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iPod nano

 iPod nanoを買った。ついに、というのは昨年の秋くらいからどうしようかと迷っていて、何度も店頭で手を伸ばしかけながら今日に至っていたからだ。

 しかもその店頭からはホワイトが消えてブラックだけの在庫になっていたので、ちょっとためらっていたのだ。それが今日行ってみたらホワイトがあった、そこですぐに手が伸びてしまったというわけだ。

 早速やってみたが最初から大失敗、言語を英語に設定してしまって、それを日本語に戻すのに四苦八苦だった。その後は順調である、早速に大好きなジュリー・ロンドンのアルバムを入れた。音もいい。さて、次はどの曲を選ぼうか。

司法処分出廷要請通達書

 「司法処分出廷要請通達書」なるハガキが来た。じつはこれで2回目である。ああ、またかという気分で今回は上から下までじっくり読んでみた。上手に気持ちを動揺させ、誘導させるように文章が組み立てられているから、けっこう頭の良い人が考えたのであろう。

 しかしおかしなところが数カ所ある。具体的には書かないが、明らかに公の通達書としてはおかしな文章、言語がいくつかある。

 さらに言ってしまえば、これが「詐欺」のための文書であることは、もっと明快な事実で簡単に証明されるのだが、それもここには書かないでおこう。まだこういうハガキをもらったことのない友人たちには、その事実を伝えようと思っているが。

 よって、このハガキは当分「証拠品」として保存しておこうと思う。それにしても、こういうハガキに誘導されて詐欺の被害に遭ってしまう人とは・・・とにもかくにも気を付けましょう。

思い出の蒲原鉄道

 先週ある方と話をしていて蒲原鉄道(1999.10.4廃止)の話がちらりと出た。高校時代にけっこう利用していたということだが、その当時であれば全線(五泉-村松-加茂間)で営業運転がされていたはずである。

 残念ながら、僕は五泉-村松間しか乗る機会がなかったが、信越本線の列車の中からは何度か加茂駅に停車中や、加茂川を渡る姿などを見たことがある。その内に乗ろうと思っている内に部分廃止になってしまったのは悔やまれる。

 蒲原鉄道の車両は比較的多く保存されているし、保存状態も良い。旧村松駅構内や村松城趾、そしてt_KBR2041302冬鳥越スキー場の傍ら(旧冬鳥越駅辺り)などであるが、冬鳥越には開業時に使われた1923年製の木造電車モハ1(←デハ1)が復元されている。

 隣には西武鉄道から譲り受けたモハ61(製造時は武蔵野鉄道)が保存されているが、雪の多い今年は大丈夫だろうかと気に懸かるところ。村松町の文化財に指定されていたのだが、この1月に五泉市に合併した(当然新市に引き継がれるのだろうが)。これからも美しい姿でいてほしいもの。

東横インの不祥事

 今度は東横インの不祥事だ。頻繁とは言わないが、年に何泊か利用している。値段もまずまずこなれているし、部屋も最近建設のホテルはけっこういいし、ネットも無料で使えるのでありがたい。そう思って最近は人にも勧めていたのが、裏切られた形だ。
 社長の会見を聞いてあきれてしまった。こんな社長の下に経営されているホテルなら、利用したくないと心の底から思った。「自分だけ良しの姿勢」がプンプンと臭う。あげくには「営業企画(担当者)が考えてやったこと」で、「自分も知っていた」「悪いことだとは思っていた」と開き直りだ。営業企画部長も会見していたが、最終決定した社長に責任の根源があることは自明の理。

 複数の設計書を最初から持っていて、すぐに改装にかかるなんてまさに確信犯だ。会社の利益のためなら法も倫理も、お客様への優しさもいらないって感じがした。「当たり前」だと思われる社会性感覚が抜け落ちしている。耐震偽装やライブドアの粉飾決算と同じ根っこに思えるのだが、どうだろうか。

