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脳力開発は人間学であり行動科学です(55)

 戦略は大胆に決めますが、その戦略を実現するためには戦術が不可欠であり、戦術は細心に組み立てをしなければなりません。その前提になるのが、戦略を立てるために集めた情報の分析であり、細かい事実認識による全貌の把握です。それによって必ず実行できる戦術を、しっかりと組み立てていき、実際行動に進みます。行動は、以前にも書きましたようPhoto に「手と足と口を動かす」ことです。戦術の着実な実行による積み上げによって、戦略は実現されるのです。行動なくしては何も実現しないのです。

 戦略は大胆にというので、戦術まで大胆に、大ざっぱにやってしまったのではこういう積み重ねができず、結果として戦略が実現されません。会社の拡大発展も目標だけを掲げて、実際行動が日常的にやられなければ、絵に描いた餅にしか過ぎません。織田信長と言えば、桶狭間の戦いが頭に浮かびますが、この戦いは以前は奇襲戦として捉えられていました。しかし、最近ではキチッと計算された真正面からの戦いと捉えられています。つまり戦略が明確であり、きめ細かく戦術も組み立てられていたのだと。

 桶狭間の戦い以前の信長の大戦略は、「北は斎藤と和し、東は今川に当たる」です。すなわち尾張の北、美濃の斎藤道三とは縁組みをして娘を嫁にもらいます。これが濃姫(美濃御前)です。それによって美濃国境の兵を、東に向け集中することが可能になります。そしていよいよ今川義元は、3万の大軍を率いて駿府を出ます。この時点で信長の動員兵力は僅かに34千、常識的には戦わずに降伏するところですが、信長は「城(清洲城)を出て戦う」という戦略決定をします。まさに大胆そのものです。

戦国の正真正銘女城主

戦国の女城主というと、大坂夏の陣で自害して果てた淀殿が頭に浮かびますが、大坂城の主はあくまで息子の豊臣秀頼でした。淀殿はあくまで秀頼の母であり、後見人という立場でした。

関ヶ原の戦いで敗れた武将の中で、唯一大名に返り咲き、しかも旧領を与えられたということで立花宗茂を取り上げたことがありますが、今日はその妻(最初の正室)の話です。戦国の女性として、非常に象徴的な存在でもあるのです。

その名は、戦国の女性としては珍しくキチッと伝わっています。それは、この女性が実父から領地を嫡子として相続し、世間からも認められていたからです。その名は立花誾千代、「ぎんちよ」と読みます。

Photo 永禄12年の生まれと伝わりますから、1569年のことで筑後・間本の産まれです。父親は大友宗麟の重臣、戸次鑑連(べっきあきつら)すなわち立花道雪です。もっとも鑑連は死ぬまで立花姓を名のってはいませんが。誾千代は鑑連の唯一の子供で、養子をとることを拒んだ鑑連は、7歳の誾千代に家督を譲り、大友家もこれを許したのです。

そして、高橋紹運の長子であった統虎、のちの宗茂を婿に迎えることになります。この時誾千代は13歳、宗茂は15歳であったそうです。そして城主の座は宗茂に譲られますが、誾千代はあくまで「嫡子」のプライドと意地とを持ち続けたようです。

紹運が島津の大軍に包囲され壮烈な戦死を遂げた後も、立花城の包囲戦で2人は城を守り続け、やがて秀吉軍の進攻で島津軍は退却していきます。こうして宗茂は筑後柳河を領して秀吉に仕えることになりますが、なぜか誾千代は城を出て郊外の宮永に住み、「宮永殿」と呼ばれることになります。

記録書には『夫婦不仲』とありますが、やはり男勝りの性格、婿を認めなかった勝ち気が徒となったのでしょうか。童門冬二さんの「立花宗茂」には、この辺りのことも詳しく書かれていたように記憶しています。

関ヶ原の戦いで宗茂は大津城の戦いで勝利しながら、敗将として柳河に戻ります。この時加藤清正軍が立花城の開城を迫って進軍しますが、誾千代の守る宮永を迂回して通ったとも言われています。完全武装した誾千代とその周囲の女性の攻撃を、警戒したと伝えられています。

結局、誾千代と宗茂はその後も和解することなく、やがて宗茂は京都に向かい、誾千代は肥後領の玉名に住んで清正に庇護されます。そして慶長7年(1602年)に享年34歳で死去します。2人の間に子はなく、立花氏血縁は断絶することになりました。

最後まで当主・城主の誇りを失わなかったことが、女性として幸せだったのかどうなのでしょうか。

脳力開発講座10月から第Ⅲ次講座開講

脳力開発は、1970~80年代に城野宏(1913~1985)によって提唱された行動科学です。というと何となく小難しい感じがしますが、とっても易しい誰にでもできる習慣づくりを目指す実践的な学びです。

13010798_1176492945703359_515661501 私は80年頃、この脳力開発・情勢判断学に出会い、90年代に出向した販売会社の再建過程で社員教育として、MGと脳力開発の二本の柱を社員さんと共に学び、実際の現場の中で活用しました。
 
その体験などをオリジナルに加えて、脳力開発講座を開講しています。昨年6月から第Ⅰ次講座、そして今年も3月から第Ⅱ次講座を東京と神戸の2ヶ所で開講し、スポット受講も含めて約40名の方に学んでいただいています。

現在の第Ⅱ次講座は7月の終了を予定していますが、少し間を置いて10月から(翌年の2月まで)第Ⅲ次講座を開講します。少人数で脳力開発の真髄を理解し、日々の生活や仕事の中で活かしていただくことを目標にしています。

また、「11の指針」や「リーダーの心得10ヶ条」など、すぐに役立つ具体的な行動指針も用意されています。経営者や経営幹部の方が学ばれると同時に、会社の中で社員さんにも落とし込まれると大きな効果があります。

来月には予備案内を作成して、ネットやブログ、ならびにSNSにて公開予定です。よりたくさんの方のご参加をお待ちしております。

脳力開発は人間学であり行動科学です(54)

 城野宏さんは戦略と戦術について、「戦略は大胆に、戦術は細心に」と言われました。まだ若かった私は、それはおかしい、逆ではないのかと思いました。なぜかという説明もしてPhoto_3 いただきましたが納得できませんでした。確か、三国志の中の「赤壁の戦い」を事例に解説されていたと記憶していますが、その時にも100万の大軍に対して20万くらいで挑むのだから大胆だ、くらいの認識でした。確かにそうなのですけれど、二者択一のどちらかを選ぶのだから大胆にしかできないということでした。

