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「尼崎事故」から2年

あの悲惨な事故からもう2年も経った。何よりもまず、犠牲になった多くの方々の霊の安らかなることを祈りたい。

さて、あの事故から何が変わったのだろうか。原因は色々なこと、物理的なことから心理的なこと、人事的なこと即ち企業姿勢に至るまで様々に議論されているが、結論が出ていない。複合的に起こったことは今更言うまでもないのだが、JR西日本も労組も含めて責任のなすり合いに見えて仕方がない。まさか、あのT運転士に全てをかぶせるつもりではあるまいな。

JR西日本は早速にダイヤを改正し余裕時分を確保したり、新型ATSの設置も前倒しに進めたという。しかし改正されたのは停車時間の延長が主体で、駅間は相変わらずトップスピードで余裕はごく小さい。ATSにしても、設置したから完璧かというとそうでないことは明らか。

労使の対立は相変わらずだし、果たして現場の体質や仕事のあり方は改革がなされたのか、そこのところはハッキリ言ってよく分からない。でもここが変わらなければ、「何も変わってない」ということではないか。

1人の利用者として、そして永年の鉄道愛好者として、一向に変わらないことに悲しい思いをしている。2年というのは短い時間ではなかったはずなのだが、これからもまだ中途半端な状態が続くのか。尊い死者の霊の前で、胸を張れるのか、労使双方の心に問いかけたい。

青田買い進行

来春学卒者の企業回りがピークに達しているらしいが、すでに大企業は7割くらいの内々定を出したらしい。あくまで「らしい」のであって、ホントのところは分からないが、就職戦線が売り手市場になっていることだけは確かなようだ。

それを裏付けるかのように、国家公務員Ⅰ種の2007年度採用試験の申込が大幅に減ったらしい。安定しているはずの公務員よりも、民間を選ぶという発想の原点は何だろうか。もしかしたら、昨今官僚の自己防衛的な反動姿勢が嫌われたのか、それともあくまで「デイトレード」指向なので自由の利きそうな民間が良いと判断したのか。

ところで、これで景気回復が裏付けられたなどとほざく政治家や官僚がいたら、笑止千万である。一握りの(数)の大企業が、団塊世代の大量退職を少しでもカバーしようとして致し方なく採用を増やしている、とも取れるのである。おそらく80%を占める中小企業の、さらに8割は採用したくても人が来ないか、またはまだ採用などできない状態ではないか。

青田買いは何だかさらにヒートアップしそうだな。

少年法改正に反対する

少年法が改正されることが確実になったという。改正の内容は多岐に亘るようなのだが、その目玉は年少犯罪への厳しさのようだ。確かに14歳未満の少年少女の犯罪が、ここ数年目立っているように見える。凶悪犯罪に14歳未満が関わり、現行法ではどうにもならないことでイライラしている大人が多いようだ。

しかし、本当にそうなのか。14歳未満の犯罪が増えているというデータは実は見当たらないらしい。時代背景が違うから比較は難しいが、戦後から昭和30年代の方が、14歳未満も含めた少年犯罪ははるかに多かった。凶悪犯罪といわれるものも、やはり例外ではないのだそうだ。

実は、こういった年少者の犯罪がクローズアップされ始めた根元は、マスコミ報道のあり方だとも言う。マスコミは「売れる」ニュースにしか飛びつかない。その意味では年少者、とりわけ小学生や中学生の凶悪犯罪は「売れる」のだろう。それこそ重箱の隅をつつくように、そこまで取材し、そこまで出すかというくらいのことが現実繰り返される。

それを見て、我々は今回の少年法改正を本当に妥当だと判断して良いのか。もちろん罪は重く罰せられるべきであり、それは少年、とりわけ14歳未満であろうがなかろうが基本は同じだ。しかし、だからといって簡単にガイドラインを引き上げ、少年院におくってしまえば良いというものでもなかろう。実情はよく知らないが、現状の少年院の「教育レベル」は大丈夫なのか。環境が整っているのか?

