米坂線2004年5月3日

昨年11月、仙台へ出かける際久しぶりに米坂線に乗車しました。現在は新津運輸区所属のキハ120型が主力で、新潟から分岐駅の坂町までは快速列車ですが、米坂線(坂町ー米沢)に入ると「快速」でも各駅停車です。


この米坂線、鉄道旅行作家としては最も著名な宮脇俊三さんが、「終戦の玉音放送」(1945年8月15日)を聞かれたところ。私が初めて乗り鉄したのは、確か1971年頃であったと記憶しています。


その当時はSL(蒸気機関車)の終焉期で、私も周りの鉄道ファンに混じってSLを追いかけている頃でした。米坂線には坂町機関区に所属していたキューロク(9600型)が、旅客・貨物を牽引していました。多分、米沢から坂町へ抜けたと記憶しています。

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それから数回米坂線には出かけ、キハ58系急行「あさひ」(のち「べにばな」で現在は快速)にも乗車しました。急行廃止後は足が遠のき、仕事で新潟に赴任してからも、なかなか足を向ける機会がないままでした。


ふと行ってみようと思いついたのが2004年の5月3日、「えちごワンデーパス」というフリー切符での乗り鉄旅でした。この切符で、当時住んでいた長岡から新潟経由で坂町に至り(快速「べにばな」)、そのまま米坂線に直通し小国まで行きました。


小国がこの切符で乗れる境界駅で、唯一新潟県の外(山形県)に出られるのです。快速気動車は、キハ47とキハ52の2両編成で、キハ52は新潟でも米坂線と大糸線にだけ残っていて希少価値がありました。


もちろん乗車したのはキハ52(137)、エンジンを2台積んだ勾配用の気動車です。とはいえ、勾配区間にさしかかるとエンジンの音が大きくなるのと反比例して、速度はぐんぐん落ちてしまいます。


米坂線はかつて新潟と仙台を結ぶメインルートに当たり、郡山から磐越西線を経由するよりも距離が短く急行「あさひ」利用者も多かったようです。現在は米沢ー山形間は「山形新幹線」となり、線路は途切れてしまっています。メインは高速バスに代わりました。
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米坂線自体も完全にローカル線になり、貨物列車は遠い昔のことになり、日中は2~3時間おきにしか列車の走らない路線になりました。先日快速に乗車した際も、新潟・山形県境を越えた乗客は2両編成で10数人でした。


15年前は山形県に一駅だけ入った小国で下車、しばらく待ってから坂町行きで引き返しました。小国町は、かつては木材の集散地としても栄えていましたが、今はひっそりとした山間の町になっています。


最近は新型のE120型気動車も走っている米坂線ですが、これからも地域になくてはならない路線として存続していってほしいものです。

勢いあるベンチャーがアブナイ

知り合いのAさんから突然、私の携帯に電話がありました。Aさんはとある団体で一緒に学んでいる仲間で、年は還暦少し前くらいです。小さなお店の社長兼店長をされていて、時おり私もお店に出かけています。

出会ってから一、二度経営についての相談を受けたことがありましたので、どうかしたのかなと思いながら次の言葉を待っていました。ちょっと相談があるので、どこかでお会いできませんかとのこと。

早速行きつけのコーヒーショップを指定して、早めに行って待っていました。時間通りにお店に入ってこられたAさんの顔色は、心なしか疲れた様子に見えました。いつも快活な方ですので、ちょっと心配しました。

「お店のことで何かありましたか?」と尋ねてみると、「いや、私のことではないんですよ」と。Aさんが話し始めたのは、ご子息のことでした。確か、2年くらい前に有名私立大学を出てすぐに、会社を立ち上げられたはずでした。

いわゆるベンチャー起業ということで、私も立ち上げの相談に少しだけ乗りました。Aさんの話をまとめると次のようなことでした。ご子息は友人と二人で、アイディア商品の製品化を試みました。


