人間の行動があるわけです。

そんなこと当たり前じゃないか、その通りです。しかしその当たり前のことが、最大のカギなのですから。作り手や売り手、つまりメーカーや販売店が「売る」意識や意欲を持って活動Photo しても、お客様の方が買ってくれなければ、「買う」活動をしてくれなければ、物やサービスは売れないのです。

ところが売る側は勘違いをしてしまいます。これだけ良い商品、サービスを提供しているのだから、消費者は買ってくれるはずだという、大きな誤解です。どんなに品質や性能・効能が良いとしても、サービスがライバルを圧倒していても、お客様が買って下さるとは限りません。ここのところを間違ってしまうので、「どうして売れないんだ」という嘆きになります。

挙げ句の果てに、買ってくれない消費者が悪い!ナンテ言ってしまう、心の中でグチってしまうのです。消費者という言い方も、私に言わせれば良くないですよね。買っていただいたらもちろん、まだ買っていただいてなくても、すべて「お客様」でしょう。

さてその昔、こんな歌が大いに流行りましたね。「カ~ラ~ス、なぜ泣くの。カラスの勝手でしょう」。ドリフの『8時だよ、全員集合』で、志村けんが歌っていたあの歌です。そうなんです、買って下さるかどうかはお客様の勝手なんです。

売り手が売らんが為に、品質を上げ効能を目一杯付け、サービスやおまけもしっかりつけて、CMをがんがん流す。これもまた売り手の勝手でしょう。それに乗って買うのもお客様の勝手なら、買わないのもまた勝手なのですから。

世の中には売り手がいて買い手(お客様)がいる。そして、全てのお客様が買って下さるナンテこともなければ、全く一つも売れないということもまず考えられません。日本の人口1億2千万人の1%が買って下さっても、120万個というすごい数ですからね。

あなたのお客様はどのくらいですか? 少し冷静に考えて、そして買って下さるお客様のことを一所懸命考えて、手抜きをせずにやってやってやりぬくことです。もちろん、「金の品質・銀の価格」といった理念は貫きながらです。

それ以上に何か秘策がありますか? そうやって買って下さる一人一人のお客様を大事にしていくことが、売上げを確保し上げていく最良の戦術(手段・方法)です。

そして、同じ考え方で一緒に仕事のできる社員さんを、地道に育てて参りましょう。

常識とマナーのない方はお断りですよね

参議院議員選挙が今日公示される。来月10日が投票日だが、今回から色々な変化が見られる。18歳まで選挙権が拡大されるとか、定数是正で合区なるものができるなど。そういえば、我が新潟選挙区もかつての定数2が1に削減される。これまでは自民・民進(旧民主)が分け合う構図だったのが、与野党グループ激突になる。

さらにはネットも解禁される。メールには制限があるが、SNSについてはほぼ無制限、ある意味やりたい放題になるかも知れない。ツイッターやフェイスブックにアカウントを持っている議員や候補者も多いようだが、自らキチッと発信している人は少ない。これは老若には余り関係ないが、やや若い方が「有利」なようだ。

Img_2425 今日は選挙の話ではない、フェイスブックの話だ。アカウントを持ってから6年になる。その以前にもミクシィやビジネス系のSNSをやっていたし、ツイッターの方が先だった。しかし、フェイスブックの特長である「顔出し」が気に入って、最近はFBが主流だ。

もっとも始めた頃はとにかく「友達」を増やそうというわけで、この辺りはザッカーバーグ青年のFB創成の意図に沿っているわけだが、リクエストをもらったら無条件に承認していた。自分もまた「友達の友達は友達」ということで、知らない方にもリクエストを送った。

途中からこれではいけないと、リアルで会った方を基本とするポリシーを掲げたが、2500人くらいまで拡がり、その7~8割くらいは実際に顔を見たことがないことになっていた。中にはすでにFBをやめている人もいらっしゃるようだ。
そこで断捨離することにした。そのデッドラインは企業秘密(大げさだな)だが、この半年でおよそ600人余りの方との友達を解除した。新たにつながった人もいるが、現在2000人を切り、しかしその内半分は実際会ったことのある方になった。

たまに上記のポリシーをタイムラインにアップする。知らない方からリクエストが来たら、ポリシーをお知らせする。私からのリクエストは、基本的にお会いした方のみ、必ずメッセージを添えてリクエストする。世の中にはメッセージ無しが大半で、ポリシーを送っても返信は10人に1人だ。

品格・人格とは言わないけれど、立派なことを発信されるなら、それなりの常識とマナーくらいは持っていてほしいものだ。たとえネットであっても、つき合いたい人、つき合いたくない人はいるものだ。

脳力開発は人間学であり行動科学です(70)

 最近は、書籍をネットで買うことがごく当たり前になっていますが、時には書店に行ってじっくり手にとり、中身を見て購入することもあります。趣味の本が多いのですが、仕事柄、ビジネス書のコーナーも行ったついでに見て回ります。そうすると会社経営に関する書物がどっさりとMba 並び、あるいは平積みされています。いわく、ナントカ法、カントカ法、アレコレ戦略、カレコレマネジメント法などなど。その大部分は、どれをとっても戦術について記してある本です。

 戦術はどれを選んでも良い悪いはありません。どれを選んで使うか、上手に使うか下手に使うか、効果が出るように使うか、出ないように使うかがあるだけです。戦術を選んだあとは、自身の行動・活動のやり方次第だということになるのです。書店に並ぶ戦術を紹介した書物の、これまた大部分はどこかで成功した事例やノウハウです。中には欧米の経営方法、例えばハーバードのMBA手法だとかいうものまであります。アメリカでうまくいった方法が、環境の違う日本でうまくいくかどうかは不明です。

 異なった環境条件であれば、異なった方法によって対処するのが当然だと思うのですが、いかがでしょう。権威のあるものに弱いのも考えものです。脳力開発で言っているのは、こういった戦術的経営法ではなく、戦略行動のことなのです。戦略を持てば、戦術はそれに従属するものですから、どんな戦術(手段・方法)であっても使うことができます。先に言ったように、使うか使わないかの選択だけの問題ですので、その戦術が良い悪いという問題は起こらないのです。

