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我が家のお隣は河井継之助記念館

表日本と裏日本、最近はこういう言い方は余りやらなくなったのでしょうか。以前は天気予報でも必ず使っていて、冬になると、表が晴れなのに裏はどうしていつも雪(か雨)なんだと思ったものでした。今日は冬型の気圧配置、時おり日が射したりしていますが、強い西の風が吹いていて、今にも嵐になりそうな感じです。

今朝などは、西の空に満月(写真)が少しぼんやりとではありますが、輝いていました。それもすぐImg_1375 に雨雲の中に入ってしまいましたが。午後から東京に出かけますが、そのころまで雨が保ってくれるかどうか。

強い風で眼下の木が揺れています。この木々は、お隣にある河井継之助記念館の庭の木です。継之助が名付けたという「蒼龍の松」は今は、代替わりしていますが、ここはかつて継之助の屋敷があったところです。河井家は120石でしたから、さほど大きな邸宅ではなく、ここはまた侍長屋が並んでいたそうです。地名もそれにちなんで「長町」と言います。

最近は少し名が知られるようになりましたが、河井継之助といっても、知らない方も多いかと思います。名が知られ始めたのは、かつて司馬遼太郎さんが小説「峠」を新聞連載されてからでしょう。明治維新、7万4千石の越後長岡藩を家老・軍事総督として率い、十倍する西軍を相手に100日の戦いを繰り広げた英傑です。

戦いそのものより、早くから藩や常備軍の近代化を推進し、「武装中立」を藩是として単身西軍に乗り込み、その談判決裂でやむなく戦に踏み切ったことで知られています。ある意味、坂本龍馬に匹敵する思想の持ち主でしたし、その行動力は素晴らしく感じます。龍馬が藩を離れた立場で行動できたのに対し、継之助はあくまで長岡藩が基でした。

1990年に私が長岡にやって来た時、その頃には「峠」をきっかけに多くの専門書を読んで継之助への思いを強くしていましたが、長岡の人たちが継之助に対して賛否両論なのに驚きました。こんな素晴らしい、先進的な英傑に対してなぜ?と思いました。それは、北越戦争(戊辰の役)で、長岡の街は焼かれ、藩は大きく減封されたからでしょう。

そのマイナスを差し引いてもと思ったのですが、稲川先生はじめ地元の研究者たちの話を聞き、もう一度継之助を白紙から見直してみました。その上で、やはりこの人は歴史の中で語られるべき人なのだと、痛感しました。これからも、機会を作って私の継之助観を紹介していきます。

さて、どうも強風に交じって雨が降ってきたようです。雨もまたよしとしますか。

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