 つまり、戦うのか降参するのか、一方を選べばもう一方は捨てなければならない、だから戦略は大胆にしか決められないのだと。企業の戦略も、このままの現状維持を選ぶか現状打破の拡大発展を選ぶか、二つに一つなのです。戦略を決める時には二者択一というお話です。つまり伸縮性がなく、例えば(会社を)拡大発展させると決めたら、もう一方の現状維持で良いという方は成り立たないのです。現状打破して拡大発展させながら、現状もそのまま維持することはできっこないのです。

 二つの内の一つを選ぶのですから、その限りの行動としては細心にやるとか、じっくり慎重に選ぶとかではありません。断固としてどちらかを選び、意思決定するのです。うじうじして一向に決定できないのでは困るのです。ただ決めるまでのは、きめ細かく情報を集めて全面的な事実確認をする必要があります。これを「つかむ作業」といいますが、あくまで戦略決定のための材料づくりです。細心にやるといっても、必要と思われる範囲を決めてやらないと、いつまでも決定できませんが。

地震発生から10日で見えてきているもの

熊本・大分地域の地震、14日夜の前震や16日未明の本震から10日前後が経過しましたが、まだまだ余震が収まらないようで被災地の方の心労はピークを越えているのでしょう。

ようやくボランティアが被災地に続々と入り始め、自衛隊の皆さんの復旧活動や捜索活動も引き続き大きな力になっています。私の(2004年中越地震での)体験でも、ライフラインが徐々に復旧してくると力が甦ってくるものでした。

幸い今回は交通インフラの回復が比較的早いようで、復旧への力になるでしょう。それでも避難所生活が長引いている方、とくにご高齢の方は大変だと推察されます。周りからの声かけや支援が心強いはず、思いやる心を遠く離れていても忘れないようにしたいものです。

Photo ところで、これまでの大地震で課題になったことが、今回も同じように問題になっていることがいくつもあり、今後起こりうる可能性のある大地震までに解決されたり、手が打たれるのか心配になります。

例えば、エコノミー(クラス)症候群の問題、中越地震で大きな問題になり、どうすれば防げるかの研究も進んできましたが、今回の地震でも日増しに患者が増えており、死者の数も震災関連死として少なくないのは残念なことです。

また、援助物資の集積・滞りもいつもの如く繰り返されました。必要なものが集積地にはあるのに、必要なところにはなかなか届かない。そんな中で、フェイスブックやラインなどのSNSが、その力を発揮したことは嬉しい限りです。もっとも、これもまたいくつかの問題を残しているようですが。

民間の動きに比して、特に政府の動きが鈍いのはいつものこととだとは言え、腹立たしいものがあります。まさか非常事態に至っても、前例主義や法定主義がはびこっているのではないでしょうけど。

政治家(正確には政治屋あるいはエセ政治家)には、いつも以上に失望です。パフォーマンスやスタンドプレーは目立ちますが、その反面で余りに無神経な言動も少なくありません。そやつらがまた、選挙で「みそぎ」を受けて国政を担うのかと思うと、今からガッカリします。

有権者の責任だ、などとうそぶいているのは誰だ!?

本日のブログはお休みいたします。

本日は午前中に新居の引き渡し。荷物の第一陣も運び込みます。そんなわけで、本日のブログがお休みです。
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もうすぐ引っ越しします

8日間の遠征から、夜行高速バスで今朝長岡に戻りました。「長岡に戻る」というのも、実はこれで最後です。

 
Photo 1990年の4月に、当時務めていた親会社から出向で、長岡の販売会社にやってきました。それから26年経って(内1年半は逆単身赴任をしていましたが)、今月末に新潟市内に引越をすることになりました。

現在のマンションを購入したのが13年前の2003年、これが「終の棲家」と家内とも考えていたのですが、昨秋に急転直下、娘夫婦や孫と一緒に暮らそうということになりました。ありがたい話ではありますが、人生の中で一番長く過ごした街だけにちょっと感慨も深いのです。

というわけで、間もなく長岡人から新潟人に変わります。きっと、これが最後の引越になると思いますが、人生64年余で何と20回近い引越を繰り返してきました。ようやく終止符が打てるかなってところです。

明日が新居の引き渡しです、正確には娘たち家族の新居ですが。これからの「遠征」も、JR越後線の小針駅からスタートすることが多くなります。関西方面への鉄道利用は、今までよりも1時間早く家を出なければなりませんが、空路の場合は空港が近くなります。旅のスタイルも少し変わるかも知れませんね。

住めば都、その心で新たな一歩を踏み出すことにしますか。

脳力開発は人間学であり行動科学です(53)

 私もコンサルタントを業としていますので、色んな方が経営相談に来られます。とても熱心に私の意見や、様々な情報を聞きに来られる方もいらっしゃいます。しかし、多くの方が「何か名案がないか」「良い方法や成功手段があったら教えてもらえないか」という姿勢です。こPhoto れは、他人がやって成功した戦術的手段・方法に興味があり、自分の戦略がどの方向にあるのかということには、余り興味がありません。というより、自分は会社を発展させたいと思っているので、こうやって足を運んでいるのだと言いたいだけのようです。

 ところが自分の戦略方向をしっかり決めていない内は、あくまで現状維持の戦略なので、他人の「名案」を聞いても、結局は現状維持の成果しか出てこないのです。本当は成功した会社がどういう戦略で臨んでいたか、自社と比べてどうかが問題なのです。人間関係にも戦略は大きな影響があります。つまり、あの人とは仲良くしようとするのか、それとも絶縁しようとするのか。あるいは何としても縁を作って情報を得ようというのか、それとも無視していくのかは決めなければならないのです。

 決めれば、脳はその通りに指令を出してくれて行動ができます。何も戦略を決めないでいると、目の前にどんな素晴らしい人が出現しても、ボーッと眺めているだけで終わったり、有用な情報が発信されていても見逃してしまうことになります。セミナーや講演会に出かけて行ってもそうです。会社を発展させようという戦略を持って臨んでいる人は、どんなことからも発展に役立つヒントを見出すことでしょう。逆に戦略がなければ、いい話だったなぁで終わり、結局現状維持で終わってしまいます。

