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久方ぶりの国会における証人喚問、相手が防衛省の「天皇」ともいわれた人物なので注目したのだが、、、

昨日は国会中継を期待を込めて見ていた。しかしながら、与野党とも追及の質問が緩いというか甘い感じが否めなかった。調査にかける時間がないのか、調査能力がないのか、新聞や週刊誌ネタでの質問ではダメだなという感じ。質問時間も十分ではないみたいだし、あれでは真実がなかなか明確にはなっていかない。

答弁によっては偽証罪にも問われかねない中、真実をえぐり出していこうという斬り込みがない。軽く受けて立たれていたとは言わないまでも、予測された質問で想定問答通りの答って感じも。たまに、答えに詰まる場面や考え込む瞬間もあったが、そこをさらに突っ込むことは少なかった。

それでもいくつかの事実が判明して、慌てて釈明会見する元大臣・長官がいたりで、さらには新たな疑惑も浮かんできたようだ。やるなら徹底追及をするべきだろうが、一方では「国益」という戦略を念頭に置いた国会の徹底審議も望みたいところだ。 何が重要なのか、それを忘れた国会では意味がない。

お前もか!比内鶏

もう、何を信じて買って食べたらいいのか、、、ローカル線に乗って土地の名物をいただき、地酒をちびり。そんな楽しみまで奪おうというのか!

比内鶏は何度か買い求めた。大館(秋田県)に出張で行った帰り道の寝台列車、乗り込むときにワンカップと一緒に比内鶏をおつまみで買うのが楽しみだった。もう20年以上前のことなので、果たしてその時の鶏は大丈夫だったのかどうか確かめようもないが、やはり裏切られた思いが強い。

最近は買い求めようとする商品の表示は必ず見ることにしている。地元の名物と聞いていたのに、他県製ということがあったり、中には中国製ということもあったりするので要注意なのだ。しかし、考えてもみよ、そうやって確認しなければならないことの、何とも悲しい現実を。

小物や置物、装飾品などが現地でないところで造られていることが多いことは、先刻承知のことなのだが、まさか「食の名物」までそうなっていては悲しいを通り越して嘆きだ。結局、自分で注意して選別するしかないのかな。

裏切られた信頼

赤福である。

事件が表面化してかなりの時間が経ったが、僕の気持ちの中での整理が今日までかかってしまった。余りのショックで思考回路がもつれてしまっていたらしい。結論はこうだ、「もう赤福は食べない、買わない」だ。

赤福との出会いは小学生の時だろう、誰かがお伊勢参りのお土産に買ってきてくれて、そのお裾分けで口にしたのが最初だろう。そして小学校6年生の修学旅行、大阪市内の小学生はその殆どが伊勢志摩に行く。その際に当時の赤福の店も見た(立ち寄ってはいない)し、お土産にも買った。もう45年も前のことなんだが。

社会人になってから、岡山や新潟に自宅を構えたので、関西方面に出張に出ると赤福か蓬莱(551)の肉まんのどちらかを土産に持って帰ることが多かった。駅の売店で気楽に買えるので、遅くならない限り大丈夫だったのだが、時には売り切れでがっかりすることもあった。その日に作ってその日の内に売り尽くすのだからしょうがない、とアキラメたものだったが。

その信頼が裏切られた。それも半端な裏切られ方ではない、腹立たしいを通り越して、あきれてモノが言えないくらいだ。

創業300年目だという。300年も続いてきた秘訣は、まさにお客様から信頼されることではなかったか。それ以上の秘訣もコツもないはずだった。だからこそ、僕自身もお客様であり続けてきたと思うし、またこの話を研修や講演ですることもあった。企業人として見習いたい、真似をしたい代表企業であり経営者であったのに、正に裏切られた。

それにしても、一体この国のモラルはどうなってしまったのか。

子供の言い分

似たような事件が立て続けに起こっている。出会い系サイトで出会った男女、それも後者は小中学生なのだが、彼女たちが男のところに転がり込んで数日から1週間あまりを過ごし保護されたという事件。男は未成年者誘拐罪で逮捕されたが、どの事件でも女の子たちはこう叫んでいる、「お兄ちゃんは悪くない!」

これをどう考え、どう見るか。少女たち(の意識・感覚)が未熟で、正しい判断ができていないと断ずることは本質の解決にはならない。そういう面があるのは間違いないと思うし、男たちに歪んだ欲求があることもある意味確かだろう。それが問題なのではない、何故少女たちが家を飛び出し男の元に走り、そして叫びを上げたのか。そこのところにスポットを当てて、メスを入れていかなければならないだろう。

