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脳力開発は人間学であり行動科学です(64)

戦術の誤りは戦略を台無しにする
 国家的な、ちょっと大きなテーマを、戦略と戦術の両面から見てきましたが、大きなことも小さなことも基本は同じです。戦略は根本的な目的、あるいは方向性ということであり、それは人生でも仕事でも全てに通じるものです。戦略達成のためには、きめ細かな戦術が欠かT__2 せません。 戦術は、戦略を達成するための手段や方法、あるいは道具を駆使することですから、ある意味無数の中から選ぶことができます。よって、千術とか選術とも言い換えられます。

 戦術が組み立てられていない戦略は単なる空想であり、机上の空論を並び立てているに過ぎません。戦術行動がなければ戦略の達成はないからです。その逆に戦略が決まらないままに、戦術だけが一人歩きするのも意味がありません。戦術の誤りは戦略を台無しにするという話をしましょう。こういう例は歴史の中にいくつもありますが、代表的な事例は中国・三国志時代の関羽です。当時まだ独立した国を持たなかった劉備は、荊州を拠点にしていました。

 そしていよいよ蜀を攻めるべく出陣するのですが、当初は順調にいかないばかりか、軍師であった龐統(ほうとう)が戦死してしまいます。そこで劉備は諸葛孔明に応援出陣を命じ、孔明は荊州の守りを関羽に託すのです。その際に孔明は、とにかく全力を挙げてがんばるという関羽に対し、それではダメだと一つの戦略を示すのです。その戦略は、「東は孫権と和し、北は曹操に当たる」というものでした。呉とは争わず、魏に対し兵力を集中せよというわけです。

ミエミエの茶番劇はどこまで続くのか

5月も早いもので、今日明日の2日間となりました。ボチボチ各地から梅雨入りの報せが届く季節ですが、どうも平年とは違う様相のようです。

さてG7サミットとやらが終わりました。オバマさんの広島訪問というおまけに注目が集まる中で、アベさんからまたまたトンデモ発言が飛び出しました。消費税の改定を2年半延期するというのです、8年前のリーマンショックの前の状態と似ているからと。
G7  

ここに至るまで、色んな伏線を引いてきていたのだなと感心するというか、あきれ返るというか。どうもかなりずる賢いブレインがいらっしゃるようにしか思えないのですが。それにしてもシナリオの「終点」がサミットとは思いませんでした。何だか、各国首脳をダシに使ったような感じですが、それに対しても苦笑が漏れているようですね。

そしてまだまだシナリオは続きそうです。まずは副総理と幹事長が異論を唱える。副総理の意見は省庁の中の省・財務省の意見ですから刮目すべき・・・ではなく、これもシナリオ通りということでしょう。

だって普通なら「内閣(閣僚)不一致」ということで、大きな問題になるはずですが、そういう論点はぼかされてしまっている。再度改定するなら解散総選挙が必要と言えば、官房長官がそれはダメだという、見事な連係プレーですね。

そもそも、なんで「2年半(延長)」なんでしょうか。2年とか3年ではなくて、つまりはこれも選挙がらみと勘ぐられても致し方ないでしょう。今のタイミングが参院選前、2年半先には次の参院選前。余りに見え見えで口があんぐり。

見事なシナリオで、ここからシナリオ通りの展開になっていくのでしょうね。戦略のない、その場しのぎのぼろが出ないことを願いたいものですが、次々にほころびが見えてきそうな感じもします。

国民としては、ミエミエの茶番劇に一喜一憂しないことですね。

インストラクターは教えてはいけない

北東北MG会(事務局・(株)岩岡)さんが主催されている「うみねこMG」、今月はワンデーMGです。今回も3月に続いて、地元のスーパーさんの店長クラスメンバーが10名参加されています。来月も含めて、集中的に学ばれるとのこと、素晴らしいですね。

商業の方には、直接原価計算を使うMGはまさに実務とピッタリ、しっくりきますので活用や応用が容易です。もちろん、1回や2回のセミナーではそのすべてをマスターして、実務に持ち込むことは困難ですが、必ずヒントがつかめるものです。
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MGの基本は「教えない」ことです。どうやればたくさん売れるか(売上が上がるか)とか、利益率を高められるかとか、経常利益を稼げるかなど、インストラクターの私は一切教えません。もし教えてもらいたければ、「コンサルタント料を払いなさい」と言って煙に巻きます。その辺りが一般のセミナーとは、大きく異なるところです。

セミナーに参加される方は、最初はそれを期待してこられます。どうやったら会社を良くできるのか、儲けることができるのかと鵜の目鷹の目、ナントカそのハウツウを学び持ち帰って、自社に持ち込んでやりたいと思っています。

もちろん学ぶ姿勢を持っていれば、1日あるいは2日間の学びの中から、具体的な方策をつかめる方もいらっしゃるでしょう。あるいは、参加者の会社事例を聞いて、その真似をしようという方もいらっしゃいます。

でもそれだけではないのがMGのすごみです。良くすることや儲けること、利益を高めることも学べますが、反対に悪い会社にすることも損をすることも、いかに赤字倒産の会社にするかまで学べるのです。私などもかつて、売上げゼロならどうなるかという実験をやってみました。人の大量採用をして、あっという間に倒産したことも。

要するにMGは実験の場なのです。どんな実験をし、どんな答が得られるのか、それは自分自身にかかっています。積極的に学び、その中から答を自らつかむのか、「教える」ことはむしろそれを阻害してしまうのです。だから教えません。それどころか、インストラクターは「教えては(教えすぎては)いけない」と言われます。

昨日も一人一人がどんなことをつかんでくれたのか、とっても楽しみでワクワクして感想文を読ませていただきました。そしてニヤリ!インスト冥利に尽きますね。

カタチが揃うと心が揃う

その昔、すなわち経営というものに携わる前は、企画開発という仕事をしていました。学校制服という分野でしたが、その時に「スクール・アイデンティティ」という表現をつくり、その学校の理念や校風に合わせた制服づくりを提案していました。

「スクール・アイデンティティ」という言葉、業界の中ではおそらく最初に使い出したと自負していますが、意匠登録などという発想がなかったので、その後同業各社とも一斉に使われ出しました。もちろん、今さら「オレが最初だ」などという気はありませんが。
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その時に分かりやすい表現として、『心をカタチに』をキャッチフレーズとしました。これも、当時顧問であったコンサルタントの先生との合作です。これは逆説的に言えば、心を合わせるにはカタチから入る、形を合わせるのが近道だということです。

倫理法人会では、モーニングセミナーの時に「万人幸福の栞」を唱和し、輪読します。会員企業の中には朝礼で、「職場の教養」のその日のページを輪続、あるいは読み合わせをされているところもありますが、時に声が揃わない場面に出くわします。

どうして声が揃わないんだろう、何かいい方法はないですかとある社長から問われました。その時に思い出したのが「心をカタチに」という言葉、そして形をまず整えることが一番ではないかと思いつき、提案しました。一つは、本(小冊子)を両手で持ち、顔の前すなわち目線に合わせる。読み終わったら左手にキチンと持っておく。