秀吉の「中国大返し」が今月の脳開講話テーマです

今月の脳力開発講座(東京&神戸)、まとめの「歴史講話」では豊臣秀吉を取り上げることにしました。本能寺の変後、最前線の備中高松から姫路を経て京都・山崎で明智光秀を打ち破った、いわゆる『中国大返し』について。もっとも、この頃はまだ豊臣ではなく羽柴筑前Photo 守ですが。

本能寺の変が起こったのは6月2日で、山崎合戦の決着が13日ですので、光秀の「天下」はたったの12日間だったわけです。世に三日天下と言いますが、実際には10日余の間に光秀はやりうる手を尽くしたとも言えます。

朝廷工作には成功していますが、しかし、最も当てにしていた細川藤孝(嫡男忠興の妻が光秀の娘・玉子)にそっぽを向かれ、また筒井順慶もまた日和見に走ってしまいます。よって、山崎に4万近い大軍を擁した秀吉に対し、光秀軍は半分にも届かなかったのです。

それにしても、毛利と対峙する中で一夜にして和議を結び、電光石火で最前線から居城の姫路に全軍が戻り、一昼夜休んだだけで再び全軍を率いて山崎に向かった、その速さにはただ驚くばかりです。

その段取りを整えたのは黒田官兵衛だと言われていますが、少なくとも発想したのは秀吉自身であり、常識を超える発想ができたことこそ、勝利の決め手になったのだと思います。

またこの成功・勝利が、清洲会議における柴田勝家への政治的勝利につながったことは言うまでもなく、天下人への道を歩み始めることになるわけです。もっとも、織田政権を簒奪したことにもなるわけで、この時代の秀吉は「最大のワル」であったとも評されるわけです。

どのように評価されるか、あなたはどう思われますか?

新幹線はようやく区間復旧できました

熊本地震の発生が14日の夜、それから5日目に入っていますが、今なお強い余震が度重なるなど辛い時間が長引いているようです。インフラの復旧も十分には進まず、交通網も寸断されたままが続いています。

とりわけ、九州新幹線の不通はかなり長引きそうで、博多-鹿児島中央間は今日も運休が続きます。ここでふと疑問、区間復旧がなぜできないのだろうかと。在来線の方は、昨日夕方には鹿児島本線の荒尾-熊本間が開通して、徐行区間があり普通電車しかないものの、博多-熊本の二大都市がつながりました。なのに、新幹線はなぜ?

高架橋の傷みや一部崩落、その他130ヶ所にも及ぶ地震被害があったとのこと。もちろん回送電車の脱線復旧はまだ緒についたところです。しかし、全線不通がこのまましばらく続くというのは? 影響を受けていない区間も福岡県内や鹿児島県内ではあるはず。

Photo もちろん、車両の研修設備が熊本にあることは知っていますが、出水の旧基地や、JR西の博多基地を利用すればどうなのでしょう。久留米駅などでは折り返し設備もあるし、区間を区切って開通させることがなぜできないのか。

そうなんです、昨今は東北新幹線でも全線で運休とかいうことがあり、システム上やむを得ないのだという説明が為されます。ならば、区間運転ができるようなシステムに最初からしなかったのはなぜだ、と言いたくもなるのです。

2003年の中越地震では、営業運転中の新幹線200系電車が脱線(写真)。幸いに死傷者は出なかったものの、余震が続く中での復旧にはかなりの時間を要しました。高架橋やトンネルの修復や補強にも時間がかかり、全面開通は2ヶ月余後の12月26日でした。

しかし、その間にも復旧確認区間の区間運転があり(例えば6日後には新潟-燕三条間開通)、順次開通区間が拡大していきました。そういうことは今回できないのかと。

在来線も同じ形で復旧、完全に元通りになるにはまださらに半年以上を要しましたが、今回の震災ではどうなるのか、気にかかるところです。システムが向上して、不便にならないように願いたいものです。

そんな中で、今朝ようやく鹿児島中央から新水俣まで開通したようです、よかった。

脳力開発は人間学であり行動科学です(52)

 城野宏先生は、ある本の中に「戦略と戦術という二つの作用を意識的に区別し、駆使できるようになれば、脳の活動力は十分に発揮されてくる。いつも私が、そうなれば10倍くらいの力はすぐ発揮できるようになると言っているのは、この意味である」と書いています。この10Photo 倍の意味は、同じ時間に10人でやっていた仕事を一人で片付けられるようになるということ。あるいは10時間でやっていた仕事を、同じ人が1時間でやり遂げることができるようになる、そういうことなのだそうです。

 何はともあれ、戦略を決めなければ脳は動いてくれません。脳に記憶している知識や体験は、どれも戦術であり手段や方法、道具です。そういう過去の記憶を思い出すことはできますが、それを何のために使うのかが決まっていないと、思い出しても無駄骨です。戦略を決めなければ脳は動いてくれない、何度も繰り返しますが重要なポイントです。様々な戦術つまり手段・方法について、過去の体験記憶や知識は思い出すことができますが、戦略が決まっていないと、その戦略目標達成の方向にもっていくということができません。

 大阪から東京へ行く、そういう戦略を決めて初めて、東京へ行くための交通手段や路線などの記憶を思い出し、その中から現在の状況や具体的な目的に合うものを選び出すことができるのです。戦術だけをあさりまくってもダメなのです。単に「行こうか」というだけでは、雑然と記憶の中の交通手段や路線を出してきても、東京とは結びつきません。飛行機が一番速いからという理由づけをして、目の前の飛行機に乗ったら、気が付いたら札幌に着いていたなどということになりかねません。

今日は空便でのんびり移動です

土日の神戸でのCFMGも盛況に終わり、明日の脳力開発講座に備えて東京に移動です。神戸からは新幹線で3時間足らずですが、最近は神戸空港発着のスカイマーク便を愛用しています。

Img_2066 というのも、事前に予定がハッキリしていますので、かなりロープライスでチケットがとれるからです。新幹線に比べて半額以下となると、やはりこちらを選んでしまいます。機内のコーヒーも100円で飲めますので、のんびり読書しながら1時間の空旅です。

神戸空港も、三宮からポートライナー(新交通システム)一本でいけますので、非常に便利です。羽田からもモノレールと京急、行き先によってどちらでも選べますから。今日は上野まで参りますので、モノレールで浜松町乗り換えにしましょう。

新しい週の始まりですが、熊本ではまだまだ余震が続いているようで、MG仲間たちの動静が気にかかるところです。最初の地震の翌日には、皆さんの無事は確認できましたが、それでもお店や会社事務所などは被害を免れなかったようですので、心配しています。

