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佐々木隆さんがMGに込められた思いを感じつつ

先週に引き続いて、西順一郎先生のMGセミナーに参加しています。2週連続でのMG参加は久しぶりですが、地元である柏崎での開催ですので駆けつけています。今回はMG初参加の方3名も含めて3卓18名です。

柏崎MGと言えば、1985年夏の「伝説のMG」が思い出されます。その中心にいたのが、今は亡き佐々木隆さんでした。実は私もまだ当時はMGに出会っておらず、佐々木さんの名前を知ったのは1987年のことです。新潟が80年代後半に「MGの聖地」となったのは、ひとえに佐々木さんのおかげでした。

私はMGに出会った1987年秋に、佐々木さんの盛名を聞いてぜひ会いたいと思い、12月の上旬に電話をかけました。新潟で開催されるMGセミナーの、次年度日程をお尋ねする電話でした。短いやりとりでしたが、可能であればお伺いする電話をかけますと言ったのが、最後になりました。

T_img_1692_2 その12月の21日に、佐々木さんは39才の若い命を終えられました。東京に行かれて、新潟に戻られた矢先に病に倒れての急死でした。その報せを私が聞いたのは、年が改まった翌1月のMGセミナー(姫路)ででした。びっくりしました、そして会えなかったことを非常に残念に思ったものです。

それから1年余後、私自身が新潟の住民になる(出向)ことになるとは、思いも寄りませんでしたが、何か因縁のようなものを強く感じました。また、亡くなられた12月21日は、脳力開発の提唱者である城野宏先生の命日(1985年)でもあり、さらに思いを強くしました。

その後、新潟の清水信博さん(当時点塾社長)が、佐々木隆さんを記念するMGを新潟市で主催され、優勝者持ち回りのクリスタル=写真=が作られました。その後、新潟MGから柏崎MGに引き継がれて現在に至っています。

このクリスタルを観る度に、ついにリアルではお目にかかれなかった佐々木さんに、思いを馳せています。力はとうてい及びませんが、私もまた1人のMGシーガルとして、その目指されていたものを後進の方々に伝えて参ります。

柏崎のMGがこれからも未来に向かって続き、さらに多くの方がここにお訪ねいただくことを願ってやみません。

さて、4期が終わってこれからビジネスパワー分析、そして午後の第5期に続きます。昨年に続いて、クリスタルを抱くことができるようにがんばります。

嵌められたかも知れませんがね

甘利大臣が会見の席上で辞任を明らかにしたことに対し、潔かったとか、さすがに出処進退をわきまえているとか、どちらかというと評価する声が少なくないようです。さらには、実はあの週刊誌(週刊文春)報道は、「嵌められた」ものだとか、中にはTPPで押し切られた某国の陰謀だとかまで囁かれています。

Amari 後者の真偽は、私などには分かりようもないから、あの1時間半の会見・弁明に絞って私見を述べてみることにしましょう。

まず「潔い」ということだが、何を持ってそういう評価が出てくるのか。ぐだぐだ弁解をした挙げ句に「辞めない」ということに、すなわちこれまでの多くの大臣や高官たちがそうであったように、椅子にしがみつかなかったことが潔いということなのでしょうか。

でも私に言わせれば、本当に潔ろしければ疑惑が巻き起こった段階で、あっさりとやめるのだろうし、百歩譲って、会見の冒頭にまず「辞めます」と言うべきではなかったか。それを延々と事実関係(らしきこと)をしゃべりまくったのは、どうなのだろうか。もしや辞める気はないのかと感じさせたところで、どんでん返しを食らわした感じでありますね。

問題にすべきは、大臣室や地元事務所で「あやしい」金を受け取ったということですよ。清廉潔白であれば、その時に、あるいは後日に返すべき性質のもので、政治資金としても受け取るべきではないということでしょう。お金にイロは付いていませんが、明らかに何らかの見返りを期待した金であることは、前後の事実から見て明らかですよ。

それが分からないなどとは、政治家としてそもそも失格ではありませんか。潔し以前の問題だと思うのですが、違いますか。秘書が受け取った金の半分以上を個人的に費消した、だから私の責任は監督責任である、というのもねぇ。だって、昨日今日のことではなくて、何年かの時間を経過しているわけですから、それが分からなかったナンテねぇ。

要するに脇が甘くて、身内にも甘々で、チェックも何もきちんとできていなくてと、いいところなどちっともないではありませんか。それを潔いだなんて、どこからそんな評価が出てくるのでしょう。

もしかしたら「嵌められた」のかも知れませんが、嵌められるような油断があったということにしか思えませんね。はるかに大きな力が働いた、などと安物のサスペンスドラマのシナリオじゃあるまいし。

どうぞ反論がある方はご遠慮なく、コメントして下さい。

脳力開発は人間学であり行動科学です(30)

戦略は大胆に、戦術は細心に
 今日からは戦略と戦術のお話です。我が師・城野宏は、「戦略は大胆に、戦術は細心に」と言われましたが、その話はもう少し後からやりたいと思います。昨今では、女子高生がドラImg_1340 ッカーを語る時代ですので、戦略戦術は日常用語にさえなっています。書店に行きましても、ありとあらゆるジャンルの棚に「戦略」と名の付く本が並んでいたりします。講演を聴きに伺っても、あるいはまた企業の会議などにお邪魔しても、言ってみれば戦略のオンパレードです。それでいて、正しく戦略を理解しているのかと首をかしげることばかりです。

 戦略とか戦術という言葉は元来軍事用語で、かなり古来より用いられていますが、体系的にキチッと定義されたのは、私の考えでは19世紀前半の、カール・フォン・クラウゼヴィッツ(プロイセン)の『戦争論』ではないかと思います。戦略とか戦術という言葉は軍事用語でしたが、日本では戦後になって経営用語として盛んに使われるようになってきました。そんなわけで書店の棚にも「戦略」本が並ぶわけですが、正しい意味で使われているかとなるといささか疑問です。

 さてそれでは、脳力開発的に戦略と戦術を語っていくことにしましょう。玄関から外に出た時に、右に行くか左に行くかを考え込むことはあまりないと思いますが、それは先にどちらに行くかを決めていたからに他なりません。右か左か、行く方向を決めないと体(足)は動きません。左に行くことを決めるから、脳中枢は必要な筋肉に指令して足を動かし、目に指示して左方向の障害物や建物、あるいは信号などを確認して、ぶつからないように安全に体を動かします。つまり、頭を使って行動しているということです。

負けるべくして負けた勝家の賤ヶ岳

前回は、柴田勝家のお人好しぶりを書いてみましたが、しかしまたそれは人情に厚い、武士としての心を持っていた武将だとも言えましょう。そうでなければ、信長も「北陸方面軍」を委ねることはなかったはずですから。

しかし相手が悪かったですね、(羽柴)秀吉では。司馬遼太郎先生も、本能寺の変から清洲会議、そして賤ヶ岳に至る時代の秀吉のことを、「天下第一の悪人」と称しているくらいです。一方でまた、当時最大の幸運をつかむことのできた強運の持ち主とも言えましょう。天下を取るには運も必要なのです。

Photo では、勝家にはチャンスは無かったのでしょうか。万に一つも無かったとは言えません、それどころかお市の方を娶った勝家は信長の義弟でもあるわけですし、勝家が推していた信長の三男・信孝は織田家の跡取りとなった三法師(後の秀信)の後見人ですから。

しかも清洲会議では、三法師を後継者とする秀吉の主張を容れる代わりに、琵琶湖に面した長浜城を手に入れることに成功したのです。長浜からは大津を経て京都にも至近、信孝の居城岐阜にも僅かな距離です。しかも雪深い北ノ庄と違って、長浜なら冬でも豪雪に閉ざされることはありません。