これを全員で揃えてやれば、声も次第に揃ってきます。早い会社だと、翌週に伺うともう完璧にできていたという事例もあります。

朝礼でそれができると、日常の業務の中でも同じことが起こっていきます。気が付かない内に次々に改善が自然に起こり、職場の雰囲気まで浄化されている。

ウソだと思ったら一度試みてみて下さい。カタチから心へ、カタチが揃うと心が揃います。

脳力開発は人間学であり行動科学です(63)

 国債は本来、国民の金を広く集めて、私企業ではできない大きな事業を行おうというのが主であったはずです。そうであれば、道路や港湾、大きなインフラ施設などが国民の資産として残っていき、それはいうまでもなく国民の財産なのです。ところがいつの頃からか、国債Photo の目的が少しずれていってしまい、歳入の不足を穴埋めしようという、いわゆる赤字国債が常態化してしまいました。それが雪だるまのように膨れてしまっている。上記の資産も、無用の長物が増えたりして資産価値が乏しくなっている。

 行財政改革が叫ばれたのは最近のことではなく、高度成長が頭打ちになった頃から何度も繰り返されています。それがバブル時代にうやむやになってしまい、バブル崩壊がヒズミをますます大きくしてしまったと言えます。国債も年金も貯金も、本質的には同じ国民の財産であり、それが増えていくことは国民の財産が増えていくことだととらえることができます。豊かになることだからいいことなのだと言いたいところですが、その財産の使い道が間違っていたら大変なことです。

 使い道、すなわち運用の仕方を含めて戦術に属するものですが、国民の財産を増やすという総戦略が曖昧なので、戦術だけが一人歩きをしてしまい、にっちもさっちもいかなくなっているものまであります。挙げ句には、例えば年金がやがて枯渇するなどと言い始めます。国民経済を発展させ、国民生活を豊かに良くするものだという、総戦略をキチンと確立させて欲しいものです。年金などを払いたくなくなるような戦術展開を見直して、正道に戻していかなければ、本当に破綻してしまうでしょう。

あなた自身が経営不振の原因ですよ

昨日も書きましたが、これでも経営コンサルタントです。基本は1年間契約でのサポートですが、スポットでの相談も時にはあります。地元商工会議所の委嘱で、数年間専門家マッチングを含めた指導をやらせていただきましたが、短期間でのアドバイスだけでいいのかという疑問を抱いたものでした。

そんなわけで、最近は原則として年間契約のみ(それもありがたいことに毎年更新をいただいています)です。それでも社員さんの研修も含めて、短期間でのサポートをお引き受けPhoto_2 することもあります。

そんな時には、必ず現地に出向いて、すなわち本社や営業の拠点とか主力工場などに足を運んで、相談者の方とその場の空気を感じながらじっくりお話をします。もちろん、参考になるような資料も、すぐその場で出していただきます。そのスピード具合でも、普段どのようなマネジメントをしているのかが分かります。

もちろん、受付を入ってから職場の雰囲気とか、社員さんの動きや挨拶・返事などから、分かることも少なくありません。整理整頓はできているか、コミュニケーションはどうなのかも、肌で感じることができます。それによって、依頼にどの程度応えられそうか、どんなサポートをすれば効果が上がるのかも見極めます。

昨今は、同じ学びを志向するセミナーの席や後日での依頼が多いので、とても受けられそうにないなと感じるような会社はありませんが、かつては「やってもムダ」と感じてしまうところもなかったわけではありません。まぁ、その原因のほぼ全部は依頼者である経営者に帰するのですが、「あなたがやめることが最良です」と応えたくなる事例もありました。

会社は経営者の器以上にはならないと言いますが、経営者の資質そのものが企業のベースであり、環境条件そのものなのですから、まず「櫂より始めよ」とアドバイスしなければならない会社も多いわけです。

私の得意分野である人材づくりについても相談される経営者の中には、「ウチの社員はろくな人材がいなくて」とか、「優秀な人を採用できるような会社でもない」などと言われる方もおられます。思わず、「そうですね、あなたではねぇ」と答えてしまいそうで、焦ったこともありました。

経営者が最も自覚が足りない、まずそこから自分を見つめ直してはいかがですか。

独立開業間もなく丸8年になります

そういえば、本業は経営コンサルタントでした。専門は特別にはありません、「専門バカ」にはなりたくないので。しかし、好きな分野は人材(人財)づくりです。好きなだけで得意であるとは申しません、人づくりが得意だなんて口が裂けても言えません。

経営学だとか会計学とか、あるいは心理学なども学生時代の専攻ではありません。もちろんMBAなんて取得してもいませんし、士業にも目指して勉強した記憶はありますが、国家資格にはほとんど縁がありません。『キャリア形成』の勉強を放送大学でやっていますが、それはあくまで一般教養としてです。
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一介のサラリーマンからスタートしました。従業員5千人近い上場企業の、2千数百人が働く工場の労務管理、の中の「社内報づくり」と「ワーカー教育係」が最初の仕事でした。1ヶ月間実習という名で、ワーカーさんに混じって油にまみれました。

転職しました、その会社は1千名くらいの規模ですが、業界2位のアパレル製造会社でした。紹介されて腰掛けのつもりだったのが、34年間在籍することになりました。その内16年半は販売会社に出向し、その内9年間は代表取締役でした。

親会社時代に様々な研修、セミナーに参加させていただきました。QC・TQC、広告・販促、コンピュータなどなど、その中でMG(マネージメントゲーム)に出会ったことで人生が変わりました。もう30年近く学び続け、インストラクターをやり、経営に応用して結果を出すこともできました。

出向時代から副業として、講演やセミナーの講師を務め、時にはコンサルティングを依頼されることもありました。その副業が、現在の生業になっています。

副業時代には制約がたくさんありました。当然ですが、就業規則では副業禁止でありましたが、親会社の社長から黙認をいただいていました。親会社や他の関連会社の社員研修も、報酬をいただく形でお願いされていましたから。

しかし、他社のからみとなると周りの目が厳しくなります。もう時効でしょうから書きますが、旅費を会社の経費として計上していないか、親会社の監査役に調査されていました。有休あるいは代休を活用して出かけていることも、チェックされていたようです。やましいことなど一つもありません、どこかの知事と違って公私混同はしませんでしたから。

そんな監査調査をやられたことで、正直気分は佳くなかったですね。それが引き金になったわけでもありませんが、青天井でありたいと思ったことは事実です。出向から親会社に戻って1年半、やるべき仕事も目処が付いて依願退職しました。

おかげさまで青天井になりましたが、爾来8年予想以上の苦労もありました。幸いに社員体験も経営者体験も、どちらも役に立っています。MG、そして脳力開発で身につけたことが大いにプラスになっています。

少しずつお役立ちしながら、世の中にお返ししていきます。

脳力開発は人間学であり行動科学です(62)

 工業に必要な資源とくに天然資源がほとんど何もない、国土も平地が少なく農業生産も大規模化が難しく効率が良くない。これは世界一の貧乏国になる条件なのに、実際には五本の指に入る繁栄国の中に入っているのが我が国です。また、国土の大半が温帯モンスーン地域にあって、細菌やバクテリアの繁殖にも適しているのに、世界一、二を争う長寿国でもあります。これもまた世界最高の医療技術や保険制度に、裏付けられたものといえましょう。