物資の行き渡りも十分でないとか、これまでの震災の教訓を活かして周辺都市に集積地をつくり、そこから分配する。集積地まではボランティアも入れるでしょうから、早く総雨方法をとって欲しいものです。

政府や政治家は、口では「早く手を打つ」と言っていますが、現実は後手後手に回っているように思えてなりません。むしろ、フェイスブックやツイッターでつながる仲間の支援が、小さい力ながら先行して被災者を励ましてくれているようです。

力も時間もない私は、研修仲間に呼びかけて義捐金を赤十字を通じて送らせていただきました。ささやかなことですが、少しだけでも役に立てれればと思います。

一日も早し収束を祈っています。

神戸キャッシュフロー・CFMG 4月

この土日は、神戸でキャッシュフロー・CFMGを共同開催しています。今回はエントリー申込が早く、1ヶ月前には定員を超えましたが、幸いその後のキャンセルもあって、セミナールームいっぱいの人数(23人)に落ち着きました。

MG未体験者はおられませんが、半数以上の方がCFMGは初めての体験。最初はさすがに戸惑いも見られましたが、慣れてくれば、条件を有利に活かそうという姿勢も見られてきました。そして2日目の今日は、会場が揺れるくらいに気合いの入った盛り上がりです。

Img_2055 MGに「Q(販売数量)アップ5原則」というのがありますが、その中の5番目が実は『気合い』なのです。気合いで販売数量が上がるというと、そんなバカなと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、実際の仕事でも言えることだと思いませんか。

例えば、あなたの会社に「売り込み」をかける営業マンは来られませんか。カタログやパンフレット、あるいは見本を持参して来社されるのですが、自信のない顔をして小さな声でぼそぼそと話す相手だったら、あなたは話を聞こうという気になるでしょうか。

一方元気な声で「こんにちは!」と入ってきて、礼儀正しくお辞儀をして来られると、話くらいは聞いてやろうかと思われないですか。つまりこれが気合いです。

そういうわけですから、MGでは全員が立ってゲームに向かいます。のんびり椅子に腰をかけていては気合い負けする、というわけではありませんが、立てば視野が広がります。大声を出す必要はありませんが、少なくともキチッと相手に意思表示が伝わらなければならないことを学びます。

その上で、成績の向上を目指すわけなのですが、小さい弱い声では、そのスタート時点で負けてしまっているということになるのです。MGが全人教育の一面を持っている、という所以です。ぜひ一度MGセミナーにお越し下さい。

日本ではどこでも同じようなことが起こる

「平成28年熊本地震」が続き、報道で見ると拡大しているようにも思えます。なんでも、今日未明に発生したM7.3の地震が「本震」で、一昨日の最初の揺れはその「前震」(前触れ地震)だったそうです。何であれ、余震が続く中、熊本の皆さんの無事を祈るばかりです。

Img_2049 夜明けとともに被害が確認され、被害もさらに増えていきそうです。大きな揺れが何度も続くと、最初は小さな被害でも次にはさらに大きくなり、やがて取り返しのつかないことになることも予想されます。ますます高まる不安、度重なる揺れへの恐怖、実際に体験した人でなければなかなか分からないでしょうね。

平成16年の夕方発生した中越地震(県民は中越大震災と呼んでます)、M6.8で深さ13kmという浅いところで起きた直下型地震。発生後2時間の間に震度6の余震が3回、暦が変わるまでに160回以上の有感地震。余震の数は1ヶ月で800回以上、おそらく合わせて1千回以上にのぼったということでした。

新幹線も脱線、しかも時速200km以上で走っていた定期列車で、死傷者が出なかったのは奇跡的ともいわれました。雪国仕様で、融雪水を流す側溝があってそこに脱輪した車輪がはさまったこと、車両にも下回りにカバーがかかっていたことが幸いしたそうです。今回の脱線は回送車でしたが、地震対策の設備はなかった区間でした。

熊本では建物の被害が、次第に拡がっています。耐震性が十分でなかったことが予想されますが、明治年間に同じ地域で大きな地震が起きた体験が、今に活かされていなかったことはとっても残念です。

中越地震では、豪雪地域であったために耐雪構造の家が多く、倒壊を免れた例も見られましたが、それでも断層帯周辺ではかなりの家屋が倒れました。旧山古志村が全村避難という状況になったことは、まだ記憶に新しいところです。

日本全国、どこに行っても断層が数多くあり、その意味では同じようなことがどこにでも起こりうるということです。東日本大震災から5年余、そろそろ遠い地域では記憶から忘れられたかもしれませんが、まさかそのことへの警告ではないですよね。

今日は神戸に来ていますが、こちらでも少し揺れたようです。しかも夜から雨になってくるようで、今回の被災地の方には厳しい状況が続きます。

古代の日本人が、ひたすら神に祈った気持ちが分かります。ただひたすら、被災地域の皆さんのご無事を祈るばかりです。1日も早く揺れが収まってきますように。

脳力開発は人間学であり行動科学です(51)

戦略と戦術が区別されていない
 老人性饒舌症だけでなく、企業の発展や現状打破を阻害する人物は他にも存在します。一つは以前も述べた社内専門家であり、あるいはまた情報通と呼ばれる人たちです。いずれも相当な情報や知識を備えていて、社内評論家とも称されることがあります。ところが彼らPhoto が知っている情報とは、実はもう既に世の中に知られていることばかりで、ただ会社の中ではちょっと目新しかったり、あるいは専門特殊なので誰も知らないというだけのことが多いのです。ではその特殊性情報が役立つのか、答は九分九厘否です。

 人間は一人で全ての情報を知り得ることはできません。つまり情報甲=確度甲の情報=はたかだが知れています。そこで、多くの協力者から乙情報=確度乙の情報=を、たくさん増やすことが必要です。乙情報は、自分の中で容易に甲情報に変えていくことができます。

 さて、情報についても「戦略がないと的確な情報が集まらない」と書きましたが、では戦略そして戦術のことに話題を転じていきます。戦略あるいは戦術とも、元々は軍事用語であるわけですが、この3040年くらいでビジネス用語としても定着しています。「もしドラ」の中でも、女子高校生が使っていたりする。本屋に行けばビジネスコーナーに山と戦略本、戦術本が積まれている。そんな風に言葉は広まっているのですが、では正しく使われているかというとなると、まだまだのようです。

