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信繁は外交官であり留学生でもあった

真田幸村というと、かつては「真田十勇士」の物語(立川文庫)の主人公として、私の小さい頃にはまだマンガや雑誌の中で活躍していましたが、今は知らない人も多いようです。全てが架空の人物ではなく、現実と比定できる人物もいたようです。最も有名なのは、やはり猿飛佐助でしょうか。

大河ドラマ「真田丸」にも、佐助なる人物(おそらく素破と呼ばれる素性の人)が出て来ますが、武田信玄もこういう陰の集団を使ったと言われますし、その愛弟子ともいうべき真田昌幸もやはり情報収集や攪乱などに活用したと思われます。

Photo_2 さて幸村ですが、この名は実際に名乗ったのかどうかは疑問とされますが、上記の物語と共に巷では幸村の方が一般的に知られています。歴史家はどうしても史料を重視し、史料に現れないものはオミットしてしまう傾向が強く、幸村の名も史料にはほとんど見られないのです。ですが、火のない所に煙は立たないわけで、信繁自身が名乗っていた可能性がないとはいえません。

武田勝頼が滅び、その後の信濃国を支配した織田信長が本能寺に斃れ、甲斐支配の役割だった信長の家臣・河尻秀隆が武田旧臣たちに誅され、関東方面軍団長だった滝川一益も逃げ帰ってしまうと、信濃は空白地域になります。東からは北条、南からは徳川、そして北の上杉の勢力が虎視眈々と狙う中、真田昌幸は上杉を選択します。

昨日の「真田丸」は、まさに謀略家・昌幸の面目躍如たるストーリーでしたが、国人小領主が生きていく道としては、さもありなんというところです。中央では、羽柴秀吉が一気に信長後継者としてのし上がるべく謀略の限りを尽くし始めているタイミングです。

昌幸はまず上杉を選択します。その結果として、信繁は上杉の元に人質としてやられることになりますが、もしかしたら若き日の直江兼続との出会いの中で、兼続の戦略と戦術を肌で感じていったのではないかと推察します。

こののち信繁は秀吉の元に送られますが、これは秀吉が柴田勝家と対抗するために上杉と結び、勝家を滅ぼしたことで主導権を握り、必然的に真田も上杉経由で秀吉と結びついた結果によります。人質というと「みじめ」な感じがしますが、ある意味外交官であり、また留学生といった雰囲気だったとも言えます。

秀吉の元に留学した信繁は、ここで石田三成や大谷吉継にも出会い、彼らから多くのものを吸収していったことでしょう。

気づいたらすぐやる、やりながら直すのだ

今朝の三浦海岸は雲一つない快晴、海も穏やかに早春の感覚です。靄か霞がかかって富士山が見えないのは少し残念ですが、駅前の河津桜も満開というより、そろそろ散りそめになりそうです。雪国から出てくると、毎年この桜の花に癒やされます。

昨日から始まったMGの誕生日を祝うMGフェスティバル、初日のMGには70数名が参加、夜にはさらに人数も増えて大交流会で盛り上がりました。そして今日2日目は、MG実践者お二人の講話と、西順一郎先生の「Y理論」講演です。

トップバッターの宮本正和さんの話を伺いながら、自分がこれから本拠地を移す中で何をやっていくことがいいのか、ヒントをいただいたように感じました。今は未だ移動前のゴタゴタの中ですが、これは早めに企画をカタチにしていくのがいいかなと思った次第です。

Img_1836_2 これまで自分がちょっと避けていたというか、やることに対して躊躇を感じていたことなのですが、「やった方がいい」あるいは「やるべきだ」と。それは必ずお客様のメリットになるし、またある意味先日K先生の講話の中でお話しした、「業界で困っていることを助ける」ことにも通じていきそうです。

まずは、いつまでに企画づくりをやるのか、いつから実施するのか。これを決めていかなければなりません。すぐにやる、やりながら直す、早速スタートします。

そしてお二人目の講話は千葉均さん(写真)、まずは久しぶりに「商品価値公式」のお話を聞いて理解をさらに深めています。そういえば、セミナーなどで一時はこの公式の話も盛んにしていたのですが、最近はあまりしていませんでした。今一度整理して、戦略会計講義の中で皆さんに伝えていきましょう。

午前中の僅かな時間の中だけで、もうこれだけの刺激(気づき)を得られています。この先どれだけのプラスをいただけるのでしょうか、しっかりオーバーフローさせないように、心して耳を傾けます。

今年もMGフェスティバルにやって来ました

寒い日が続いた今週ですが、週末の土日は少し暖かくなるようです。さらに暖かさを求めて、というわけではありませんが、神奈川県の三浦海岸に出かけています。三浦市というと、三崎港のマグロが有名ですが、この時期は河津桜が咲き誇っていることでも名高いです。

実は毎年、この三浦海岸に足を伸ばしています。ここで西研MGの年間最大イベント、MGフェスティバルが開催されるのです。1976年(3月)に、西順一郎先生が開発された「MG」が世の中に公開発表されたことを記念する、つまりは誕生日パーティです。今年はジャスト40年の記念大会になります。(写真は昨年)

T_img_9911_2 私が初めて参加したのは、MGを学び始めて1年半後の1989年2月でしたが、その当時は熱海(赤根崎)で開催されていました。全国からMGを学ぶ人たちが一堂に会し、体験講話をワクワクして聞いたものでした。当時は私も30歳代の後半、集まってくるシーガルの中ではまだまだ若い部類でした。

以来、数回やむを得ずの欠席はありましたが、三浦海岸に会場が移っても毎年のように参加し、学びと交流を深めてきました。爾来25年を超えて、いつしか私も「老シーガル」の位置付けになっています。もちろん気持ちはいつまでも若く、初MGの頃の好奇心と向上意識は失っていません。

近年、西研のMGも学ぼうという方が増え、私の記憶でも第3次か第4次の興隆期ではないかと感じています。それだけに、伝えるべきことをキチンと伝えていきたい、そういう西先生の思いを強く感じています。私自身もその役割のホンの一端でも担えたら、そんな気持ちで今年も参加します。

それと合わせて、「MGを学び実践するためには、脳力開発もぜひ一緒に学んでほしい」という強い思いも、伝えていければ。なぜなら、良いことをいくら学んでも、行動実践しないことには変革はできませんから。

行動するためには、行動意識と共に行動習慣を自身の土台にすることが不可欠です。脳力開発はそのための『自己の変革』なのです。

脳力開発は人間学であり行動科学です(38)

脳力とは脳(頭)の働きではあるけれど
 脳力開発ミニ講座という形でコラムを書き始めてしばらく経ちましたが、思いつくままの書き進みですから、キチンと体系的にまとめているわけではありません。時にはあっちへ飛んだり、こっちへ迷い込んだりしている事だと思います。こんな調子で書き続けますので、どうぞ気長におつきあい下さい。