Photo  こんな風に発展している我が国が、実はその時々の経済の動きに右往左往しているというのは、一体どういうことなのか。好況だ不況だ、いや高度成長だ、安定成長だとふらついているのは、国家としての戦略という骨組みが弱々しいからに他なりません。国家戦略というと何だか大仰なものに思えますが、要するに日本という国をどのようなカタチにし、どのように生活する人を幸福にし、地球上にどのように貢献していくかという方向性を示すことです。その大きな方向がハッキリ見えていないのが現状です。

 戦略がボンヤリしている中で、戦術だけがどんどん先行してしまい、気が付いたら膨大な借金が積み上がっています。国債に代表される我々日本人の借金額は1000兆円を超えたそうで、一体このままでは国家が破綻するのではと懸念する向きもあります。年金もまた制度疲労とも相まって、行き詰まりの様子を見せていますね。そうなることもずいぶん前から予測されていたのに、結局のところ戦略不在のためにその場しのぎだったわけです。高度成長時代に創られた年金基金制度なども、次々に崩壊しています。

江戸期を全うする真田家を築いた小松姫

大河ドラマ「真田丸」に、いよいよ小松姫が登場してきました。関ヶ原の直前、東西がいよいよ手切れになり、真田家も危急存亡の秋を迎えて父と弟が東軍を去り、兄が残ることを決めた犬伏の別れ。

信濃上田に戻る父昌幸と弟信繁が、兄信幸の居城・沼田城に立ち寄ろうとした際、留守を任されていた信幸の妻・小松姫が「追い返した」という逸話が残っています。
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その小松姫、家康の養女として信幸に嫁いできますが、実は徳川四天王の一人・本多忠勝の娘(稲姫)です。忠勝は「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八」と称され、家康の幼少時代から側に仕えた闘将です。生涯57回戦い、かすり傷一つ負うことがなかったとか、その槍には駐まったトンボがすうっと二つに切れたという「蜻蛉切り」の異名が。

沼田城から追い返された昌幸が、「さすが本多の娘よ」と絶賛したとの話も。ただ、どうもこの話はうますぎるようで異説もいくつかあるようです。幼い頃から父・忠勝の影響で、武術に優れていたらしく、留守城では鎧に身を固め家臣の先頭に立っていたとも伝えられています。こちらは事実に近いかも。

なお、小松姫が嫁ぐ寸前まで信幸には正妻がおり、ドラマでは離縁したことになっていますが、離縁せず側室として仕えたというのが本当らしいのです。ただ、小松姫とは出会うことなく過ごしたそうですので、上田の城下に住んでいたのかも知れません。

関ヶ原で勝者側に付いた信幸は、本城の沼田に加えて真田の本拠・上田も合わせて与えられます。高野山麓の九度山に流罪となった父と弟には、その後も援助を続けたそうですし、昌幸の礼状には小松姫への感謝のことも書かれていますので、戦国の女の強さと優し共に身につけていた女性なのでしょう。

信幸は父の名である「幸」の字をはばかって、信之と名を変えますが、上田から松代に増転封になり92歳まで長生きします。小松姫は、妻として母として信之を支え続けた女傑でした。ただ晩年は江戸住まいとなり、病を得て草津に湯治に出向く途中に48歳で亡くなったと記されています。

福井鉄道のトラムを撮り鉄してきました

今回の遠征は月曜日からの出発なので、今日が6日目で最終日。ビジネスの方が昨日で完了しているので、移動日と言ったところ。例によって、「乗り鉄・撮り鉄」ミッションでの帰り道です。

そこで、新装なった福井駅前を選び、駅前に乗り入れてきた福井鉄道線と、えちぜん鉄道との相互乗り入れの車両をカメラに収めることにしました。時間的にはのんびり乗り鉄しても大丈夫ですが、それはまた次の機会に譲ることとしました。

Img_2208 大阪からは新快速で敦賀に直行し、各駅停車に乗り継いで福井には13時前の到着。駅前に立つと、元土佐電735のF10形が停まっていました。元を辿るとドイツのシュトゥットガルト市電、さらに待つ間もなく元名古屋地下鉄の602も入線。

ただえち鉄相互乗り入れの電車は駅前にはやってこないので、大名町交差点まで歩いて行ってしばらく待つことに。待つこと10数分、来ました来ました、狙い通りのL形「ki-bo」。すぐに駅前に引き返し、ここで少し待って「FUKURAM」1000形をパチリ。

そんなわけで、わずか40分ほどの間に今回撮りたかった車両は完全に網羅、こういう効率の良いことも珍しいのです。何より、天気が佳かったことは有難い限り、気温の割には空気が乾いていて汗もほとんどかかずでした。

あとは予定より早い特急に乗って金沢まで。ただ、ここでは新幹線「はくたか」には1時間余り後の接続、何しろその前の「はくたか」は、特急到着後1分で出発してしまうのですから、ちょっとばかり面白くないですね。

まぁ、旅にはいろいろあるものです。

脳力開発は人間学であり行動科学です(61)

 安定成長というのは、高度成長に対して低成長というのは忍びないので名付けたのでしょうか。低成長を言い換えただけであれば、もし安定成長が望ましいとなると、高度成長は間違いでしたとでも言い出すのかと思ったものでした。安定、安定と言っていたら物価も安定Photo_2 して、それでも競争はつづくものですから一面で価格競争になり、かえって物価が下がることになったというわけです。で、今度はそれではダメだというのですが、何だか頭がこんがらがってしまう感じです。

 要するに一貫性がない、日本経済に対する政府の戦略がない、あるいはハッキリ定められていないということです。消費税を8%に上げる時に財政の健全化を旗印にしていましたが、いつの間にやら旗を巻いてしまったのか。要するに明確な戦略が立てられていないのです。あの平成景気と言われたバブルの再来を期待する人は、今やほとんどいないとは思いますが、もしかしたら心のどこかで待望している向きがあるのでしょうか。それは無理でしょうが、「好況」を感じるくらいには十分可能だと思うのです。

 なんだそんなことかと言われそうですが、好況にしたいのであれば、好況になるように人間が活動すればできることなのです。ただ、日本という国の現実をしっかり知っておかねばなりません。そんなこと知っているよ、と笑われるでしょうけど。日本の現実は、その総面積が37万平方キロ、人口が12千数百万人で、いわゆる天然資源と呼ばれるものが非常に乏しい。石油がない、鉄鉱石もない、ボーキサイトも何もない。主原料となるものが、ほとんど国土にないというのが確定事実なのです。

天下のざる法「政治資金規正法」の是正はムリ

あきれてしまいますね、舛添要一(敬称略)に三菱自動車。これでもかというくらいに、次々に色々なことが出て来ます。さらには、スズキよお前もか!? 優良会社と信じていたのに、もうカンベンしてほしいですねぇ。

Photo 舛添問題でいえば、白日の下にさらされたこともあります。それは、政治資金規正法という法律がいかにざる法であったかということ。これもまた、あきれてものも言えないくらい。こんなざる法でいい加減に使われるなら、税金は払いたくない!って叫んでみても、どうにもならないわけですが。

もっとも落ち着いて考えてみれば、政治家たちが、自分たちの首を絞めるような法律など作るわけじゃないではないか。それは「世間の常識」ってものでしょう。こういうのも、マッチポンプというのでしょうか。

