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信長と濃姫とは早々と離縁していた?

今日はとってもいい天気です、12月としては貴重な晴天かな。先週末とは違って、温かくなるようですが、暦の上では「大雪」なので、そろそろ長岡らしい雪景色も恋しくなります。

さて今日は「歴史と人間」です。脳力開発セミナーでは、これまで時々ですが「歴史に学ぶ人間学」と題して、色んな英傑を取り上げてその思考や行動に学ぶという講話をしてきました。取り上げる人物は、やはりなるべく皆さんが知っていることが必要です。無名の人物では、興味が湧かないでしょうから。Photo

そうなると、勢い戦国武将を取り上げることが多くなります。信長、秀吉、家康という天下人や、信玄と謙信、その周辺にきら星の如く輝く石田三成や直江兼続など。とりわけ3人の天下人は、それぞれにファンがいて興味を持って聞いていただけます。

蛇足ながら、若い人や女性に人気があるのは信長、年配の方や経営者層に人気があるのは家康、そして秀吉はまんべんなく各層に親しみを持たれているようです。私としてはこれに光秀も加えたいのですが、やはり主殺しという事実に反発する方が多いですね。

さて織田信長、そのイメージは積極果敢で新しい物好きで進取の気性といったプラスイメージと、独善的で冷酷、わがままで厳しく激しい気性などのマイナスイメージが拮抗しています。でも、秀吉の妻であるねねさんに送った手紙や、子供や妾たちへの温かな接し方など、人間的な部分も垣間見ることができます。

マイナスイメージは、比叡山の焼き討ちや長島一向一揆におけるだまし討ちの皆殺し、あるいは佐久間信盛や林秀貞など旧臣の追放などがあったからでしょう。光秀に対する仕打ちが反逆の原因とも言われますが、これは虚実が混じり何とも言えません。

JR岐阜駅前に立ちますと、そこには金ぴかの信長像(写真)が建っています。西洋風の鎧とマント、時代を先取りした信長らしい雰囲気です。岐阜は元々は土岐氏が守護でしたが斎藤道三がこれを簒奪、その斎藤氏(道三の孫龍興)を追放した信長が、稲葉山城下の井ノ口を岐阜と改めたと言われています。

ちなみに道三は信長には岳父にあたります。ただ正妻の美濃御前(帰蝶・濃姫)との間には子はなく、早々離縁したという説もあります。大河ドラマなどでは、本能寺の変まで傍にいて一緒に死んだということになっていることが多かったようですが。確かに京都にも濃姫と伝えられる墓があります。

道三と親子になったのは、信長の遠大な戦略『北は斎藤と和し、東は今川に当たる』の表れと、脳力開発の師・城野宏は喝破しましたが、武田信玄への贈り物や朝廷への献金など、仮想敵国・今川を先代の信秀時代から意識していたようです。

その今川とぶつかった戦いが桶狭間合戦です。ではまた。

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