気持ちのマナーで旅を愉しみましょう

先週末の金曜日は、神戸から山陰・鳥取に向かいました。今回も「スーパーはくと」に乗車、週末のせいかかなりの混み具合で、三ノ宮からは立つ人も見られました。HOT7000系の5両編成で自由席は前2両、グリーン車も判質ありますが、普通席もゆったり快適です。

運転区間は京都-鳥取(半数は倉吉まで)、京都-神戸間は東海道本線、神戸-上郡間は山陽本線、上郡-智頭間56.1kmは3セクの智頭急行線、智頭-鳥取間は因美線、鳥取T_img_1060_2 -倉吉間が山陰本線です。なお、線区の変わる神戸駅には停車しません。現在は7往復が設定されています。

智頭急行線区間は最高時速130km、振り子機構を目一杯使って高速運転します。以前はJR線内は振り子機能を殺していましたが、現在、京都-姫路間では使用していると聞いています。また、智頭急行線の車両基地は大原にありますが、HOT7000系はJRの鳥取鉄道部西鳥取車両支所に常駐しています。

ところで「HOT」とは、智頭急行を支える3つの県、兵庫・岡山・鳥取の頭文字を組み合わせたものです。登場以前は、大阪-鳥取間は播但線経由(特急「はまかぜ」)で4時間前後かかりましたが、「スーパーはくと」は2時間半余、一時高速バスが優勢だった流れは変わりました。しかし高速バスも健闘しており、料金は割安で人気があります。

さて、この日は前述のようにほぼ満席、車内でも席の譲り合いや荷物を置かないようにとのアナウンスがありました。それでもいますね、小さな子供(多分無料の年齢)に座らせている家族連れ。バッグを隣席に堂々と置いて占領している女性。中には、席を向かい合わせにして酒盛りしている3人組も。

大阪のおばちゃんなら、バッグなどはひょいとどかせて座るのでしょうけど。私はくだんの3人組のところに、「ここ空いてますか」と一声かけて座りました。外国人旅行者が大きな荷物を抱えて通路に立っていましたが、バッグの女性は寝たふりのようです。

三ノ宮から智頭まで2時間足らずの旅、満員の乗客は鉄を応援する立場としては嬉しいことですが、やはりマナーの佳い旅をしていきたいですね。

そうそう、智頭は町の名は「ちづ」ですが、駅名標記は「ちず」。JRの自動券売機では「ちず」と入力しなければいけませんよ。

十七条憲法を作ったのは蘇我馬子だ

嶋大臣(しまのおとど)について、書いてみようと思います。非常に著名な人物ですが、「それは誰?」って、首を傾げられるでしょうね。

生年は不明ですが、おそらく(西暦)550年頃と推定されていて、没年は626年(推古34年)ですから、古代人にしてはけっこう長生きだったと言えます。年号でお分かりの通り、推古天皇の時代に活躍した方。といえば、推古天皇の摂政だった(と目される)聖徳太子の時Photo_2 代ということにもなります。

そう、蘇我馬子です。正直言いまして、どんな人だったのか良く分かりません。馬子について書かれた史料は日本書紀ですが、これは正史とはいえどこまで信じていいのか、すなわち本当に正しいのか疑問が残ります。

つまり、余りに悪く書かれすぎているからです。あまつさえ、崇峻天皇を殺害したとさえ書かれているのですから、どんなに悪いものかという印象を抱いてしまいます。権勢を誇り、権力をほしいままに行使した人物というイメージです。それは本当なのでしょうか。

キーポイントは、日本書紀は誰が編纂させたかです。いずれ書くことになると思いますが、首謀者は藤原不比等です。不比等の父、鎌足(中臣鎌足)は「藤原氏」初代であり、その藤原氏の最大の政敵が蘇我氏であったという事実です。

江戸幕府が、家康の政敵であった石田三成をとんでもない「悪者」と描いたように、不比等も徹底的に蘇我氏を叩いたのではないかと考えるわけです。

ここで考えたいのが、聖徳太子という存在です。この名はもちろん後世の人が名付けたもので、その時代にこう呼ばれたわけではありません。実在したかどうかと言えば、間違いなく「厩戸皇子」はおられたのです。この人がやられたという事績、十七条憲法とか冠位十二階の制定、あるいは遣隋使の派遣。

これらは、実は蘇我馬子の事績ではなかったかという説があります。しかしそれでは、藤原氏(蘇我入鹿を暗殺した中大兄皇子の支援者)が悪者になってしまうので、聖徳太子という偶像を作ってその事績としたのではないか。

この辺りのことを、もう少し考えてみますかね。(写真は馬子の墓と推定される石舞台古墳です)

武士の情けなんかかけてやるんじゃないぜ

余り書きたくないが、マスゾエである。

21日付で辞職するとのこと、当然といえば当然で、最後のあがきは見苦しさ以外の何物でもなかった。そんなにリオに行きたけりゃ、自分のお金でファーストクラスに乗っていけば良い。誰も文句は言わないだろう。

さて、やめるってのはそれはそれでいいのだろうが、何だか昨日まで連日騒いでいたトーンが一気に落ちてしまったのはどういうわけだ。マスコミの騒ぎすぎはいつものことだが、Photo それにしても落差が尋常ではない。

都議会に至っては、辞職願を出した時点で不信任決議案を引っ込めたのはともかく、総務委員会での集中審議は中止、百条委員会の設置は否決。マスゾエも知事としての定例会見を拒否、さらに辞職後の会見もやらないそうだ。説明責任ってヤツは、どこへ行っちゃった?

