石田三成の嫡子は天寿を全うした
『歴史』というと、多くの方は中学や高校時代の、試験のために年号や人名を一所懸命覚えたことを思い出すことでしょう。例えば「いいくに (1192年)つくろう鎌倉幕府」の類ですね。これによって、歴史嫌いになったケースも少なくないのでしょう。
私は小さい頃から、いわゆる有名人の伝記を読むことが好きだったこともあって、歴史はキライではなかったようです。それでも年号や人名、事件名を覚えることが歴史(の学び)だと思っていたようです。
それが変わったのは高校3年生の時でした。たまたまクラス担任のF先生が日本史の先生で、歴史とはどういうものなのかを教えて下さってからでした。歴史 (の出来事)は、人間の行動の結果なのだ、ということ、だから歴史はつながっているし、同じことが繰り返されてもいるのだと。
そのことが現在やっている脳力開発セミナーでの、まとめの「歴史講話」につながっています。歴史の人物の行動に、脳力発揮のヒントや戦略思考・行動のポイントを学べるいうことです。
ところで、普段私たちが本当のことだと思っている歴史に、けっこう間違いやウソが混じっていることをご存じでしょうか。例に挙げた、源頼朝が鎌倉幕府を開いたのは1192年だということも、ウソだとはいいませんが、いくつかの説の中の一つに過ぎません。
有名なところでは、豊臣秀吉が少年時代つまり日吉丸時代に各地を放浪し、矢作橋の上で野宿をしていて野武士の親分・蜂須賀小六と出会ったという話。これは完全にでたらめです。なぜなら当時の矢作川には橋がなかったし、小六は三河方面では活動していない。
時の権力者によって、あるいはそれにおもねる著者によって、歴史がねじ曲げられるというのはこれは古今東西どこにでもあることのようです。
極端な例では徳川家康と石田三成。家康は東照大権現と称する神様ですし、かたや三成はその神様に反抗した逆賊、つまり悪者の扱いです。しかし、この三成を正しく評価し「武士の鑑」と讃えたのは、誰あろう家康の孫である徳川光圀すなわち水戸黄門様でした。
三成は確かに家康に対抗し敗れたために、その責めを負って京都三条河原で斬首されます。一族郎党も、そのほとんどは立てこもった近江の佐和山城にて玉砕します。ところが、嫡男(石田隼人正重家)は江戸前期を生きて天寿を全うするのです、享年は104歳とも。
この史実をもってしても、いくら日本人は中国のように「根絶やし」思想がないといっても、不思議なことだと思われませんか。大阪夏の陣の後、豊臣秀頼の息子(国松)は斬首されますが、娘は尼(天秀尼)となって命を長らえます。
「女だから許された」では、重家のことが説明できません。もちろん彼も僧籍には入りましたが。この辺りの歴史の裏にある「人の心」を考えながら、歴史を見つめ直すと面白いものです。
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コメント
私にとって、ビッグニュースです。
そうでしたか? 中国では根絶やしということが常識ですから。そう言えば、宇喜多秀家も長生きだったそうですね。
さて、石田三成公を私は、尊敬しています。 自分より優れた人間、島左近をスカウトしたのですから。今の世の中、自分より優れた人間を雇う人間は皆無に近いですから。その辺に日本企業、日本における外資系企業の低迷の理由があるのではと思っております。
投稿: Peter(ピーター) | 2011年7月 5日 (火) 08時54分