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真田信繁(幸村)は実は兄であった・・・かも

前回までは大谷刑部少輔吉継を取り上げました。その吉継の娘婿だったと伝えられるのが、真田左衛門左信繁です。言うまでもなく、今年の大河ドラマ『真田丸』の主人公です。一般には真田幸村として知られていますが、生きている内に「幸村」と称したことはないそうです。後に作られた講談や、小説の中だけの名前だとか。

さて、信繁の正室とされる、大谷吉継の娘(妹あるいは姪とも)と言われる女性、大坂夏の陣の後解放されて京都で娘夫婦と生活し、信繁没から34年後に亡くなりました。名前も年齢も分からず、妙心寺に「竹林院殿梅渓永春大姉」の名で眠っています。真田家の記録にはただ「大谷の女」とだけあるようです。

Photo 蛇足ですが、今回の大河ドラマでは堺雅人さんが信繁役ですが、30年余前に放映された同じNHKの連続大型時代劇『真田太平記』での信繁役は、今回父親・昌幸役である草刈正雄さんでした。

信繁は真田ではなく甲斐府中、すなわち甲府で生まれていますが、これは昌幸(当時は武藤氏)が武田信玄のそばに使えていた頃です。おそらく昌幸の正室・山の手殿も「人質」として、甲府に住んでいたのでしょう。諡(いみな)の信繁は、信玄の弟で文武共に優れた高田信繁にあやかったものかと推察されます。

幼名・通称は源次郎、ちなみに長男とされる兄・信幸(のち信之)が源三郎です。ん?なんだかおかしい、逆じゃないの。これにも諸説あるようで、それは嫡子が早く死ぬことが続いたので、幼名をそうでないようにしたという説。また、実は信繁の方が早く生まれたが、庶出子であったという説もあります。

もっとも、織田信長も三男で通称三郎でしたが、こちらも嫡出子(母は信秀の正室・土田御前)でしたので、上のような順逆があっても不思議ではないかも知れません。信繁自体、生年は100%明らかではありませんから。

信長の息子であった、信雄と信孝についても同じようなことがありました。こちらは2人とも庶出子ですが、信雄の母である生駒氏(吉乃とも)の方が、信孝の母・坂氏より上に見られていたので、早く生まれた信孝が三男、信雄が次男とされたようです。

大河ドラマも、そういう背景を思い浮かべながら見ると、ちょっと趣がかわるのでは。そんなわけで、このカテゴリーではしばらく真田信繁(幸村)を追うことにします。

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