まさか、自ら身を引くんだからもういいじゃないか、武士の情けだなんて言うんじゃないだろうね。どうも日本人は浪花節には弱いらしいし、のど元過ぎればといった気風もある。尻尾を巻いて逃げ出すヤツに、これ以上はエエじゃんか、冗談じゃないよねぇ。

だいたい、どこが潔しだっていうんだ? 雪隠詰めに追い込まれて、どうしようもなくなったから、分かった分かった「やめる」からこれ以上堪忍してくれって、泣いただけのことじゃないか。頭を下げるどころか、これで追求の輪から解放されたとペロッと舌を出しているんじゃないか。

やめるヤツのことなど構っておられるか、それより次の知事を誰にするのか。こちらの方に興味も移ってしまっている。移り気の日本人気質ってヤツかい、今度は。囲みを少しだけ開けて逃げ道を作ってあげるのは、兵法の一つではあるけれど、それにしたって「こうこれでおしまい」ってわけにはいかないだろうよ。

どうなっていくのか、見ているよ。

脳力開発は人間学であり行動科学です(69)

 販社の活動は、親会社の戦略に従属する。その基本はよくよく承知していましたが、経営が落ち着き地域でも認められた存在になってきましたので、私は社長として少し独自の方向を、地域貢献という名の下に打ち出し始めました。その戦術が販売の増加にも結びついていき、事業拡大に結びついていく。ひいては親会社の方向と合致しているはずだというPhoto 考えであったわけですが、残念ながら親会社は独自の方向に走ろうとする販社を簡単には許してくれませんでした。

 その後のことについては詳しく書くわけにはいきませんが、親会社から戦術的指示が出され始め、独自の動き方は結果として封じられることになりました。私の後任社長時代に、ほとんどすべてが親会社の求める方向に修正を余儀なくされたのです。私の事例をお話ししましたが、戦略と戦術の基本に立てば、親会社は正しいと言えるでしょう。しかしながら、企業の発展拡大という根本戦略から見て果たして妥当であったかは、販社の役割を逸脱した戦術だったことも認めた上で、いささか疑問が残ります。

 販社が親会社の戦略的指示だけで動くことは不可能です。少なくとも、地域状況などの変化にスピーディに対応していけないのではないかという、不安が残ってしまいます。親会社の戦術的指示に従っておけば楽ですし、責任も販社にはないことになります。しかしそれでは販社の社員は、だんだんとやる気を失っていくことでしょう。販社が持っている地域密着というプラス面や独自性というやる気を削ぎ、マイナス面が前面に出てきてしまいます。幸い私のいた販社は、そこまでに至らずに済んだのですが。
(イメージ写真・本文とは関係ありません)

未来に舵切る脳力開発講座(第Ⅲ次)への誘い

3月からスタートした、第Ⅱ次「未来に舵切る脳力開発講座」も今月が5回シリーズの第4回目です。火曜日に東京講座(13名)が終わり、今日は神戸講座です。東京では当初スポット参加予定の方が、最終講座まで全出席だとおっしゃるなど、脳力開発から学ぶことの本質をしっかり理解いただけているようです。

決して難しい内容ではありません、それどころか聞いてみれば当たり前のことばかりです。何を今さら教えてもらわなくても、ということなのです。では、確かにその通りですが、あなたはできていますかと問いかけますと、心許ないというのが本音でしょう。

 
人間の行動には普遍性と特殊性とが混在していますが、大半は普遍性です。つまり誰もが同じ行動性向、行動様式をとるということです。ちょうど、人間は(一般的に)目が二つ、み見も二つで鼻と口は一つ、手と足は二本だというようなことです。だから普遍的な行動には、基本的には差がないことになります。
 
しかし現実には行動に差ができ、行動に違いがあるから結果にも違いが出てくることになT_img_1673 ります。しかしそれは、当人の特殊性によるものではありません。手と足と口の動かし方の相違だけであり、どれだけたくさん、あるいはどれだけ効率よく有効に動かしたかということなのです。ね、分かりきったことでしょう。

ですから、講座に参加して話を聴いただけでは何も起こらないかも知れません。しかし「いい話を聞いたなぁ」で終わらないところが、脳力開発講座の面白いところです。実は本人が気が付かない内に、すでに(行動が)変わってきているのです。行動がというより、脳の働きがといった方が、より正確なのでしょう。

確かめにいらっしゃいませんか。次の第Ⅲ次講座は10月から、これまでと同様に東京と神戸で5ヶ月間開講します。

全部出席するのは大変だ、とても予定が立たないとおっしゃる方が違います。惜しいことですね、学ぶ前から脳を働かせることをやめておられますね。あるいは忙しさに追われてどうしようもないのでしょうか。違いますね、最初から「参加する気がない」だけです。

本気で参加して学ぶ気になれば、1ヶ月に1回、それも午後の何時間かを都合することなどわけのないことです。もうここから、学びの実践が始まっていると思って下さい。私もかつて1年間12回の講座を受講する際、1年間のスケジュールを講座に合わせて組み直してみましたら、意外にできてしまいました。

城野宏の脳力開発・情勢判断学の基礎を、学び気付き、そして行動実践する「未来に舵切る脳力開発講座」に、あなたもぜひ参加してみませんか。7月には新しく更新するホームページに、詳しい概要とスケジュールを掲載の予定です。

次回古代史から「歴史と人間」を始めます

さて、歴史と人間をテーマに雑文をしばらく書き散らしていくことにします。歴史の節目や変化の時代を選んでみるつもりですが、男だけでなく女も時々で注目してみたいところです。Photo_2 例えば古代でいえば、乙巳の変から壬申の乱を経て天武朝に至るところでは、皇極(斉明)天皇や額田王なども欠かせない存在でしょう。

奈良時代には女帝がつづきますし、光明皇后も興味ある存在です。平安朝、藤原道長の頃には何といっても清少納言と紫式部でしょうか。源平の勢力争いでは、美福門院や源義仲の妻巴御前の名が上がります。そして室町時代となると、日野富子あたりが歴史の回転軸になります。

戦国時代の女性についてはすでに何人かを取り上げましたが、江戸時代でも春日局や月光院、幕末の天璋院篤姫、新島八重といったところ。変化の時代は男が目立ちますが、それでも女性の輝きにも目を向けていきましょう。

さてその男ですが、こちらは著名な人物が多いので誰を取り上げたら佳いか、迷うところでもあります。古代史の中では聖徳太子と蘇我馬子、そして藤原不比等は謎の多い人物ですが取り上げないわけにはいきません。聖武天皇は、光明皇后とセットで書こうと思います。