それにしても見事なザルであるわけで、どんなものでも「政治活動費」として計上できる、ということを今回思い知りました。いいなぁ、事業経営者には羨ましいくらいです。そんなやり方で事業経営の経理処理をしたら、とたんに税務署からチェックされて重加算の罰税が課されることでしょう。

ちまちまと節税する気はありません。キチンと使い、正しく処理して、儲けが出たら相応の税金を払いますよと言っているわけです。少なくとも、家族旅行の宿泊費など会社の経理で落とすような真似はいたしません。家族で一杯やった費用は自腹を切ります。

それどころか仲間と打合せで酒場を使うこともありますが、数千円の範囲なら経費としますが、1人何万円(ナンテふつうは使えませんが)になったら、それ相応の処理にしますし、二次会費以降は当然に自腹です。

政治活動費って科目、自分の仕事だったらなんだろう。調査研究費、研修費とか研修運営費でしょうか。もっとも、彼らはそれに対して税金からの支援を受けていますが、私たちは自分で稼いだ金から出費しなければなりません。

だからといって、政治家になどなりたいとは思いませんね。若い頃は、少しばかり野心を抱いたこともありましたが、今の仕事の方が余程胸が晴れますね、他人様の金で仕事をするよりもずっと。

さて、土台となる政治資金規正法、このザルさを正してより良い法律に・・・って望む方がムリですね。泥棒に、泥棒を規制する法律を作れと言ってもねぇ。むろん、良識ある政治家も一握りはいらっしゃると思いますが。

『気付く』ことと『思いつく』こととは違うのだ

3月から開講している、未来に舵切る脳力開発講座(第Ⅱ次メンバー)も今月で3回目を迎えました。昨日が東京開催、明日が神戸での開催です。昨日は、定例のメンバー11名にスポット参加のKさん、そして時間がなくてなかなか参加できなかったWさんも限定時間参加。Wさんは、最終講までの継続受講を意思決定される模様です。

Img_2154 最後の15分くらいは、参加者の皆さんに感想と気付いたこと、やろうと決めたことなどをスピーチしていただいています。1回目より2回目、そして2回目より3回目とその中身や氣力が変化してきているように感じました。

これはある意味「脳力開発効果」とも言えるかなと、感じています。多分ご本人は余り感じておられないように思いますが、間違いなく変化してきています。つまり無意識の内に、行動習慣が変わってきている表れだと理解しています。まさに、毎回の講座が目指しているところです。

そんな中で、『気付き』と『思いつき』とは違うということに、私自身が気付きました。もしかしたら、これまで気付きだと思っていたことの多くが思いつきだったのかも知れません。気付いても思いついても、すぐに行動に移せていたことが多かったせいで見逃していたのでしょうが、明らかに両者は違います。

気付きはすぐに行動に結びつきます。「気付いた時すぐする」とか、「気付きは必然であり、最も氣が高潮の時に気付かされる」のです。一方思いつきは、必ずしも行動には結びつきません。しかもやらねばと、改めて意識しないと行動に結びつかないようです。そして行動しないことで、忘れてしまいます。

こうして気付いたことを、すぐに学習仲間に話しました。話すという行動で、さらに理解を深めると共に、まだ足りないところにまた気付かされます。さらにもっと多くの方にも、伝えていこうと決めました。

明日からの神戸講座も楽しみです。スポット参加、ドタ参加大いに歓迎です。

脳力開発は人間学であり行動科学です(60)

 アベノミクスの戦略目標はデフレからの脱却だと言われてきました。よっていくつかのデフレ脱却対策が打ち出されましたが、これはデフレ状態が続いてきたという基本認識があるからです。しかもデフレは良くない、悪いという評価認識が対策に表れます。デフレの反対はPhoto インフレですが、じゃぁインフレは悪くない、良いのかというと決してそうでもありません。しかしデフレよりはマシなのだ、例えばものの値段が上がって会社の利益が上昇すれば、給与も上がってくるはずだという理屈です。

 ところが環境条件は、残念ながら期待通りの展開を許していません。消費税のアップの影響も少なくありませんが、急激な円安が個人消費に強いブレーキをかけています。しかし、その変化に政策はついてきていない、そんな印象が強いようです。脱デフレの話の前に多く語られていたのは、脱不況対策でした。不況をなくして好況にしたいというからには、現在の日本の状態が不況であって良くない。好況という状態が望ましく良いことだというイメージを持っているからです。

 そこで今回のケースに当てはめてみますと、これまではしばらくデフレ状態が続いているという事実があった。しかもデフレは良くなくて、その反対にもっていかなければならない。でも反対のインフレは、果たして良いイメージなのでしょうか。そうとも思えないのですが。ところが思い出してみて下さい。不況だ、不況だと言っていたのが、実は高度成長の大好況の時代と比べると確かに「不況」に見えていたのですが、他国の比較や他の時代との比較をするとそうでもないことが分かると、安定成長で経済安定の時代だと言い出します。

B型に囲まれたら柳に風の心境で

新潟市に転居して半月を超えました。

静かな住宅地の真ん中、行き止まりの道ですので入ってくる車も少なく、近くを走る電車の音も気にならない程度です。新潟市内でも、戦後の高度成長時代に開発された最も古い造成地だそうで、作りの立派な家も多いのですが、年配の方が主流のようです。

Img_2114 娘夫婦や孫と一つ屋根の下、三世代での住まいですが階を分けましたので、孫がいないとこれまで通りの二人住まいです。玄関をはじめとして、何もかもをそれぞれ独立にしました、やや不経済かなとも感じますが、それもまた新しい形なのでしょう。

それはそれで良いのですが、5人の家族の内4人、すなわち8割がB型なのです。カミさんはいわゆる典型的なB型で、忘れるのも早いですが思い込みは半端ではありません。交際時代から40年以上つき合っていますのでよく分かっていますが、時にはもうちょっと融通を利かせてくれないかなと思うことも。

娘もカミさんの性格をしっかり受け継いだようです。ですから、私はこの2人には余り余計なことは言わないようにしています。言いたいことがあっても、可能な限り飲み込むか、あるいはそれとなくにおわす程度で。それなりに気を遣ってくれる性格ですので、真っ向からぶつからない限りいいのです。

そして娘のダンナさんもやはりB型、ということで孫もしっかりB型です。今のところ、どこまで性向を受け継いでいるのかは定かではありませんが、何となく片鱗を見せ始めているような気もします。

そんなB型に囲まれている私はというと、これまた典型的なO型です。楽天的で環境適応ができるタイプですので、周りをB型に囲まれても、時には「柳に風」と受け流せるのでいいのですが、いずれにしても多数派には勝てません。

今日から仕事で遠征、しばらくは私自身のマイペースで動くとしましょうか。

都民の皆さんに心からご愁傷様です

あんまり書きたくない話題ですが、どうにも書かないと気が休まらないので。

舛添要一です。元々どうも私には合わない、考え方生き方の基本が合わないと思っていたのですが、それでも一時は「言いたい放題自分を主張する」姿勢に、けっこうやるじゃないかと考えたこともあるのです。だからこそ腹が余計に立つのかも知れません、そんな自分に。

Masuzoe 一連の事実が明るみに出て、その弁解記者会見を見聞きして、余りに薄っぺらなトンデモ人間であることに気が付かされて、一時であろうが「認めた」ことを大いに反省しています。