佐久平倫理法人会

 昨日の夕方から長野県の佐久市に行ってきた。佐久市に行くのはこれで多分2回目、前回はまだ新幹線が開通していなくて車で出かけたから、もう10年くらい前であったろうか。日が暮れて佐久平駅に着いたので周りの景色がよく分からなかったが、かつては一面の田園風景が広がっていたところが、新幹線の駅ができてずいぶん変わったそうだ。雪は余り降らないらしいが、気温はかなり低い。標高700mくらいと駅の表示にあった。

 その日の夜の、佐久平倫理法人会イブニングセミナーで1時間半、そして翌朝のモーニングセミナーで40分ばかり講話をさせていただいた。役員幹事の方がとっても元気が良くて、こちらも話につい熱が入ってしまった。こういうのはとっても気持ちがよい。講演のあとの夕食会、朝食会も楽しかった。倫理研究所の法人レクチャラーをさせていただいているおかげで、色々なところへ行かせてもらい、未知の方々と交流させていただくのは嬉しいことだ。
 今朝は見事に快晴で、噴煙を上げる浅間山もくっきりと見えていた。2時間足らずで戻ってきた長岡は、また雪が降り続いていた。

非常ベルが鳴った

 今のマンションに引っ越しして間もなく丸2年である。2年間で初めて非常ベル・放送に出くわした。今朝5時過ぎのこと、倫理法人会のモーニングセミナーに出かけようとして、靴を履いてまさに玄関を出ようとした時だった。「火災が発生しました。すぐに避難してください」の緊急放送と非常ベルが突然鳴って、とにかくびっくりした。すぐに窓の外を確認したりしたが、まだ夜明け前とあって状況がつかめない。
 出かける用意のまま、非常持ち出しのものを1つだけ持って1階(我が家は7階)に階段を使って下りた。65軒入居しているが、下に顔を見せたのは多分半数くらいか。警備会社のガードマンが居て、消防車も2台やってきた。消防署員が駆け込んできて、「火元」らしい3階を調べに上がったが、外からは異常が確認されないという。火が見えるわけでもないので、内部確認をするから部屋に戻って構わないと指示があり、ホッとした空気が流れた。
 僕はそのまま出かけたので、実際に「火災」があったのかは確認していない。まさか誤作動などではないだろうし、気になるところ。きっと戻ったら貼り紙で事態の報告がされているだろうな。

企業倫理を考える

 ホリエモンが逮捕された。昨夜から今日、TVはホリエモン一色である。罪状は証券取引法違反とのことだが、本人は違法との認識がなかったと語っているそうである。もっとも証券取引法違反は認識がなくても、実態があれば(実証されれば)適用されるそうだが。
 問題は、倫理ことに『企業倫理』ではないかと思う。起業した頃のホリエモンも、創業の頃のオンザエッジ(ライブドアの前身)も、きっと「創業の理念」を持っていたと思う。それはきっと、新時代のパイオニアとしての気概や社会に対する全く新しい貢献や、さらには仲間たちと語り合った夢やロマンで溢れていたに違いないはず(だと思うの)だ。

 しかし、急激な成長発展(ある意味では実態のない見かけだったとも言えるが)の間に、理念を、ひいてはあるべき企業倫理を失ってしまったのだろうか。非難されるべきはそこにあると思う。どんな時代にも、どんな環境条件の中でも、我々は倫理を失ってはならない。
会社は企業倫理をベースとして、企業理念を実現するために「当たり前」の発展を目指していかねばならない。
 ホリエモンの陰に隠れた感じだが、耐震性偽装問題も同じ根っこだ。かかわった企業には企業倫理が見えない。監理監督するはずの行政も、基本的な倫理を忘れているのだろうか。ホリエモンの功罪はこの際置いておくとして、その最も基本的なことを今一度心に銘記しておきたい。

