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江戸期を全うする真田家を築いた小松姫

大河ドラマ「真田丸」に、いよいよ小松姫が登場してきました。関ヶ原の直前、東西がいよいよ手切れになり、真田家も危急存亡の秋を迎えて父と弟が東軍を去り、兄が残ることを決めた犬伏の別れ。

信濃上田に戻る父昌幸と弟信繁が、兄信幸の居城・沼田城に立ち寄ろうとした際、留守を任されていた信幸の妻・小松姫が「追い返した」という逸話が残っています。
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その小松姫、家康の養女として信幸に嫁いできますが、実は徳川四天王の一人・本多忠勝の娘(稲姫)です。忠勝は「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と称され、家康の幼少時代から側に仕えた闘将です。生涯57回戦い、かすり傷一つ負うことがなかったとか、その槍には駐まったトンボがすうっと二つに切れたという「蜻蛉切り」の異名が。

沼田城から追い返された昌幸が、「さすが本多の娘よ」と絶賛したとの話も。ただ、どうもこの話はうますぎるようで異説もいくつかあるようです。幼い頃から父・忠勝の影響で、武術に優れていたらしく、留守城では鎧に身を固め家臣の先頭に立っていたとも伝えられています。こちらは事実に近いかも。

なお、小松姫が嫁ぐ寸前まで信幸には正妻がおり、ドラマでは離縁したことになっていますが、離縁せず側室として仕えたというのが本当らしいのです。ただ、小松姫とは出会うことなく過ごしたそうですので、上田の城下に住んでいたのかも知れません。

関ヶ原で勝者側に付いた信幸は、本城の沼田に加えて真田の本拠・上田も合わせて与えられます。高野山麓の九度山に流罪となった父と弟には、その後も援助を続けたそうですし、昌幸の礼状には小松姫への感謝のことも書かれていますので、戦国の女の強さと優し共に身につけていた女性なのでしょう。

信幸は父の名である「幸」の字をはばかって、信之と名を変えますが、上田から松代に増転封になり92歳まで長生きします。小松姫は、妻として母として信之を支え続けた女傑でした。ただ晩年は江戸住まいとなり、病を得て草津に湯治に出向く途中に48歳で亡くなったと記されています。

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