週刊誌に事実が披瀝されて、その段階では例によってマスコミ情報は鵜呑みにしない主義ですから、ふーんと言った雰囲気で眺めていたのですが、本人が事実と認めたので、どういう対応をするのかと興味を持って見ていたわけです。ちょっとはまともな対応をしてくれるのではないか、期待をしていたわけではないのですが。

期待をしていなかったので、裏切られたとは微塵も思いませんでしたが、(^_^;)\(・_・) オイオイって感じでしたね。単なるを通り越して、ただの、いやいや典型的な俗物ではないかと。庶民感覚とかそういうものではなくて、人間感覚が決定的に足りない。保身に汲々とする姿は見るに堪えません。

これ以上書くのもイヤなので、もう止めようと思います。

ただ都知事です。東京都の都知事って、一国の大統領並み、ですから(こと東京都に関しては)日本の首相以上の強い権限を持ち、その意味では超一級の権威者なのですが、それを完璧に貶めてしまった責任は重いでしょうね。

都民は良くもこんな俗物をトップに据えたものです、ご愁傷様。

余震が続く1ヶ月後の熊本の仲間にエール!

おはようございます。

一連の熊本地震の第一震(前震とか)から今日でちょうど1ヶ月、確か夜でしたね、テレビを見ていたところ速報が流れたのでした。翌々日の16日に起きた本震、どちらも最大震度7という大地震でした。1回目で何とか崩れないでいた建物の多くがこれで崩壊しました。

Photo 熊本市周辺在住の友人や仲間たちは、幸い早めに無事が確認されましたが、それでも自宅や会社・お店などに何らかの被害を受けられたようです。ライフラインの障害も、しばらく続いたとか。1ヶ月が経って復旧は進んでいるそうですが、まだ元通りとはいきません。

しかも余震の数や規模が半端ではありませんね。私たちが受けた2004年の中越地震がこれまでの最多だったそうですが、最初の1ヶ月が800回くらい、最終的に1100回くらいだったと記憶しています。今回はそれをはるかに上回る数ですから、その不安な日々は想像を超えています。

雪国長岡の場合は耐雪住宅が普及していて、自宅の崩壊などは揺れの大きさに比して少なかったようですが、それでも断層に沿った地域は被害が大きく、旧山古志村は全村避難という事態でした。私の友人は新築の家が全壊、断層の真上だったとか。

鉄道や道路が早く復旧したのは心強いですが、現在避難者が入れる仮設住宅の建設などは遅れているようです。かつての被災体験者としては、明るいところに目を向けてがんばってとはなかなか言えないのですが、ただただ、少しでも希望をつかんで下さいと祈るばかりです。

2ヶ月後の7月末には、かねてよりセミナー(CFMG)の開催が予定されています。お招き下さっている皆さんがお元気そうで、開催に向けて準備に入って下さっているのには頭が下がります。ぜひ、セミナーを盛会にしてよい学びをしていただけるよう、私も今からしっかり準備を整えていきます。

2ヶ月後に明るい笑顔にたくさん出会えることを、心より祈っております。

脳力開発は人間学であり行動科学です(59)

 経済学のつづきですが、学問的な経済学の多くはいわゆる欧米の経済学です。マルクス主義も資本主義も、いずれもそうですが、そういったものを後生大事にして、日本や日本人に合った経済(学)の存在をそっちのけにしている傾向があるようです。日本経済には日本4558352d_2 独特のカタチがあり、共通性や普遍性があります。それが世界でも有数の長寿企業や、先進企業を育ててきたことを忘れてはなりません。社員を大切にする企業風土、家族的な雰囲気、そういうプラスの要素はぜひ守っていきたいものです。

 現在の日本経済は大きな曲がり角にきています。有史以来の変化の時期にきているということですが、その変化に対応し、世界一の長寿や発展を遂げてきた日本経済の本質を、企業経営の中でも活かし守っていきましょう。巷では、いきなりの衆議院「不意打ち」解散(2014年)で、年末の総選挙が近づいています。アベノミクスによる景気動向が争点になっているようですが、与野党の議論がかみ合っていない感が少なからずあります。片やうまくいっていると言い、片やうまくいっていないと言います。

 考えてみればそれも当然で、一方はうまくいっている側面に重点を置いてしゃべっています。もう一方はうまくいっていない側面に注目して意見を述べているのですから、議論がかみ合ってこないのも当然と言えば当然なのです。与野党ともに同じ状況を見ているのですから、少しくらい違う局面についてもしっかり認めて、その上で意見を開陳すればいいのですが、それはやらないようです。もっとも今に始まったわけではなく、有史以来人間は常に同じことを繰り返してきています。

三菱自問題は我が社とは関係ない、が危ない

三菱自動車の不正操作問題が、大きく取り上げられてます。燃費の偽装については、どうも本社が指示したらしいなど、新しいネタバレも次々に表に出て来ました。

私は車に乗り始めて35年、一度も三菱車を購入したことがないので、自分には関係ないわと模様眺めしていますが、果たして三菱だけの問題だろうかとつい疑ってしまいます。実際Photo のところ、現場がナイショで不正に手を染めていたら、それを不正と見抜く手立てが果たしてあるのでしょうか。

まして、上から下までが一体になってやってしまったら、正しいチェックなど不可能だと言ってもよいでしょう、残念ながら。今回の問題は規模が大きくなってしまったから、社会的影響が大きいから視線が集中していますが、表沙汰にならない不正は決して少なくないのではと、心配になってしまいます。

要は企業体質、あるいは企業風土という根本のところがねじ曲がっているということなので、あれはよその会社の話だなどと片付けてしまうわけにはいきません。大なり小なり、問題の起こる要因を内在していないかと、自社を見直してみる機会としてほしいものです。

大企業には「大企業病」という、組織を腐らす病がありますが、中小企業とて油断すればそのウィルスに取りつかれてしまいます。むしろ組織が小さいだけに、蔓延力が早く、取り憑かれてしまうと尋常では逃れられない事態に陥らないとは限りません。

せっかくですから、この際自社を点検してみませんかと提案をしましたら、「ウチは問題ないですよ」と応えられる経営者も多いでしょう。自信を持つのはよいのですが、ではお客様はどう見ておられるのでしょう。

もしお客様の正しい声が伝わっていなかったとしたら、まさに今回の三菱問題と同じ根っ子が垣間見えると思いませんか。そう、正しい声が伝わらない企業体質、組織の状態にこそ今回の根本があると思うのです。

今月の顧問先へのレポートでは、そこのところをもう少し掘り下げ、再確認と点検を呼びかけてみましょう。

法定保存文書の保管スペースを小さく

引越後の断捨離、片付けの話もそろそろ最終局面にしなければなりません。衣類については先日のブログでも書いた通り、最終は書庫の書籍や文書類です。

とりわけ、経理関係の文書・帳票類は法定保存年限がありますので、原則としてその年数の間は保管しておかねばなりません。個人事業としてのスタートが2008年でしたので、現在は8年分の分量です。

Photo 申告書は事業の最後まで保管しておくこととして、財務三表に総勘定元帳や補助簿は10年、現金出納帳や仕訳帳、領収書や預金通帳、請求書類などは7年保存です。作成が翌年1月として、そこから7年後の3月末くらいまでは保管しておかねばならないそうです。