少女たちは、元に戻されるのだろう。しかし、彼女を取り巻く社会環境なかんずく学校や家族というところに、問題の本質が潜んでいるのだと思う。それをそのままにしておいて、彼女は幸せなんだろうか、答は否。何も本質問題を解決することなく元の環境に戻して、今回の「罪」を責める、あるいは逆に腫れ物に触るかのように遠巻きにする。それで良いわけはないよな。

社会が病んでいるという。病んでいるのは大人たちだと思う。病んだ大人の悪い波動が子供たちに、ストレートに襲いかかっているのではないか。そう、子供は被害者なのだ。彼らの言い分に素直に耳を傾けてみる時がきている。

結婚記念日

個人090的なことなのだが、実は今日10月15日が結婚記念日。1976年のことなので、丸31年(今日から32年目)を迎えたことになる。昨年が30年の真珠婚だったが、転勤・単身赴任のバタバタの中。今年は気持ちにも余裕があった、というわけでもないけれど、友人のお店からバラの花束をカミさんに贈った。

30余年も一緒にいれば紆余曲折どころか、悪路に迷路、時には行き止まりナンテこともあったがすべて己の心のなすところ。となれば、真っ直ぐに歩こうとすることも己の心なのかなと。イヤイヤ、決して悟ったわけではないけれど、ちょっぴり『夫婦道』の片隅が見えてきたみたいな感じ。

祝杯は今週の日曜日頃になりそうだけど、まずは31年目に乾杯。

不思議なんだけど

L&Gという会社が破綻したという。出資すれば年間に3割を超える配当があるといい、「円天」とかいう電子マネーを使って「円天SHOP」で買い物ができ、そのマネーは同じ額がまた手元に戻ってくるのだという。

フツーの感覚、常識レベルの知識で考えてみて、そんなことができるはずがないと判断するのが当然だろう。リスクの大きな資産運用でも年間利回りは10%に満たないのが通常であり、買い物をすれば手元のお金は減り、打ち出の小槌のようなものはない。小中学生でも分かりそうに思うのだが、、、

ところが何と何万人という大人がこれに引っかかり、集めた資金は1千億とも数千億とも言われている。最初の頃は謳い文句の通りに配当がなされ、「円天」も戻ってきたらしいのだが、タコが自分の足を食いつぶしていく典型的な自転車操業であったことは、今さら言うまでもない。無限連鎖ではなく、世の中は有限であるところに「うまい話」の終焉がある。

何故最初からおかしいと気付かなかったのか、まかれたエサに初めに食いついた少数の大人たちは、やがて自分が「加害者」になっていったらしい。周りに出資を勧め、こんなお得な事実があったよとPRして回って被害を拡大した罪は大きい。もし、自分も被害者だ、加害者ではないナンテ言っているとしたら罪の重さはさらに倍加するだろう。

それにしても、何でこんなものに簡単に引っかかるんだ。不思議でしょうがない。どこか日本人は狂いだしているのだろうか、老いも若きも。

郵政民営化

郵政民営化が1日にスタートした。近くのいつも出かける郵便局を覗くと、看板が代わり、職員の制服も変わり、さらには窓口の模様替えもあったようだし、ハガキや切手のデザインも変更になっていた。

それはそれでいい、問題は中身(本質)とこれからのことだ。国鉄がJRになった時とは様子や条件がかなり違うようだ。専売公社がJTに変わった時とも違うらしい。つまりは既存業者との真っ向からのぶつかり合いが、いよいよ本格的に始まったということだ。これまでのぬるま湯体質、親方日の丸主義、あるいは特権意識などがあっては、この厳しい競争を勝ち抜いていくことはできまい。

その結果としての「とばっちり」を受けるのは、間違いなく地方の、もっとハッキリ言えば田舎の住民たちだろう。既に簡易郵便局の廃止や休止が続出している。やがては特定郵便局にも火の手が上がるだろう。直営局でも業務の集約が為されたが、それがもっと範囲を広げたり、あるいは統合廃止などもおきてくるに違いない。それが企業原理というモノだから。

そういったことを予測した上での民営化だったのだから、お客様サービスの質も量も落とすことなく企業経営に当たるのが当然だともうのだが、どうもそういう意識が経営者たちには欠けているように見える。クレームの嵐に遭うのは現場の職員たちだ。その現実にどう対処していくのか、あなた任せや先送りの体質では消費者は付いてこない。そのことをしっかり自覚してのスタートだろうか。

戦略がよく見えない、そんな印象なのだ。

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