創業からの1年は試行錯誤が続いたり、販路を見つけることで苦労されたようですが、商品の良さが評価されて受注が増え、製造(OEM)が間に合わないのだそうです。

そんなわけで売上は2年目に一気に急上昇し、付加価値の高い商品ですので粗利益もしっかり確保できているようです。社員も3人採用して、Aさんの息子は社長兼製造発注・仕入の担当だそうです。

資本金は500万円ですが、それだけではもちろん足りませんので、ベンチャー支援の補助金や給付金、創業支援などの名目による銀行借入(協会保証付き)で回してきているそうです。

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それが2年過ぎて3年目(3期目)に入って、経営が厳しくなってきたというのです。売上の見込みは3年目もさらに伸びることが確実で、広げて見せていただいた計画書によると年間売上予定は前年比130%です。

前年も経常利益を確保して、初年度の赤字早くも消すこともできたとのこと。当面の受注残も抱えていますので、順調すぎるくらいなのだがということです。

それなのに、ご子息が借金を依頼してきたというのです。もちろんそれほど多額ではありませんので、即座に応じることにしましたが、何だか心配だと言います。ちなみに資本金の内、100万円を個人で出資しているのだとか。

色んな話を聞いていて、私にはピンとくるものがありました。「経理は誰がやられているんですか?」と尋ねましたら、専門担当はいなくて殆ど税理士さんに丸投げしているとのことでした。

日々の経理処理は社内でやらず、半月ごとに伝票や領収書などをまとめて税理士事務所の担当に渡しているとのことでした。給与計算などもお任せで、支払明細や納付書が届いて対応しているそうでした。

「では、資金繰り計画表などもないですね」と聞きましたら、「私のところでも月次分しかありません。あいつのところにはそれもないようです」と。「集金も余り進んでいませんね」、売掛残が毎月のように増え、受取手形もあります。

「今のままだと、どこかで資金がショートしてしまいますよ」と、率直に申し上げました。「この状態が続くと、今年1年は持たないでしょう」とも。Aさんは「やっぱりなぁ」とつぶやかれました。

心配していたそうです。自分の会社でもかつて売上が急に増えていった際に、逆に資金繰りが厳しくなっていたのを肌体験で知っておられたのです。

そうなのです。売上が上がる、それも急激に上がると集金がそれに追いついていかない、目先の売上に目が向いてしまい、仕入が増えてその支払いや決済が増えること、回収(集金)が後回しになることに気付かないのです。

その辺りのことをアドバイスすると共に、きっと100万円程度の資金手当では間に合わない。Aさん(の会社)が保証することで借入をして当面を乗り切り、その後すぐに抜本策を打つように進めました。

せっかくのアイディア商品が、ダメになってしまわぬことを祈るばかりです。幸い、まだ受注残があって売れていますので、タイミングを間違わなければ大丈夫なはずです。

Aさんにも腹をすえて、息子の経営に口を出すよう強く言い添えました。

デッドストック商品を処理する

■連載『MG&脳開企業革命』(45)

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不良貸付金の償却処理が終わっても、まだ不良資産の処理は完了しないままであった。しかしながら、大きな金額であるのでさすがに一気にというわけにはいかない。

価格改定が少しずつ効を奏して粗利益利率の改善が進み、経常利益も確保できる見通しができてきたので、3~4回(期)に分けて償却処理をする方向を決めた。

一括で特別損失処理をする方法もあるのだが、税務処理上否認される可能性もあるので、「デッドストック商品処理」といった科目を作って、経費処理をすることとした。時間(年数)はかかるがやむを得ない。

この方法でも「利益減損処理」ということで否認される可能性はあったが、もし認められれば、その後のデッドストック処理についてお墨付きがもらえる形になるので、敢えて踏み切ったわけだ。

制服の卸業、特に学校制服の場合はデッドストックが発生するリスクが少なくない。新学期とくに入学式に間に合わせる、納期遅れを起こさない為にシーズン前に既存の制服を備蓄しておく。

学校の規模によっても違うが、7~8割くらい事前に在庫を確保しておくわけだ。そして残りについては、採寸後に追加オーダーすることになるが、追加は納期が厳しいのでできるだけ少ない方が良い。

