« 最近の入学式というものは | トップページ | 脳力開発は人間学であり行動科学です(50) »

関ヶ原の帰趨を決めた心清らかな烈女

『散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ』

これはある戦国女性の辞世の歌です。屋敷を囲まれ、しかし人質となるのを拒み、キリシタンであるが故に自害をすることはできず、家来に胸を突かせ首をまかせ、炎の中に壮絶な最期を遂げた女性。

その名は幼名たま(珠あるいは玉子とも)、明智光秀の三女にして細川忠興に嫁ぎ、忠興との間に5人の子(三男が細川家を継ぐ忠利)をもうけ、死の少し前に洗礼を受けてガラシャという名を受け(ラテン読みではグラッツィアでしょうか)ました。

Photo 生年はハッキリしませんが、通説では亡くなった時(慶長5年)に37歳だったそうです。気の強い気高き女性だったそうで、猛将であった忠興とも家庭生活では何度も衝突しています。忠興をして「お前は蛇か」と呼ばせたほどであったそうですが、美人で頭脳明敏でもあったとか。

本能寺の変後は、いったん離縁されて丹後の山奥、味土野(みどの)に幽閉されますが、秀吉の許しで復縁します。忠興との間はギクシャクしたままですが、それでも五人の子をなしたわけですし、死後の葬儀は忠興の命でキリスト教会で行われ、盛大であったというわけですからやはり愛されていたのでしょう。

キリシタンの教えに興味を覚え、一度だけ教会を訪ねて修道士の話に共鳴します。侍女であった清原マリア(いと)から、間接的に教えを学び、マリアによって受洗します。また侍女や周囲の人、自分の子供たちも次々に改宗させたと言われています。

クリスチャンの教えによって人生の迷いから解放され、人間的にも丸くなったと言われ、おそらく充実した安らかな気持ちの中で、最期の時を迎えたのではないでしょうか。

このガラシャの死が、現在に続く細川の家を守り抜くことになり、また関ヶ原の戦いの帰趨を決めたと言っても過言ではないと感じます。

« 最近の入学式というものは | トップページ | 脳力開発は人間学であり行動科学です(50) »

「歴史と人間」ひとりごと」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/107188/63448396

この記事へのトラックバック一覧です: 関ヶ原の帰趨を決めた心清らかな烈女:

« 最近の入学式というものは | トップページ | 脳力開発は人間学であり行動科学です(50) »