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信長はじっくりと情勢判断する性格だった

桶狭間合戦へのひとり言、年末ですのでこれを一区切りとしましょう。

以前にも書きましたが、信長軍は丘陵の下の方から山腹のやや上方にあった今川義元の本陣に向かって、一気に攻めかかります。集団でまとまってというのではなく、どうもてんでバラバラに槍を構えて前進したようです。

時代劇などでは刀を振りかざして向かっている様子が主ですが、戦国時代の武器の主流は槍で、刀は補助道具あるいは首を掻ききったり、とどめを刺すためのものでした。また鉄砲はまだ数も極めて少なく、射程も短い上にこの日は雨でしたから、使われなかったことでしょう。

Photo 善照寺砦を出ていく際に、信長は「首は打ち捨てていけ、狙うは義元の首のみ」と号令したともいわれますが、定かではありません。結果から見るとそうなっているのですが、例え言ったとしても信長が、義元本陣との遭遇を確信していたとは思えません。言ってみれば、桶狭間の勝利はかなり偶然だったと言えます。

もちろん奇襲戦だとか、山間迂回戦だとかは完全に否定されています。善照寺から中嶋、そして桶狭間へ表街道を進軍してきたことは間違いありませんが、小説にあるように、そこに義元の本陣があると確信したのではないようです。真っ直ぐ進んだらそこに今川軍がいて、実は本陣であって、その真ん中に義元がいたというのが真相かも。

その義元に最初の槍を付けたのが服部小平太、二の槍をつけて首を落としたのが毛利新介だと、信長公記には記してあります。この2人が重い恩賞をもらったのはいうまでもありませんが、それ以上に情報担当の梁田政綱が恩賞をもらったと、信長記や多くの太閤記には書かれています。しかし、それもどうやら怪しそうです。

そんなわけでまだまだ謎の多い桶狭間合戦ですが、これを機に信長は尾張の統一を実現していきます。しかし北に位置する斎藤氏の美濃を攻略するのは、まだまだずっと先のこと。まだ、この合戦から飛躍が始まったとは言えないでしょう。

家康(当時は松平元康)との同盟が成るのもまだ少し先の話、つまり信長は、巷で言われるように性急ではなく、じっくりと情勢判断をして着実な戦術を選びつつ実行し、しっかり足元を固めながら進んでいったといえますね。

それでは、新年はまた他の人物を取り上げていくことにしましょう。

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