 つまり戦略と戦術がキチッと区別されずに、混用されているというか誤用されている例も少なくないのです。書店に並んでいる本の類などは、戦略本と名乗るものの殆どが戦術本です。ところが人間の脳は、戦略と戦術とをちゃんと区別しないと活動できないのです。

MGの原点に立ち返って目指すもの

MGのお話です。MG、マネジメントゲームは1976年に、西順一郎氏(現在(株)西研究所所長)が開発した経営シミュレーションゲームです。本来的にはSONYの人材教育を目的に作られましたが、公開することでとくに中小企業経営者や社員にも大きな福音をもたらしています。

参加者一人一人が経営者となり、仕入から製造販売までを一人で行い、さらには自社の決算まで仕上げるとともに、経営分析から経営計画策定も行います。こういうと経営の仕T_img_0855 組みや会計処理を学ぶことかと思われがちですが、もちろんそれもありますが、基盤にあるのは全人教育です。

目指すところは戦略的な経営や科学的・合理的な経営ですが、それを行うのは人間、ですから「よき人間(人財)づくり」がその先の目的であり、経営で表現すれば『全員経営』をめざすことになります。

全員経営と聞くと、社員全員が経営者の意識を持って、あるいは経営感覚を備えて企業利益を大きくしていこうということを頭に思い浮かべます。それもあながち間違いではありません。しかし利益は手段ということを忘れてはいけませんね。

MGが目指す全員経営とは、一人一人が自ら考え行動して、あるいは役割をしっかりと意識して相互に佳い影響を与えながら、みんなが幸福になる経営を実現しようということです。みんながと書きましたが、まずは仕事に携わる社員と家族、つぎに協力先や仕入先の社員や家族、そしてお客様といった感じになります。

それが実現されると必然的に企業利益も生まれ、社会的に信頼されると利益が増えていき、ひいては株主の方にも喜んでいただけるようになります。

実際の世の中、昨今の資本主義経営はそれが逆転していて、利益を増大して株主を喜ばせることに目が向いている、そうは思いませんか。あなたの会社ではどうでしょう。みんながニコニコして仕事に向かっていますか。

MGなんかでそんな全員経営ができるのか、とおっしゃる方もおられます。中には社長たちがずっとMGに取り組んでいるのに、ちっとも会社が良くならないという例もすくなくありません。それは、手段と目的とを取り違えているからだと断言してもいいでしょう。

もう一度MGの原点に立ち返って、その目的を再認識してMGに取り組んでいきませんか。

これほど栄枯盛衰を強く感じる路線も少ない

関西本線は起点が名古屋、終点が大阪ミナミにあるJR難波(開通時は湊町)までの約175km、両端側は電化され、名古屋側は一部複線、大阪側は完全複線(木津-JR難波)となっていますが、中間の亀山と加茂間は単線非電化です。

関西本線の全通は明治31年で、当時は関西鉄道という私鉄でした。そして、その時点から鉄道史に残る官鉄(現在の東海道線)との熾烈な競争が展開されます。明治40年に国有化されるまで、この競争はつづきました。

その後も関西本線は、旅客・貨物ともに幹線らしい風格を備えていました。昭和30~40年代は、東京から寝台車を連結した急行「大和」が湊町に直通し、新鋭気動車が準急のち急行「かすが」として快速を誇っていました。

T_img_1472 またD51が牽引する長大貨物列車や、荷物列車も次々にやって来るという、文字通り名阪間の動脈の一つでした。その名残が沿線の駅に色濃く残り、単線非電化の区間でもすべての駅が交換駅で、しかも有効長の長い線路が昔そのままに残っています。しかし、現在は優等列車はもちろん、貨物列車も荷物列車も走ってはいません。

そして現在は、そこに小型ディーゼルカー(キハ120形)が単行、あるいは2両編成で1時間に1本という本数で運転されているのは、非常に寂しい感じがします。栄枯盛衰というか、文字通り凋落という言葉が当てはまる路線です。

それでも、「青春18切符」の通用時期にはここを利用する乗客も多く、単行運転ではかなりの立ち客が出てしまっています。

先日も伊勢市から京都に18切符で向かうのに、多気と亀山で乗り換えてキハ120に乗車しました。亀山といえば、一時は液晶テレビの「亀山モデル」が世界的に名声を博し、またそれ以前には関西本線と紀勢本線との接続駅で、「鉄道の町」でもありました。

私も学生時代(1971年頃)にSLを追って亀山を訪れ、機関区にずらり並んだ勇姿をカメラに収め、鉄道ファンの間では有名だった加太の大築堤で列車を追い、中在家信号所のスイッチバックを眺めていました。

その信号所も今は閉塞だけは残っていますが、ポイントは鎖錠されて交換する列車もなく、スイッチバック線路は草に埋もれています。かつてはカメラを構えたファンたちが列をなしていたとは、もはや想像も付きません。

その風景を運転台を通して眺めながら、柘植駅で下車し草津線の電車に乗り換えて京都に向かいました。

脳力開発は人間学であり行動科学です(51)

 人に情報ありといいます。情報過多の時代、情報が勝手に飛び回っているような印象を持ちますが、情報は誰かが発信しているのであり、最も確実に正確な情報を得るにはその人に会い、例えば成功企業を直に訪ねてみることです。ところがこんな方がおられます。せっPhoto かく情報を得に人に会いに行きながら、先方の話は少し聞いただけで、とうとうと自分の話を語り続けるという方です。それは自分の事績であったり、書物やネットで得たような情報なのですが、次から次へとまくし立てるのです。

 これは老人性饒舌症(名付け親は城野宏先生)とも言い、老人だけでなく若い人でもかかりやすい症状です。自分(の成功事例など)を語りすぎる人は、他の人からの新しい情報が入ってくるのを閉ざしてしまう傾向にあるようです。企業の中にも、時おり老人性饒舌症の方を見かけます。それが社長とか経営の意思決定をされる方である場合は、いささか大変です。例えば会議で独演会をやっている社長、朝礼などでくどくど、長々と持論を繰り広げられている社長、こうなると社員が不幸です。

 何しろ、老人性饒舌症にかかっている人は、他人の言葉に殆ど耳を貸さないのですから、その人たちが持っている情報を得ることができません。どこまでも持論にこだわっているということは、現状維持であるということで、現状打破には変わっていきません。それでいて、会議や朝礼の場などではしきりに、現状打破して会社を発展させようというのですから、社員は戸惑うばかりです。そういう場面に出会うと、私などは「あなたがお辞めになることが一番の特効薬です」などと言うものですから、嫌な顔をされてしまいます。