平安時代は藤原氏の全盛といった感が強すぎますが、その中にあって存在感のある菅原道真、もちろん平清盛、さらには西行法師も興味津々です。ただ、この辺りの知識は十分ではないので、かなり先に取り上げることになるでしょう。

鎌倉時代は頼朝と義経ですが、前者とセットで北条政子は必須です。北条といえば「いざ鎌倉」の時頼や、元寇に立ち向かった時宗も大きな存在です。そして後醍醐天皇、足利尊氏・直義兄弟、天皇になろうとしたといわれる義満。楠木正成も興味あります。

戦国から安土桃山時代は、人物が多すぎてここを通過するのはなかなか大変です。ただ、ここから江戸期はむしろさほど有名でない人物にも、スポットを当ててみようかとも考えています。とは言え無名では困るので、例えば柳沢吉保くらいのところで。

幕末から明治維新以降は、また考えますね。では次回からボチボチ始めます。

脳力開発は人間学であり行動科学です(68)

企業戦略とは社長の決心覚悟なり
 戦略は企業の拡大発展なのですから、新しい店を出していくという戦術は、戦略に照らして誤りではありません。推進していくためにネックになるのは、資金的な問題、設備投資と運転資金ですが、不足はすぐに計算できます。ならば不足を補う戦術を組み立てなければなBank りません。メインバンクに相談するか、別の銀行にもアプローチをかけるか。そのためには、将来計画書や新店の経営計画・資金計画などを、スケジュールを決めて整備しなければならないでしょう。

 拡大発展という戦略が確立していなければ、言い換えれば社長の決心覚悟ができていなければ、戦術は成り立たないのです。新店を出すことを戦略だと思い違いをするから、店を出すか出さないかの二者択一で悩んでしまうことになるのです。さて、戦略を決める、すなわち企業経営でいえば経営の方向性を決めるということになるのですが、大きな企業では本社とグループ会社、小さな企業でも部門別にまとまりをつけることにつながります。戦略がなければ、それらがバラバラになってしまいます。

 私自身現役時代は、半分は親会社に在籍し、もう半分の期間は販売会社に出向していました。税務上の子会社ではなく独立採算を指向し、また地域的にも独自の営業展開をしていましたが、それでも親会社の戦略の方向を崩すことはできません。その方向さえ逸脱しなければ、またグループ企業全体を発展拡大させるという基本を守れば、戦術的には何をやっても良いのです。その考え方をベースに、新しい事業分野への拡大を行い、また地域密着の活動を積極的に行いました。

過去の成功体験は邪魔にしかならない

経営学を知っていても、経営がうまくできるとは限りません。その昔、著名な経営学者の方が会社を立ち上げて注目されたことがありますが、残念ながら行き詰まってしまったことがありました。

経営学は過去に起きたことや体験をつなぎ合わせて、体系化したり理論化したりしたものですが、経営は現実の「生き物」です。数学の定理のように、必ずこういう答になるというものがありません。だから面白いともいえます。

私は学者ではありませんが、それなりに経営学もかじりましたし、関連した会計学や経済学、あるいは行動学や人間学も学んできました。それらを実際経営の中で活かしてみようとしたことも度々ですが、うまくいったものもあれば失敗も数多くありました。

そうやって体験的に学んだことが、いわば「実際知識」としてその後の経営、あるいは現在のコンサルティングという仕事に役立っています。つまり普遍的なことは、そのまま「こうやればどうなるか」につなげられますし、特殊性の環境条件下では見方や角度を変えてみればいいのです。

ところが、世の中には成功した体験を後生大事に抱えておられる方が少なくありません。別に構わないのです、抱えておられること自体は。しかし、その成功体験は普遍性でしょうか、それとも特殊性でしょうか。
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普遍的実体験であれば、役に立つ可能性も大です。しかし特殊性の中での成功体験は、残念ながら邪魔にしかなりません。せっかくの新しい発想まで、潰してしまう恐れさえありますから。私自身も、過去の成功体験に邪魔をされて、結局画期的な試みを失敗に帰してしまったことがあります。

コンサルティングでお目にかかる経営者の方が、過去の成功体験を滔々と語り始められましたら、「この方は現状打破ではなく現状維持の方だな」と判断します。会社の発展を口にしながら、やっていることは「過去の栄光」にしがみつきたい、もう一度あの心地よさを得たいと思っているだけだと判断します。

そこから先は・・・ウーン、ここからは『有料』ですね(*^。^*)。

今日は梅雨の雨を気にしながらの墓参りを済ませたら、夕方までに東京に移動です。今回の遠征には、久しぶりに自撮り棒(写真)を持参しました。使うことがありますかね。

遠征のポイントは本とお酒とコインランドリー

今日から今月の遠征です。新潟を出発して今日は大阪、明日は東京で、週中に再び関西に戻って神戸、鳥取と回りますので、かなりの移動距離(ざっと3000km)になります。仕事をまとめてしまった故の移動ですが、効率の悪い動きに見えるでしょうね。

この間にコンサルティングが3件、社員研修が1つ、公開セミナーが3つ、そして仕事の打合せが1つにプライベートが2つと盛りだくさんです。移動中が息抜きの時間になりますね。空旅も3回ありますが、梅雨空に視界は邪魔されそうです。

今日は専ら移動です。日本海側の在来線・一部新幹線を乗り継いで、大阪までのんびり読書の旅の予定です。歴史関連の本と、ドラッカーの本を用意していますが、どちらも戦略についての学びになることでしょう。途中からは梅雨の雨になるかも知れません。

北陸路の楽しみは、特に地酒のワンカップですが、呑んでしまうと読書が進まないかも。でもお昼ごはん代わりに軽く一杯くらいは、許してもらいますか。日曜日でもPhoto ありますから。その代わり、大阪では深酒しないように心掛けます。

途中の加賀温泉までは特急や新幹線での急ぎ旅ですが、そこからは各駅停車の旅になる予定です。大きな荷物を持っての移動は面倒ですが、これもまた旅の必須ですから。新幹線の車内では、iPhoneの充電を忘れないようにしなければ。