そんな中で、もし制服のモデルチェンジが実施されることになると、その備蓄在庫は無駄になってしまう。それは極端な事例で、モデルチェンジ情報は早めに分かるので、できる限り対応をしていく。

それでも新学期シーズンが終わった段階でも在庫は残っている。できるだけ少なくできることが、担当者の「腕」なのだが、男女比が変わったり体型・体格の読み違いもあって、在庫を残してしまう。在校生用在庫も必要だ。

そのような状況下でモデルチェンジになると、残った商品の多くはデッドストックとなってしまう。体操服の場合は、制服に比べてモデルチェンジがもっと頻度が高い。

平均すると毎年300万円前後のデッドストックが発生する可能性があり、「もう売れない」と判断できる時点で、償却してしまうことが望ましい。それを怠っているとどんどん溜まり込んでいくわけだ。Photo_16

さて、処理を進めていくことにしたが、具体的には焼却処理すなわちゴミの焼却場に運び込むことになる。環境問題が叫ばれるようになってからは「埋め立て処理」になるのだが、この時期はまだ焼き捨てられた。(写真はイメージです)

トラックに商品を積み込み、市の焼却場に運び込む。写真をキチンと撮っておき、もちろん伝票明細も残しておく。焼却場では「焼却証明」ももらわねばならない。それらをセットで保存しておくことになる。

メーカーにいた私には涙が出る仕事だった。工場でミシンを踏んで商品を作っている女性達の顔が浮かぶ、申し訳ない気持ちになったものだ。

結論からいうと、この経費処理は税務署の調査官から認めてもらえた。翌年の税務調査で、とくに指摘がなかったというわけだ。そこで、経営計画の最初から「デッドストック商品処理」予算を組むことにした。

毎年こまめに処理していけば、在庫もキレイになるし、利益の足を引っ張ることもない。これで、不良資産処理も先が見えてきた。

平成から令和へセミナー継続

先週の週末、金土日の3日間は「平成最後」の主催セミナーを東京で開催しました。金曜日が脳力開発講座・東京、そして土日がキャッシュフロー経営セミナー(CFMG)でした。数ある中から選んでご参加いただき、ありがとうございます。


MGに関していえば、インストラクターの資格をいただいたのは1988年でしたから、昭和最後の時代ということになります。当時はまだ自社内の社員研修のインストラクターでした。


平成に入って販売会社に出向しても、やはり自社の研修が主体で、そこに社外からゲストをお招きするスタイルでした。やがて西先生に講師をお願いする「長岡MG」を公開セミナーとして開始しましたので、平成時代ずっとセミナーを続けてきたことになります。


脳力開発セミナーの開催は21世紀に入ってからでしたが、その後MG(あるいはキャッシュフロー経営セミナー)との両輪で、ずっと平成の時代に続けてこられたのは、参加して下さった皆さんのおかげと感謝しています。
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何度か挫折しそうにもなりました。例えばリーマンショック後や東日本大震災の後は、開催を延期あるいは中止することもありました。中越地震や中越沖地震で被災した際には、これで継続開催も途切れるかなと感じたものでした。


それでも、周囲の仲間が支え応援していただき、ここまでずっと続けてくることができました。心より感謝を申し上げます。


おかげさまで、令和時代に入っても引き続き各地で脳力開発講座、ならびにキャッシュフロー経営セミナーを開催していくことができ、望外の喜びとするところです。この二つのセミナで何を伝えていけるのか、時代の節目に今一度じっくり考えたいと思っています。


基本ベースは、私自身が小さな会社の経営の中で、あるいは企業サポート・コンサルティングをしてきた実際体験です。試行錯誤、さらにはいくつかの失敗があったことも事実です。


それもまた、私のセミナーでお伝えしたいことの中にふくまれてい含まれています。2人の師(故城野先生・西先生)から学び、それらを実際経営の中で実践して来て身につけたこと、感じたことを自分の言葉で伝えて参ります。


