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戦国の女性は政略道具ではなかった

春が早くやってきそうな暖かさですが、まだまだ寒くて雪の舞う日もあるようで油断はできません。花粉症に気温差アレルギー、悩まされている方もいらっしゃるでしょうね。

さて、真田丸と信繁はちょっとお休み。信繁には姉がいましたが、ドラマでは松(マツ)という名で木村佳乃さんが演じていますが、実は本当の名前は伝わっていません。法名は伝わっていて、宝寿院殿残窓庭夢大姉というのですが、生前は村松殿とだけ記録にあるようです。

このように戦国時代の女性(戦国時代とは限らないのですが)は、本当の名前はほとんど伝わっていないのが普通です。浅井三姉妹のように、茶々、初、江と伝わっているのは、とくに茶々と江がトップレディだったからでしょうが、珍しい例と言えます。

Photo もっとも男性の名前も官職名、あるいは通称で通常は呼ばれていたわけで、本名(諡)は平常は使われなかったのです。ですから女性の本名も呼ぶのは親・親族くらいで、歴史の表舞台に余り出てこなければ伝わらないのが当たり前でしょう。

だからといって、女性たちが男よりも下流の存在だったとか、虐げられていたとか、あるいは政略結婚の道具とされていたと見ることは、余りに一面的・片面的な見方です。それどころか、彼女たちは実は大きな役割を担っていたと言えるのではないでしょうか。

余りよい例ではありませんが、徳川家康の正妻であった築山殿(写真=本名は瀬名というようですが確証はありません)と、嫡男信康が信長の命によって死に至ったのは、信康の正室・徳姫、すなわち信長の娘・五徳の信長宛書状がきっかけです。

そこには、築山殿と信康の行状が書かれていたと言われますが、これは現代流に言えば嫁いだ娘が親にグチを書いてよこしたものなのですが、戦国の世では「重要機密情報文書」ということになるのです。

実は戦国の女性たちは、外交官であり諜報部(スパイ)であったわけで、嫁ぐ時にもお付きの女性だけでなく何人もの家臣を引き連れていきます。お付きの女性も、乳母的な存在から渉外役に最適な人材なども含め、嫁ぎ先の情報収集に努めます。よって、上記のような事例も生まれてくることになります。

ですから、歴史を観る時には女性の存在を無視して見ることはできません。彼女たちが果たした役割なども細かに観ていくと、さすがに日常のことなどはなかなか史料として残りませんが、歴史は決して男だけで動かしていたのでないことも分かります。

真田丸にもこの後、嫡男信幸の正室となった小松殿や、戦国史の最後を飾る淀の方など重要な女性の存在が見られることでしょう。脚本家がどのように描いてくれるのか、それもまた大いに楽しみです。

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