Photo  さて脳力とは脳(頭)の働きだと何度か書きました。では、頭はどういう働きができますか? 私の脳力開発セミナーでも、時々こういう質問をいたします。色んな答が返ってきますが、中でも多いのが「考えることができます」という答です。では見せて下さいといいますと困った顔をされます、「いや、それはできません」と。誰か(著名な人)が言った、あるいは何かに書いてあったことを記憶していて、質問にあった答になりそうな記憶を探し出して、それを再現しているだけなのです。頭(脳)はどんな働きをしますかという問いに、「考えることができる」と答えた方の脳裏には、パスカルの『人間は考える葦である』という言葉の記憶が浮かんだのかも知れませんね。有名な哲学者の言葉なので、それが正しいと信じ込んでいるということもありそうです。

 一度も会ったことのない人の顔を思い出せるか、という問いを城野宏先生はされたそうです。昨今はネット等で写真を見ることはできそうですが、少なくとも本当の顔は思い出せるわけがありません。記憶していないものは、記憶の再現ができないのです。となると、考えると称して机の前にじっとしているのはどういうことでしょうか。それはこれまで経験した記憶の中から材料を探しているに過ぎず、新しいアイディアは出てこないということになります。行動する、すなわち手と足と口を使わない限り、新しい材料の獲得はできないのですから。

今春も「青春18きっぷ」を買いました

この春も先週より、「青春18きっぷ」の発売が始まりました。使用開始は3/1で、4/10ま18 での通用期間は例年通りですもちろん、早速買い求めて来ました。

今年は3/26に北海道新幹線の開業があり、そのために青函トンネル在来線列車は21日までしか運転されません。また、26日からの青函トンネル(新幹線)利用の方法や、並行在来線で民営化される道南いさりび鉄道の利用など、いくつかの変更が行われます。

例年通り5日間利用ができますが、今のところ遠征での利用は3回くらい、またのんびり旅で使う予定が1回、残り1回をどう使おうかと思案しているところです。正直なところ、昨年の北陸新幹線開業で北陸路の移動時に使いにくくなったことで、頭を悩ませられますが、これもまた老化防止には役立つでしょう。

のんびり旅のできる日が1日とれますので、これを活用してどこまで足を伸ばそうか、これまたちょっぴり悩みどころです。おそらく大阪・神戸よりも西の方に、足を向けることになりそうですが。山の中に分け入るか、それとも海を渡るか。

普段は遠征途中ですので、どうしても移動を主体に考えてしまいますが、途中下車や乗り継ぎ合間の食べ呑み旅とか、行き止まりでなかなか行けないところなどを候補に挙げて、旅程を決めましょう。

もっとも、いつもそうなのですが、決めていてもすぐにその途中場面で変更してしまうので、予定通りに終わったことは数少ないです。今回も多分そういうことになりそう。

4月に入ると各地で桜も咲き始めますので、車窓の花見も楽しみです。

真田信繁(幸村)は実は兄であった・・・かも

前回までは大谷刑部少輔吉継を取り上げました。その吉継の娘婿だったと伝えられるのが、真田左衛門左信繁です。言うまでもなく、今年の大河ドラマ『真田丸』の主人公です。一般には真田幸村として知られていますが、生きている内に「幸村」と称したことはないそうです。後に作られた講談や、小説の中だけの名前だとか。

さて、信繁の正室とされる、大谷吉継の娘(妹あるいは姪とも)と言われる女性、大坂夏の陣の後解放されて京都で娘夫婦と生活し、信繁没から34年後に亡くなりました。名前も年齢も分からず、妙心寺に「竹林院殿梅渓永春大姉」の名で眠っています。真田家の記録にはただ「大谷の女」とだけあるようです。

Photo 蛇足ですが、今回の大河ドラマでは堺雅人さんが信繁役ですが、30年余前に放映された同じNHKの連続大型時代劇『真田太平記』での信繁役は、今回父親・昌幸役である草刈正雄さんでした。

信繁は真田ではなく甲斐府中、すなわち甲府で生まれていますが、これは昌幸(当時は武藤氏)が武田信玄のそばに使えていた頃です。おそらく昌幸の正室・山の手殿も「人質」として、甲府に住んでいたのでしょう。諡(いみな)の信繁は、信玄の弟で文武共に優れた高田信繁にあやかったものかと推察されます。

幼名・通称は源次郎、ちなみに長男とされる兄・信幸(のち信之)が源三郎です。ん?なんだかおかしい、逆じゃないの。これにも諸説あるようで、それは嫡子が早く死ぬことが続いたので、幼名をそうでないようにしたという説。また、実は信繁の方が早く生まれたが、庶出子であったという説もあります。

もっとも、織田信長も三男で通称三郎でしたが、こちらも嫡出子(母は信秀の正室・土田御前)でしたので、上のような順逆があっても不思議ではないかも知れません。信繁自体、生年は100%明らかではありませんから。

信長の息子であった、信雄と信孝についても同じようなことがありました。こちらは2人とも庶出子ですが、信雄の母である生駒氏(吉乃とも)の方が、信孝の母・坂氏より上に見られていたので、早く生まれた信孝が三男、信雄が次男とされたようです。

大河ドラマも、そういう背景を思い浮かべながら見ると、ちょっと趣がかわるのでは。そんなわけで、このカテゴリーではしばらく真田信繁(幸村)を追うことにします。

脳力開発は人間学であり行動科学です(37)

Nawabari  専門家意識や資格意識とも共通した面がありますが、縄張り意識というものも企業内に存在します。私も仕事を始めた頃はいわゆる「企画屋」というスタッフ意識があり、営業部や生産部のラインメンバーへの対抗意識を強く持っていました。これは私の分野だなどと主張して、いかにもこの部分は自分の責任だという雰囲気を醸し出すのですが、これは単に他からの進入を拒否することで、我が身の安全を図ろうとしているだけで、これもまた現状維持姿勢・方向性の表れなのです。

 こういう縄張り意識が強いと、当然ですが仲間内だけの狭い情報にだけしか接し得ず、新しい、あるいは拡大されるコンビネーションには全く対処できなくなってしまいます。それでは益々孤立を深めるだけで、進歩発展にはつながっていかないのです。縄張り意識の反対に位置するのが、「謙遜のつもり」です。例えば「私はその道の専門ではないので・・・」とかいう類で、とくに意志決定者である経営トップがこういう意識で対処するのは問題です。つまりは責任を回避しているに過ぎないわけですが、自覚がありません。

 第一、専門的な知識を網羅するなどということは不可能ですし、意志決定に必要なものはそれだけではない、大局的な見方や周辺情報の総合的判断が求められます。どういう戦略方向を目指すのかを決めることが、経営トップには求められるからです。さらに最悪なのは、「私は忙しいから」という言葉です。忙しくない経営者がいるとは思えませんが、忙しいことを理由にして意志決定の先延ばしを行ったり、情報を遮断してしまうなどといったことは決してやってはいけないことです。

急行なき後の特急は「特別急行」か?