長い遠征でのポイントは着替えです。昨春までは大阪に拠点がありましたので、そこにいくらかの衣類を置いていましたが、今はそういうわけにいきません。以前はホテルに荷物を送って、交換で汚れ物を送り返していましたが、昨今はコインランドリーを活用します。多くのホテルが設備を充実していて助かります。抱える荷物も節約できます。

それでも洗濯の時間が確保できるかとか、事前にキチンと計算しておかないと、途中で着替えが足らない羽目に陥ります。いざとなれば補充買いできますが、できるだけ避けたいもの。今回は多分大丈夫でしょう。

では、行って参ります。

会社をもっと良くしたいと思うのならば

人財づくり支援家の、ヴァンガード経営研究所・板東秀行です。

先月と今月、新たな社員研修のオファーをそれぞれいただきました。前者はMG研修、後者は脳力開発セミナー(ワンデーを3回実施)です。このように自社で社員研修を実施される会社は、残念ながらまだまだ少数派ですが、小さな会社でも工夫次第で社員教育を独自に行うことができます。

しかしながら、コンサルティングなどでお伺いする会社の中には、最初からムリだと思い込んでおられるところも少なくありません。前回のブログでも書きましたが、朝礼といったことも社員教育の一環として位置付けて、より意味のある時間にすることができるのですが、初めから「当社(のような小さな会社)ではできない」と決めつけては、もったいないことです。

Photo 中小企業家同友会や倫理法人会、あるいは地域の商工会議所や商工会が公開セミナーを開催されていますが、自社にピッタリ合うものがあるかどうか、こればかりは参加してみないと何ともいえません。大手のコンサル会社が主催されるセミナーは、いささか参加費も敷居も高いと感じられるでしょうか。

自社の社員数名を対象にオリジナルな内容で研修をやりたい、まずはこの「やりたい」という気持ちが大切ですね。少人数では一人当たりのコストが高くて、、、その通りですね。テキスト・資料代や食事代は人数分ですが、会場費や講師料などは頭割りするとどうしても高くなります。

でもそこで、アキラメナイことです。本当にやりたい、社員さんのために実施したいということであれば、知恵が浮かぶものです。あなたの周りには、共通の悩みと希望を持っておられる会社はありませんか。そう、共同開催を呼びかけられる仲間はいらっしゃらないでしょうか。

同業者の会や、地域の集まりなどで、そういったことが雑談の中でも出てはいませんか。それを拾い集めれば、チリも積もれば山で何とかなりそうだとなるかも知れません。異業種異業態が集まっても新鮮な学びになりますし、同業種なら同じ課題や悩みを共有することもできます。

そこからまた一歩、前進していくことも期待できます。なにより、社員さんと一緒に学んで会社をもっと良くしたい、「やるんだ」という強い思いを持つことですね。小さくたって、やれることはさらにもっとあるものですよ。

脳力開発は人間学であり行動科学です(67)

 戦略は、組織を構成する社員の一人一人にしっかりとしみ通り、全員が理解して行動しなければなりません。戦略を実現するための行動、すなわち戦術は一人一人が考えて実行していくのです。分かりにくい戦略(らしきもの)ではそこに至らないのです。戦術は戦略に従属するものですから、戦略から外れてはいけません。つまり戦術策定する際には、戦略がそT_img_1601c の是非の判断基準にもなるわけです。そうやって自分が組み立てた戦術であれば、社員は進んでその実行に当たることでしょう。

 逆説的にいえば、一人一人にまでしみ通り、徹底しなければ戦略とは言えませんから、簡単明瞭で誰にでもすぐに分かるものが望ましいわけです。表現ばかりが立派でも、難しい文句を並べたり、くどくどしいものであってはならないのです。今年の夏頃だったか、とある会社の社長から相談があるのでと言われて出かけました。お会いすると、「新しい店を出していきたいが、資金的な裏付けが厳しい。しかも新しい人も採用するので経費が膨れる。どうしたらいいだろう」という相談でした。

 そこでまず「戦略は企業の発展ですか、それとも現状維持ですか」とお尋ねしました。そうすると怪訝な顔をして、「そりゃあもちろん発展ですよ」とおっしゃる。自明の理ではないですかと言わんばかりなのですが、それなら何を悩むのでしょう。戦略が決まれば、具体的な戦術を決めて障害になりそうなモノをクリアしていく、それが当たり前だと思うのですが。戦術は、事実と計算で成り立ちます。現状をしっかり分析して、やれることと困難なことをまず分け、後者に打つ手を組み立てていくのです。

来週の歴史講座は信長のお話です

来週は、5ヶ月に亘って毎月開催している「未来に舵切る脳力開発講座」の4回目、14日に東京で、そして16日には神戸で開催します。まとめの講義は毎回「歴史に学ぶ人間学」ですが、今回は誰を取り上げようかと頭をめぐらせています。

なぜ脳力開発で歴史を取り上げるのかと聞かれますが、歴史とりわけ時代の人の動き、あるいは社会現象というのは人間の行動の記録だからです。自然現象と違って、政治や経済などは人が動いて始めて結果が伴ってきます。

しかも、人の動きによって結果が変わってきますが、その前提となる環境や条件にどう向き合っているのかにも興味が湧きます。人間の行動には、普遍性と特殊性とがあると喝破Photo されたのは、脳力開発・情勢判断学の提唱者である故城野宏です。しかも、その多くは普遍性であり、特殊性はごく一部にしか過ぎないのだと。

ということは、同じような環境や条件に出会うと、人は同じような行動をとるということになります。よって歴史を学ぶと、自分が今あるいは将来どういう行動をとれば良いか、という参考にできるということです。

もっとも、記録として残っている歴史は、主としてその当時著名であった人間の歴史が主流です。一般大衆の歴史ももちろん残っていますが、特定人間の記録ではないので、当時の状況などを知るには役立ちますが、自らの今後の参考にはなりにくいでしょう。
そんなわけで、時代を創った英雄・英傑や、その時代の中心軸だった人物にスポットを当てて、その言動を学びます。またそれによって、世の中がどう変化したのかについても知ることが必要です。記録は史料といいますが、専門家でない私には不明な部分が多いので、歴史の専門家の書かれた書物や資料に当たります。