ということで、2008年度の内7年保存のものは処分しても良さそうですので、落ち着いたらやることにします。保存ファイルにはすべて「年限」を書き込んでおきましたので、それを過ぎたら廃棄するようにしておきます。

電子帳簿も認められていますが、私のところの帳簿ももちろん、スタートの時から電子データとなっています。ですから、本来印刷データを保管しておく必要はほとんどないのですが、それがかなりの分量で書庫の面積を専有しています。

そこで、独自の保存ルールを作ろうと思っています。7年保存のものについては、領収書・文書綴りはそのままとして、2年先までに電子化(PDF)を併用し、実物は3年間くらいの保存にとどめる。その他も印刷データは3年間だけファイルにする。10年保存のものについても5年間の印刷データ保存、電子データは期限無しで保管。

こうすれば、現在の半分以下のスペースに落ち着くはずです。早速、データを年毎にCDに書き込むことにしますか。

脳力開発は人間学であり行動科学です(58)

経済も経営も人間のなせること
 さて、歴史は人間の行動の記録であり、行動の結果として政治や経済が動くわけです。企業経営を左右する経済状況も、当然のことながら人間が作り出しているもので、それは経済学というジャンルの学問としても成立しています。いやぁ、経済学なんて私には難しくてとPhoto か、経済のことはさっぱり分かりませんとおっしゃる経営者も少なくありません。経済学などと大上段に構えると、確かにそうかも知れません。しかし、経済そのものはそれほど遠い存在ではありません。

 例えば、最近の業界の動向はどうですかとか、人材確保はできていますかとか、今後売上はどうなっていくでしょうかと聞けば、経営者の方からはちゃんと答が返ってきます。経済のことに詳しいじゃないですかというと、きょとんとした顔をされます。経営者の方が「私は経済のことなど分からない」とおっしゃるのは、学問的な経済学のことを頭に思い浮かべるからでしょう。経済学の書物に書いてある経済のことは、確かに素人には難しくて、普通の人には難解な代物でしょう。

 しかし経済とは人間の営み、つまり人間が行動して作り出した結果であるわけですから、決して難解なものでもないわけです。それを経済というと、マルクス主義経済学とか資本主義経済とか、あるいはケインズなどを思い浮かべるので遠い存在に感じるのです。学者先生の考えた経済の原理など、実際の経営の上でどれだけ役に立つでしょうか。それよりも、どうやったら社員とその家族を幸せにできるかとか、そのためには会社を進歩発展させなければと考え、実行していくことが第一だと思いますよね。

特急「しらゆき」越後路2時間の旅

新潟に転居したのが4月の30日、連休中も家の中の片づけに追われましたが、後半の3連休からはようやくデスクワークもできるようになりました。来週からは本格的な遠征に出ますが、今日はそのプレ遠征でもないが、上越高田で戦略会計のセミナーを行う予定です。

そんなわけで、新居から初めての出張です。最寄り駅は越後線の小針駅、歩いて5分と意外に近いのです。越後線は柏崎が起点で終点が新潟、もっとも新潟寄りがベッドタウンで、日中でも20分ごとに電車が走っています。新潟までは、単線の行き違い待ちを含めて15分少し。

Img_2130 今日は新潟駅で特急「しらゆき」6号に乗り換え、E653系1100番台のモノクラス4連です。2両が指定席で2両が自由席、GW後の平日昼間では乗客もまばら。長岡時代は、上越妙高乗り換えで新幹線を利用したが、乗り継ぎ客はけっこう多い。

E653系はかつて常磐線特急で活躍したが、現在は新潟で「いなほ」(1000番台7連)と、この「しらゆき」、それと朝晩の通勤快速・特急に運用されています。(写真の手前が「しらゆき」で、隣が「いなほ」です)

「しらゆき」と聞くと、私のようなオールドファンは、かつて金沢-青森間を走った急行気動車を思い出します。一度だけ均一周瑜研の旅で利用したことがあって、その時は秋田から新潟まで乗りました。

現在の「しらゆき」の前身は、特急「北越」と快速「くびき野」ですが、新潟-金沢間で言えば直通時代より早くなっています、乗り継ぎの面倒はありますが。

今日は幸いに晴れた天気で、水が張られ、あるいは田植えの終わった田んぼを眺めながらの2時間旅でした。日本海も比較的穏やかで、やや白波は立っていましたが、冬の荒々しいムードは感じられません。

直江津からは、えちごトキめき鉄道「妙高はねうまライン」に乗り入れますが、妙高山の峰にはまだ残雪が見えました。さらにその奥の新潟焼山は、先日小規模噴火が確認されたそうですが、車窓からは見えません。

そうこうしている内に高田到着。信越本線時代は自動改札機が設置されていましたが、えち鉄になって撤去され、木造のラッチが作られたというエピソードがあります。先月の花見の頃には多くの人で賑わったのでしょうが、今日下車したのは私を含めて2人、駅前も閑散としておりました。

長命だったが幸せな人生だったろうか

近江八幡市の八幡城趾に、日蓮宗の瑞龍寺という寺院があります。元は京都(最初は嵯峨村雲、のち西陣)にありましたが、50数年前にそこに移されました。なぜに?

実はこの寺は16世紀末、ある女性の思いの末に建立され、当時の後陽成天皇より寺号と寺領1000石を与えられ、後には門跡寺院となった由緒です。これは日蓮宗では唯一であり、一時は村雲御所とも称されたそうです。

Photo この寺を開いたのは瑞龍院日秀という女性(尼)、俗名を智(子)と言われます。戦国時代真っ只中の天文年間に生まれ、亡くなったのは江戸時代の寛永年間、3代将軍家光の時代まで長生きされ、享年92歳でした。

母は天瑞院、すなわち大政所と称された豊臣秀吉の母なか、そしてこの智(とも)は秀吉の実姉であるわけです。三人の息子は、長男秀次と次男秀勝が秀吉の養子になり、三男秀保は豊臣秀長の養子になりましたが、いずれも若くして亡くなりました。

しかも秀次は関白にまで上りつめましたが、秀吉に実子(のちの秀頼)が誕生したことで地位を追われ、謀反の疑いをかけられて高野山で自刃し、その妻子のほぼすべてが京の三条河原で処刑され根絶やしにされました。父親、つまり智の夫・三好吉房も流刑されてしまいます。この時期の秀吉は、子供かわいさに狂ってしまっていたとしか思えません。

しかし姉の智はじっと耐えながら、処刑された子や孫の菩提を弔うために出家して、嵯峨に寺を開くのです。村雲という地は、確か現在の二尊院のある辺りかと思います。

大坂の陣の数年前に夫は先立ち、大坂の陣では豊臣一族の滅亡を目の当たりにします。しかし、日秀が何かしたという記録は特に残っていません。ただひたすらに、南無妙法蓮華経を唱えておられたのでしょう。

ひっそりと亡くなったわけですが、現在の寺のある近江八幡は秀次が築いた城下町です。そして、次男秀勝と江(のち徳川秀忠の正室)の間に生まれた完子(さだこ)は淀殿に育てられ、九条家に嫁ぎ、その子孫が大正天皇の貞明皇后につながり、現在の皇室に脈々と豊臣の血を伝えていることになります。