自ら長浜城に入るか、もしくは猛将と言われた甥の佐久間玄蕃盛政を城主にすべきでした。ところが何を思ったか、もう1人の甥である勝豊を長浜に入れたのです。勝豊は勝家の養子ではありましたが、盛政をひいきする勝家に不満をもっていた上に、病弱でした。

秀吉は北ノ庄が雪に閉ざされるやいなや行動を起こし、大軍で長浜を囲みます。そして病故に気弱になっていた勝豊を甘い言葉で調略します。「人たらし」とも呼ばれた秀吉の、面目躍如といったところでしょうか。あっという間に、長浜城は秀吉の手に戻っていまいます。

こうなっては岐阜城の命運は尽きたと言えましょう。勝家の支援のない、また背後には信孝とは仲の悪かった兄信雄がいたわけですから。こうして岐阜城は陥落、信孝は人質を出して降伏します。しかし、春を待たずに勝家は出兵、こうして賤ヶ岳の戦いが起こるのです。

見事に「大悪人」秀吉が勝利しますが、勝機に勝つ手を打てなかった勝家のミスでした。

脳力開発は人間学であり行動科学です(29)

 問題解決の第一は、現状をしっかり把握することです。これをいい加減にしてしまうと、その先のプロセスが粗くなってしまうのです。粗いままで次の原因追求プロセスに入ってしまうと、真因まで到達しないまま対策に入るという過誤につながります。その現状把握は、確定Photo 要素の積み上げがキーポイントです。確定要素とは確定的事実、あるいは確定的可能性や確定的法則と言われるものです。中でも確定的事実(具体的事実)をキチンと網羅して集められるかが大切です。

 反対の不確定要素(確定的でない要素)とは、憶測、印象、仮定、思い込み、空想、評価と言ったことなどです。こういった不確定要素はまずはずさなければなりません。逆に振り回されてしまうと、正しい判断や意思決定ができないことになってしまうのです。確定要素の積み上げによる現状把握ができれば、次のステップは原因分析です。以前にも述べましたように、原因(内因・真因)と条件(外因・副因)とをキチンと区別することが大切です。しっかりと原因を明らかにすることで、戦略と戦術が明確にできます。

 マイナスの原因を潰すこと、あるいはプラスの原因をさらに伸ばしていくこと。そこから戦略(目標)を明示し、その達成のための手段・方法を組み立てていくことで、問題解決につながっていきます。解決を急いではいけません、地道に段階を踏むことがポイントです。現状把握原因分析戦略設定戦術組立実行。この一連のプロセスは、よくいわれるPDCAとは少し違いますが、共通項も多々見られます。繰り返しになりますが、重要なことは対策を急がぬことです。急いては事をし損じるのです。

今日も渋滞と運転遅延が続いています

いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます。今回の大寒波、世界的なもので北極に溜まった寒気団が一気に破裂したかのように、押し寄せたのだそうです。皆さまのところではいかがでしたでしょうか。

雪国長岡も、今回の大雪には大混乱です。先週半ばまでは暖冬のせいか雪なしの状態、土曜日に少し積もり、そして日曜日から一晩で市街地で60cm以上、郊外では1m近い降雪があったとか。普段雪の多い旧山古志村や旧川口町よりも、旧長岡市内や旧中之島町、旧三島町辺りの方がたくさん降ったようです。

Img_1673 JRは強風も相まって在来線がダウン、降雪が急だったので除雪が全く間に合わず、結局日曜日の夜から昨日一杯全面運休でした。高速道路も通行止めになり、国道に回った車が数珠つなぎに。しかも除雪が追いつかない道路は車線が狭まり、轍(わだち)もできたようです。

しかも国道を通れない大型トラックが国道に集中、雪道に不慣れな運転手も少なくなかったようで、轍にタイヤをとられたりスリップして横向きになったりして、大渋滞が起こってしまったということです。(以上は今朝のモーニングセミナーにお招きした森長岡市長=写真=からの情報です)

今朝は高速道も開通していくらかマシになるのでしょうが、除雪とくにロータリー除雪が不充分で片側2車線が1車線になったままも多く、渋滞が解消していません。そのため、一部区間の高速料金を無料にして通行の分散を図っているようです。

JR在来線も運転はしているものの、大幅な遅れが続出しています。除雪が全く追いつかなかった感じです。しかも以前は除雪列車でしたし、追い抜き駅も少なくなかったので他の列車の合間を縫っての除雪でしたが、今は除雪車両が機械扱いで「線路閉鎖」が起こり、駅の待避線廃止で運転支障が余り解消できない。

まぁ、一時に大量の降雪があったためだと言えばそれまでですが、結局合理化の名の下に危機管理態勢の基礎部分が充実していなかったということなのでしょう。このあとは気温も上がり、融雪も進めば支障も解消されていくのでしょう。

来月からは暖冬に戻るようですが、自然のことは分かりません。いつ何時、今回と同じような状況になるかも知れません。危機管理態勢がそのままなら、同じことが繰り返されないか、心配ですねぇ。

脳力開発のおかげで的確な判断と行動

大雪警報は解除された長岡ですが、一夜にして1メートル近い降雪(郊外では1m以上)があったようで、新幹線を除く鉄道は全て運休、高速道路も周辺は全て不通、そして主要国道や市街地の道路も大渋滞が続いています。さすがの雪国も、数日前までの積雪ゼロ状態に油断があったのでしょうか。

土日は大阪でMGセミナーを受講、その後打ち上げ会に出て夜行バスでゆっくり長岡に戻る予定を立てていましたが、研修終了間際にバス会社から電話。今夜のバスは運休だと告げられました。もう1泊して、翌日変えるという選択肢もありましたが、時間的にその日の内には帰り着けそうです。

打ち上げ会は断念して、大阪駅で確認すると山陽新幹線からの「のぞみ」は遅れているが、新大阪始発であれば時間通りに出発とのこと。東海道新幹線は遅れていないということなので、即座に意思決定。3両しかない自由席は混みそうでしたので、指定席を選択するとまだ少し残席がありました。

弁当を買い、缶ハイボールで独り乾杯。夜の闇の帰り道でしたが、東京での乗り継ぎもスムースで、最終一本前の「とき」に間に合いました。途中在来線の接続待ちで、長岡には10分近く遅れましたが無事到着しました。雪は間断なく降っているようで、屋根のない歩道にはかなりの積雪が。通常家まで5分ですが、10分かかってズボンの裾もビショビショ。

Img230 さて、今朝は運休になったバスの運賃払い戻し。写真の電話番号にダイヤル、すると自動応対で説明通りに「運休」の際の対応を選んでいくと、結局ホームページにアクセスして入力してくれとのこと。それなら、昨日の電話の時にそういってくれれば。

そしてホームページの画面からまずはキャンセル処理、バス会社の都合で運休しているんだからすぐに返金処理まで進めるかと思ったら、そうではないんです。入力して確認メールを受け取って、そこからキャンセル画面へ。またもや確認メールを受け取って、さらに返金処理画面に。

何とか最後までたどり着けましたが途中の説明も長たらしく分かりにくく、PCに不慣れな人はとてもダメですね。もちろんその場合は電話でも受け付けるそうですが、その電話は自動応対番号のところから進めていけるのか疑問。

まぁ、私は何とか昨日の内に無事に帰ることもできましたが、これも普段MGや脳力開発を通じて思考・行動を鍛えられているおかげでしょうね。まさに昨日の夕方からは、脳力開発実践の感覚でした。

柴田勝家は人の好いおじさんだった

柴田勝家は武功だけの武将であったか、その戦いぶりを見ると決して槍働きだけではなかったことが分かります。籠城戦で、城に蓄えていた最後の水瓶の水を兵たちに好きなだけ呑ませ、残りの瓶をたたき割って「背水の陣」覚悟を決めさせたという「瓶割柴田」の話は、後世の作り話としても、そういう話が生まれるほどの人物だったということでしょう。