並行して歴史小説も読むことがありますが、小説はあくまで小説ですし、著者の思いや感情が入っていますので、その分を割引して読みます。ただし、こちらの方が面白いのは当然ともいえます。最近は歴史の専門家ではない方の評論、人物談義も増えてきて、非常に参考になります。

では来週の歴史講義は、いよいよ織田信長にスポットを当てましょうか。

今週はマスゾエで盛り下がっていますが。

マスゾエのことです。ついに呼び捨てになっちゃいました。

東京都の知事のことなんて自分には関係ない、のでありますが、何しろ日本の首都でありますからね。しかも東京都知事というのは、ちょっとした国の大統領並みの権限と予算を持っているのですから、半端であってはいけないのです。

なのになのに、、、自分の顔に止まったハエも追えないようなひどい男がその座にいるなんていうのは、とんでもないことでしょう。他人事で済ませるわけにはいきませんね。週刊Img_2298 誌に取り上げられてから時間がかなり経つというのに、どうもマスゾエおっさんには品格というものがないようです。

そうでもなければ、100人中99人が「納得できない」という弁解にもならない弁解を並べ立て、このまま知事の座に座り続けるということなど、どの面下げて言っているのでしょう。こんな恥知らずを選んでしまった都民こそ、いい迷惑ですよね。

ここにきて、本来与党であるはずのジミンもコウメイも、矛先がもしかして自分たちに向くのはやばいと思ったのか、攻撃の手を向けるようになったようです。そりゃぁまぁ、政治家たちの公私混同なんて、大なり小なり存在していることは誰でも知っていますから。それでも、都議会議員と知事ではその重みが天と地ですから。

第三者による検証も、どうみても茶番劇でした。その第三者のお一人は、なんでもかなり著名な、厳しさを思わせる異名をとる元検事、つまりヤメケンの弁護士だそうですが、世の中の常識とは違うのだということを証明してくれました。

まぁ、ホウソウ界というのはそういうものなんでしょう。私事ながら45年前には、その世界を目指してみようかと思ったこともあったのですが。もっとも目指したところで、おそらく門前払いだったと思いますが。

それはともかく、ヒデェもんでしたね、あの「解説」は。それはそれとして、『不適切であった』ものについては返金し、舞台ともなっていた別荘も売り払い、美術品なども公私を分けて私の部分もよしなにするから、どうぞ許して下さいですってよ。

許せるわけがないでしょう、フツウの感覚では。それにしても時間の無駄ですね、都議会も、本来審議すべき課題もたくさんあろうに。アベさんは、自分への攻撃がすり変わってくれているので、ホッとしている!?

脳力開発は人間学であり行動科学です(66)

 もう少し戦略と戦術の話を続けて参りましょう。繰り返しになりますが、この二つはしっかりと区別することが大きなポイントです。戦略は打撃の方向を決めることであり、戦術はそれを実行するということで、根本が違うのですから区別しなければなりません。脳力開発では、こPhoto_3 の二つの区別ができるだけで脳力は10倍にも20倍にもなると、教えています。同じ仕事でも、区別のできる人はできない人の10分の一、20分の一の時間でできてしまう、同じ成果が上げられるということなのです。

 元々軍事用語だった戦略と戦術が、経済用語や経営学の中で使われるようになり、使う人によってその区別が曖昧になっているとも言えます。例えば「販売戦略」とか「価格戦略」という言い方ですが、その中身を見ると戦術そのものだということがほとんどです。企業の戦略は、経営理念(企業理念)や指針、あるいは社訓というカタチで表されることが多いのですが、中にはどこからか借りてきたような表現も少なくありません。企業の目指すもの、あるいは方向性だということが分かっておられないようです。

 中には「御社の戦略は」とお尋ねすると、社長自身の人生観や仕事の価値観を持ち出される方もいらっしゃいます。また「社会に貢献します」は理念としてはよろしいが、戦略となると余りに抽象的で、社員さんもウロウロ迷うのではと思ってしまいます。あるいは「お客様は神様です」などというのは、お客様第一主義を表現していると思うのですが、ちょっとどうなのかなと首をかしげます。座右の銘を並べたような、あるいは戦陣訓のようなものは、果たして戦略と呼べるのでしょうか。

一年前の母の最期に思いを馳せる

母が享年94歳で旅立ってから、1年が経過しました。1年前の6月6日に、家族だけで見送りました。

予測外の突然の死ではなかったけれど、まだまだ生き続けてくれるだろうと思っていましたので、その意味ではびっくりでした。たまたま5月の30日に高校の同期会が開かれ、当初は1週間後に大阪に出向く計画でしたが、それを早めて29日に到着しました。
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ちょうどその日に誤嚥性肺炎と診断されて、特養ホームから直接主治医の病院に入院。同期会の翌日にCT検査を受けたのですが、その結果はお腹に動脈瘤が見つかり、もしそれが破裂した場合は助からないとの診断でした。いつかは分かりませんが・・・と。

覚悟はしましたが、翌日1日に見舞いに行った際には「痛いよ」と顔をしかめていて、意識はハッキリしており、むしろ痛みに文句を言っている状況なら当面は大丈夫かなと思ったものでした。

そして運命の2日、まずは朝9時頃に見舞いに行き、ナースセンターに近い病室に移されていましたが、点滴で薬の投与を受けており、前日とほとんど同じ状況なのを確認。夕方からは友人とカラオケの約束をしていましたので、その前にもう一度病院へ。この時は「痛い」とは言わず、出かけようとすると「もう行くのか」という表情が印象的でした。

今日も平穏に終わるかなと感じながら、友人とのカラオケを愉しみ、それでも少し早めに切り上げて家(実家のマンション)に戻ったところに、病院から電話がありました。つい先ほど亡くなられたとの報せ、すぐに駆けつけるともう顔に白布がかけられていました。

うめき声も上げなかったらしく、ナースが見回った際に意気をしていない様子に気付き、すぐに担当医と救命措置をしたが、すでに息がなかったとのことでした。確かに、顔には苦しんだ様子もなく穏やかな死に顔でした。死因は急性心不全でしたが、その引き金は予想通り動脈瘤の破裂でした。苦しむ暇もなかったのでしょうか。