ホリエモン騒動

 TVも新聞も雑誌もホリエモン(ライブドア)1色である。つい昨日まで時代の寵児ともてはやされていたのが、一夜明けると・・・である。やったことの中身は確かに虚業であったり、法の網をくぐり抜けたスレスレまがいのことなのかも知れないが、そうであっても昨日までそれなりの評価をしていた連中が、手のひら返すとはどういうことか。
 最もひどいのが経団連と自民党だ。自分たちのやったことは棚に上げてしまって、弁解すればまだかわいいのに、アンチホリエモンの大合唱だ。経済界のトップ、政界のトップといってもあんなもんだと自らに泥を塗りたくっているようなものだ。あんな連中に日本が支配されてるとは嘆かわしい、倫理もへったくれも感じられない。もちろん、ホリエモンの戦略戦術を肯定する気など毛頭ないけれど。
 法を破ったことは裁かれなければならないだろうが、法網をくぐりぬけている巨悪は他にもたくさんいると思うのだが。政界にも、官界にも。そんな中で起こったアメリカの法破りはもはやあきれてものも言えない。

センター試験

 今日から大学入試センター試験とか、東京方面は雪が降ってるらしく(新潟も雪かな?)いささか心配。時間に余裕なく会場に駆けつける受験生もいそうだから。僕は今朝、出張先の岡山にいるが、こちらは曇り空で雪の心配はなさそうだ。
 僕の大学入試は1970年のことだから、センター試験もその前の共通1次試験も体験が全くない。必要科目を増やした大学が多いということだが、「外数国」必須というだけではおかしくて、本当は「歴史」必須だと思うのだが。自国のことを理解してない人間を増やすような受験教育は極めて問題で、ますます非倫理・反倫理人間が増えていきそうだ。もっとも、歴史の暗記ではどうにもならないのだが。
 友人知人の子弟の中にも受験組が何人かいる、彼らの希望成就を祈りたい。

羽越線開通

 年末の脱線転覆死亡事故から20数日、ようやく羽越線の不通区間が復旧・開通した。僕自身も何度か特急で通過したことのある区間だ。それこそ事故を起こした列車に秋田駅から新潟まで乗り通したこともある。
 事故原因t_4112001は予測を超える強い突風だという。鉄道アナリストを始め多くの識者、そして門外漢からもこの事故への指摘が数多くなされていたが、中にはトンチンカンなものもいくつか散見できた。事故を起こした485系特急車両は交直流標準車両で、国鉄時代に作られた。当該車両は数年前に内外が更新され、3000番台という枝番を持つ車両だが、最新車両に比べても重い。(写真は信越線で快速使用のもの)
 なのに風で車体が浮いたという。複合要因であろうけれど、すごい力だ。線路の幅が(国際標準より)狭いからという指摘があったが、これは重量バランスと軸重の問題で標準軌とJR標準軌の幅が云々ではないと思っている。(標準幅を採用している私営鉄道でも、JRの路線より軸重が小さい路線も多い)

 問題は無防備なハードウェアだろうと思うのだ。それこそ想定外の風だったのかもしれないが、吹きさらしの土盛り軌道、防風施設や測定システム、そしてデータを活かすソフトウェアが十分ではなかったことは確かだ。鉄道をこよなく愛する者として、あの事故は本当に悲しい事故だった。1両目に乗ることをためらいはしないが、人がためらうのは止められない。
二度と起こらない事故であることを祈りたい。

阪神淡路大震災から11年

 阪神淡路大震災から今日でちょうど11年である。最近は神戸の街からご無沙汰なのでTV等の映像でしか分からないが、11年前がウソのように復興しているようである。
 神戸は学生時代の数年間を過ごした街であり、自宅も5年間くらい神戸市の北区にあった。思い出の建物の中で損壊したものも多いし、下宿していたお宅も大きな被害に遭ったそうである。僕自身も、あの瞬間は出張で岡山市内にいた。その2日前には鳥取に向かう特急列車で神戸を通過している。岡山市内で震度4だったが、揺れている時間が非常に長かったことを記憶している。すぐに点けたTV映像では、あんなに怖ろしい被害が出ていることは分からなかった。
 時間と共に悲惨な現実が映し出され戦慄したものである。岡山から新潟に戻るのに、もちろん陸路は使えず空路に頼った。それも岡山空港からは東京便がすぐに満席になり、急遽四国に渡って高松空港からの便で「脱出」した。