だからこそ、信長の妹お市の方が嫁いでいき、そして最期の時を共に迎えたわけでしょう。そういう人情に厚い男臭い武将であったからこそ、信長も一向一揆や上杉に対抗する北陸戦線を任せたのでしょう。

Hukuijou その点は、勝家の与力武将であった前田利家との比較が面白いと思います。加賀前田家はうまく時代を乗り切って、加賀百万石の歴史を築くことになりますが、その利家に対して勝家が劣っていたとはとても思えません。

そればかりか、勝家滅亡の引き金となった賤ヶ岳の合戦は、その敗因を作ったのが利家であることは、ほとんどの歴史家が指摘している通りです。まさに、その瞬間、利家軍は戦線を静かに、しかし突然に離脱し始めたのであり、その結果として柴田軍は一気に潰走し始めたのでした。

それは利家の秀吉に対する友情だと表現されていますが、戦国の世でそんな綺麗事が起こっていたとは思えません。確かに秀吉と利家とは、若い頃から家族ぐるみでのつき合いだったことは事実ですが、だからといって寄親というべき勝家への裏切りは、そこに利得に転んだ感じがいたします。

その利家を勝家は責めることなく、人質であった娘を送り返します。織田信孝から取った人質、すなわち信長の妻と娘を磔にした秀吉とは大きな違いです。

もしかしたら勝家という武将は、ホントに人の好いおじさんだったのかも知れませんね。

復活!なにわシーガルMG

私が西研のMGに参加した最初は1987年の9月、それから早いもので28年以上が経過しました。当時は岡山に会社がありましたので、神戸で開催されていたセミナーへの参加が主でしたが、しばらくして関西での開催がほとんどなくなった時期がしばらく続きました。

Img_1663 その中で関西にゆかりを持つMG仲間と「復活したいね」との呑み話から、地元のシーガルたちにも呼びかけ、2007年の暮れに西順一郎先生を迎えての「なにわMG」が復活しました。それから6年余、毎年2回の開催が続いたところで区切りを付けることにしました。

その間にMGを学ぶ人たちが増え、セミナー開催も毎月のようにどこかでなされるという状況になり、火付け役としての役割は果たしたということでした。実際、西先生をお呼びするMGだけでも、関西では10指に余るくらいになっています。

しかし、やはり大阪で開催する伝統を守りたいというMG仲間(シーガル)たちの熱い思いがあり、かつての幹事の中の若手グループに、あらたな幹事団が加わって今回の「復活!」となった次第です。スタートにふさわしく、関西だけでなく北は秋田から、南は熊本、長崎まで、また四国からの仲間が駆けつけてくれました。

私も、縁が深いわけですので顔を出さないわけにはいきません。いつの間にやら、参加者の中では秋田の千葉さんに次いで年長者になってしまいましたが、参加されている皆さんの熱気や思いを受けて、さらにステップアップを目指します。

ありがたいことに、この記念大会の第2期で『MG1200期』に到達しました。まだまだ命ある限り学び続けますから、これも一つの途中点ではありますが。きっと明日の帰り道には、今日明日で学んだことや気付いたことに心弾んでいることでしょう。

さて、では第3期に臨みましょうか。

脳力開発は人間学であり行動科学です(28)

 条件は変えられないというのは基本原則です。例えば天候のこととか経済状況とか、自分の力ではどうにもなりません。しかし、何かを加えたり減らしたり、あるいは組み合わせを変えてみることなどで対応ができるかも知れません。そういう戦術は無数にあります。組み合わせなどはPhoto 星の数ほどあると言って佳いのです。頭が変革の方向に動き出すと、そういったものがどんどんと見えてきて、「やれ」という行動指令が次々に発せられるはずです。

 条件は変わらない、どうしようもないということにかこつけて不変革の姿勢をとってしまわずに、自ら変革の方向に切り替えさえすれば、頭(脳細胞)は変革のために無限の働きをするようになります。脳力開発とは、この方向転換をすることです。さて、問題が一つもないという家庭や企業はおそらく皆無でしょう。問題解決すべき課題は、日常的に発生しているわけですが、皆さんはどのように対処されているでしょうか。何もしないということは論外としても、どうしようかと考え実行することでしょう。

 しかし、それで問題は解決したのでしょうか。確かに目先の解決にはなりましたし、特にクレームなどの場合はまず相手に謝り、さらに直接的な対応が不可欠です。でもそれが終わってホッとしているだけでは、また同じようなことが起きてしまうかも知れません。つまり根本的な問題解決をやらなければなりません。その際に大事なことは今現在起こっていることを正確に把握し、その原因をしっかり追求することです。それをやらずに、いきなり対策をひねり出すことを始める向きが多いのですが、それは愚策だと言えます。

柴田勝家は不器用な人生だった

今日は二十四節気の一つ「大寒」、一年で最も寒く雪の多い時期ですが、今年はどうしたのでしょうか。年々雪の降り方は少なくなっていると、地元の方などは言われますが、確かに昔の記録を見ると大雪の確率も高かったようです。

Photo 越の国は北から越後、越中、越前(加賀を含む)と続きますが、古来冬場は雪に閉ざされる地域でした。京都に近い越前は、中世以降近世には歴史上も重要地域となり、発展してきました。戦国時代には朝倉氏が守護代として一乗谷を発展させ、信長が進出してからは柴田勝家が北之庄(福井市)に城を築きました。

その柴田勝家、信長の武将としては最も古くナンバーワンの地位にありましたが、秀吉や光秀に比べるとやや影が薄い存在かも知れません。最後まで織田家に尽くしきり、誠実そのものであった勝家ですが、「勝ち組」の秀吉に対して「負け組」になってしまったことが、その存在を小さくさせているのかも知れません。

その勝家、実は生年がよく分かりません。大永二年(1522年)生まれというのが定説になっていますが、他にも数説あるようです。死んだ(自害)のは明確で、天正十一年(1583年)の4月24日です。ですから60歳前後であったと推察されますが、北之庄城に爆薬を仕掛け火をかけましたので、遺骸も灰になりました。

最期の時の正妻は、信長の妹であるお市の方でしたが、その以前に妻がいたのかどうかも定かではありません。実子はなく養子が2人いたようです。勝豊と勝政と伝えられていますが、2人とも勝家の姉の子であったようです。

その勝家ですが、最初は信長に敵対していました。信長の実弟である勘十郎信勝(信行ともいう)に家老として仕え、織田家の跡取りとして信勝を推す立場であったわけです。実際に信長と戦いますが、その将器を見抜き信勝を見限って信長に走ります。

それから死ぬまで「織田家一筋」に生きた人生でした。歴史上はそんな役割や評価をおわされた、悲運の武将と言えるのではないでしょうか。あるいは、不器用な人生だったのかもしれませんね。

長岡には雪がホントにないんですよ

この冬一番の寒気と強い西高東低の気圧配置、北海道や東北北部では暴風雪が荒れまくっているとのこと。しかもいつもの年とは違って湿った雪が降り積もっているので、勝手が違うのだとか。同じ雪国の人間として、心よりお見舞い申し上げます。

Img_1634 ところで、その雪国・越後長岡は写真(午前10時)のように雪がほとんどありません。観測地点の積雪もホンの僅かで、ほとんどゼロcmです。さすがに山沿いの方は降っていますが、街中に積もっていない1月は25年間の長岡生活で初めてです。

昨日はJRの在来線、特に信越本線は特急列車が全便運休、普通や快速も一部運休や区間運休だったりしましたが、これは雪ではなく強風の影響。信越線の柏崎(鯨波)と柿崎間は海岸スレスレを走りますので、風の影響をもろに受けます。観測計の風速が25mを越えると運転が見合わせになる規則があるので、私も何度かそれに出くわしました。

積雪で列車が遅れたりするのは滅多にありません。余程どか雪だったり、短時間で降り積もったとか、吹雪で視界が閉ざされたとかいう場合くらいです。雪国ですから、ポイントなどの融雪設備も完備されていますし、車両自体も耐寒耐雪仕様です。上越新幹線の線路には、信濃川などの水を温めてスプリンクラーで「湯撒き」しています。