目立たないが和平に尽くした女傑

常高院、じょうこういんと読みます。姓は浅井、名は初(はつ)です。そう、浅井三姉妹の次女で、父は浅井長政で母はお市の方、伯父が織田信長で姉が茶々(淀殿)、妹が江(ごう)すなわち徳川2代将軍秀忠の正室です。

二人の華やかな姉妹に挟まれていささか目立たない存在のように思えますが、実は色んな場面で主役を演じています。しかも三人の中では最も長く生き、寛永10年に亡くなった時64歳くらいだったそうです。

Photo 初は合わせて4度の落城を体験しました。1回目が実父浅井長政の小谷城、2回目が養父柴田勝家の北之庄城、3回目が夫である京極高次の大津城、そして4回目が大坂城(大坂夏の陣)です。大坂城の際には淀殿と秀頼が自害し、山里廓に火が点けられる前に脱出し、家康の本陣に出向いて彼らの助命を嘆願したと伝えられています。

夏の陣に先立つ冬の陣では、和睦の使者を務めて家康の側室であった阿茶の局と会談、その後も大坂方の使者として仲介の労をとっています。二人の姉妹の安寧を願ってのことと推察されますが、老獪な家康に翻弄された感はぬぐえません。

ちなみに初が嫁いだ京極家は、鎌倉時代以前からの名家で、室町時代初期には婆娑羅大名として名高い佐々木道誉を輩出しています。その後は次第に衰え、戦国時代には被官であった浅井氏に圧されていました。

御家再興を焦った京極高次は、本能寺の変で明智光秀に味方して秀吉の居城・長浜を攻め落としますが、逃げ隠れせざるを得なくなります。姉の竜子が秀吉の側室になる(松の丸殿)ことで領地を与えられ、やがて初を娶り、大名になっていきますが、周囲からは「蛍大名」と揶揄されたとか。

関ヶ原の戦いでは東軍に付き大津城に籠城しますが、立花宗茂に攻められ落城、この時初も長刀をとって戦ったと伝わります。立花宗茂を足止めした功で小浜城主となり、京極家は後に出雲を経て四国丸亀に移り、明治維新に至りますが、その礎を作ったのは初だといっても過言ではありません。

確かに三姉妹の中では余り目立たぬ存在ではありましたが、ある意味したたかに動乱期を生き延び、婚家の再興と発展に尽くすとともに、東西両家の仲を取り持つ役割を懸命に果たした「女傑」と呼べるでしょう。

墓は小浜の常高寺にありますが、キリスト教にも帰依しており、小浜には多数の遺構が残っています。

老人の跋扈とは考えたくありませんが(その2)

昨日はついつい「老人の跋扈」なんて書いてしまいましたが、鈴木敏文さんを尊敬する経営者の一人としてとらえていましたので、何があったのかはマスコミ情報以上のものがないままに、批判めいた言葉になってしまいました。

その後もいくつかのマスコミ情報を目にします。脳力開発的に言えば「丙情報」なのですPhoto_2 が、同じような情報が各方面から流れてくるとなると、かなり核心に近い情報なのかと読み返したりしています。

その一つは、今後しばらくセブン&アイグループ内のトップ人事が、混乱するのではないかという憶測です。憶測が次の憶測を呼ぶと、情報価値も下がるのですが、先行情報としてだけみると、あの巨大グループをして人材不足なのかと感じてしまいます。

鈴木さん自体が、、良い意味でも悪い意味でも自分の『跡継ぎ』を育てきっていなかったということを感じます。腹心といえる人材、ともすればイエスマンになりがちな人材は周りにいたけれど、というどこの会社でもありそうな事態になっているのではと勘ぐってしまいます。

今後の人事に関しては何も言うことはない、ということをおっしゃること自体が無言の圧力になってしまうということを、分かっておられないとは思えないのですが。ご自分の周辺が騒がしくなっていること、そのことそのものが問題だよねと思ってしまいます。

セブン&アイグループのような、私のような一介の無名コンサルから見れば「雲の上の存在」企業に対し、どうのこうのと言ったところでナントカの遠吠えですが、反面教師にさせていただくとは残念なことです。

この際ですから、思いっきり若返り人事が実現されたらいいね、ナンテ無責任な第三者の期待です。真逆のことが起こって、マサカですが、復帰されたり影響力を残すようなことを起こされたら、残念どころか失望に変わるのでしょう。

当面は注目ってところですね。

老人の跋扈とは考えたくありませんが

セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長が、唐突に引退(退任)を発表された。セブン・イレブン・ジャパンの社長交代案が、取締役会で否決(賛成6/反対7/白紙2)されたことが直接の引き金といいます。また、創業者がこの案に反対票を投じてていたこともあるとも言われています。

Photo 先日、日経新聞の「私の履歴書」をベースにリライトされた新刊書を読んでいたところで、ちょっと驚きましたが、御年83歳と聞くと、正直言ってさもありなんという感想です。確かに、著書の中でもなお意気軒昂なところ、あるいは発想の若さは感じましたが、周囲からはどう評価されるのだろうと懸念もありました。

グループ全体としては増益を達成される見込でも、イトーヨーカドーなど「スーパー」部門などは赤字が未解消で、再建は道半ばですし、今のやり方でホントに良いのかという見方も少なくありません。

確かに創業者の伊藤雅俊名誉会長が、あらゆる面で鈴木氏を支持していたことも事実でしょうから、その意味では今回はそこに不信任を叩きつけられた印象はぬぐえません。土台が崩れたのですから、もうそこにはおられないというところでしょうか。

しかし、それを潔しとする声は意外に少ないようですね。間違いなく「一つの時代の終わり」という感じがしますが、私などはいかにも遅すぎたのではないか、さしもの鈴木さんも「引き際を誤ったみたいだな」の感が強いです。

老害。そう、かの伊庭貞剛は『事業の進歩発展に最も害するものは、青年の過失ではなくして老人の跋扈である』と喝破しましたが、ふとその言葉を思い出しました。

脳力開発は人間学であり行動科学です(50)

 東京から大阪に行くことを決めると、既に知っている記憶情報や体験情報から、例えば新幹線にするか飛行機にするかの選択にかかります。もちろん他にも手段方法はいくつもありPhoto_2 ます。大阪にどこに行くかによって、最終目的地によって選択が変わることもあります。最終目的地がハッキリ決まっているから、そのための情報を得ることができ、情報を動員して決めることができるのです。手段として新幹線を選べば、東京駅までいかに早く確実に着けるかという、情報を駆使することになるでしょう。