来月のJRダイヤ改正で、夜行客車列車がなくなるということを書きました。もう一つ大きなものがなくなります、「急行」列車です。臨時列車として「急行」列車が設定される可能性はありますが、定期列車としては消えてしまいます。

小学生(低学年)の頃、叔母に連れられて母の実家へ行った際に乗ったのは、急行ではなく普通(鈍行)列車でした。大阪発の糸崎行き、EF58電気機関車に牽かれた10数両の客車列車で、機関車は姫路駅で蒸気機関車(C62?)に付け替えられました。兵庫岡山県境のトンネルで、窓を急いで閉めさせられたのも当時の思い出に残っています。

58_82 当時の急行はいずれも長距離列車で、まだ本数も少なく、急行料金も相対的に高かったようです。特急はまさに特別急行で、本数も停車駅も少なく、高嶺のまた高嶺でした。下車した駅は一部の急行や準急行の停車駅でしたが、その日は鈍行の旅でした。

さて、上記のように種別として準急行、急行、特急と揃っていましたが、これは当然に急行を真ん中にしての呼び方でした。急行が中心であり、それより停車駅が多く、運転区間も短いとかローカル線だとかが準急行でした。特急は、急行からもかけ離れた存在でしたね。

いずれにしても、急行があっての準急あるいは特急であるわけです。ところが3/26ダイヤ改正で、その中心たる「急行」が消えてしまうのです。となると、特急は「特別急行」といえるのでしょうか。

実際には、すでに急行がないのに特急が存在するという鉄道路線は少なくありません。急行がないのに「通勤急行」とか「快速急行」があるところも。つまりは、特急はすでに特別急行ではなく、「特急」という固有の種別となったのでしょう。京急の「快特」も、かつては快速特急の略でしたが、今は固有の種別です。

とはいえ、車内設備や快適性は「特別」急行であって欲しいなと思いませんか。一時に比べると良くなりましたが、まだまだ特急にはふさわしくない(と私が思う)車両も残っています。さらに停車駅に至っては、かつての急行どころか準急以下の特急も。

また、その昔あった多層建ての急行(特に気動車急行)のように、中心都市から地方の主要都市に乗り換えなしに行けるといった列車も、魅力があるのになと思うのです。電車と気動車の併結運転もハイブリッドカーなら、以前よりもカンタンにできそうですし、新しい魅力を持った列車の登場を願いたいものです。

そんなわけで、来月21日の出発進行!で、最後の定期急行「はまなす」が姿を消します。

夜行列車の旅は庶民には遠くなる

1ヶ月後、来月26日のJR各社のダイヤ改正、主として北海道新幹線開業に伴うものですが、団体の企画列車や一部の季節臨時列車を除いて、ついに時刻表から夜行客車列車が消えてしまいます。

Photo 現在走っている夜行の客車列車は、企画列車、季節列車をのぞくと、特急では「カシオペア」(実はこれも週3~4回運行の臨時扱い)と、急行「はまなす」のみです。それも3/21が最後の運転日になってしまいます。「カシオペア」は企画列車として残り、もしかしたら青函トンネルをくぐる可能性も出て来ましたが。

そして旅客列車としての定期運行夜行列車は、「サンライズ瀬戸・出雲」(電車特急)だけになってしまいます。昨年は「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」が廃止され、その際には使用する客車の老朽化が理由とされました。しかし、「カシオペア」に使用されている客車は1999年製のE26系で、内装はやや古くなってきましたが、まだまだ大丈夫です。

一番の問題は青函トンネルで、この区間の電圧が2万Vから2.5万Vに変わり、現在ここを牽引しているJR北海道のED79形機関車が使えなくなるということ。しかし、JR貨物はこの区間を走れるEH800形を製造(20両)しており、実際に春以降「カシオペア」もこれを借りて臨時運行するようです。

私の青春時代、特に60~70年代は夜行列車が全国津々浦々に走り、当時の均一周遊券を活用して乗り鉄の旅を満喫したものでした。特急は高嶺の花でしたが、夜行急行は深夜の乗り継ぎも可能でしたし、普通夜行列車も何本もありました。

それが80年代から徐々に廃止が始まりましたが、その理由は車両の老朽化、新幹線の開業で需要が減った。最近は航空便の充実と格安運賃、高速バスの急増が廃止に拍車をかけています。また、国鉄の分割民営化で複数社に跨がる運転調整が難しい、深夜の要員確保も大変だというのです。

これらは半分本当で、半分ウソです。最大の理由は、お客様の求めるものに合わなくなったことで乗客が減り、そして合理化という美名の下に鉄道側の都合で切り捨ててきたということです。実際、「サンライズ瀬戸・出雲」や数年前に廃止された「あけぼの」や「きたぐに」はサービス内容の違う多様な車両で、けっこう高い乗車率です(でした)。

深夜の要員についても、実際には現在も幹線には多くの貨物列車が走っています。サンライズのような電車を交直両用で製造する、JR貨物から機関車を運転士と共にリースするなど、運転対応も不可能ではないはず。お客様ニーズも、夜行高速バスの隆盛を見ればあるはずです。しかも大量輸送や安全性は、バスをはるかに上回ります。

要は「やる気」ですね、JR各社の。一部の富裕層だけのものにしてほしくないですね、夜行列車・寝台列車の旅を。

真田幸村の正室は大谷吉継の娘らしい

歴史の記録は、時の為政者の意思を色濃く反映します。その分を割引するというか、考慮しながら読まないと誤った見方をしてしまいます。関ヶ原で敗れた西軍の諸将、とりわけ石田三成は権現様(家康)に反逆した「悪者」として描かれました。

三成ほどではなくても、大谷刑部吉継も、さらに共に三成を訪れ、結局三成に味方することになった平塚為弘(美濃垂井城主)も同様です。しかし見方を変えれば、彼らは豊臣秀吉に恩義を感じ、その恩義に忠実に生きたわけで忠臣ともいえます。そのことを指摘したのは、誰あろう徳川光圀(黄門様)でありました。

Photo さて、三度説得を試みた吉継でしたがついに三成の心を変えることはできず、かえってその友誼に殉ずることになります。ただ、三成に忠言して毛利輝元を総大将とすることを承知させます。260万石の家康に対し、たかだか17万石の三成では重みが違います。

西の輝元と、北(会津)の上杉景勝を合わせれば、家康に匹敵する石高と兵力を持つことが可能です。私たちは(関ヶ原の)結果を知っていますから、その態勢では十分でなかったと評価しますが、この時点では後にメッケルが評価したように、「勝つ条件」をしっかり備えた態勢であり、布陣であったわけです。

一説には、吉継は小早川秀秋が裏切ることを予測していて、事前に暗殺することを勧めたそうですが、三成はあくまで東西両軍が正々堂々と決戦することを選択します。それでも吉継は秀秋暗殺を試みたようですが、事前に察知されたようで不成功に終わります。

歴史にイフはありませんが、もしこの暗殺が成功していたら戦いの行方はどうなったでしょう。関ヶ原緒戦は西軍有利に進んでおり、秀秋が三成からの恩賞(所領と関白職)を佳しとして西軍について戦えば、陣を動かなかった毛利軍も東軍の後方を襲ったのではないでしょうか。