それだから今日も東海道新幹線が「雪で遅れている」のは、だらしないなぁと思ってしまいます。何しろ50年前の建設ですから、そういう設備も後付けで不充分なのでしょうし、そもそも雪の多い関ヶ原から米原を通したというのが間違いの元ですね。

首都圏の鉄道の「ていたらく」も、どうにかならないのという感じですが、安全運転という面では致し方ないのでしょうね。年に数回もないリスクに、大きな設備投資はできないでしょうし。でも、架線凍結の解氷には、ダミーパンタを取り付けた「露払い電車」が有効なのは雪国では常識。そういう車両の用意なら、できると思いますが。

さて、そういうわけで雪のない長岡、生活するにはありがたいですが、「雪がなくていい冬ですね」とはなかなか言えません。やっぱり、雪に関わる仕事をされている方も少なくありませんから。雪グッズの売れ行きも悪いようですし。

相手のお顔を見ながら、言葉を選ばないと・・・です。

脳力開発は人間学であり行動科学です(27)

 条件の変化は、自分の方から働きかけて行動していかなければ生まれません。条件の方で変化してくれるのを待つのではなく、こちらから行動によって条件そのものを変えていくのです。お金ができるのを待っているのではなく、方法を駆使してお金をつくって設備を整えるのです。原因はあくまで自分自身の中にあるのであり、行動(行動しないことや間違ったPhoto 行動をとっていること)そのものにあると知って、能動的に行動を変えていくのです。脳細胞を、変革の方向に持っていくように意志決定を行う、どちらの方向を選ぶのかが先決です。

 そういったことをやらないで、いつまでも条件のせいに、つまりお金がないことや、だから設備を新しくできないことを原因に持ってくることは間違いであり、脳細胞をいつまでも変革の方向にもっていけないのは自分自身のせいなのです。繰り返しになりますが、その結果が生まれた原因は常に自分自身の中にあること、これを忘れてはなりません。自分の脳細胞が変革、不変革のどちらの方向で指令を出したのか、その判断や意志決定を行ったのはあくまで自分自身です。

 設備が古くなって目新しい商品の開発が難しい、有能な人材を確保できない上に現在の社員たちの能力が低くてどうしようもない、こんな悩みを吐露される経営者も少なくありません。ちょっと待って下さい、それは社長のあなたが「手を打っていない」からでは?設備や人材づくりが変革や発展の要件であるのなら、そちらの方に経営の舵を切るように意識をして、やれることがないかをピックアップし、まずやれるところから手をつけていくべきでしょう。お金が必要なら現状で増やせるのか、それとも銀行に掛け合うのか、少ない資金でもできることはないかなどを考え、実行してみることです。

大変化の時代を生き抜く為に脳力開発を。

暖冬の年には東京や関東方面で大雪が降る、というデータもあるようです。今朝がまさにそんな天候だったようで、都心でも6cmの積雪だったとか。雪国住まいの私たちには「なんでこんなくらいの雪で」でしょうが、冬タイヤを履いている車はわずかでしょうし、防水で滑らない靴も余りお持ちでないですからね。

もっともそんな中ですが、雪国の長岡は今日も雨で街中は積雪ゼロ状態、私の記憶にもこ201603_2 んな年はありません。今夜辺りからこの冬最大の寒波がやって来て、明日からはしばらく雪が降り続く予報です。

天候不順とは相関関係はないのでしょうが、経済状況も悪天候の真っ只中ですね。世界同時株安に歩調が合うような東証株式の続落、円高、そして原油先物価格の暴落など。原油安で打撃を受けたオイルマネーが、日本の市場から撤退という情報もあるようですが、私は専門家ではないので真偽のほどはわかりません。

原油安でガソリンは下がっていますが、素材原料のナフサはどうなのでしょう。あるいはエチレンの価格はそれほどには下がっていないとも。円安は輸出産業には、余り好ましいとは言えませんし。何にしても、世界の状況変化が私たちの日常はもちろん、企業活動に影響を与えることを常に意識しないといけない時代です。

さて、そんな波瀾の幕開けが展開する2016年は、これからどうなっていくのでしょうか。よく言われる「丙申の年は大変化(革命)が起こる」が、ホントになりそうな予感も。変化に対応していくとしたら、人も企業も変わっていかなくてはならない、顧問先へのレポートでもそのことを強調しました。

いわく、固定概念を捨てよ。あなた(の会社)をがんじがらめにしている、固定概念や思い込みといった鎖を、思いきって解き放ってみませんか。そのためにも、3月から始まる「未来に舵切る脳力開発講座」でガッチリ学んでいきましょう。

東京と神戸とで開講します。月半ばの火曜日(東京講座)と木曜日(神戸講座)、定員は少数10名くらい、じっくり学びを深めていただけますよ。(写真は神戸講座案内です)

もし光秀に歴史のイフがあったならば

光秀が本能寺に信長を襲い、さらに二条城の信忠(信長の長男)を屠ったのが6月2日。そして山崎合戦で秀吉に敗れ、小栗栖で土民に襲撃されて落命したと伝えられるのが13日です。その間が11ないし12日。世に「三日天下」と呼ばれますが、10日余の天下であったと言えるわけです。

その間に光秀はそれなりの手を打っています。朝廷への働きかけや寄進はもちろん、居城である坂本城周辺の統御、信長の拠点だった安土城の接収、そして見方になりそうな武将たちへの書状発送など、短い時間の中で打つ手はしっかり打っています。

Aketimituhide そして朝廷や公家との関係確立、京都市中の治安などには成果を上げています。また、信長とは対立関係にあると思われる宗教機関とも、少なくとも悪い関係にはなっていません。武将たちへの働きかけは、まだ様子見ということもあったでしょうが、時間が解決してくれる可能性はありました。

当時はまだ戦国の名残、江戸時代に入ってからのように「主君に忠誠」という道徳は、まだ確立されてはいません。もしそうであれば、織田の天下を奪った秀吉こそ非難されるべきでしょう。秀吉は、信長の愛妾(信孝の母)を磔にしています。自ら手を下したわけではなくても、信孝を謀殺し、信雄を追放しています。

本能寺の乱の頃、京都周辺には光秀軍以外、大軍はありません。四国へ渡る信孝と丹羽長秀軍は兵の集結前に、その多くが逃散してしまっていました。つまり、光秀は絶好チャンスをものにしており、光秀と親しかった武将たちもその気になれば、味方になる可能性が高かったはずです。

しかし、意外性を持った男が立ちはだかり、この有利な条件を一気に覆してしまいました。それが秀吉であり、「中国大返し」と言われる京都へのリターンは、世の常識をはるかに超えるものだったといえるわけです。

もし秀吉が大返しできず、光秀に多くの時間が与えられていたら。歴史にイフはありませんが、その後の歴史書の内容は大きく変わっていたかもしれませんね。

雷鳥の英名はサンダーバードではない

今年最初の遠征は9日から出発して今日が8日目、最終日は大阪から北陸路を新潟への戻り道です。雪景色を期待していたのですが、琵琶湖の北から敦賀、北陸トンネルを抜けて今庄辺りが少し雪の他は、福井も金沢も、そして富山にも雪がありません。ちょっと拍子抜け。

どんよりした雲は確かに雪雲なのですが、時雨模様といったところです。これから先、新潟県境を越える頃からはどうなのか分かりませんが、雪を期待してこられた観光客は少々ガッカリでしょうね。来週半ば頃からは、今年最大級の寒波が来るそうですが。

もっとも、そんな天候のおかげで、私の方は運休や遅れもなしに長岡に戻れそうです。長Img_1627 岡に住み始めてもう25回目の冬ですが、1月の北陸路を走ってほとんど雪を見ないというのは初めてのことです。日本の天気だけかというと、どうも他の国でも気象異変があるようで、どうも地球規模の異常だそうです。