ちなみに、令和最初の研修はクライアント会社の社内MGです。その翌週に、最初の公開セミナー(キャッシュフロー経営セミナー)を大阪で開催していただきます。感謝の日々がスタートすることに、ますます氣愛を込めて参ります。


新しい出会いにも期待しています。皆さんとの交流がさらに楽しみです

平成最後の公開主催セミナー

平成も残り10日を切ろうとしています。今日は統一地方選挙の後半戦、注目は2つの衆院補選ですが、本当はそれ以上に各地域の首長選や議会選挙の方も大切にしなければと思いますが、残念ながら無投票当選が多いですね。


中にはもう10年以上も無投票などというところもあるようで、それは「選挙権を行使できない」という以上に、「選挙権を奪われている」のではないかと危惧されるものです。


幸い私の場合は、前半戦の県議選と市議選共に期日前投票で権利を行使することが出来、そして自分が支持した候補が当選しました。これから4年間、その人達のやることをしっかり見つめていこうと思います。


無投票が続くと、そういう意識も希薄になるのではと心配されます。それでなくても、政治への無関心(あきらめ?)が蔓延しているとも感じられる今日、もっと自分たちにとって大切な権利義務なのだということを、自覚したいものです。


そんな日曜日ですが、いよいよ「平成最後の」主催セミナーとなります。キャッシュフロー経営セミナー(CFMG)の2日目、キチンと締めくくれるよう、氣愛を込めて参ります。


ただ元号が変わるだけのことですが、考えてみれば最初の公開主催セミナーは20年くらい前に、すなわち平成の時代に始まったということですので、その一つの区切りが今日なのだと感じているところです。


ここ数年は毎月のように、時には月に数回のセミナー開催が続いていますので、平成の時代を通じて150回以上やってきたのでしょう。令和最初のセミナーは来月の中頃、すぐに始まりますが心を引き締めていきます。

外の気温以上に、熱いセミナーになりますように。

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脳力開発講座・東京講座始まる

3月の神戸からスタートしました、今年の脳力開発講座。昨日19日に始まった東京講座にも、9名の方が参加して下さいました。2日前あたりから日中の気温が上がり、歩道のツツジの花も一気に開き始めています。


プログラムの内容や基本構成は神戸と同じですが、できるだけ最近の話題も講義の中に取り入れるようにしています。まとめの講義は毎回歴史の人物を採り上げていますが、その中にもアレンジを加えています。


脳力開発では、「脳力の発揮=行動すること」と定義をしていますが、人間の1日を見ていますと行動しているよりも、思考している時間の方が長いそうです(個人差はあります)。
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受け売りの話ですが、人間は1日に約6万回の思考を行っているそうです。しかも、その6万回の内8割近くは「ネガティブ思考」なんだそうです。ネガティブ思考が常に悪いわけではなく、危険回避の為には必要だとも言われています。


脳力開発でも常にポジティブに、前向きな思考をするようにとは言っていません。物事にはすべて二面がある(時には多面もある)わけで、例えば表があれば裏があるように、その両方に目を向ける必要があります。


問題は、どちらの方に自分がシフトしていくのかというとにあります。負のループに陥って、せっかくの前向きな思考を止めてしまったり、チャレンジしようとする気持ちにブレーキをかけないようにと、教えているのです。


今日はその中で、『人頼り(の姿勢)』の問題点を学んでいただきました。物事がうまくいかない時に、ついつい周囲の(人や物の)せいにしてしまう傾向はありませんか。そういう人は、実はかえって周囲への依存度が高いのです。


時には『決める」という仕事さえも、人任せにしてしまう傾向があります。自分で主体的に意思決定して行動することが出来ない、例えば上司や先輩、あるいは取引先の意向や希望を優先してしまう傾向です。


そればかりが続いていると、いざという時つまり自ら決断し意思決定するべき時に、二の足を踏んでしまったりするのです。そうしてタイミングを失ってしまい、気が付いた時には後手を踏んでいるということにもなりかねません。