実際の歴史は秀秋の裏切り、大谷軍への急襲となり、さらには大谷軍の遊軍であった脇坂隊なども裏切り、吉継は自刃し、為広も乱戦の中で討ち死にします。吉継は従者であった湯浅五助に介錯を頼み、甥(僧侶)に首は持ち去って土中に埋めるように指示をして腹を切ります。病に崩れた顔を見せたくなかったと伝えられています。今もこの主従はともに静かに眠りについています(写真)。

ちなみに、大河ドラマ「真田丸」の主人公・幸村(真田信繁)の正室・竹林院は、吉継の娘と伝えられています。

脳力開発は人間学であり行動科学です(36)

社内専門家よりもタチの悪い社内評論家
 口先ばかりで行動しない、自らは決して手を挙げないタイプの方を社内専門家と言いますが、もう一つのタイプは社内評論家、あるいは社内批評家と言われる方です。こちらも見事に現状維持(現状に甘んずる姿勢)の典型です。誰かが出した提案やアイディアに対して、Keieikaigi あそこがいけない、ここがダメだと欠点ばかり指摘するのです。欠点を指摘して欠点を消していけば、優点だけが残って良くなるだろうと考えているのでしょうが、実際にはそうはいかないのです。

 たいていの場合新提案や開発アイディの類は、まだ余り磨かれていないのですから欠点が目立つのです。それを指摘し、批評して会議をかき回しても得るところは余りありません。結局、欠点が多いからこの提案はダメだと捨てられたり、開発に着手しないことになり、変革の波は起こらないで終わるのです。 社内評論家(批評家)は、ある意味で社内専門家よりもタチが悪いと言えます。専門家はまだそれなりに、保守的ではあれ自分の提案は出してくるのですが、評論家の方は他人の意見をぶっつぶすことに血道を上げてくれるのです。

 さらにそこに、年配意識や資格意識が加わるとさらに過激になります。年配意識とは年功序列意識ともいい、いわゆる「近頃の若い者は」という感覚であり、裏返すと自分の「過去の栄光」にぶら下がりたがる傾向のことです。資格意識とは資格のない者を軽視し、これまた自分の実績にしがみついて、新しい発想やコンビネーションを拒否してしまうのです。ここまで述べた方々は、要するに規制の枠組みから抜けられない思考行動なのであり、現状打破には向かないのです。

三度目の取り上げでもう止めよう

暖かい日射しが西向きの窓から射し込んできて、午後からは暖房が要らないリビングで、仕事を続けています。おかげさまでよく捗ります。一仕事終えて、今日のブログは何を書こうかと頭をめぐらし、やっぱりアレかなと。

Miyazaki このブログの「VANちゃん怒ってます」でも二度取り上げた、M議員(こと宮崎某)、いやもう衆院議員ではないのでMと呼び捨てでいいですかねぇ。潔く議員を辞めた、なんてほとんどの方が思ってもいないですよねぇ。

まぁ出てくるわ、出てくるわであきれた口が開いたままになってます。疑惑どころの騒ぎではありません、ほとんどビューキと言ってもいいんじゃないかって感じです。このMという男、いや男の風上にも置けませんよねぇ。バカは死ななきゃ治らないと言いますが、死んでも治らんのじゃないかなぁ。

 
奥さんのことは書くつもりはありませんが、選挙区こそ違え同じ新潟県ですから、深く同情しますよ。M本人がこれからどうするのかナンテ、ちっとも興味はありませんが、お相手が過去の女性も含めて次々に出てくるのはたまりませんなぁ。
 
さて、もう1つ影響を受けているのが育休をとりたいという男性諸氏ではないでしょうか。それでなくても、例え企業内の規程で取得が認められていても、現実には取得がなかなかなかなか困難だというのに、ますます環境が厳しくなったのではと懸念します。

まさか「不倫するんで取得するのか?」などとは言われはしないでしょうが、周囲の目がこれまでより気になるかも知れませんね。いずれにしても、せっかく夫も育休をとれるようにというムードの盛り上がりに、水を差したことは残念至極です。

昨今はイクメンが注目されて、企業側も自社のイメージアップと人材確保のために、男性の育児休暇に目を向けていたのに、白紙に戻ってしまわなければ幸いです。

マスコミもいい加減に、M関連のバカバカしい報道は止めたら。もっとも、次から次にお騒がせ議員が出て来ていますから、当分はネタには困らないんじゃない!?

中小企業への警鐘・ちょっぴり赤チップ

寒波が居残っているようで、朝から雪が降り続いていますが、空が少し明るくなってきましたので、そろそろやむのかも知れません。

天候不順は景気の状況にも引き続いているようで、円高株安・乱高下が収まりません。個人消費が明らかに落ち込んでいて、GDP速報値も2期ぶりのマイナス、単に暖冬だからと片付けるわけにはいきません。

中小企業にはガマンの時代だ、などというKYな政治屋には早々と退場してほしいところですが、国会議員なる人種は男も女もレベルの低下が著しいですね。「清廉潔白」とか「品格」という言葉は、国会内外では死語になっているようですし、勉強不足のレッテルが飛び交っています。

201505 そんな政治の貧困を、経営の苦しさの言い訳にしていても、明日の飯の種にはなりません。しっかりと現実を見つめ、世の中が変化していることを見極めながら、適切な手を思いきって打っていかねば、押しつぶされてしまうでしょう。

創業の原点に返りつつ、新たなチャレンジに舵を切る。なぜなら、世の中の変化とはズバリお客様の変化なのですから。お客様のニーズ、意識、購買の方法など、どれをとっても10年前どころか、数年前と比較しても大きく様変わりしています。もしそれに気付いていないのであれば、あなたはもう経営を辞めることです。

貴社の経営理念、ホコリを被っていませんか。企業を取り巻く環境も条件も、ほとんど丸ごと変わっているのに、いつまでも古い理念をフラッグにしていて大丈夫ですか。ベースの心や創業精神は大切にしていくとしても、変えるべきものは勇気を持って変えましょう。

時には土台からひっくり返すことも必要、そんな視点で足元を、経営理念を見直そうとする中小企業はまだ少ないですね。それどころか、企業理念さえない企業もあります。羅針盤なしで嵐の海に漕ぎ出していくのですか。

本日はちょっぴり、ヴァンガード経営研究所(VAN研)のPR=赤チップ=でした。

脳力開発は人間学であり行動科学です(35)

Led_2  話題が飛びますが、2014年のノーベル物理学賞に日本人3人が決まったことは、とっても嬉しい明るい話題でした。それぞれの方はLEDについて「専門家」と呼ばれる方ですが、それ以前にブレイクスルーの達人と言えるのではないでしょうか。さて「専門家」について言いますと、中でも専門意識を振りかざす人たちについてですが、この方々はある意味プライドの高い方で、裏返しに専門知識のない「専門家でない者」を軽蔑される傾向があるようです。