さて今日の乗り鉄は、いつもと同じように「サンダーバード」から「はくたか」、そして「しらゆき」です。今日の「サンダーバード」は、停車駅が新大阪、京都、福井だけという、言うなれば「スーパーサンダーバード」というべき列車。正月も過ぎたせいか、自由席は割合すいていました。それにしても車販がないのは不便ですね。そう言えば、まだリニューアル編成にはお目にかかっていません。

「はくたか」も、すぐ直前に臨時の「かがやき」が運転されているせいか、ガラガラです。電源が装備されていますので、スマホにもたっぷり充電。車内ではポケットWifiを使っていますが、長いトンネルだと途中切れてしまうのが難点です。まぁ、100点満点の装備サービスは余り期待できないのかな。

車窓の立山連峰の中腹はまだら模様、山の稜線は雲に隠れていますが、さすがに雪で覆われているのでしょう。ちなみに立山名物は雷鳥ですが、英名は「サンダーバード」ではありません。あくまでこれは和製英語、本名は「Lagopus mutaだそうで、キジの仲間なんだとか。さて、上越妙高まではゆっくり読書といきますか。

脳力開発は人間学であり行動科学です(26)

 相手がけしからぬことを言ったから殴る、という行為は必然ではありません。スイッチを押すと電灯が付くというように必ずそうなるというものではありません。殴るという行動の他にも、いろんな反応・対応が想定をされます。ある人は相手に対して言葉で反論するかも知れませんし、またある人は全く知らん顔をしてプイと横を向くでしょう。私ならニコニコして聞き流Photo すだけかも。とにかく本人次第で、というか本人の脳思考や脳指令によって千差万別の対応になることは間違いありません。

 また、同じことをされても相手によって対応が変わることもあります。Aという男は普段から気にくわなかったから、殴ってしまうということもありますし、Bという男だったらちょっと柄が大きくて強そうだから黙っておこうとか、戦術の選択が違ってきます。前にも書いたように、同じ言葉に対しての反応は千差万別です。ですから、相手(他人)の言葉は条件であって、原因ではないことになります。その言葉とそれに対するある動作とを結びつけたのは、当人の意識あるいは意志や見解だといえます。

 企業でも、お金がないから設備投資ができない、設備が古いままなので新商品の開発ができない、だから業績を向上できないと三段論法で述べる方がおられます。開発という結果は、お金があって設備が充実しないと生まれてこないというのでしょうか。しかし、お金が自然に湧いてくるわけではありません。自分が動かず、ただお金が湧いてくれるのを待っていても、「二階からの目薬」が目に届くはずがありません。言い換えると、条件の方が変わることを待っていても何も起こらない、ただ流されるだけだということです。

数字の中身が分かっていない単細胞の首相

寒い日が続いていますね。北国ではようやく本格的な雪になっているようで、私の地元長岡でもやっと冬の街らしくなってきたとのことです。何しろ雪が降る前から遠征に出ていますので、伝聞情報なんですが。

さて本日の「怒ってます」の対象はアベです。「パートの給料25万円」についてはアレコレ弁明しているようで、前後のいきさつがよく分からないので、それは置いておくとして、実は有効求人倍率についての発言です。

Photo 党の行事か何かの席で発言したそうなのですが、地方の有効求人倍率が確実に上がっていて、例に挙げた高知県では1倍を超えたと絶賛したしたのだとか。1倍を超えたというので役所がお祝いをしたとかしないとか、こちらの真偽のほどは分かりませんが。

私の地元でも確かに倍率は上がってきていて、一時期の求人数が少なくて、ハローワークに求職者が溢れて駐車場は満杯という状況ではなくなっているようです。新規求人も着実に増えているということです。

しかし、有効求人倍率というのは求人数(継続求人数+新規求人数)を分子にして、それを登録求職者数で割った値です。単なる割り算の答、しかも求職者数が、多くの地方では減少しているという事実があります。極端な話、求人数が前月と一緒でも、求職者が減ったら倍率は上がるわけです。

では求職者はどこへ、、、都会へ流れていっているかも。しかも、しかも、求人の全部が正社員(募集)なのでしょうか。かなりの非正規社員募集も混ざっているとの情報も。

こんな数字に喜んでいるアベ、単細胞なんだねぇ。

MG未体験者でもCFMGやれますよ

日曜日の顧問先社内研修MGに続いて、今週はキャッシュフロー(CF)MGセミナーです。川崎市溝口のLR小川会計さん主催のセミナー、年1回の1月研修はキャッシュフローを開催していただけることになりました。

Img_1607 今回の参加者は20名(4卓)、社外からの参加は7名で遠くからも来られています。またLR小川会計さんのグループからは、社長をはじめ13名が参加されています。20名の中でCFMGの体験者は3名だけ、しかも今回がMGそのものへの参加が初めての方が数名いらっしゃいます。

「最初からCFMGは難しい」と思われるかも知れませんが、実は未体験であればMGをやるのもCFMGをやるのも同じ土台です。ルールが複雑だってことは、最初から比較対象のない初めての人には、どうでもよいことなのですね。

そんなわけで、ただ今第2期のゲームが終わって決算中。いくらか戸惑いは隠せませんが、進行ペースはまずますで、予定通りの時間には終わって交流会(3.5期)に向かうことができるでしょう。

東京でのCFMGは今回の後は、まだスケジュールが立っていませんが、年内にあと2回ないし3回はやります。数人の方に声をかけていますが、もし共催あるいは主催していただける方がいらっしゃいましたら、ぜひよろしくお願いいたします。

また、何度かCFMGを体験していただいたあとで、自らインストされるCFMGも大歓迎です。資料などはどんどん提供させていただきます。

さぁ、少しペースを上げるようにハッパをかけましょうか。

脳力開発は人間学であり行動科学です(25)

条件を原因と勘違いするところから起こる
 脳指令の向け方、方向性の違いであることを心得ておかないと、一つの結果の真の原因(真因)をつかめなくなり、条件(副因・外因)を原因だと思い違いをしてしまいがちです。思い込ん201302 でしまうと、いつまでも原因がつかめません。原因がつかめなければ、問題はいつまでも解決されません。解決されませんので、次の展開すなわち発展など望むべくもありません。いつまでも、ただ世の中の流れに流されるだけの人生を送ってしまうことになるでしょう。

 そうなると言い訳ばかりが先に立ちます。その言い訳も、自分が悪いのではなく、相手や周りの人あるいは世の中が悪いのだといった、他人任せ、脳力開発的にいえば「人頼り」の姿勢が習い性になります。腹立ち紛れに人を殴っておいて、それは相手がけしからぬことを言ったからだとか、弁明にならないようなことを言う人がいます。会社の中で自分の企画案が通らないのは、部長の理解がないからだとか、課長の頭が悪いからだとか言い出す始末です。

 会社の業績が悪いのは、世の中が不景気で、消費者の購買意識が低くなっているからだと強弁してみたり、暖冬だから防寒コートが売れないのだとか。とにかくうまくいかない原因はみんな自分にはなくて、他人であり世の中であるというのです。これらはみな、条件を原因と勘違いするところから起こっているのですが、世間一般にはその通りに通用してしまうようです。では条件が自分の思うように揃っていたら良い結果が生まれるかというと、そうとも言い切れません。そこが面白いところなのです。

東西線に乗ってきました

T_img_1600 東西線と言っても、東京を東西に走る、東京メトロ東西線のことではありません。杜の都、仙台市を東西に走る地下鉄です。昨年の12月に開通したところで、まだまっさらという感じなのですが、小型車両4連のリニア誘導モータのミニ地下鉄。

JR仙台駅の少し西側にある地下鉄仙台駅で、既存の南北線と立体交差しています。今日は時間の関係で、西の終点である八木山動物公園までの往復でした。この八木山動物公園駅はかなり標高の高いところにあり、また途中では2カ所川を越えるので「明かり区間」もあります。