そういった傾向は、自分ではなかなか気が付かないことが多いのです。自分を客観的に見つめることに慣れていれば良いのですが、多くの方はそんな習慣がありません。せめて、脳力開発講座の際にでも自己客観視を試みていただきたいものです。


今年から初めて行う福岡での講座では、私の脳力開発の先輩であり、故・城野先生から直に多くを学ばれた田上康朗さんを特別講師にお招きをして、講話をお願いしています。神戸や東京でも、特別企画を考えています。


引き続き継続して参加をしていただきますと共に、周囲の方にスポット参加もお勧め下さい。毎回が完結プログラムですので、単独講座受講も十分可能です。お待ちしております(ちなみにスポット受講料は1回2万円です)。

一気に不良貸付金の償却実行

■連載『MG&脳開企業革命』(44)

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赴任して丸1年、小学校6年生で地元の小学校に編入した娘は、そのまま公立の中学に進むのではなく、国立の(新潟大学教育学部)附属小学校を選んだ。そちらの方が近いからという理由だったらしい。

子どもは慣れるのが早い。岡山を離れる時にはクラスメイトと別れるのがイヤだと泣いていたのが、親よりも早くあっさりと方言にも染まっていた。カミさんは元々新潟県生まれなので、ジタバタは私だけだったようだ。

もっとも、私生活でジタバタしている余裕などない1年であったし、娘の進学のことにもほとんど意見を述べることもなかった、父親失格の私だった。その上「経営者失格」ではかっこうがつかない。

最繁忙期が終わり、シーズンの後始末が一段落して夏物の見通しもハッキリし、今期の最終予測が予想を上回る数字になりそうだと分かっても、まだ不安な気持ちは収まらなかった。

それはそうだろう、たった1年前は申告上僅かながらもG(経常利益)を計上したとは言え、実質的には赤字であったし、累積赤字も不良資産もほぼそのままに引き継がねばならなかったのだから。

年度末6月末の棚卸も、当初1回目ではかなりの誤差を生じていたが、2度3度とやり直して最終的には、さほど大きな差違は出さずに確定が出来た。その数字で試算をして、ようやくホッと一息をついた。

試算の数字を社員にもすぐに公開したが、一様に喜びが溢れていた。親会社の社長にも電話とFAXとで報告、これで2年目に船出が出来る自信が湧き上がってきた。

PQ(売上)も10%以上伸びたが、MQ(粗利益)の伸びはそれをさらに上回った。利益感度分析を繰り返し、商品別に、得意先別にMQアップの戦術を実行してきた成果が出たのだった。

もちろん、すべてがうまくいった訳ではない。新規の学校制服獲得企画コンペで、ライバルに負けてしまったケースもあったし、主力店への深耕開拓ではなお課題を残していた。

最終的なGは当初目標の1000万を超えて、1200万をも突破できた。これで累積の赤字も半分くらいまでに減じることが出来た。しかもF(経費)も10%近く増やしての最終結果だ。

この結果を得て、いよいよ再建2年目の年度には、不良資産の減少に取り組むことを決意した。まずは大赤字を出した時の負の名残り、不良貸付金の処理を一気にやってしまうことだった。
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新年度の計画上は一括処理を行っても、なおキチンとGを残して追えることができるはずだった。顧問税理士さんと何度も打合せ・シミュレーションを行い、まずは債務者に内容証明を送ることから始めた。

返済してもらえないことはほとんど(100%)明らかだった。この時、私は生まれて初めて内容証明の書類を作り、郵送するという作業を行った。2ヶ月おきに3回送ったが、当然ながら債務者からはなしのつぶてだった。

そこで、年末つまり半期の最終に一括処理を行った。具体的には債権放棄ということになり、特別損失で残額の約1000万余を「捨てた」ことになった。メインバンクをはじめ、各取引銀行にも説明に回った。

要するに、『負の資産』を作ってしまうことは、後々に大きな禍根を残すのだということを身をもって知ったわけだ。これは、実際経営に携わなければほとんど知ることもなかっただろう。また、再建会社だったからでもあろう。