 ですから専門家でない者の意見に対しては、ふんふんとうなずいてさも受け入れるような格好をしても、最終的には自分の持っている専門家意識の方を尊重してしまいます。つまり自分の手持ちの意識から抜け出せない、「現状維持派」と位置付けられるのです。専門家(専門意識を持った方)は、実は自らの限界を告白している人だと言ったらどうでしょう。反発をされるでしょうか。もちろん、専門外のことにも人に勝る知識や体験を持った方も少なくありません。しかし、自分の専門のことに対しては概して保守的です。

 その範疇の事に対しては自分を守ろうとされますから、新しい考え方や仮定が出てくると、まず拒否反応を示されます。素人の着想が目新しい、ユニークであればあるほど、抵抗姿勢が強くなるようです。自己の権威を守ろうというのでしょうか。さらに問題なのは、「社内専門家」と称される種類の方です。つまり一家言を持っていて、社内の会議などでは新しいアイディアや情報を披露してくれます。しかし、行動は一切しない、自ら主体的に動いて実現しようとはしないタイプです

大谷吉継の友情と潔さに学びたい

関ヶ原の戦いの陣配り図を見た、明治日本陸軍の指導に当たっていたドイツのメッケル少佐は、「西軍の勝ち」と即断したそうです。そのくらい、西軍は東軍勢を包み込むような形でしたし、しかも人数的にも勝っていました。確かにそのまま全軍が戦っていたら、メッケルの予測した通りの結果になった可能性が高いかも知れません。

2 しかし現実には、東軍の背後を押さえるはずの毛利軍が、最も山の下に陣していた吉川軍が動かず、そのために山上の本軍(毛利秀元)や、周囲の長宗我部軍や安国寺軍も動かないままに戦いは終わってしまいました。

そして決定的であったのは、松尾山に陣取った小早川秀秋の裏切りであり、一気に山を降りて殺到する小早川軍を一時にも支え、押し返したのが大谷吉継軍でした。結果は、さらに友軍の裏切りに遭って大谷軍は惨敗し、吉継も戦場の露と消えてしまいます。

吉継は、多分戦いの前からそれを予想していたのでしょうか。

時計を巻き戻して、家康軍に参加するために敦賀を出て中山道に入り、垂井の宿に着いた時です。三成からの使者がやってきて、佐和山に来てほしいと告げます。三成の息子も同道するつもりがありましたので、吉継は佐和山に赴きます。

三成の魂胆を知っていたのかどうか、これは何とも言えませんが、うすうす感ずいていたのではないでしょうか。だが、純粋に友を思い、今は家康に従って上杉攻めに子息を向かわせることが得策だと、説いて聞かせるつもりだったと思いたいものです。

家康に対抗して挙兵することを聞いた吉継は、戦いに利なしと三成を説得しようとしています。そのために二度三度と往復するのですが、三成を翻意させることは難しいことを悟り、ならばと一緒に戦うことを決意しました。この時、死を覚悟したのでしょう。

潔し、大谷吉継。妙な弁解に終始している元大臣や、不倫に揺れる者どもに爪の垢を煎じて飲ませたいものですね。

一筆書きで府県庁所在地5つを回る

昨13日、午後からは天気が崩れてくる予想でしばし迷ったのですが、せっかくの休みの土曜日です、東京に行く前に一筆書きの乗り鉄旅をやることにしました。

Img_1771 まずは高速神戸から阪急の特急で梅田へ。梅田に着く早々に、京都線の快速特急6300系「京トレイン」に遭遇、こりゃあ朝から縁起が良いぞ、もしかしたら天気も味方してくれるかなと思いつつのスタート。

一筆書きの旅は、要するに途中や最後に重ならないこと、途中駅で下車しないことが条件です。関東の東京近郊区間、関西の大阪近郊区間内をどういう経路でもいいから、上記の条件で乗り鉄すればいいわけです。

今回は時間的な制約もありましたから、大阪駅を起点にして和歌山、奈良、京都を回って新大阪駅で下車することにしました。これだけの旅をしてたったの160円です。食事やトイレも、電車の中あるいは駅構内でという条件は付きますが。

大阪からは阪和線直通の「紀州路快速」223系に、スタート時には日も射していましたが、和歌山が近づくと小雨模様に。和歌山では昼食と、さらには和歌山電鐵の電車を撮り鉄するために、接続をゆったりとりました。「いちご電車」がカメラを構える前に出ていったのは残念。昼食は柿の葉寿司、一羽の鳩に米粒を上げながら。

和歌山からは五条・高田経由の奈良行き、ロングシートの105系2連。数回の長い停車も含めて3時間余りの旅です。比較的単調な風景が続きますが、飛鳥から奈良にかけては古墳や史跡も多く見られて楽しめます。後半からは雨が本格的に降ってきました。

奈良からは「みやこ路快速」221系で京都へ、外は雨に煙ってきました。京都からはゆっくり座っていこうということで321系各駅停車で新大阪まで。10時15分頃に大阪を出て、6時間40分の長旅も終わり。

振り返って見ると、スタートの神戸市を初め、近畿の2府3県の県庁所在地をくまなく回ったようです。もちろん、どこにも下車せず、どこにも訪ねることはなかったのですが。

スイカで出口を出ようとするとエラー、ありゃりゃと女性係員のいるところでスイカを渡すと、「大阪駅を10時頃に入られていますね」と。なるほど時間をチェックされたわけですが。すかさず「和歌山、奈良、京都と乗り継いできました」と、これで通じたようでした。

そんなのんびりの乗り鉄旅、天気はやや残念でしたが、乗り降りされる人や立春の風景をたのしみながらの休日でした。次はいつできるのかなぁ。

CFMGをもっともっと拡げていきたい

建国記念の日の11日、そして翌12日の二日間、神戸市でキャッシュフローMGを開催していただきました。MG仲間である株式会社サヌキさんの、創業80周年を記念してのセミナー。そこに講師としてお招きをいただいたのでした。

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サヌキさんの研究室を使っての2日間研修、仕事の都合で休日ワンデー参加だけの方もいらっしゃいましたが、3卓でのMGでした。もちろんサヌキさんの社員さんも参加、CFMG初参加の方にも、経営の実際に近い感覚を体験していただけたようです。
 
時間の関係で初日は、第1期のシミュレーションとゲームだけの展開、それでも間接法によるキャッシュフロー計算書=第6表=を初めて使い、これまでは十分には理解できていなかったところも、しっかりと学んでいただけたようです。
 
2日目には「利益(PL)は意見、キャッシュは現実」をテーマとして、キャッシュフロー経営につてさらに深く学んでいただきました。後半のまとめの講義では、私の経営実体験を実際の数字をご覧いただきながらお話ししました。1時間という短い時間でしたので、どこまでお伝えできたかは分かりませんが、感想文を拝見して少しホッとしています。

それ以上に、本質をつかんでいただいているなとも感じました。さすがに、MGを学び実践している仲間たちは感性が素晴らしいです。新しい出会いもいただきました。心より、参加された皆さん、そしてサヌキの皆さんにお礼を申し上げます。

