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『天正十年六月の政変』って何?

「歴史と人間」ひとりごとのカテゴリーでは、前回まで織田信長を取り上げました。その信長を滅ぼしたのが明智光秀、その天下は「三日天下」といわれ、光秀は主君を討った謀反人として白眼視されるに至りました。実際、光秀を「天下人」に加える例はなく、また好き嫌いを問うと圧倒的にキライの声が上がります。

しかし、なぜ光秀が信長を討つに至ったか、その理由については諸説が乱立していて、未だにこれという結論が出されていません。いずれにも一長一短があり、史料による裏付けが乏しいとも言われ、中には荒唐無稽に類するものもあります。

第一に、光秀の出自もハッキリせず謎に包まれています。没年は確かである、とも言えなPhoto いのです。中には、実は光秀は山崎の戦いのあと小栗栖の山中で土民に討たれず、逃れて身を隠し、その後家康の元に表れ「天海和尚」となったいうものまであります。

最近の有力説では、光秀の思いつきとか衝動の故だろうというのですが、それも裏付けは希薄で、いわゆる状況証拠のみで確証はありません。もっとも、私はこれに近いのではと思っていますが。

さて、光秀の反乱は「本能寺の変」というのが教科書にも載っている名称ですが、これには疑問を感じていました。というのも、どうして「変」なのでしょうか。どうも日本史の定義はいささか曖昧で、「変」と「乱」とが入り乱れている感じです。応天門の変、嘉吉の乱、応仁の乱等々、規模が大きいのが乱であれば、1万2千の大軍が都に攻め入ったのはどうなのでしょう。

そこで興味を持った本が「明智光秀の乱」(小林正信著・里文出版)です。このお正月はこの本を読み進めました。そこには「非常に興味のある説が展開されていましたが、それについては、この本をご覧いただきたいと思います。

気付いた事実もありました。室町幕府を滅ぼしたのは信長であるという定説ですが、それは違うのではないかということ。確かに信長は最期の将軍義昭を追放しましたが、義昭はその後も辞任するまで将軍であり続けましたから、実態はないようでも室町幕府は存在していました。

そこに光秀という存在が浮かび上がるというわけです。私の乏しい知識と理解力では、どうもここまでという感じですが、少なくともこれからは「本能寺の変」ではなく、『天正十年六月の政変』と呼ぶことにしましょう。

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コメント

歴史、特に正史は、後の為政者によって正統性を確立するために、書き換えられていることが多いです。
明智光秀の謀反については、その真相が未だに明快になっていません。 豊臣秀吉の正統性は、謀反人明智光秀を討ったことにあります。 その辺りに鍵が隠されているのでは?

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