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大谷吉継の友情と潔さに学びたい

関ヶ原の戦いの陣配り図を見た、明治日本陸軍の指導に当たっていたドイツのメッケル少佐は、「西軍の勝ち」と即断したそうです。そのくらい、西軍は東軍勢を包み込むような形でしたし、しかも人数的にも勝っていました。確かにそのまま全軍が戦っていたら、メッケルの予測した通りの結果になった可能性が高いかも知れません。

2 しかし現実には、東軍の背後を押さえるはずの毛利軍が、最も山の下に陣していた吉川軍が動かず、そのために山上の本軍(毛利秀元)や、周囲の長宗我部軍や安国寺軍も動かないままに戦いは終わってしまいました。

そして決定的であったのは、松尾山に陣取った小早川秀秋の裏切りであり、一気に山を降りて殺到する小早川軍を一時にも支え、押し返したのが大谷吉継軍でした。結果は、さらに友軍の裏切りに遭って大谷軍は惨敗し、吉継も戦場の露と消えてしまいます。

吉継は、多分戦いの前からそれを予想していたのでしょうか。

時計を巻き戻して、家康軍に参加するために敦賀を出て中山道に入り、垂井の宿に着いた時です。三成からの使者がやってきて、佐和山に来てほしいと告げます。三成の息子も同道するつもりがありましたので、吉継は佐和山に赴きます。

三成の魂胆を知っていたのかどうか、これは何とも言えませんが、うすうす感ずいていたのではないでしょうか。だが、純粋に友を思い、今は家康に従って上杉攻めに子息を向かわせることが得策だと、説いて聞かせるつもりだったと思いたいものです。

家康に対抗して挙兵することを聞いた吉継は、戦いに利なしと三成を説得しようとしています。そのために二度三度と往復するのですが、三成を翻意させることは難しいことを悟り、ならばと一緒に戦うことを決意しました。この時、死を覚悟したのでしょう。

潔し、大谷吉継。妙な弁解に終始している元大臣や、不倫に揺れる者どもに爪の垢を煎じて飲ませたいものですね。

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