そういったことまでキチンと報道してくれるマスコミはないのだろうか。少なくとも、僕は今回の改正には賛成できない。

情に流されるもよかよ

長崎市長への拳銃テロ事件は、様々な波紋を投げかけている。選挙における候補者の死亡や辞退に伴う補充立候補の規定見直しもその一つ。現在は原則として選挙日程は変えない(候補者がゼロになった場合を除く)で、3日前まで補充立候補を受け付けるということを、初めて知った人も多いだろう。

選挙運動が最低3日で足りるのか、情報社会だから構わないだろうという意見も。あるいは今回のように「弔い合戦」になると、後出しの方が有利になるとかいう意見もある。それはそれでいいではないか、情に流されたとて、裏金に手を汚すよりは良かろう。ぜひ亡父の悔しい思いを胸に、清新な気持ちで選挙に臨んで欲しいものだ。

それにしてもアベちゃんの対応は極めてまずかった。地震が起こって緊急対策本部が発足して、自分が本部長なのにまだゴルフに興じていた市長よりはマシとしても、事件直後に出したコメントは余りにお粗末。通り一遍の、ありきたりの殺人事件についてのコメントならあんなもんだ。

翌日慌てて(だろうか?)次のコメントを出したが、これまたひどい後出しジャンケンで、新聞もさほど大きく取り上げなかった。事実として伝えただけだ。

さらには、今まで以上の護衛がつくような事態や、候補者が選挙カーから余り降りなくなったとか、中には防弾チョッキを・・・ホント、日本は大丈夫か。

卑怯だぞ!

長崎市長が選挙運動中に撃たれたという一報に愕然、アメリカの銃乱射事件を他岸の火事と思っていたのが、日本よお前もかと。全く、シンジラレナ~イ!というのがホンネ。そして手術の甲斐無く死亡されたとのこと、誠に慚愧の思い。ご冥福を祈りたい。

容疑者は日本一の暴力団系のヤクザだという。政治的なテロではなく、個人的な恨みらしいが、それにしても丸腰のカタギさんを背後から、しかも至近距離から撃つなどと言うことは、ヤクザの風上にもおけない。卑劣を通り越して人間としては下の下だ。男なら男らしく正面から礼をもって対面し、口をもって訴えを伝えるべきだろう。

日本も安全ではなくなった、ということはもう何年も前から叫ばれてきたが、人倫にもとるような卑怯な行動は大いに断罪されるべきだ。再びこういった犯罪が起きないことを、ひたすら祈りたい。

膏薬は剥がすもの

統一地方選挙の第2弾が告示されて、一時静かだった街がまたやかましくなってきた。岡山市内も前回の県議選につついて市議選が始まり、自宅から遠くないところにもにも3つ4つの選挙事務所が大きな看板を上げだした。候補者の選挙カー、政党の選挙カーがこんなところまでと思うような路地にまで入り込んで、やかましいことしきり。

候補者もやたらめったら手を振り、時には近寄ってきて握手を求める。おいおい、俺はお前さんなんか一面識もないし握手もしたくないよと言っても、ズケズケと人の勢力範囲に入り込んでくる。拒否しようものならにらみ返されそうだ。第一、僕には岡山市に選挙権がないんだ。そういう「札」をぶら下げていたら、きっと誰も寄ってこないだろうな、「虫除け」にぶら下げておくか。

それにしてもやたらと名前を連呼する、それしか知らないのか。所々では選挙カーを止めるなりして、マイク片手に演説を始める。一応公約らしいものを並べ立てているようだが、聞いているのは取り巻きと小さな子供たち。終わるとしっかり深々と挨拶。そりゃあそうだ、誰も聞いてない見てないと言っても壁に耳あり障子に目ありだからな。

そんなわけでまた次のポイントに向かってぞろぞろ移動していく。ホッとして地域の人たちが家から出てくる、通行妨害が解消されたわいというような顔も。来年を期して勉強を始めた受験生も、うるさいのがいなくなってホッとしたことだろう。と思ったら、もう次の選挙カーが見えてきている。オイオイ・・・

どうでもいいけど、さっき言った公約は守ってくれるんだろうな。当選した暁には「忘れました」なんて言わないようにしてくれ。選挙権はここにはないが、俺もここの住民なんだからな。

やっぱりやっとった!

横浜よ、お前もか・・・とはいえ、あんまり驚かなかった。ああ、やっぱりやっとったんや、というのが偽らざる気持ち。ウチ(西武)以外にもやっとるよ、という発言もあったことやし、他にはやってなかっただろうとは殆ど誰も思わなかったのではないか。

それにしても、申し合わせの5倍以上の金額というからあきれてしまう。Nってそんなにすごいピッチャーだったか? 正直、ベイスターズファンでもない僕などは昨日まで名前の記憶もなかった。

その上に球団社長の会見、、、唖然。「ちょっと高かった」という感覚が分からない上に、分割払いを「ルール違反を知りながら」続けていたのは、契約不履行を避けるというコンプライアンスだったと。企業のコンプライアンスとは、ルールを守ることじゃないのか。

暗黙のルール、申し合わせとは言え「守るべき」ではないのか。守れないルールならやめてまえ!は暴論だが、ルールを守ることを理念にしているはずのスポーツの中で、ということが嘆かわしい。