これからもぜひMGを共に学び続けましょう。そして、さらには行動力を今以上に高めていくためにも、脳力開発に学びの幅を広げていただけると嬉しいですね。

脳力開発は人間学であり行動科学です(34)

 考え方、すなわち脳細胞の働かせ方が違うと、同じ事実を見聞きしてもそれに対する評価や反応が違ってきます。当然ながら実際行動も違ってくることになります。一方は現状維持派であり、もう一方は現状打破派だということになります。しかし、人間は「あなたは保守的で現状維Img_1733 持派だ」と言われても、なかなか納得しないものです。自分では前向きで、積極的にやっているつもりだというのです。その保守性は本人が気付かないままに、全く違ったカタチで行動に表れてきます。

 だから、自分を客観的に知ることが大切なことです。それには自分の実際行動をチェックし、現状維持なのか現状打破なのかをキチッとつかむことが必要です。そこで、これから現状維持派とはどういう行動をとるのかを、見ていくことにしましょう。現状維持派、つまり「現状に甘んずる姿勢」の特徴には、次のようなものがあります。その1は、なるべく何もしない、とくに新しいことには手を出さないということです。その気持ちの底には、失敗への恐れがあるようです。

 第2には、他人の意見や批判にはほとんど耳を貸さないということです。そのくせ、他人の自分への評価は気に掛かるらしいのです。評価を下げないためには、新たな挑戦など、失敗の可能性の高いことは避けて通るという傾向があります。そしてその3は、目的意識が希薄で目標が曖昧だったり、あるいは問題意識が低いということです。好奇心が低い、物事への興味や関心が薄いともいえます。要するに、面白いと感じることが少なく、新しいところに行くのも、新しい人に会うのも面倒がるようです。

憲法には『報道の自由』は明示されていない

Photo おはようございます。今週はずっと神戸に滞在です。昨日は六甲おろしの強風が襲い、時雨にも見舞われた寒い1日でしたが、今日は穏やかに晴れてきそうです。神戸といえば六甲山から見る夜景ですが、仕事に追われてなかなか見には行けません。

さて、今朝のニュースを見て驚いたのは高市総務相の発言。どこまで正確な報道かは別としても、見逃しにはできない「放送電波停止」発言ですね。そうでなくても、昨今の自民党から報道各社、とくにTV局に対する介入は露骨で危険一杯とは思われませんか。

考えるに、与党には「探られたくない痛い腹」がたくさんあるようです。だからこそ、神経をとがらせているのだろうと推察されますが、うがった見方でしょうか。あるいは、もしかしたら衆参同日選挙の可能性が大きくなっているということでしょうか。

日本国憲法第21条をご存じでしょうか。その第1項は「集会、結社および言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」です。実はここに、本当は「報道の自由」が入って然るべきでした。それが表現が変わったことは、まさか今の状況を予測していたのではないでしょうか。

報道が政府や与党にすり寄り、伝えるべきことを伝えない世の中、それは日本人がかつて体験したことでしたが、その実際体験はもはや霞んでしまっています。しかしそれは誤りの道、行ってはいけない道だと確信しています。偏向報道に与する気はありませんが、誤りは声を大にして正すべきでしょう。

余談ですが、高市もそう言えばナントカ塾の出身でしたっけね。創設者の精神はいったいどこへ行ってしまったのでしょう。ホント、ろくでもない人材を次々に輩出してくれます。まぁ一握りではあるのでしょうけど。

脳力開発は人間学であり行動科学です(33)

 同じ事物でも、人間のものの見方はそれぞれに違うので、まるで違った評価になることが多々あります。時には180度違ってしまうことも少なくありません。当然評価や判断が異なると、その後の行動も全く違ったものになってしまうのです。かつてある2人のセールスマンが、アマPhoto ゾンの奥地に靴を売りに行ったそうです。ジャングルの奥の現地で見たモノは、裸足で歩いている現地人の姿でした。2人のセールスマンは、それぞれ本社にテレックス(今ならメールかな)を打ったそうです。

 1人は「次の便で帰る。ここでは靴の売れる見込み無し。現地人は皆裸足」と打ち、もう1人は「急ぎ1千足の靴を遅れ。ここでは靴の売れる可能性無尽蔵。現地人は皆裸足」でした。全く同じ現実を見ていても、全く正反対の反応、行動になっているでしょう。もう少し検証してみることにしましょう。要は、一方のセールスマンは「現状を維持」したままで変化させないという反応と行動で、もう一方のセールスマンは「事物を発展変化させよう」という反応と行動なのです。

 一方は現地人が全員裸足で歩いていることは今後とも変わらない局面だと見、もう1人は、今は裸足だからこそ靴を履かせるという変化の局面を見たのです。このような対応の違いは、昨今のような変化の著しい、変化の早い時代にはとっても重要なことです。結果がどうなったのかは分かりませんが、靴とは便利で良いものだということが広まっていけば、1千足の靴はあっという間に売れてしまったのかも知れませんね。行動の延長に結果がやってくる、これもまた確かなことなのです。

「利益が目的」になってはいけない

今日から一週間の遠征です。今回はあちこち動き回ることはなく、神戸に腰を落ち着けてコンサルティングやセミナーが連日続きます。出発前にブログをアップしておこうと思い、キーボードに向かっています。それにしても今朝は寒い、降り積もった雪が固く凍っている感じです。

 
さて、コンサルティングやセミナーを通じて、私は企業の利益について自分の体験や学びから得たことを伝えています。企業の栄養として、つまり企業継続のためには欠かせないものとして利益をとらえています。

T_img_0848 しかし、利益は必要条件ではありますが、十分条件ではありません。利益を追求することは大事なことですが、「利益が目的」になってはいけないと考えています。企業継続のための必要条件と書きましたが、では何のために、あるいは誰のために継続するのでしょうか。

また利益のためならなりふり構わず、社員にも『行け!進め!』と尻を叩き、徹底した成果主義こそ企業成長の要だとおっしゃる経営者、コンサルタントも少なくありません。

その昔、ある会社に商品の見積を依頼されて出したことがありました。その会社は、地域では名の知られたビッグな企業で、しかも全国的な組織の中でも非常に著名でした。「良い会社」と言われていましたので、私の会社としてもぜひ新規でお付き合いをしていただきたいと願ったのです。

見積もりを出して呼ばれて訪問しました。その際に社長から言われた言葉は、「今仕入れているところとほとんど同じ値段だ、もっと安くならないか」でした。さらに付加サービスとしていくつかの要求もありました。

アタマの中でしばらく考えて、私は「申し訳ありませんが」とお断りしました。要求を呑むことにはやぶさかではありませんでした。利益もゼロというわけではありません。売上高からいうとかなりの額が見込まれます。しかしお断りしました。