 会社を発展させ、利益を23倍にしていこうという戦略目標を立てるから、それを達成するための様々な情報が目に付くし、集まってくる情報を活かして使うこともできます。また、目標があるからこそ、目標に沿った情報を選んで集めることもできるのです。その情報集めですが、それはあくまで戦略目標実現のための手段なのですが、情報集めに全力を費やしてしまい、戦略を忘れることがあります。手段が目標にすり替わってしまい、集めた情報を活かしきれないという状況を招いてしまいます。

 また、会社を発展させる為の情報も、その多くは他の会社の成功事例です。その方法が果たして自社にも適用できるのかどうか、他社は確かにその方法で発展したが、そのままをやってみても自分の会社が発展できるかどうかは分かりません。それなのに、他社の発展事績ばかりを闇雲に集め、本当は自社には適合しない戦術まで猿真似でやってみようとする。それこそ情報の洪水に押し流されているのであり、戦略を忘れてはどんな情報も役立たせることはできないのです。

関ヶ原の帰趨を決めた心清らかな烈女

『散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ』

これはある戦国女性の辞世の歌です。屋敷を囲まれ、しかし人質となるのを拒み、キリシタンであるが故に自害をすることはできず、家来に胸を突かせ首をまかせ、炎の中に壮絶な最期を遂げた女性。

その名は幼名たま(珠あるいは玉子とも)、明智光秀の三女にして細川忠興に嫁ぎ、忠興との間に5人の子(三男が細川家を継ぐ忠利)をもうけ、死の少し前に洗礼を受けてガラシャという名を受け(ラテン読みではグラッツィアでしょうか)ました。

Photo 生年はハッキリしませんが、通説では亡くなった時(慶長5年)に37歳だったそうです。気の強い気高き女性だったそうで、猛将であった忠興とも家庭生活では何度も衝突しています。忠興をして「お前は蛇か」と呼ばせたほどであったそうですが、美人で頭脳明敏でもあったとか。

本能寺の変後は、いったん離縁されて丹後の山奥、味土野(みどの)に幽閉されますが、秀吉の許しで復縁します。忠興との間はギクシャクしたままですが、それでも五人の子をなしたわけですし、死後の葬儀は忠興の命でキリスト教会で行われ、盛大であったというわけですからやはり愛されていたのでしょう。

キリシタンの教えに興味を覚え、一度だけ教会を訪ねて修道士の話に共鳴します。侍女であった清原マリア(いと)から、間接的に教えを学び、マリアによって受洗します。また侍女や周囲の人、自分の子供たちも次々に改宗させたと言われています。

クリスチャンの教えによって人生の迷いから解放され、人間的にも丸くなったと言われ、おそらく充実した安らかな気持ちの中で、最期の時を迎えたのではないでしょうか。

このガラシャの死が、現在に続く細川の家を守り抜くことになり、また関ヶ原の戦いの帰趨を決めたと言っても過言ではないと感じます。

最近の入学式というものは

入学式のシーズンですね。今年は桜満開のところも多く、ますます華やいだ雰囲気のようです。以前の仕事の現役時代は、入学式までが忙しさのピーク(何しろ「制服屋」でしたから)で、無事に終わるとホッとしたものでした。

ところで、小学校はもちろんですが、中学や高校の入学式では保護者が同伴というのはごく当たり前でしたが、最近は大学の入学式でも保護者が付いてくるどころか、生徒よりも多くの人数(両親が来ればそうですよね)が集まるのだそうです。

Photo 幼稚園や保育園、そして小学校の場合は祖父母も一緒にということもあるようですが、これはまぁ理解の範囲内。大学の入学式にもかと、ちょっと首をかしげてしまいます。入学年齢の18歳といえば、昔なら元服もとっくに終えている年代です。

私が大学に入ったのは1970年、「70年安保」の学生運動がまだ余韻を充分に残している時代で、4年生の卒業がままならず、私たちの入学式も1ヶ月遅れの5月中旬でした。もちろん、保護者が一緒に来ていた学生は、少なくとも私の記憶にはありません。私も、友人たちもみんな1人だけで式に臨んでいました。

会場前には、デモ隊が表れ、それを阻止せんとする職員やガードマン、少し離れたところに警察の機動隊と、物々しい雰囲気だったことを記憶しています。学長や学部長の挨拶も、時代を踏まえたものだったかどうか、そこのところは記憶が希薄です。

まぁ、昨今は企業の入社式にも保護者が出席する例もあるそうなので、大学の入学式だと当然かという感じもありますが、それにしてもねぇ。ちなみに、私(たち夫婦)は娘の大学入学式には行きませんでしたね、20年近く前ですが。

そういう時代なんだと言ってしまえば、それっきりのことなんですが。

脳力開発は人間学であり行動科学です(49)

 そこで必要な情報を集めてあげますよという情報産業が成立し、ますます多岐に亘って発展してきています。気楽な気持ちで書き込んだり、インプットした自分情報が、知らない内にどこに流れていっているか分からないよ、というアブナイ時代にもなりました。私たちはこういうものが情報だと思っていますが、脳力開発的にいえば特殊性情報というべきもので、人間Photo が生きていくための基本情報とは違います。しかも、基本情報があるからこそ、そのような特殊性情報も存在しているということを忘れてはいけません。

 遠回りな話をしてきましたが、要するに情報収集とは誰でも日常的にやっていることであって、特別に変わったものではないわけです。日常の基本情報が「生きる」という戦略に基づくものですから、ビジネス情報もやはり明確な戦略をもって集めよということになるのです。

 
さて、電車で通勤通学をされている方も少なくないと思います。おそらく毎朝同じ路線の、たいてい同じ電車に乗って行かれるのではないでしょうか。駅まで歩く道もいつも同じ、乗る車両の位置も同じ。なぜなら、その位置が乗り換えや下車に便利で都合が良いからです。あるいは、その電車のその位置なら必ず座ることができるということがあるかも知れません。いずれにしても、それらは通勤体験の繰り返しの中から得た情報に基づいているはずです。そこには「もっと楽に通勤できないか」という希望があったのではないでしょうか。

 直接体験の情報は、そのようにすぐに判断に役立てることができるのです。他人から聞いた情報では、なかなか正しい判断はできません。それなのに、情報化時代の情報収集というと、どういうわけか他人からの情報を尊重してしまっているようです。