今年は一度もTVのプロ野球中継を見ていない、多分これからも見る気が起こらないやろうな。かといって、MLBも見る気はない。サッカーやラグビーの試合なら見るだろうけど。

ああ選挙・・・

統一地方選挙の前半戦が終わった。知事選は、注目のところも含めて殆ど波乱無く終わった。昨年の滋賀県、今年の宮崎県のような風は、どこにも吹かなかったようだ。まぁ、自分には関係のないところばっかりだったので、大した興味も湧かなかったのだが。

県議会レベルでは、各地で新旧交代が起きたようだし、その意味では寄り狭い地域レベルでは風向きが変わってきたのかも知れない。先ほどの滋賀県では「知事支持派」が議会の過半数を制し、まさに下からの変革が起こりそうな予感がある。

岡山県議会でも、ローカル地域でも旧来タイプの現職が相次いで落選し、都市部では若手の進出が目立った。この次には市議会の選挙があるのだが、その風は吹き続けるのだろうか。

しかし残念ながら、今回の選挙権は新潟に置いたまま、投票所入場券を無駄にしたのは10数年ぶりかも知れない。これまでも不在者投票や期日前投票でしのいできたのだが、今年は、、、7月の参院選はどうしようかと、頭をひねっている。誰かこの1票、買うてくれへんか?

京都を歩く

青春18きっぷがあと1回残っていたので、墓参り(月参り)のあとで京都まで足を伸ばしてみた。錦市場のお店でお茶(京番茶)を買ってくるのが目的だったが、時間に余裕があったので少し歩いてみることにした。

場所は四条西洞院、四条烏丸の交差点から室町通りを越えて次の交差点を少し下がると、その一隅に「化粧水」の立て札。これは「けわいみず」と読むのだが、小野小町が住んでいたこともあるところだという。事実なのか伝説なのかは問うまい。

この一画は路地や辻子(ずし)も多く、昔ながらの街並みや古民家も残っているが、それでも新しいビルやマンションも目立つようになった。時代の流れだからしょうがないところか。でも、そこかしこに思わぬ発見ができるところが京都の素晴らしさだろうな。

265gの命

久しぶりに大いに感動して涙した。

たった265gでこの世に誕生した命が無事に育って、ずうっと命を育んできた病院を退院することができたという。世界でも2番目に小さな赤ちゃんだったというが、両親の愛情はもちろん、病院のすべての人たちの献身的な働き、そして周囲の暖かい心に支えられてきたのであろう。とにかく記事を読んだだけでジンときてしまった。

予定より15週早く生まれたのだという、4ヶ月近い早産だ。実は僕も5週くらい早く生まれたそうで、体重も1500gちょっとだったらしいのだが、それよりもはるかにはるかに小さな命だった。

物理的な重さは確かに小さくても、人の「命」はみんな同じ重さを持っている。そんな命が平気で傷つけられ失われていく昨今、少なくとも子供たちにはこの命の重さを知って欲しいと思うのだ。それを伝える大人たちよ、自分が今そこに生きているのは、それこそ数え切れないほどの命に支えられているんだということを、今一度思い起こして欲しい。

法律条文は悪文

ちょっとしたきっかけで、法律の勉強を始めている。大学時代は一応法学部だったから、六法全書を広げるのは初めてではないが、それにしても30数年ぶりである。さすがに最近は、漢字とカタカナという条文は殆ど見られなくなったが、相変わらずの「悪文」ぶりにはあきれてしまうと言うか、腹立たしくなってしまう。

法律のタイトル(正式名称)の長さにもぞっとする。情報公開法と一般に言われているのは、実は「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」というのだが、これはまだ短い方かも知れない。題名も長ければ条文にもやたらと長いものがあって、なかなか句読点が出てこない。途中に( )書きなどがあったりすると、いったいこれは何が言いたいのか分からなくなる。

言い回しも多種多様で、例えば「迅速に」と「速やかに」と「遅滞なく」とは、いったいどのような速さの違いなんだろうか。どのようにでも解釈できそうのは、「合理的」とか「相当の」とか「正当な」という字句で、これは法律の条文だけでなく裁判の判決文にもよく見られる。

「努めなければならない」という言葉は、「やる方向で努力する」のかと思ったら、「無理にやらなくても良い」という意味合いなのかなと思ったりもする。多分、法律の素人が読んだのでは何が書いてあるのか分からないというのが実感だ。一方で、重箱の隅をこれでもかというくらいにつついた感じの、例外列挙だらけのものも見かける。

いずれにしてもつまるところ、運用する側に都合良く書いてあるというのが法律の条文だということが、ここ1ヶ月ほどで非常によく分かった。ため息が出てくる。

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