もしかしたら、この見積を使って現在の取引先の仕入価格を下げ、付加サービスを付けさせるつもりではないかと感じたのです。それでは、その会社に申し訳ありません。いえ、相見積もりが悪いなどとは言いません。私だって、そういう仕事のやり方もしていましたし、よりコストや費用を下げるのは、利益を生み出すには必要なことです。

でも、企業姿勢としてはどうなのでしょうか。つまり「良い会社」だというイメージとの、大きな落差を感じてしまったのです。その時の意思決定を、私は後悔していません、正しかったと信じています。

自社だけが良ければいい、というコンサルティングやセミナーはやりたくないな。今なお、そういう気持ちで自分の仕事に取り組んでいます。さて、そろそろ出かける最終準備です。

吉継と三成、友情の源泉は茶会

引き続いて大谷刑部少輔吉継です。吉継が秀吉に仕えたのは、小谷城主の浅井長政が滅び去って、その後の北近江を秀吉が与えられて、今浜(長浜と改称)に城を築いた頃です。おそらく石田三成と相前後して、秀吉の下を訪れたのでしょう。

秀吉の中国攻め、山崎合戦、そして賤ヶ岳の戦いでは秀吉の近習としての働きが見られます。特に賤ヶ岳合戦の直前には、その頃長浜城主であった柴田勝豊に降伏を働きかけ、これに成功したことで秀吉軍の有利を確定的なものとしました。刑部少輔に任じられるのは、それからしばらく後、秀吉が関白に就任した時です。
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さて、三成との友情といったものがあったかどうかは別として、吉継が三成に恩義を感じたエピソードがあります。なお、秀吉の九州攻めでは三成が中心になって活躍しますが、吉継も兵站奉行として三成を補佐しています。その後も三成とコンビを組んで、前線の戦いよりむしろ後方支援で実績を上げたようです。

さて、そのエピソードは1587年のことだと伝えられています。この頃吉継はすでにハンセン氏病に冒されていたらしく、この時行われた茶会の席で、居並ぶ諸将は吉継の呑んだ茶碗で茶を喫することを敬遠したようです。明らかに忌避の態度をとる者もあったとか。

そんな中で、三成だけは吉継のあとの茶を一気に飲み干し、新しい茶を所望してから次に回したというエピソードです。一節にはその時に、茶碗の中に病の膿が落ちていたとも言われますが、その真偽はどうでしょうか。

いずれにしても、三成の対応に吉継が感激したことは確かでしょう。この友情が、関ヶ原前夜の三度の対談、そして友情に殉じての敗戦につながっていくわけです。では次回は、その辺りのお話を。

来週末には「一筆書き」の乗り鉄旅を

週末寒波、先月の猛烈寒波に比べると大したことはなかったようですが、この週末の越後長岡は雪模様の天候が続きます。猛烈寒波の際には鉄道も、新幹線を除いて全面的にストップしてしまい、高速道もアウトでしたので新幹線がなければ陸の孤島になるところでしT_img_9522 た。

それにしても、確かに24時間で70センチから1メートルの新雪が降ったとはいえ、余りにひ弱な在来線(信越本線・上越線等)です。もちろん強風の影響(風速25mで運転見合わせ)もあったでしょうが、除雪が追いつかない状況は困りものでした。

除雪機械の性能は、大いに進歩しています。その昔の蒸気機関車時代には、いわゆる「キマロキ」運転が行われ、機関車がディーゼル化されて以降もその名残があり、その非力が問題視されたこともありました。少し前の除雪機関車に比べても、最近の除雪機械の性能は全くひけをとらないばかりか、小型化され使い勝手もよさそうです。

それなのに・・・という感が否めません。ただ、車両ではなく機械であるが故に「線路閉鎖」が行われ、しかも待避線のある駅が減って、閉鎖区間が長くなるなどの欠点も指摘されています。鉄道ファンとしては、何とかならんのかなぁという思いです。

先月寒波の際には国道8号線・17号線の大渋滞が目立って、鉄道の不通は大きな話題にはなりませんでしたが、これからも同じ状況が続いてしまうようなら、大きなクレームにもなってくるでしょう。

さてさて、しばらく鉄旅をしていませんので、そろそろ禁断症状が出て来そうです。来週は遠征ですが、往路は空旅です。またしばらく滞在という形ですので、空いた1日だけでも鉄道ファンならではの「一筆書き」の乗り鉄旅をしてこようかと考えています。

来週末には、そんな旅のお話をアップできるかなと思っているところです。

脳力開発は人間学であり行動科学です(32)

 同じことを繰り返しますが、戦略を決めて初めて、どの戦術をとるかという脳細胞の作用が出てきます。右に行くのだと決めない限り、右に行く手段・方法は情報として集まらず、また実際の活動(行動)としては出てこないのです。計画達成のために素晴らしいアイディアがCpu_2 ないか、出してくれないかと社員に問いかける社長がいたとします。社長としては、社員の自主性とか能力とかに期待していると言うのです。しかし、いくらこんな風に声をかけても、なかなか名案は出てこないのではありませんか。

 つまり「素晴らしいアイディア」と言っても、抽象化した概念に過ぎないので、具体的にどういうものかは社員一人一人バラバラな受け取り方になります。最低限方向性や具体的な到達目標を示さねばならないわけで、そうしないと誰もプログラムを組めないのです。具体的な到達目標を示されると、脳みそは記憶中枢の中に蓄積された材料を動員してきて、目標に向かっていく道筋を組み立てていくことができるのです。右へ行くというのは、実は抽象的ではなく、右にある目標物たとえば建物などを意識するわけです。

 そうすると、その建物に向かって到達するための道筋を選びます。早く到達できるか安全に行けるかなどの判断も、合わせて行います。このように具体的な目標を示すことで、そこへ行きつく手段やプロセスを組み立てることができるのです。普段から名案を頭の中に溜め込んでおいても、具体的な到達目標が表れなければ、それを取り出すことはできません。多量のデータをコンピュータに溜めておいても、具体的に何を取り出すかを指示しなければ宝の持ち腐れになるのと同じです。

脳力開発は新しい思考・行動の習慣づくりです

今日は立春、今日から春ですが旧暦の新年ではありませんね。年内立春というのだそうですが、珍しいことではなく2~3年に一度のことだそうです。春の足音が聞こえてきているところもあるようですが、越後はまだまだ先のお話。それでも今日の青空は嬉しいですね。

さて、昨年の6月から未来に舵切る脳力開発講座を東京と神戸で始めました。来月3月からは第Ⅱ次講座がスタート、すでに10数名の方に新たなエントリーをいただきました。ありがとうございます。
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ところで、よく「脳力開発(セミナー)ってどんなことをやるのですか」、あるいは「脳力開発ってどんなものなのですか」という質問をいただきます。簡単にご説明はするのですが、MGのように経営ゲームをやって決算して、その結果も数字でハッキリ出てくるのは分かりやすいですが、何しろ自己啓発あるいは気付きのセミナーですので、ちょっと分かりにくいですね。

最近は、自分の主催しているMG(CFMG)セミナーでは、「MGと脳力開発」というテーマでのお話をして、共通するところや目指すところをお伝えしています。それでも、講座などにお誘いするには上記の質問に的確に答えなければなりません。