思えば、20歳で家を飛び出してからほとんど一緒に暮らすこともなく、親不孝な息子でした。それなのに、私が来たのを見計らったように最期の時を迎えてくれた。ただただ、母に感謝しております。今年は一周忌には間に合いませんが、来週には大阪に行きますので、お墓参りをしてきます。

大坂の陣では全く動かなかった高台院さん

さて「ねねさん」は秀吉の死後5年目の慶長8年に落飾され、朝廷から院号を賜りましたので、ここからは高台院さんと呼ぶことにしましょう。この年、秀頼と千姫の婚儀が整い、豊臣と徳川の絆が強く結ばれたことにホッとされたことでしょう。

この頃高台院さんの知行は1万5千石を超えており、将軍・家康もこれを承認しています。万石と言えば「大名」クラスです。色んな意味で重みを備えておられたのでしょう。日常は亡き秀吉の供養に専心されたと思いますが、やはり第一は豊臣家の安寧であったことと思います。

慶長10年に高台寺を創建・建立されていますが、ここには秀吉と共に実の母を祀っておられます。このお母様は、秀吉との婚礼を死ぬまで認めなかったということですが、高台院さPhoto んも心を痛められていたのでしょうか。なおこれ以降は、その門前に住まれていたようです。私も京都に行くと、高台寺の周辺を歩くことが多く、ホッとするスポットでもあります。

2代将軍秀忠は、人質として在京中に高台院の手元で暮らしており、そのことに終生感謝していたようです。事実、知行地を増やしていることからもそのことが裏付けられます。

前田利家の妻まつ(利家の死後芳春院)と仲の良かったことは前回も書きましたが、京都時代は交流されていましたが、芳春院が江戸に赴いてからは書状のやりとりがあったのでしょうか。また、山内一豊の妻見性院さんとも親しかったようで、一豊の死後京都に赴いた見性院さんは、高台寺屋敷の近所に住まれたそうです。

さて、大坂の陣です。この時高台院さんがどう動かれたのか、秀吉恩顧の大名にどんな影響を与えられたのか、あるいは大坂城の秀頼や淀殿に対してはどうだったのか、気にかかるところです。

事実から言えば、「動くことができなかった」と考えられます。家康から強い監視の目を向けられていたこともありますし、高台院さん自身も自分が与える影響や刺激を意識されていたのでしょう。おそらく、豊臣家の安寧のためには大坂城を退去することを願っておられたと思いますが、そうならないことがハッキリしてアキラメの境地に達せられたのではないかと。

ですから関ヶ原前夜には、色々な動きをされていたようですが、大坂の陣では京都からほぼ動かれておりません。亡き人たちを弔う日々送られ、9年後の寛永元年秋に高台寺屋敷で死去、墓所は高台寺にあります。その参道は「ねねの道」として散策コースにもなっています。ぜひ、京都に来られたら歩いてみて下さい。

不勉強な政治家には真実が見えるはずがない

通常国会も終わり、政界は参議院選挙モードに突入したようです。選挙権年齢が下がるということや、定数変更などが話題になっていますが、しかし今のところは盛り上がりに欠けている感が否めません。

しかも、消費税率の改定(アップ)を先送るすることが決められ、野党各党も税率アップには反対で一致していますので、これが争点にはならない見込です。本当は争点にして、せいぜい論争をしてほしいところですが、「アベノミクスの失敗」なのかどうかという、曖昧模糊なポイントにすり替えられてしまいました。Photo

アベノミクスが失敗した(している)のかどうかは、見方によってどうにでもとらえられるわけで、うまくいっていると見る人はそれを裏付けるデータを引っ張り出して、「ホラこの通り」と言うでしょう。うまくいっていない、失敗だという人は、それに関するデータを並び立てることでしょう。

要するにすべてのものには両面があるわけで、どちらを主流に見るかで結論が変わるのは、脳力開発でいつも解説しているところです。与野党とも、その両面あるものの片面に目をつむり、もう一方をことさらに強く押し出すだけ。これでは議論になりようがありません。そんなことを争点にしたら、分かりにくさが表に出てくるだけでしょうに。

有利なのは与党です。かれらは「うまくいっている」と主張し続ければいいだけで、これまでやって来ていることをそのままやり続けると言えば済みます。他方、野党側は「うまくいっていない」「失敗している」ことを証明し、さらにはだからこうする方が良いと対案を出していかねばなりません。

ちなみに、アベノミクスは失敗だと私は思っています。それどころか破綻しているとも感じています。それが余り表面化していないのは、これまでの円安で大企業が恩恵を受けていて、とりあえず大きな利益を確保していること、数字のマジックで失業率が下がるなど個々の指標が悪くないことによります。

しかし、それらは簡単にひっくり返ることですし、何よりも個人消費は伸びていないどころか落ちている。マイナス金利にしているのに、設備投資には慎重な企業の方が多い。それらを個別に見るのではなく、つながりで見ていけば、アベノミクスが順調でないことは明らかです。破綻までいかなくても失敗、とレッテルを貼ってもいいのでは?

与党野党を問わず、真実を伝えようとする政治家は現れないの?ムリかな、勉強していませんからね、彼らの多くは。

脳力開発は人間学であり行動科学です(65)

 義に厚く勇猛であった関羽は、孔明に指示された戦略を守って、呉に対する備えも怠ることなく、主力を率いて曹操軍の城を破竹の勢いで落としていきます。呉の孫権も荊州を我が手に収めたいのですが、関羽の布陣に手が出せません。そこで孫権は一つの手を打ちまPhoto す。すなわち、関羽の娘を我が息子の嫁にと乞う使者を送るのです。もし孔明の戦略を守るなら、この使者に対する返事はイエスでなければなりません。ところが関羽は、NOと言ってしまうのです、しかも極めて侮辱的な言葉で。

 当然ながら孫権は激怒します。すぐにも兵を繰り出して攻めようとしますが、さすがにまだ手が出せません。そこで一計を案じた部下の呂蒙は、病と偽り、関羽を油断させる計略を立てます。呂蒙は、「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」で有名な武将です。智将でもあった呂蒙は、若いまだ無名の陸遜を後任に指名します。陸遜はこの期待にこたえ、へりくだった手紙を送って関羽の軍功を称えたので、関羽はついに油断して呉への備えを緩めてしまいます。この機に、再び軍の全権を任された呂蒙が荊州に一気に攻め込みます。