断捨離のポイントは分かったけれど

今年のゴールデンウィーク、最後の土日連休ですね。中には10連休をとられた方もあるとのことですが、我が家は30日の引越から一週間、まだまだ片付けの真っ最中です。ずいぶん進んだようにも見えますが、何とか仕事ができる状態になったくらいです。

T_img_1584 引っ越してきてみて分かったのは、いえ、ホントは以前から頭では分かっていましたが、現実に直面して「断捨離が足りなかった」ということです。今までの3LDKが、新居では1LDKに減るわけで、その分物入れやクローゼットを広めにとり、さらには書庫を作ってもらったのですが、予想通りモノが余り気味です。

ある方から、断捨離のポイントはクローゼットに整理整頓する衣類だと言われていたことが、実感として直撃しています。その気になって、荷造りの前に着る物の断捨離をやったのですが、「やったつもり」くらいで終わっていたようです。

まだ収まらない段ボール箱が2つあります。つまりはその分量は本来捨てるべき、ということになるのでしょう。もう少し徹底的にやらなければいけない、この1週間で強く感じました。第一、そんなに着られるわけがありません。

とくに現役時代の仕事着、スーツやブレザー、ズボンの類いは半分以下にしても、十分間に合いそうです。振り返れば、昨年一度も袖や脚を通さなかったものもありますから。

普段着も半減しても、何ら差し支えなさそうです。今日明日で、その辺りをやってみましょう。毎日着るものであっても「5枚もあれば足りる」とするのが、断捨離の基本だと言いますから。

古着として売れるもの、捨てるもの、そして残すもの。それぞれ2:3:5くらいの割合かなと思っていますが、迷いを捨てて臨みます。

脳力開発は人間学であり行動科学です(57)

 歴史から学ぼうということを、脳力開発講座やセミナーの中でも私は常に強調しています。時には歴史の中の人物を取り上げて、そこに脳力開発や情勢判断学、あるいは戦略と戦術などの視点からお話しをすることもあります。先日の織田信長の事例などもその一部でPhoto す。なぜ歴史なのかと質問する方もいらっしゃいます。それは、歴史は人間が作っているからです。政治も経済も、戦争も、天候のように自然の営みではなく、人間が行動することによって生み出されます。神様や化け物がやってくれるわけでもありません。

 人間がやることですから、そこから人間(の行動)を知ることができます。だから歴史に学ぶことは、人間を学ぶことでもあるのです。歴史学というと何だか難しい別世界のものに思えますが、なぜそのように行動したのか、どういう環境条件であったのかを探るわけです。脳力開発セミナーでは、プログラムの中に「歴史に学ぶ人間学」というタイトルをつけて、歴史上の人物を取り上げてお話をします。取り上げる人物は色々とありますが、やはり歴史の中の激動期、戦国時代や明治維新前後から選ぶことが多いです。

 知名度があるということが選ぶ理由です。先に挙げた織田信長、それから豊臣秀吉や徳川家康。明治維新でいえば、坂本龍馬や西郷隆盛など、おそらく大多数の方が名前を知っているはずです。また、資料も多く多角度からの情報収集ができます。取り上げる事績は主として「うまくいったこと」ですが、時には「うまくいかなかったこと」も取り上げます。どちらにも原因があり、どちらからも学ぶことができます。時代が違うと環境や条件は違いますが、人間の行動には共通性も少なくないのです。

健さんが愛してやまなかった駅が無くなる

増毛の話題です。といっても頭の毛のこと(ぞうもう)ではなく、「ましけ」駅のことです。もっとも、この駅の入場券はよく売れた時代もあったそうで、それは頭を気にする小父様方が買い求めたようです。無人駅ですが、今も管理駅である留萌駅や、増毛駅周辺の店売店で買えるそうです。

この増毛駅は、留萌本線の行き止まりの終着駅です。改正鉄道敷設法では、さらに石狩湾沿いに伸びて札幌までレールを敷く計画だったそうですが、人家も稀でヒグマの数の方が多そうな地域で、いつしか人の口にも上らなくなりました。

Photo 増毛駅が無人駅になったのはJR化後の90年代ですが、私が訪れた70年代にはまだ貨物列車もやってきていましたし、準急や急行列車もあり、多くの駅員が常駐していました。そのJR北海道は、留萌から増毛までの区間を廃止するそうで、当期運休が懸念される12月初旬にはレールがなくなります。

この駅を有名にしたのは高倉健さんです。映画「駅  STATION」(1981年)の舞台になったのは、まさにこの増毛駅でした。駅前の風待食堂で働いていた「すず子」が烏丸せつ子さんで、居酒屋「桐子」のママ・桐子が倍賞千恵子さんでした。

そんな駅もなくなってしまいます。何しろ廃止される区間は、100円稼ぐのに4500円かかるという超赤字路線。JR北海道の中でもワーストワンなのだそうです。それでなくても札幌近郊線以外は赤字に悩むJR北海道は、以前から廃止したくてたまりませんでした。

この3月のダイヤ改正では、北海道新幹線の開業というニュースで盛り上がりましたが、その裏では多くのローカル列車や閑散駅が廃止されました。そして、特急列車さえ削減の方向が示されているのです。一企業の力ではどうにもならない、確かに理はその通りです。

しかし鉄道利用者は、その多くが交通弱者です。小中学生や高校生、そして今や田舎では多数を占めるようになった高齢者たちです。しかもこれからどんどん高齢者の数は増え、車に乗りたくても乗れない方も増加していくでしょう。

バスはありますし、すでに列車の本数よりも多く走っています。街の中心部を走り、停留所の数も多いと中央の政治家や役人は言います。しかしこれとて、赤字状態であることには変わりなく、やがて本数削減から廃止に向かう可能性があります。

地方創生を叫ぶ大臣がいます。大臣の地元も同じような過疎化、限界集落化が進んでいます。地方をもっと活性化する、予算をたくさんつけると言っています。しかし実態は、また鉄路がなくなり、より過疎化に拍車がかかるのでしょう。

地方や末端の声はだんだん届かなくなる、それが現実の姿ですね。

昭和の鉄道史を飾った超弩級・デイ100

今日はちょっと想い出話。

私が鉄道というかデンシャに興味を持ったのは、物心が付いた3歳くらい、あるいはもう少し前のことらしい。らしいというのは、本人にはハッキリした記憶がないし、よく知っているはずの両親は既に他界してしまっているからだ。

でもその頃住んでいた社宅からすぐのところに、大阪市電(いわゆるチンチン電車)が走っていて、それを倦かずに眺めていたり、家の中では積み木を電車代わりに、障子の敷居をレール代わりに遊んでいたのは記憶の端に残っている。

幼稚園に入る頃、阪急沿線の十三(じゅうそう・大阪梅田から2駅目)に引越して、阪急電車との縁ができた。当時から数えるともう60年のご縁ということになる。小さい頃から体がPhoto 弱く、産まれた病院に主治医がいて、そこに通院するには阪急と国鉄(城東線=現在の大阪環状線の東部分)を乗り継いで行った。

阪急の茶色(ホントはマルーンという)は品があり、城東線のオレンジ(バーミリオン)は子供心にも厚化粧したおばさん(年増)に見えた。当時の電車はもちろん吊り掛けモータで、その唸り音で形式を当てたものだった。阪急の電車はほぼ百発百中、国鉄も51系と73系とでは違いがあり、80系も区別が付いた。

