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淀の方は家康を上回る存在だった

一億総活躍社会が標榜される中で、とくに女性の活躍が注目され、また保育所や雇用制度などの社会インフラが追いついていないことが、大きな問題になっています。

 
原始女性は太陽であったと言われたのは平塚雷鳥さんですが、天照大神や卑弥呼まで遡らなくても、戦国の女性たちは存在感を持ち、歴史の屋台骨の一方を支えていました。以前のブログでも言いましたが、この時代の女性たちは単なる政略の道具ではなく、大きな意思をもった重要な存在だったと言えるのです。

お市の方と浅井三姉妹、とりわけ名高い女性たちですが、その割りには充分に理解されているとは思えません。数年前にNHKの大河ドラマで三姉妹の末妹・江の生涯が描かれ、同時に母である市、二人の姉・茶々と初も登場して、私などは「時代だなぁ」と感じたものですが。

まさに女性の活躍が時代のカギになるのだ、そういう背景があるから、浅井三姉妹が取り上げられたのだろうと思ったものですが、背景はどんどんと変化していっているのに、上記のように社会インフラが遅れている。

Photo_2 なぜなのか、日本は「男社会」という幻想が未だにはびこっている、そうとしか思えません。まさか「女性は飾り物」などと考えている人はいないと思いますが、心の根底に、もしかしたら引き継がれているDNAの中に、そういう要素が遺っているのかもと案じてしまいます。

さて三姉妹の上姉である茶々、以前は淀君などと呼ばれていましたが、この呼び方は女性を蔑む呼び方って知っていましたか? ナントカ君っていうのは、廓の女性の一般的な呼び方です。そこで最近は、淀の方あるいは淀殿ときちんと呼ばれるようになりました。

この女性、太閤秀吉から淀城を与えられましたので女城主でもあるわけです。朝廷からは従五位の下を与えられていますので、諡もあり菊子が正式名です。なお、大坂城に入ってからは、二の丸殿後に西の丸殿とも呼ばれています。

天下人となった徳川家康の陰で、むしろ豊臣家を滅ぼした元凶のように言われますが、実質的な大坂城の主であり、家康と真っ向から対抗した存在であったわけです。家康の方が一枚上手だっただけで、政治的な感覚が今少しあり、サポートする人材がいたらと思わせる存在です。

女性活躍社会を援護するべく、しばしこのブログでも女性を取り上げます。

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