「セミナーに出て、やってみられれば分かりますよ」では、答にはなりません。実際体験セミナーやプレ講座をやっていますが、もっと分かりやすい説明ができないかということで、一目で分かりやすい解説パンフレットを作りました。

たまたま本棚の片付けをしていて、「ススメ!脳力開発」という本があったのに気付き、その中から役立ちそうなイラストをお借りすることにしました。著者の清水さん、漫画家の斉藤さん、黙って使いますがご容赦を。

というわけで、写真のようなA4のチラシ「GO!脳力開発!」を作りました。つまるところ、脳力開発は新しい思考・行動の習慣づくりだということです。マイナスの習慣を改め、プラスの習慣を作っていこうということに他なりません。

ではどんな思考・行動習慣をやめ、どんな習慣を作るのか、それを脳力開発講座やセミナーで自己点検、確認してみませんかということです。脳科学的には、いかに海馬や小脳を刺激して自分の脳力を高めていくか、です。

あなたも、3月からの講座にいらっしゃいませんか。

100万の大軍を委ね、軍配をあずけたい

あの秀吉をして、「100万の大軍を委ね、軍配をあずけたい」と言わしめた戦国武将を、ご存じでしょうか。武田信玄? 上杉謙信? 徳川家康? 全てノーです。世に名将とも称えられる武将たちを押しのけて、秀吉に評価された武将のお話です。

Photo 大谷紀之介、その名を知らない方の方が多いでしょうね。関ヶ原の合戦で、東軍に身を投じた武将たちから「石治少、大刑少を滅ぼせ」と槍の目標とされ、東軍の先鋒を何度も押し返し、さらには裏切って西軍に攻め込んだ小早川軍をいったんは押し返した武将、大谷刑部少輔吉継がその人です。

所領は越前の国敦賀5万石、それだけの力量を持ちながら僅かな所領でしたが、これは吉継が業病(ハンセン氏病)に冒されていたからかも知れません。ただ関ヶ原には3千人の戦力を持って参加してますから、秀吉からあずけられた奉行地もあったのでしょう。それを合わせて15万石くらいを領していたと思われます。

石田三成が内務官僚としてその力を発揮したのに対し、吉継は武将としての経歴が主ですが、特筆すべき輝かしい戦歴は特にありません。むしろ、軍団整備や治世面で才を発揮していたようです。また、計数にも長けていたとも伝わっています。

さて、吉継は最初から石田三成に味方しようとしたわけではありません。秀吉の死以前から徳川家康とは親密な関係を築いていて、家康からも大いに信頼されていたようです。その証拠には、吉継が西軍に投じた話を聞いた家康はにわかに信じられず、また大いに動揺したと記してあります。

実際、吉継は上杉討伐軍に加わろうとして居城の敦賀を出立します。琵琶湖の東岸を南下して長浜から関ヶ原を経て垂井に差し掛かりましたが、その時に佐和山城から三成の使者がやって来て、立ち寄るように伝えます。

吉継は、三成の子息(石田重家)も同行させた方がいいと思い立って、佐和山に向かうことを承知しました。これが吉継の運命の分かれ道になりました。実際に、最初は三成の誘いを断り垂井に戻りますが、三度訪問して最終的に西軍参加を承諾しました。

それには理由があるのですが、それはまた次回に。

脳力開発は人間学であり行動科学です(31)

 右に行くのか左に行くのかを決めることを、戦略決定といいます。右に行きながら、同時に左に行くことはできませんから、二つの内どちらか一つをとらなければなりません。すなわち、戦略はあくまで二者択一ということです。「戦略は大胆に」というのは、上の通り二者択Nagaokaeki 一だから、最後には大胆に決めるしかないということなのです。決めるための情報は緻密に集めるなり、現状分析をしっかりやらなければなりませんが、決める時にはためらいなく一方を残し、一方を捨てるのです。

 戦略が決まったら、例えば右に行くと決めたら、ゆっくり歩いて行くのか走って行くのか、あるいは自転車を使っていくのか車を運転していくのか。最寄りの駅までは歩いてそこから電車に乗る、とまぁあらゆる手段・方法が思い浮かびますが、これらは戦術です。戦略は決めること、戦術は戦略を達成するための手段・方法です。ですから戦術は、取り巻く条件によって何を選んでも良いのです。右へ行くということが戦略なら、右へ行ける方法なら何でもいいし、選ぶものですから「選術」とも言われたりします。


しかし、戦略に合わない戦術をとってはいけません。右へ行こうとしているのに、最寄り駅まで行ったらちょうど左へ行く電車がホームに入ってきたからと、それに乗ってしまっては、それは戦術の変更ではなく戦略そのものを変えてしまうことになってしまいます。また、戦術はどれが良い悪いと議論すべきことでもありません。善悪の価値評価の区別は意味をなさないので、良し悪しを討論してもしょうがありません。討論したところで、歩く速さは電車よりは遅いことは変わらないでしょう。それなのに会社の会議などではああでもない、こうでもないの戦術の良し悪し論議が長々とつづくことがあります。

さてと、前年度申告書の作成をやりましょう

今日から2月・如月です。昔の暦でいえば、もうすぐ大晦日すなわち3日が節分で、4日は立春というわけです。まだまだ大寒の名残で寒い日が続くようですが、日の出の時刻が僅かずつ早くなっていくのを感じます。

Img259 さて、2月といえば確定申告の時期で2/16より受付が始まります。もっとも還付申告であれば、それより以前でも受け付けてくれますし、開始日以前でも申告書の提出は可能です。私も毎年、少し早めに青色申告書と同時に確定申告書も税務署に届けています。

来週は1週間遠征ですが、日曜日には戻ってこられますので、受付開始日の前日15日は提出に行けるでしょう。2015年分の事業所決算は完了していて、転記をすればOKですので、今日明日には仕上げておきます。その後に確定申告の記帳です。もし還付申告になっておれば、週末に出してこられますがね。

事業所(ヴァンガード経営研究所)の決算は、新年早々には総勘定元帳を打ち出してチェックを終え、修正も完了しました。B/SとP/Lも、今回は1円の誤差もなく一発でピタリ、気持ちが佳いですね。まさにMGの決算表が、タテヨコともバッチリ合った時の心境です。

ちなみに、私の経理処理は市販のソフトは一切使っておりません。すべてマイツールによる自作管理システムですが、笑っちゃうほどアナログ的な仕組みです。でも高いソフトを使わなくても、必要な帳票やデータはすべて作れます。大事なことは、日々のデータを発生主義でいつもキチンと処理するということ。

これは、どんな時にも基本中の基本です。どんなソフトを使おうが、どんな税理士さんに依頼しようが、仕事の基本動作と言うべきものですね。さてと、申告書の作成にとりかかりますか。

5月頃には新潟市に転居しますので、事業所の移転届けも6月には提出予定。長岡税務署への申告も今年が最後です。

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