中でも別格は阪急神戸線の800系・810系、京都線の710系そして100系、とりわけ「P-6」と称されたデイ100の200馬力モータの凄さは群を抜いていた。しかも全鋼製電動車は自重52トンという超弩級で、これが時速100km以上で驀進するのだから、その迫力は子供心をすぐに虜にした。

高校に入るとその京都線沿線に住むことになり、デイ100にも乗れると期待したが、残念なことに家は国鉄側に位置していたし、最寄りバス停へのバスは国鉄駅から出ていた。高校も国鉄駅の方が僅かに近く、所要時間は若干かかっても国鉄に乗って通学した。楽しみは運が良ければ、セミクロスの電車に乗れることだった。

しかし、3年生になった時にどうしてもと親に懇願し、阪急通学に変更した。翌年に大阪万博が始まり、100系も最後の活躍を見せたがついに71年頃から廃車が始まり、73年には引退してしまった。しかし、両運転台の116号車が現在も動態保存され、また写真の101号車も先頭部が正雀工場で保管されているのは嬉しいことだ。

省エネ・軽量化が進んだ今日では、もうこのような豪傑が登場することはないだろうな。

脳力開発は人間学であり行動科学です(56)

 信長は、攻めてくる今川義元に対して「戦う」という戦略を打ち出します。しかも城を出て戦うという選択をします。清洲城は平地の真ん中にあって攻めるに易く、また籠城戦を選択しても3万の大軍に取り囲まれては、数日しか保たないでしょう。戦略を決めましたから、宿Photo 将たちが集まって戦術についてあれこれ言うのには、一向に耳を貸しません。ただひたすら、義元の本軍がどのように動いてくるかという情報収集に、気を配っていたとも言いますが、きっとそうであったのだと思います。

 そして義元が尾張国内の沓掛城を出たという知らせが入ると、間髪を入れずに行動に移ります。「敦盛」の一節を舞ってから、湯漬けをかき込んで城を飛び出す。最も有名なシーンではありますが、そこからの戦術はきめ細かく定められていたはずです。信長の桶狭間の例にあるように、まず大胆に戦略を決めるのです。その戦略目標に行きつくための戦術プロセスは、しっかりときめ細かに積み上げていきます。企業経営でも、人生の生き方としても、この基本は常に当てはまります。

 もちろん、戦術プロセスは必ずしも当初の思い通りになるとは限りません。そこで、情況判断を的確に行って、一つ一つ細かに修正を加えながら、前進していくことになります。情況判断には事実認識が欠かせず、勇気や根気も必要だということになるでしょう。例えば義元の本陣がどこにあったのかは、最後まで実は分からなかったのだとも言います。遭遇戦の直前になって分かるという状況だったのかも知れませんが、その事実を知った時にもどう戦うかの判断を正しく行う。これによって勝利という結果を得たわけです。

孫ちゃんが昼寝したら片付け開始

引越から3日目、やっと段ボールの山からは解放されましたが、昨夜からは孫ちゃんが親たちに先行してやってきたので、そちらにも手を取られています。お昼寝を始めたら、自分の周りの整理整頓に取りかかろうと思っていますが。

新居は、新潟市の郊外でもかなり古い団地のようで、きちんとした区画が為されていて比較的大きな家が多く見られます。ただ、世代的にいえば我々よりもさらに上の方々が目立ちますし、中には空き家になっているところも。我々同様に、二世帯同居の家もあるみたいです。

Img_2100 近くにJR越後線の線路があり、日中は片道20分おき(往復6本)の電車が行き交いますが、それほどの音は聞こえません。行き止まりに近い区画ですので通る自動車も少なく、その意味では環境抜群です。

その分、孫ちゃんの泣き声や叫び声が周りに聞こえそうですし、テレビの音も小さめが良さそうです。これまで気密の良いマンション生活でしたので、慣れるまでにはしばらくかかるかも知れません。

今日はNTTの回線工事(光電話)をお願いして、固定電話とFAXも通じるようになりました。長岡時代にはセールス電話の多さに閉口していましたが、当分は大丈夫でしょう。NETは今のところポケットWifiで間に合わせていますが、少し落ち着いたら申し込むことにします。NTTなら、IDとPWをいただけばすぐにも使えるようですが。

中盤からは再び仕事での遠征も予定されていますが、新潟駅までは越後線で4駅10数分です。新幹線も始発なのでギリギリに行っても大丈夫そうですし、帰りは寝過ごしもありません。空港までは車で30分ちょっと、駐車場がけっこう高いので、数日の往復遠征なら利用できるでしょう。

すぐ側には新潟市の浄水場(写真)があって、公園にもなっています。まだ散歩には出かけていませんが、落ち着いたら、ウォーキングを兼ねて行ってこようと思っています。

そんなわけで新生活が始まりました。目下のところは周りに何があるのか、確かめながらの毎日です。

転居してもなおかつ断捨離が不可欠

おはようございます。世の中はゴールデンウィーク真っ最中、休みがうまく取れた人は10連休も可能とのことで、世の中は賑わっているようです。もっとも、余震が1100回を超えた熊本・大分地域の方にはGWも何もないって気持ちでしょうけど。

さて、我が家もGWはなしの状況です。13年前に「終の棲家」の積もりで住み始めた長岡市のマンションを引き払い、56km離れた新潟市西区の新居に、昨日引越をしました。新居といっても、建てたのは娘夫婦で三世代同居生活が間もなく始まります。娘たちの方から声をかけてもらったわけで、ありがたいことではあります。

1 そんなわけで昨日は朝8時半からまずは積み込み開始、マンションにはエレベータが1基しかなく、それでかなり時間が食いました。もっとも、荷物も意外に多かったらしく、4tトラックがほぼ満杯状況でした。3時間くらいの予定が、結局4時間以上かかってしまいました。

新居に着いたのが14時前で、大急ぎでの昼ごはんは立ったまま。トラックの到着は電器屋や工事業者との約束時刻ギリギリ、それも輻輳する状態で、私たちも現場も大わらわでした。しかもポツポツ雨まで降り始めましたが、幸いさほどの降りにはならず助かりました。

最後にベッドの組み立てが終わったのは17時半前、いやぁもうくたびれました。娘夫婦も駆けつけて、まずはご近所さんと地区会長さん宅にご挨拶。回りきれなかったところは、また今日の朝からです。

それも終わって、段ボール箱が山積みの状態ではいけませんので、疲れた体に鞭打って晩ごはんを挟んで片付けに取りかかりました。これがなかなか大変、これまで引越は私自身20度近く体験していましたが、これまでの住まいよりも狭くなりましたので、どこへ収めようかと四苦八苦。

それを見越してかなりの断捨離をしたつもりでしたが、まだまだ足りませんでしたね。これでは、片付けも改めて断捨離しながらになりそうです。大きなゴミ袋も用意しました。車で15分足らずのところに、ゴミ処理センターがあって持ち込めるようです。

何にしても、今夜には孫ちゃん(写真の「ライナス」ちゃんのイメージ・2歳ですが)もやってくるので、それまでに目処を付けなければなりません。朝ごはんを食べたら始動です。

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