 今でもあの時のことは鮮明に残っているが、それにしてもあの地震が「大震災」で、何故一昨年のは中越「地震」なんだろうか。確かに被害者は阪神淡路の6千数百人に対し百人にも満たないのだが、僕の感覚では当然に「大震災」だ。多くの人の記憶から阪神淡路が消えない以上に、中越も消えてほしくないものだ。

『生まれる地名、消える地名』

 平成の大合併も終盤戦である。僕の住んでいる長岡市も1月1日の第2次合併で、新たに4つの市町村が加わり人口は28万余り、面積は東京23区の1.3倍にもなり、とうとう海をもつことになった。県都・新潟市とも(先方が巻町を合併したことにより)境を接することになった。
 この本『生まれる地名、消える地名』(今尾恵介著・実業之日本社)は全国各地の合併による新6011501しい地名の出現、あるいは消失をまとめたもので面白い。そんな中で、地域の歴史に根ざした地名がだんだん消えていくことが書かれているが、非常に残念なことだ。地名というのは単なる記号ではなく、そこに様々な生活や人の思い、そして歴史があるはずなのだ。それが安易に変えられることへの警鐘とも言える。
 長岡でも合併された市町村の名前は消えたところが多い。しかし山古志のように、大字名として残ったところもある。とくに第2次合併では、そんなところにも少し心配りがあったようで嬉しいことだ。
 市内にも歴史的な町名が多い。僕の住んでいる長町は、江戸時代に武士の長屋があったところで、河井継之助の屋敷跡がすぐ隣にある。城内町、稽古町、殿町等々、歴史ある地名は守っていきたいものだと思う。

素敵な新年会

 今日は新潟で「新年会」でした。MG研修仲間のひさしさんとさっちゃんと、3人で楽しい時間を過ごしました。こういう新年会なら何度あってもいいな。
 この土日は雨で気温も高く、積もった雪が少しずつ崩れ始めています。屋根に積もった雪が落ちてきそうで、町中を歩くにも注意が必要です。道路の両側にラッセルされている雪も、徐々に崩れてきています。雪が降らないってことも決して安心はできません、そんな雪国生活にもいくらか慣れたと思っていましたが、今年の雪はやっぱり平年外なんでしょう。

ホームページの更新

 雪はようやく峠を越えたようだ。津南町では4m間近なところまで積もったらしいが、正直なところどのくらいすごいのかの実感が湧かない。同じ雪国とはいえ、長岡は魚沼地域に比べたら雪は大したことがない。もっとも世に言う「38豪雪」の時には3mを超す雪に埋もれて、自t_6010902衛隊が長岡市に出動したという。僕は長岡に来て16年だが、その間の最高積雪は150cmくらいだ。
 明日からは気温も上がって週末は雨になるというが、そうなると今度は雪崩が心配だ。除雪で積み上げられた道路の雪も崩れてくる。溶けた雪の排水も追いつかなかったりして、道路が歩きにくくなる。雪国生活も楽ではない。

 久しぶりに自分のホームページを更新した。11月下旬から放っていて、その間はブログに任せっきりだった。少しは手を入れてやらないといけないなと反省している。でもやっぱりブログの方がずうっと楽だ。(^^ゞ

雪お見舞いに感謝

 大雪のニュースが連日マスコミをにぎわしています、「56(年)豪雪」以来だそうで、県内各地に自衛隊が派遣されています。様々なご縁ある方から「大変ですね」とお見舞いをいただき、ありがとうございます。おかげさまで長岡市内は大丈夫ですので。
 『新潟県豪雪』というと、話題の中心になっている津南町も長岡市も、新潟市もみなひとくくりで「大変なんだ」となるようです。実際には津南町は確かに4m近い積雪で大変ですが、長岡は1m足らずの平年並み積雪、新潟市に至っては雪化粧程度です。情報の伝わり方ってそういうものなのでしょう、正しい情報の取り方を再認識しました。
 その意味では1年2ヶ月前の中越大震災は、もう県外の方の記憶から消えかけているようです。非常に残念なことなんですが。