ですから、地下ばかりで退屈するということもなく、乗り鉄旅を楽しみました。ただ、仙台駅ホームまでは、とくにJR仙台駅からは距離もあり、深い位置にあるらしくけっこうアプローチが長いなと感じさせられました。

とくにいったん南北線ホームに降り、そこからいったん上がってまた降りるの繰り返しで、よそから来ると分かりにくさもありますね。もちろんエスカレータやエレベータは完備していますが、重い荷物を持っての移動はちょっぴり面倒でした。

そんなわけで、少しだけ未乗区間が減りました。

光秀の本能寺急襲は「思いつき」だったのか

明智光秀の続きです。本能寺の乱が起こったのは天正10年6月2日未明、なお当時の本能寺は現在地よりもずっと南にあり、その規模もはるかに大きなものでした。

毛利と対峙している秀吉(当時は羽柴)の支援のため、あるいは西下していく信長の露払いの役目も担っていたのでしょうか、光秀は13000人の軍を率いて居城であった丹波亀山城=亀岡市=を出立します。この時点ですでに謀反を起こすつもりであったのかどうか、それこそ光秀自身に問うてみなければ分かりませんが、おそらくすでに何らかの決心をしていたと考えるべきでしょう。

Photo その光秀の立場が、どういうものであったかが論議の分かれ目となるわけですが、信長の家来でありつつも室町将軍家の家人であったことも事実で、かなり微妙な状況にあったと思われます。一節には後者の位置づけの方が大きく、その意味では信長とも同格であったとする考え方もあるようです。

いずれにしても、光秀軍は西国街道への道をそれて老いの坂に向かうことになりますが、この時点では当然に彼の心は決断し、斎藤利三以下重臣も決意のほどを知っていたと考えるべきでしょう。そして未明に桂川の西岸に達し、そこから川を渡って全軍が洛中の本能寺を目指して急襲します。

信長の長男信忠は、信長とは別に妙覚寺に2千足らずの軍を率いて宿泊していたわけですが、光秀はこれに対しての急襲軍、すなわち別働隊を送っていません。そのことから用意周到ではなかった、思いつきでの進軍だったと言われるのですが、おそらく信長を討ち果たせば信忠軍は問題ないと判断していたのでしょう。

実際、信長を滅ぼして後に、二条城に立て籠もった信忠軍を襲うのですが、これも難なく滅ぼしています。ここで問題なのは信忠が、時間的な余裕を持ちながらなぜ京から逃げなかったのかということです。信忠が無事であったなら、山崎の戦いはまた違う意味を持っていたかも知れず、軽挙であったという見方もできます。

いずれにしても、本能寺急襲は成功します。あとはまた次回に。

MGの「どこの誰、なぜ来たか」はなぜ意味があるのか

今朝の青森県八戸市は、前夜降った雪で真っ白の街に変わりました。気温も零度くらい、しばれる寒さですが、幸いに風が強くなくてホッとします。そんな中で、夕方まで顧問先である株式会社岩岡さんの社員研修MGをやっています。

本日は社長以下16名の方が、休日を返上して参加されています。今日は冒頭で、「会社が大事にすべき5人(その幸福)」の話(坂本光司先生より)をさせていただきました。その①が社員とその家族、②が仕入先・協力先とその家族、③がお客様、④が地域(社会)で⑤が株主です。

Img_1594 そのためには会社を永続することが大事で、永続するためには利益が不可欠、その利益を生むのはみんなの努力によるということ、一人一人が役割をしっかり果たすために不断に向上していきましょう。そのために会社は、どんな状況でも人財投資をするのだということをお話ししました。

社内研修では、これはもちろんMGに限ったことではありませんが、なぜやるのかということが社員の全員にキチンと浸透していることが大事なことです。MGでは初日の昼に必ず自己紹介の時間があり、「どこの誰、なぜ来たか」をスピーチします。なぜ来たかでは、会社の命令とか社長の命令、あるいは業務命令と言ってはいけないことになっています。

なぜでしょうか。脳力開発でも指針の一にありますが、自分で主体性をもって取り組むことが大事だからです。形の上では確かに業務命令ではあっても、どういう意識をもって研修に参加しているのか、自分自身で決意し確認することなのです。

今日の参加者の方の多くは何度かMGを体験されています。ですが、研修に臨む姿勢は各人で千差万別だと思います。温度差のあることは致し方のないことで、一社員としての経験の長かった私には、その気持ちも佳く分かります。会社のための研修と受け止めてしまうとそうなります、ましてやせっかくの休みなのにと言いたい気持ちにも。

ですが本当は自分自身の為の研修なのです、そのことに気付いて欲しいのです。自分が向上して役割を果たすレベルが上がれば、さらに自ら新しい仕事を創って成果を出していけば、最初に言った「社員とその家族」の幸福が加速度的に実現していくのです。

では午後からも氣愛を入れていきます。

今年最初の乗り鉄旅です

今日から今年最初の遠征旅が始まり、まずは長岡から南下して大宮で乗り換え、今度は北上して八戸に向かっています。天候の変化が愉しいですね、雪の越後を抜けると関東Img_1588 平野は抜けるような青空、そして東北路に入るやや曇り空に変わって所々雪化粧です。もう少しで盛岡ですが、山並みは白く輝いています。(写真は北上付近かな)

東西にも南北にも長い日本列島、ゆっくり車窓を楽しみながらののんびり旅もいいですし、こうやって移動の旅でも色んな変化を堪能できるのが嬉しいところです。東北路は久しぶりにグリーン車の旅です。えきねっと割引だと、通常の普通車指定をとるよりお得な場合もあるので、たまにはプチ贅沢です。

もちろんコンセントも各座席に着いていますから、心配もありません。残念ながら上越新幹線はまだコンセントなしの車両ばかりで、まぁ2時間以内の移動であればPCもバッテリーで何とかカバーできますが、そろそろコンセント付き車両の登場が待たれます。

Wifiサービスは、東海道新幹線の東京-新大阪間のみが実施されていますが、海外からの観光客も増えている今、だんだん必須条件になるでしょう。都市部の地下鉄ではフリーWifiが整備されてきていますので、これからに期待しています。

私の場合はポケットWifiをいつも携帯していて、これでほとんどカバーできています。長いトンネル区間では切れてしまうこともありますが、たいていは大丈夫です。

さて盛岡到着です、岩手山は残念ながら雲の中。八戸までもあと30分ほどです、早めにこのブログをアップして下りる準備をしてしまいましょう。一度、うっかり八戸を乗り過ごして七戸十和田まで行ってしまったことがありますが、今回はそんなミスはしないように気を付けます。

では今年もよい乗り鉄旅をしていきましょう。

課題山積国会を欠席するなんてとんでもない

イクメンになるために国会を休もうという議員の話を、昨年12月にブログに書きました。年末から正月の休みで話題も鎮まったように見えましたが、通常国会開会とともにまたまた騒ぎになってきたようです。党内でも「騒ぐな」と釘を刺されたとかいう話もありますが、それでもめげてはいないみたい。

Photo_3 というのも一昨日の6日、くだんのM議員の呼びかけで、「自民党 男性の育児参加を支援する若手議員の会」なる会合が、開かれたそうです。子育て世代の議員に呼びかけたそうですが、出席したのはその内10名、これが多いのか少ないのかは感覚の問題ですかね。

世の中のイクメンを支援し、育児休暇を取る男性を増やせる環境を作るために、国会議員が率先して国会規則の改正を行おうという趣旨らしい。現実問題として、私には「国会議員の特権」をもう一つ増やしてやろうくらいにしか思えないんですが、皆さんはどう感じられますか。

前回は、もし休暇を取ったとしても歳費や政務活動費が全額支給されることを問題として取り上げましたが、M議員のブログを読ませていただいたところ、1/3に当たる金額を福祉団体等に寄付すると言うのです。自分の選挙区内だと問題(公職選挙法違反)があるので、選挙区外の団体になのだそうです。

