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柴田勝家は人の好いおじさんだった

柴田勝家は武功だけの武将であったか、その戦いぶりを見ると決して槍働きだけではなかったことが分かります。籠城戦で、城に蓄えていた最後の水瓶の水を兵たちに好きなだけ呑ませ、残りの瓶をたたき割って「背水の陣」覚悟を決めさせたという「瓶割柴田」の話は、後世の作り話としても、そういう話が生まれるほどの人物だったということでしょう。

だからこそ、信長の妹お市の方が嫁いでいき、そして最期の時を共に迎えたわけでしょう。そういう人情に厚い男臭い武将であったからこそ、信長も一向一揆や上杉に対抗する北陸戦線を任せたのでしょう。

Hukuijou その点は、勝家の与力武将であった前田利家との比較が面白いと思います。加賀前田家はうまく時代を乗り切って、加賀百万石の歴史を築くことになりますが、その利家に対して勝家が劣っていたとはとても思えません。

そればかりか、勝家滅亡の引き金となった賤ヶ岳の合戦は、その敗因を作ったのが利家であることは、ほとんどの歴史家が指摘している通りです。まさに、その瞬間、利家軍は戦線を静かに、しかし突然に離脱し始めたのであり、その結果として柴田軍は一気に潰走し始めたのでした。

それは利家の秀吉に対する友情だと表現されていますが、戦国の世でそんな綺麗事が起こっていたとは思えません。確かに秀吉と利家とは、若い頃から家族ぐるみでのつき合いだったことは事実ですが、だからといって寄親というべき勝家への裏切りは、そこに利得に転んだ感じがいたします。

その利家を勝家は責めることなく、人質であった娘を送り返します。織田信孝から取った人質、すなわち信長の妻と娘を磔にした秀吉とは大きな違いです。

もしかしたら勝家という武将は、ホントに人の好いおじさんだったのかも知れませんね。

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