雪晴れ

 昼前まで降っていた雪がようやくやんで、午後からは次第に雲が切れて正月以来の青空がやっと戻ってきた。雪晴れ、真っ白な街だけにまぶしい。でも青空は嬉しいものだ、長岡の市内でもあちこちで屋根の雪下ろしがさかんだ。山沿いの十日町、津南など魚沼地方はこの晴れ間も休むことなく、雪かき・雪掘り、雪下ろしに追われていることだろう。
 地球がおかしいという人もいる。例年になく偏西風が蛇行しているという、あるいは北極の気温が上がっているせいだとも言う。赤道付近の温度上昇も影響しているとも。確かにどこかおかしいようにも思えるが、本当におかしいのは人間の方だ。
 明日後半からはまた雪が降り出すらしい。雪解けの季節までは、あと2ヶ月以上もあるだろうが、早くも「56豪雪」以来の雪というレッテルが貼られた。「18豪雪」とでも名付けられるのだろうか。愚かな人間への警告、でないことを祈りたい。

新年会続く

 2006年が明けて5日目、昨日は長岡市の賀詞交換会、そして今日は長岡商工会議所の新年会だった。いずれも震災直後だった昨年よりも出席者が多いように感じた。
 長岡市は今年1月1日の第2次市町村合併で、人口は28万3千人となり、寺泊町と合併したことによって内陸の町から海のある町になった。しかも、昨秋巻町が新潟市と合併したことによって、新潟市と境を接することになった。新年会でも合併のことや、観光立県(立市かな)のことが大いに話題に上っていた。
 震災復興がどの方向に向かうのかも含めて、少なくとも元気が出てくればいい。震災特需だけで終わるようなことは避けたいところだが、、、

年賀状

 年賀状を見るのは楽しくもあり、また住所録のメンテナンスという意味となると少々面倒くさい。ことに昨今のように市町村合併が進行すると、書換の対象になる友人(の住所)が多いことに驚かされる。中にはごく稀ながら郵便番号まで変わるところもあるらしい。ワープロソフトの郵便番号辞書も、すぐにすぐには最新バージョンにはならない。中には昔ながらの通称町名を未だに使う人もいて、それは最新の郵便番号リストをネットでチェックしても出てこないから厄介だ。
 そういえば、会社の得意先名簿でもそういうことが多いらしい。お店の住所などはけっこう通称のまま使っているところがあるのだ。社員も苦労して修正しているようだった。
 年賀状と言えば戌年である。愛犬の写真を使っているハガキも何枚かあったが、思ったほどには多くない。多いのはやはり家族、それも子供の写真だ。これが実はちょっと困りもので、時間が経って捨てる時に躊躇してしまうのだ。破り捨てるのも悪いので、まとめて袋に入れて捨てることにしている。あはは、ばれちゃったかな。(^^ゞ

謹賀新年(=●^0^●=)

穏やかな2006年のお正月をお迎えのことと思います。

 何かと暗い話題の多かった2005年でありましたが、明元素で吹き飛ばして新しい年を前向きに向上して参りましょう。
 今年も8月に長岡MGを開催します。また、2年ぶりにOA大会も実施の予定にしております。全国の皆さんに長岡をお訪ねいただけるよう、しっかり準備をしていきたいと思っています。
 昨年は城野宏先生没後20年でした。今年も脳力開発の思想・科学を広めるべく地元での「元気塾」開催、各地での脳開セミナー実施を目標に掲げて参ります。皆様のご参加、ご支援をよろしくお願いします。

さらなるご多幸とご健勝をお祈りします。

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