なぜ1/3なのかというのは、説明を見てもどうもよく分からない。国会議員と一般のサラリーマンを同列に置いて、アレコレ論じるというのもよく分からない。どうも、自分の立場というか役割についても思い込みが激しくて、常識がよく分かっておられぬみたいです。

あんたなんかに、自分たちの権利を云々してもらうのは真っ平、なんて声も聞こえてきそうに思えます。もちろん、一連の主張や行動を支持されてる方もおられるでしょう、それをどうこう言うつもりもありませんが。

そうでなくても、この国会は問題が山積しています。そこにさらに、北朝鮮の核実験や中東の対立問題、さらには円高株安の加速的な動きなど、国民生活に直結する課題への深化した論戦を望みたいところだ。プライベートな問題でお休みなんてとんでもないと思いますよ、ホントに。

脳力開発は人間学であり行動科学です(24)

 人間には、自分で流れをつくっていく型と、流れに流されていく型と二つの生き方があるようです。生まれながらに持っている型というのではなく、本来はどちらの型も持っているけれども、だんだんとどちらかが主流になってくるらしいのです。当人が流れに流されるように頭(脳力)を使おうとすると、脳は全ての行動指令をその方向にもっていこうとします。同じ人でも、自分で流れをつくっていこうと決心(意識)すると、ちゃんと脳はそうなるような指令を出してくれるのです。

 つまりこれも同じ一つのことの、表と裏の関係なのです。脳細胞は、その人がどのように意Photo_2 志の方向(つまりこれが戦略なのですが)を決めるかによって、忠実に意志に対応した脳指令を発してくれ、全身の機能を動員してくれるわけです。自分の力ではどうしようもないと、いつも流れに従って動いている人がいます。中には九星早見などに頼って、それに従ってしまう人もいるようです。それは運命でどうしようもないとか、天の定めなので仕方がないと諦めてしまう必要はありません。

 流れに流されよとか、運勢暦に頼って行動せよとかも脳からの指令であるわけですから、その反対の指令もちゃんと出せる力を持っているということです。そちらの指令が出せれば、受け身の行動ではなく自主的な、能動的な行動もとれるのです。つまり脳指令が出ているということは確かなのであり、単にその方向性が違っているということに他なりません。指令と活動という次元でいえば、受動(被動)でも主動でも共通性であり、向け方が違うことを心得ていれば良いのです。

「青春18きっぷ」はどうなるのでしょうか

「青春18きっぷ」をご存じの方はかなり多くなったと思いますし、実際に使われた経験を持っている方も少なくないと思います。全国JR各線の普通(快速も含む)列車が、乗り放題になるという企画乗車券のことです。

18 「青春18」というからには、若い人(例えば学生とか未成年)しか使えないのだろうと思っていた方も、かつてはかなりいらっしゃったようですが、最近はJRのPRも行き届き、またこの切符を使った旅本も出たり、雑誌での紹介や紀行記も出ていますので、誤解は少なくなったはずですね。

そもそもこの切符が発売されたのは30年以上前のこと(1982年)で、最初は「青春18のびのびきっぷ」と呼ばれていて、翌春に現在の名前に改められました。当初は4~5枚綴りの切符で、分けて使うことも可能でした。現在は1枚の切符に、5つの日付印スタンプ欄があり、複数人で使う時には必ず同行しなければならなくなりました。

乗り鉄の私もよく愛用していますが、JR化で赤字ローカル線が、また新幹線が開業して並行在来線が切り離されて3セク鉄道になると、だんだんと使い勝手が悪くなってきました。一部の特例を除いて、この3セク鉄道には乗ることができません。特例以外では運賃を払わなければならなくなったのです。

さて話を急ぎますが、あと2ヶ月半後には北海道新幹線が開業します。今回冬の18きっぷまで(今春の18きっぷでは3/21まで)は、青函トンネルを挟む蟹田-木古内間は特急にも18きっぷで乗車できます。しかし、3/26に新幹線が開業すると使えません。つまり北海道が完全に切り離されてしまうのです。

ではどうしたら・・・というので、新たな特例オプションが設けられることになりました。「青春18きっぷ北海道新幹線オプション券」という長たらしい名前ですが、これを買うと新幹線の奥津軽いまべつ-木古内間は18きっぷと合わせて乗車ができるそうです。また、3セク化される木古内-五稜郭間も途中下車しなければ特例で乗れます。

この冬は使う機会もなく終わりそうですが、今春(3/1~4/10通用)はまた、18きっぷを活用した乗り鉄旅を愉しもうと思っています。

明日は七草、1年の無病息災を

新年も早6日目、ゆっくり正月休みを取られた会社も今日くらいからは、いよいよ仕事モードに入られたことでしょう。明日はもう七草、そして来週11日が鏡開き(大阪は15日かな)ですね。お正月気分もそろっとおしまい。

Photo ところで春の七草は、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろの7つですが、最近はパックでも売られているようです。我が家でも、明日は七草うどんかラーメンにして食べて、この一年の無病息災を祈念しましょうか。

仕事といえば、個人事業主にとっては12月末が決算締めですので、私も早めに済ませてしまおうと思っています。現金勘定は月末に合わせ終わり、修正仕訳伝票や科目修正も完了し、昨日は現預金についての総勘定元帳をアウトプットしました。

今日はその他の科目の総勘定元帳を打ち出し、土曜日からの遠征前には決算完了してしまいます。青色申告は個人の確定申告と同時に行いますが、こちらは2月に入ってから行う予定で、おかげさまで昨年も(規模は小さいですが)、「増収増益」決算で終われます。

さて、今日は「小寒」で立春までの寒の入りなんですが、雪国・長岡市には街中に全く雪がありません。1990年春から住み始めて25回目の冬ですが、こんなことはほとんどなかったはずです。雪のなかったお正月の年には、寒の入りくらいから大雪になりましたが、さて今年はどうなのでしょう。予報では週末から雪マークがついていますが。

その土曜日からは、今年最初の遠征です。新年のご挨拶、MGセミナー、コンサルティングなどスケジュール内容も色々、新しいご縁もできるのを楽しみにしています。

脳力開発は人間学であり行動科学です(23)

 殴る、殴らないの事例で説明しましたが、変革することと不変革の意志もまた同じことです。変革・不変革というと色んな要素が組み合わさって、さも難しそうに感じるのですが、必Img039_2 ずどちらかの意志で表現される、行動に表れるのです。口でいかに変革を叫び、変革の企画書を書いても、実際行動が不変革であれば、その意志の主流は不変革であるということに他なりません。うがった言い方ですが、変革を口にするのは格好いいからであり、行動すると自分の不利(面倒)になるので何もしないのです。

 会社の中にはこういう人が少なくありません。私はこういう人のことを「社内(企業内)評論家」と呼んでいますが、確かに会議などでは積極的に発言します。ですが、「じゃぁ、誰かやってくれないか」というと一向に手が上がらないのです。師・城野宏はその著書の中で、「変革活動とは、新しい人と人との関係をつくることだ」と述べておられます。変革活動を「仕事」と置き換えてもいいでしょう。営業活動も突き詰めてみれば、新しいあるいはより深い人間関係をつくることに他なりません。

 ですから、会社の中にこもっていては新しい人間関係はできてきませんから、そういう人は仕事をしていないということになります。どれだけ新しい人に会い、商品やサービスあるいは考えていることを気に入ってくれる仲間を増やすことが仕事だと言えます。昨今はネット社会になってきたので、メールやブログ、SNSなどを使い人間関係が作れると豪語する人も少なくありません。しかし、それは本当の人間関係と言えるのでしょうか。道具としてのネットツールは活用すれば良いですが、あくまで補助手段だろうと思うのです。

『天正十年六月の政変』って何?

