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信繁は外交官であり留学生でもあった

真田幸村というと、かつては「真田十勇士」の物語(立川文庫)の主人公として、私の小さい頃にはまだマンガや雑誌の中で活躍していましたが、今は知らない人も多いようです。全てが架空の人物ではなく、現実と比定できる人物もいたようです。最も有名なのは、やはり猿飛佐助でしょうか。

大河ドラマ「真田丸」にも、佐助なる人物(おそらく素破と呼ばれる素性の人)が出て来ますが、武田信玄もこういう陰の集団を使ったと言われますし、その愛弟子ともいうべき真田昌幸もやはり情報収集や攪乱などに活用したと思われます。

Photo_2 さて幸村ですが、この名は実際に名乗ったのかどうかは疑問とされますが、上記の物語と共に巷では幸村の方が一般的に知られています。歴史家はどうしても史料を重視し、史料に現れないものはオミットしてしまう傾向が強く、幸村の名も史料にはほとんど見られないのです。ですが、火のない所に煙は立たないわけで、信繁自身が名乗っていた可能性がないとはいえません。

武田勝頼が滅び、その後の信濃国を支配した織田信長が本能寺に斃れ、甲斐支配の役割だった信長の家臣・河尻秀隆が武田旧臣たちに誅され、関東方面軍団長だった滝川一益も逃げ帰ってしまうと、信濃は空白地域になります。東からは北条、南からは徳川、そして北の上杉の勢力が虎視眈々と狙う中、真田昌幸は上杉を選択します。

昨日の「真田丸」は、まさに謀略家・昌幸の面目躍如たるストーリーでしたが、国人小領主が生きていく道としては、さもありなんというところです。中央では、羽柴秀吉が一気に信長後継者としてのし上がるべく謀略の限りを尽くし始めているタイミングです。

昌幸はまず上杉を選択します。その結果として、信繁は上杉の元に人質としてやられることになりますが、もしかしたら若き日の直江兼続との出会いの中で、兼続の戦略と戦術を肌で感じていったのではないかと推察します。

こののち信繁は秀吉の元に送られますが、これは秀吉が柴田勝家と対抗するために上杉と結び、勝家を滅ぼしたことで主導権を握り、必然的に真田も上杉経由で秀吉と結びついた結果によります。人質というと「みじめ」な感じがしますが、ある意味外交官であり、また留学生といった雰囲気だったとも言えます。

秀吉の元に留学した信繁は、ここで石田三成や大谷吉継にも出会い、彼らから多くのものを吸収していったことでしょう。

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