旅の恥はかき捨てにナンテならないように

各地で桜が満開、鈍行列車の旅は花見の旅でもあります。今日も早朝から「18切符」の旅を楽しんでいます。

旅の楽しみは車窓もですが、途中下車してその地の名物料理を食べて、地酒に舌鼓を打つことですが、今日はあんまり時間の余裕がありませんので、駅で買えるワンカップの地酒でしょうか。酔っ払って乗り継ぎに間に合わない、ナンテことにないように気を付けましょう。

T_img_2001 あとは列車の揺れに体も合わせて、ちょっと一眠りもいいですね。文庫本を片手に読みながら、気が付いたら居眠りしていたというのが、一番気持ちがいいようです。

今春の「18切符」通用期間ものこり一週間、最近は年配の方がグループで利用されたり、あるいはリタイアされたらしい老夫婦のおしどり旅も目立っています。旅慣れない方もいらっしゃるようですが、旅のマナーだけは気を付けて欲しいものです。

とにかくグループで動かれる方、とくに女性が多いようですが、大声でのおしゃべりにはうんざりすることもあります。どやどやと駆け込んでこられるくらいはまだしも、荷物を置いて席取りは褒められたものではありません。

今日もそうでした。米原から乗り込んできた何人かの女性グループ、大垣で乗り換えて名古屋までも一緒でしたが、彼女たちはまだまだ先を目指すようでした。おそらく「18切符」を握りしめて、東海道を行くのでしょう。

私は名古屋で下車して、ここからは中央線の快速に。かつてセントラルライナーとして指定席もあった313系の8000番台は、車端に小さいけれどテーブル席もあります。PCを置いて作業するには十二分。

雨も上がりましたので、ここからは木曽路の桜を楽しみながら北上していきます。

智頭急行はワンデーフリー切符がお得

昨日は久しぶりに「ブログ休日」になりました。遠征移動中だったり、仕事だったり、そして呑み会が終わるとバタンキューでしたので。

今回の遠征では、しっかりと「18切符」を活用していますが、どうしても特急乗車しないと接Img_1993 続がうまくいかなかったりもあり、また昨日と今日は18切符が使えない智頭急行に乗車しました。

ところで、智頭急行の智頭駅(JRの智頭駅の隣)窓口で、上郡までの乗車券と特急券を求めると、何とワンデーのフリー切符の方が100円安いよと教えていただきました。片道しか使わないのですが、お得であればと買い求めました。車内で精算するより安いわけですし、記念にも残りますから。

もちろん智頭急行線内のみしか使えませんが、特急券を買えば「スーパーはくと」などにも乗れますので便利です。乗り鉄として、これを知らなかったのは不覚でした。

さて、実は明日も長岡までの帰り道は「18切符」を有効に使います。神戸(元町)を起点に、米原、大垣で乗り継いで名古屋まで。そこからは中央線で、中津川そして塩尻で長野行きに乗車。長野からは飯山線で越後川口、最終ランナーは上越線の各駅停車です。

ちょうど14時間の旅になります。名古屋ではホーム上でのきしめんくらいは、食べる時間がありそうですが、あとは長野駅で美味しそうな駅弁でも探しますか。幸い、飯山線は向かい合わせですがクロスシート車なので、気詰まりはなさそうです。

そう、昨今はロングシート車がローカル線にも幅をきかせ、旅の情緒とは言えないケースも多いですね。飯山線の車両も、呑み物を置くところがないのが難点です。本来なら、軽く地酒のワンカップでもといきたいところなんですが。

どうも雨に降られそうな感じもしますが、雨と桜もおつな車窓風景でしょう。

東京キャッシュフロー(CF)MGセミナー6月開講

201606_cfmg MGは、1976年に西順一郎氏(現()西研究所代表)が開発した、経営教育であり人財教育です。会社を設立して社長として、仕入から製造、販売そして決算までを一人で行い、そのため負荷も大きいですが、学びの効果も絶大です。

「売上高は役に立たない」の意味するところは何か、利益は企業永続の条件の一つですが、それだけでは足りない。では何がホントに必要なのかを、疑似経営体験の中で体得していただきます。

キャッシュフロー・
CFMGは、通常のMGに信用取引(売掛と買掛)を加味し、より現実経営に近いゲーム体験を通じて、『キャッシュフロー経営』の本質=PLは意見、キャッシュは現実=を学んでいただくセミナーです。

東京では、1月と6月と11月の3回開講、今日は6月セミナーをご案内いたします。


 ・会場 
()ウィズアクト セミナールーム
      千代田区東松下町17 ファーストビル4F
      (小川町駅から歩3分/秋葉原・神田駅から歩7-8分)

 ・講師 板東秀行(西研MGインストラクター)
 ・参加費 25,000円(資料代・昼食代込)

脳力開発は人間学であり行動科学です(48)

「生きていく」という大前提が総戦略
 人間の脳は、外部からの刺激を受けて得た情報を、記憶という作用でストックします。既にストックされている記憶情報も合わせて、判断の材料にしています。その脳は総戦略をもっています、「生きていく」という大前提が存在し、それに基づいて全身に指令を出します。外Photo 部からの刺激なしには脳は存在しません。日常の生活をする上でも、意識するしないにかかわらずというより殆どが無意識の内なのですが、実は自分の周りにある多数の情報を受け入れて、行動するための判断材料にしています。

 道を歩けば、そばを通る人や自転車や車、立っている電柱や標識、看板などの存在や内容を認識し、それを基礎情報として分析して、時にはぶつからないように、あるいはそちらに向かって足を動かし、無意識の内に調整しながら歩いていきます。さて、現代は情報化時代です。以前に書いたように、もう30年以上も前からそのように呼ばれてきました。しかし、情報化時代になったから突然に、脳が情報処理を始めたのではありません。人類出現の時から既に、人間は情報収集を行い、その情報で判断してきたのです。

 つまり人間は本来、人間生活の基本情報の中に生きているのでありますが、情報化時代でいう情報とは、ちょっと意味合いが違うようです。例えばビジネス情報というくくりをつけると、その方面の情報が分からないと困るから情報を集めようという欲求です。とにかく社会が発展し、複雑になっています。ビジネス情報一つをとっても、必要な情報を全面的に集めようとするとなかなか大変です。インターネットが発達しても、キーワードで検索すると膨大な情報がページに溢れています。

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