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吉継と三成、友情の源泉は茶会

引き続いて大谷刑部少輔吉継です。吉継が秀吉に仕えたのは、小谷城主の浅井長政が滅び去って、その後の北近江を秀吉が与えられて、今浜(長浜と改称)に城を築いた頃です。おそらく石田三成と相前後して、秀吉の下を訪れたのでしょう。

秀吉の中国攻め、山崎合戦、そして賤ヶ岳の戦いでは秀吉の近習としての働きが見られます。特に賤ヶ岳合戦の直前には、その頃長浜城主であった柴田勝豊に降伏を働きかけ、これに成功したことで秀吉軍の有利を確定的なものとしました。刑部少輔に任じられるのは、それからしばらく後、秀吉が関白に就任した時です。
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さて、三成との友情といったものがあったかどうかは別として、吉継が三成に恩義を感じたエピソードがあります。なお、秀吉の九州攻めでは三成が中心になって活躍しますが、吉継も兵站奉行として三成を補佐しています。その後も三成とコンビを組んで、前線の戦いよりむしろ後方支援で実績を上げたようです。

さて、そのエピソードは1587年のことだと伝えられています。この頃吉継はすでにハンセン氏病に冒されていたらしく、この時行われた茶会の席で、居並ぶ諸将は吉継の呑んだ茶碗で茶を喫することを敬遠したようです。明らかに忌避の態度をとる者もあったとか。

そんな中で、三成だけは吉継のあとの茶を一気に飲み干し、新しい茶を所望してから次に回したというエピソードです。一節にはその時に、茶碗の中に病の膿が落ちていたとも言われますが、その真偽はどうでしょうか。

いずれにしても、三成の対応に吉継が感激したことは確かでしょう。この友情が、関ヶ原前夜の三度の対談、そして友情に殉じての敗戦につながっていくわけです。では次回は、その辺りのお話を。

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