 魏軍にも破れた関羽は荊州に引き返そうと軍を南下させましたが、すでに呂蒙は荊州の統治を固めてしまっていたため、家族を残し士気を失った関羽軍は離散し、関羽は僅かな兵を率いて荒れ果てていた古城・麦城に籠らざるを得ない状況になりました。そしてついに関羽の最期がやってきます。結局、「東は孫権と和し、北は曹操に当たる」という戦略が、たった一つの戦術選択でほころびを生じ、それを立て直せなかったわけです。なお三国志演義では、呂蒙は関羽の亡霊に取り憑かれて死んだことになっています。

「朝礼は時間のムダ」という会社は破綻する

企業における社員教育、大きくOJT(オンザジョブ・トレーニング)と、OFFJT(オフザジョブ・トレーニング)に分けられます。OJTは文字通り、実際の仕事を通じてスキルアップを図っていくもので、代表的なものは同行営業などですが、現場で管理者や先輩が直接指導するのが基本です。

これによって、基本のスキルが身につけられる他、仕事への取り組み姿勢、あるいは会社全体の目標や方向性などを自分の中に採り入れていきます。同時に、指導する側もスキルアップすることが期待されます。仕事の基本はもちろんですが、組織の目指すものや会社の理念なども、キチッと理解しておかねばなりませんから。

一方OFFJTは職場外訓練と訳されますが、企業内で行われる講習会や研修会、あるいは社外のセミナーなどに参加・派遣することなどが挙げられます。社内の講習会などでは、社内の先輩や講師になることもありますが、社外より講師を招くことも少なくありません。

規模の大きな会社では、専門の教育部門があったり、総務人事の担当者が教育の企画や運営に携わることも多いでしょう。一方小規模企業では、自然の流れとしてOJTが教育の主流となっています。社外講習などへは、予算の制約もありますからなかなか派遣できないとおっしゃる経営者もおられます。
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「人財づくり」コンサルタントとしては、小さな会社ほど知恵をめぐらせて、しっかりと社員教育に取り組んでほしいものだと思うのです。もちろんOJTが主体になるのは、制約された条件の中ではやむを得ませんが、管理者や先輩社員も「共に学ぶ」姿勢を明確にして、経営者自身もできるだけ関わっていくことが大切です。

また、朝礼の活用も忘れてはいけません。というよりむしろ、小さな会社だからこそ朝礼を重視してほしいのです。「朝礼は社員教育の一環である」ことを、心に銘記して下さい。経営理念や指針はもちろん、目標や課題を伝え共有する大切な場です。短い時間で、スタンスや気持ちを一致させる、ある意味最も重要な教育時間です。

小さな会社だからこそ、氣(気持ちや心)を合わせることができる、そういった意識で「天下一の朝礼」を目指してみませんか。

企業を訪問して、時々残念に思うのはせっかくの朝礼が、単なる連絡の場だけに終わっていたり、参加している社員の皆さんの姿勢や態度が揃っていないことです。覇気のない、元気喪失の朝礼などは時間の無駄だなとも感じます。

あなたの会社の朝礼は、そんなことにはなっていませんか。少なくとも「朝礼なんてムダな時間だ」と思っている社員さんがおられたら、それは経営者あるいは現場の管理者の責任です。あなた方自身が「ムダな時間」を作り出している、そう思って心を改めましょう。せっかくの社員教育の時間を、1分1秒もムダにされませんように。

従一位北政所というより「ねねさん」ですよね

従一位北政所豊臣吉子、朝廷から与えられた正式名。でも、親しみを込めて「おねさま」、あるいは「ねねさん」と読んだ方がいいですね。

従一位はまさに位人臣、皇族ではない女性としてはもちろん最高位です。北政所は、関白さんのご正室に贈られる称号ですが、太閤(前の関白)さんといえば豊臣秀吉を指しているように、北政所というと「ねねさん」を特定して呼ばれるようになりました。

その出生は、最下層に属していた秀吉よりはマシだという程度で、信長の下級家来であった杉原定利の長女で、家の貧しさ故か浅野(長勝)家に養女に出されています。秀吉とはPhoto 10歳くらいの年齢差があったそうですが、当時としては珍しい恋愛結婚であったとも。二人の媒酌人は前田利家で、利家・まつ夫妻とも長い交流が続きます。

秀吉の出世と共に、「ねねさん」も足軽大将の妻、一軍の将の妻、そして城主夫人と出世をしていきますが、明るい気さくな性格は周りから好かれたそうで、また北政所になってもなお尾張弁が抜けなかったそうです。そのため夫婦の言い争いは、周りの者が聞いていても内容が良く分からず、さも喧嘩をしているように見えたとも伝わっています。

子供がいなかったねねさんですが、秀吉は次々に女に手を出して、長浜城主時代には男の子ができたようです。(初代)秀勝と呼ばれたこの子は早世してしまいますが、その少し前にねねさんは、主人である信長に「亭主の不義を訴える」文を送ります。それに対する信長の返書が、まことに優しさに溢れたものであったことは有名です。

北政所としてのねねさんは、まさに秀吉を裏で支える大黒柱で、淀の方との確執が色々伝えられますが、そのほとんどは後の作り話と言われます。秀吉の多くの側室は、ねねさんを主人として信頼し、秀吉亡き後の相談事にも親身にあたったようです。

さて、秀吉の死後は淀の方が大坂城に入りますが、これは遺言であったらしく、正室だったねねさんは自由な暮らしを選ぶことができましたので、京都に移り住みます。その出て行った西の丸に家康が入りますが、密約などはもちろんなかったでしょう。

高台院と呼ばれるようになったのは、関ヶ原の戦いから数年後で、家康が征夷大将軍に任命されたあとです。秀頼と千姫の婚礼を見届け、豊臣と徳川の蜜月を確認してから落飾したわけです。では、高台院となってからのことは次回に。

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