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真田幸村の正室は大谷吉継の娘らしい

歴史の記録は、時の為政者の意思を色濃く反映します。その分を割引するというか、考慮しながら読まないと誤った見方をしてしまいます。関ヶ原で敗れた西軍の諸将、とりわけ石田三成は権現様(家康)に反逆した「悪者」として描かれました。

三成ほどではなくても、大谷刑部吉継も、さらに共に三成を訪れ、結局三成に味方することになった平塚為弘(美濃垂井城主)も同様です。しかし見方を変えれば、彼らは豊臣秀吉に恩義を感じ、その恩義に忠実に生きたわけで忠臣ともいえます。そのことを指摘したのは、誰あろう徳川光圀(黄門様)でありました。

Photo さて、三度説得を試みた吉継でしたがついに三成の心を変えることはできず、かえってその友誼に殉ずることになります。ただ、三成に忠言して毛利輝元を総大将とすることを承知させます。260万石の家康に対し、たかだか17万石の三成では重みが違います。

西の輝元と、北(会津)の上杉景勝を合わせれば、家康に匹敵する石高と兵力を持つことが可能です。私たちは(関ヶ原の)結果を知っていますから、その態勢では十分でなかったと評価しますが、この時点では後にメッケルが評価したように、「勝つ条件」をしっかり備えた態勢であり、布陣であったわけです。

一説には、吉継は小早川秀秋が裏切ることを予測していて、事前に暗殺することを勧めたそうですが、三成はあくまで東西両軍が正々堂々と決戦することを選択します。それでも吉継は秀秋暗殺を試みたようですが、事前に察知されたようで不成功に終わります。

歴史にイフはありませんが、もしこの暗殺が成功していたら戦いの行方はどうなったでしょう。関ヶ原緒戦は西軍有利に進んでおり、秀秋が三成からの恩賞(所領と関白職)を佳しとして西軍について戦えば、陣を動かなかった毛利軍も東軍の後方を襲ったのではないでしょうか。

実際の歴史は秀秋の裏切り、大谷軍への急襲となり、さらには大谷軍の遊軍であった脇坂隊なども裏切り、吉継は自刃し、為広も乱戦の中で討ち死にします。吉継は従者であった湯浅五助に介錯を頼み、甥(僧侶)に首は持ち去って土中に埋めるように指示をして腹を切ります。病に崩れた顔を見せたくなかったと伝えられています。今もこの主従はともに静かに眠りについています(写真)。

ちなみに、大河ドラマ「真田丸」の主人公・幸村(真田信繁)の正室・竹林院は、吉継の娘と伝えられています。

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コメント

そうそうこのお墓でした。(湯浅五助と大谷行部の墓)
松籟が静かに木々をわたっていきました。

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