そんな風に、いくらかでも前向きに考えられたのは脳力開発をやっていたおかげと言える。そしてこれをやることによって、必ずプラスに針が振れていくことを感じてもいたのだった。

しかしまだまだ負の資産は大きく残ったままだったし、業種業容の宿命上、不良在庫は年々増加するのだ。いずれはそこにもメスを入れるとして、まずは当面の膿をなんとかしなければならない。

それには、特に営業部隊の一層の活躍に期待するしかない。幸い、1年目の結果・成果に彼らも自信を持ってくれたようだった。少なくとも、このやり方を続けていけばよいと分かってくれたことは確かだった。

経営はじわじわ上昇し続けるのが良い

移動平均というものをご存じでしょうか。聞いたことはあるが見たことはない、あるいは自分で計算したことはない、というのが(小さな会社の)経営者の大半でしょうね。

移動平均は、変化しているデータのある範囲の和を、データの個数で割ったものです。 その平均値を折れ線でつなぎ合わせたものが、移動平均のグラフです。

例えば、自社の売り上げを12ヶ月分合計します。それを12で割った数値が「12ヶ月(短期)の売上移動平均」です。ある年の1月から12月までを合計する、次には2月から翌年1月までを合計する。

というように、1ヶ月ずらしていって12ヶ月分の合計を順番に求め、それらをそれぞれ12で割っていくのです。これを24ヶ月分にすれば「24ヶ月(中期)の売上移動平均」ということになります。
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毎月コンスタントに売上があり、それほど大きなブレのない業種業態だと、月次データをつないでもその傾向を捉えることができます。しかし季節変動が大きい場合は、移動平均を求めないと傾向が正しくつかめません。

かつての私の会社がそうでした。なにしろ、売上最大の月と最小の月との差は30倍、年度の上半期が全体の2割、残りの8割は下半期、それも大半はある2ヶ月に集中する、そんな会社でした。

移動平均を月別にきめ細かくとっていき、その数値のそれぞれに再び12を掛けて(乗じて)求める数値が、移動年系と言われる数値で、多くのデータが連続して繋がると、未来値が読めてきます。

この移動平均分析は経営の中で売上のみならず、色々なところで使えますが、多くの会社のサポートを通して感じたことは、移動平均のグラフはなだらかな方が良いということです。

急激に売上や利益が上昇する、勢いが付いて止まらない(ような気がする)。それが良いという人もいらっしゃるでしょうし、それはそれでいいでしょう。でも私は、やっぱり細々でもずうっとじわじわ上がっていく方が好きですね。

どちらにもちゃんと原因があります、原因があって結果があるのは急上昇も、なだらか緩やかに上がるのも同じです。私は急上昇の原因というのは、どのように好意的に見ても異常だと思うのですね。

もしかしたら、その急激な変化の裏で、あるいは横で泣いている人はいないのかなと思ってしまうわけです。売上が一気に上昇すれば、作る人や売る人にそれまでに類なき大きな負担がかかる。

自分たちだけの中で完了する仕事であるのならともかく、そういうものはほとんどない。下請けの会社や人がいる、外注先や仕入先の人がいる。製品・商品を運ぶ人もいれば、アフターする人もいることでしょう。

それぞれに急激な変化のツケが廻ってくる。もし、万が一その急上昇がストップしたり、逆に急降下したらどうなるんでしょうか。反動の大きさは半端ではないのでは?ないとは言えませんね、そういう事態が来ることが。

だから、ゆっくりゆったりで良いと思いませんか。亀の歩みでも良いから、少しずつじわじわと上がり続けていく。微増収微増益、移動平均のグラフが何となく上がっているかなというくらいが。