「歴史と人間」ひとりごとのカテゴリーでは、前回まで織田信長を取り上げました。その信長を滅ぼしたのが明智光秀、その天下は「三日天下」といわれ、光秀は主君を討った謀反人として白眼視されるに至りました。実際、光秀を「天下人」に加える例はなく、また好き嫌いを問うと圧倒的にキライの声が上がります。

しかし、なぜ光秀が信長を討つに至ったか、その理由については諸説が乱立していて、未だにこれという結論が出されていません。いずれにも一長一短があり、史料による裏付けが乏しいとも言われ、中には荒唐無稽に類するものもあります。

第一に、光秀の出自もハッキリせず謎に包まれています。没年は確かである、とも言えなPhoto いのです。中には、実は光秀は山崎の戦いのあと小栗栖の山中で土民に討たれず、逃れて身を隠し、その後家康の元に表れ「天海和尚」となったいうものまであります。

最近の有力説では、光秀の思いつきとか衝動の故だろうというのですが、それも裏付けは希薄で、いわゆる状況証拠のみで確証はありません。もっとも、私はこれに近いのではと思っていますが。

さて、光秀の反乱は「本能寺の変」というのが教科書にも載っている名称ですが、これには疑問を感じていました。というのも、どうして「変」なのでしょうか。どうも日本史の定義はいささか曖昧で、「変」と「乱」とが入り乱れている感じです。応天門の変、嘉吉の乱、応仁の乱等々、規模が大きいのが乱であれば、1万2千の大軍が都に攻め入ったのはどうなのでしょう。

そこで興味を持った本が「明智光秀の乱」(小林正信著・里文出版)です。このお正月はこの本を読み進めました。そこには「非常に興味のある説が展開されていましたが、それについては、この本をご覧いただきたいと思います。

気付いた事実もありました。室町幕府を滅ぼしたのは信長であるという定説ですが、それは違うのではないかということ。確かに信長は最期の将軍義昭を追放しましたが、義昭はその後も辞任するまで将軍であり続けましたから、実態はないようでも室町幕府は存在していました。

そこに光秀という存在が浮かび上がるというわけです。私の乏しい知識と理解力では、どうもここまでという感じですが、少なくともこれからは「本能寺の変」ではなく、『天正十年六月の政変』と呼ぶことにしましょう。

箱根駅伝、実はローカル大会なんですね

今年の箱根駅伝(正式名称は東京箱根間往復大学駅伝競走)は、青山学院大学の圧倒的な完全優勝、二連覇で幕を閉じました。一区から一度もトップの座を明け渡さない走り、10区間中6区間が区間賞という走りは見事で、原監督の手腕が名実ともに認められた大会結果と言えるのでしょう。

Img_1571 二位には東洋大学、三位には駒澤大学という下馬評も高かった常連校が入り、ここ数年の箱根のみならず、三大駅伝にはほとんどこの3校が上位に入り、指導者の力量や選手層の厚さを示しているようです。

私も高校時代は駅伝を走っていました。と言っても何しろ50年近く前のこと、それも全国高校駅伝の大阪府予選のレベルで中位校でしたが、顧問監督は箱根駅伝を走られた方(順天堂大学OB)でした。以来、まだ駅伝がポピュラーではなかった時代から、たまにTV放映されるとじっと見入っておりました。

箱根駅伝が、かつてオリンピックのマラソン代表だった金栗四三さんの発案で実現し、大正9年が第1回、その時の参加校はたったの4校だったそうです。世界的に通用する選手を育て輩出するという、大きな目的が掲げられています。実際、箱根駅伝からオリンピックや世界陸上の代表が多く出ています。

ただ、箱根駅伝が実はローカルな大会であり、主催する関東学連所属校以外は参加できないことは余り知られていません。しかし全国の駅伝選手には、ある意味最も大きな大会であり、高校駅伝界の主力選手が関東の大学に流れていることも事実です。

結果として、東高西低のレベル状態がますます顕著になっており、その結果全国大会である出雲駅伝や全日本大学駅伝(伊勢)でも、関東以外の大学が上位に食い込む例は非常に少なくなっています。

また、関東の大学でも箱根駅伝に偏重する余り、金栗翁が目指したトラック長距離界の選手を育てるという目的が、置き忘れられているようにも感じます。マラソンを目指す選手は少なくありませんが、それ以外のトラック競技では選手層が薄く、また世界ではかなり見劣りしています。

さらには、「箱根駅伝燃え尽きシンドローム」なるものがあるとも言われています。いくつかの例が紹介されて、箱根駅伝不要論も出ていますが、どうなのでしょう。反対に現在のマラソン日本最高記録保持者・高岡寿成さんは、箱根とは無縁、マラソン以外でも一時長距離種目の日本記録を次々に塗り替えていました。

これでいいのか!? 関西人としては、箱根駅伝を関東学連以外の大学にも門戸を開くべき(記念大会などでは特別枠参加あり)だと思うが、いかがでしょうか。とはいえ、青学の優勝を心よりお祝いいたします。

脳力開発は人間学であり行動科学です(22)

 再びまた脳の話に戻すことにしましょう。テーマは『行動に本心が表れる』ということです。脳力を発揮するということは、行動指令を出すことに他ならず、行動しないということは脳力を使っていないことだと書きました。それでは、人を殴っておいて「ごめん、ちょっと手がすべって」T_img_1551 とか「殴る気はなかったんだよ」などと、言い訳することはどうなのでしょうか。確かに本気ではなかったのだが、つい手が出たと言われると「まあいいか」と許してしまいますか。

 しかし、行動は脳が行動指令を出した結果なのですから、殴れという指令が出ていたことは間違いないのです。少なくとも、殴る意志の方がその人の主流を占めていたので、脳は各神経と腕の筋肉とに命令して「殴る」という行動をとったのだと言えます。「殴る」という行動は、殴らないという行動と表裏一体の関係です。あいつを殴れという意志は、殴るなという意志と、同一の事物(あいつ)に対する両面と言えます。通常の場合は、殴るなという意志が主流なので、何事も起こることなく過ぎていきます。

 ところが何かの原因で、たとえば相手の言葉に自分の意に染まない表現があったとか、それまでの不満が溜まっていてそれがピークに達したとかすると、殴れという意志が主流を占めてきて、殴るという行動となって表現されるのです。行動は思考(意志)の具体的表現なのですから、思考の主流は殴るか殴らないかのどちらかの面になります。心に殴ろうと思ったから殴れと脳指令が出たわけで、殴る直前に「殴るな」という指令が出れば寸止めになるかも知れないのです。
(写真は本文と無関係です)

文字まで酔っ払っています

明けましておめでとうございます。丙(ひのえ)申の年だそうですが、この干支の年は変革の年になるという見方があります。内外ともに時代の転換期だというのです。とくに経済面での変化が大きいそうです。Photo_2 アメリカの利上げにともなう世界経済の変化、円安が加速するのかそれとも円高に振れるのか、原油安がこれからも続くのかどうか、あるいはTPP発効に伴う影響などなど。マクロな動きとミクロの変化、両方を余すところなく見ていかないといけませんね。 こういう変化にどう対応していけるか、個人も企業も真価を問われるというところなのでしょう。ドラッカーさんに言われるまでもなく、生き残れるのは変化にちゃんと合わせられるか否かにかかっています。 かといって、肩を張って窮屈に考えることもないでしょう。時代の流れや変化を素直に受け入れて、柔軟にいくことですね。柳の如くしなやかに。今年のテーマは昨年に引き続き、『渦を興し渦を拡げる』です。昨年は渦を興しましたが、拡げていくまでには至りませんでしたから。 興した渦が正解なのかどうかも含めて、しっかり地に足を付けて、脳力開発で教えているように、一口ずつ一歩ずつ前に進めていきます。364日後に「今年も佳い年であったなぁ」と言えますように。 では、本年もよろしくお願いいたします。

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