それでも10年20年、50年も経って振り返ってみるとずいぶん上がってきたなと感じられる。長続きすることがいいのだと、最近本当に感じるのです。

変化があって悪いとは言いません、時には変化も必要であり、常に進歩発展、進化向上していることは必要条件です。そしてその上昇のカギが、常に人にあるのだということ。

企業を支えている人、特に社員とその家族とが少しずつ少しずつ幸せになっていくという、そういう事実の積み重ねが何よりのことだと思いませんか。

小冊子『MGと脳力開発』を再びPR

今年の初めに『MGと脳力開発』と題した小冊子を自家本作成したことは、すでに何度かSNSなどでお話した。

セミナー開催などでお世話になってきた方や、脳力開発講座にご参加の方、特別のご縁をいただいた方には贈呈し、あとは1冊1000円でご希望の方に販売をしてきた。

おかげさまでたくさんの方にお買い求めをいただいて、最初に作ったロットについてはほぼ完売に至り、今月に入って追加の100冊を印刷することにした。

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脳力開発講座や、とくにMG/CFMGに参加された方には、「これを読むとMGに強くなれますよ」などとジョークを言って買っていただいている。強くなれるかどうかは分からないが、ヒントはあるはず。

MGのことはともかく、少なくとも経営の判断や意思決定にはきっと役立つはずだと思っている。もっとも、書いた内容はあくまで私自身の体験に基づくものなので、十分とは思っていない。

その部分は、城野(宏)先生や西(順一郎)先生から学んだことを、私自身の言葉に置き換えて書いている。時には我流の解釈もあるかも知れないので、そこのところはご容赦を願うところだ。

本当は人生にも役立つといいたいところだが、残念ながらそれを語るには、まだまだ私は足りないところが多すぎる。倫理法人会でも永年学んでいるのだが、相変わらず配偶者に「まだまだね」と言われている。

それでも、行動そのものは脳力開発やMGを学び始めた30数年前から比べれば、格段に進化向上したと自負している。それはとりもなおさず、意識が変わったことやすぐに行動できるようになったことだ。

また、何よりも人間が明るく前向きになったことだ。学びの以前は、常にマイナスのオーラを発散していたことに、自分でもいくらか気づいていた。しかしそれも自分の個性だ、などとうそぶいていた。

しかし、学びを重ねることで次第にプラスのオーラが出てくるようになり、顔つきが変わったと周りからも言われるようになってきた。「笑顔が佳いですね」と言ってもらえるようになった。

さてさて、まだホンモノかどうかは自分では分かりかねるが、周囲の人たちと真っ向からぶつかったりすることはほとんどなくなった。どうにも我慢できないことも時にはあるが、自分を抑えられるようになった。

自ら求めてけんかはしない、しかしやるべき時はしっかりやろうと思っている。幸いにそういう人が周りからいなくなったということなのだろう。

そんな今に至る自分の考えや意識、行動をまとめたのが小冊子『MGと脳力開発』だ。大したページ数でもないので、暇な時間にパラパラめくっていただいても時間がかからずお読みいただけるはずだ。

元々は、フェイスブックに書き連ねていたブログ原稿を2/3くらいに圧縮して、若干補訂したものだ。ページを少なくする為に、もっと書きたいところを押さえた部分もある。

それはまた、第二弾か何かで補っていこうと思う。次にまとめていこうと思っているのは、「小さい会社のマネジメント」というテーマで書いているブログだ。

ことらは、毎回テーマがあちこちに飛ぶのでまとめるのは大変だが、いずれキチンと筋の追えるものにしたいと考えている。何年かかるか分からないが、70歳になるまでにはと思っている。

とはいえ、そんなに時間はない。自分の考えを集約し、まとめることなのだがこれがなかなか難しい。その時々で「これでいい」と考えたことを、あとから自分で否定することもあるからだ。

でもまぁ、大げさに言えばライフワークとしてまとめていこう。

そんなわけで、小冊子『MGと脳力開発』をご希望の方、ぜひメールやメッセージでお知らせ下さい。送料込みで1000円、もちろん各セミナーの場でもお求め下さい。

ありがとうございます。

年度計画づくりももちろんマイツール

■連載『MG&脳開企業革命』(43)

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1991年4月の高校入学式が終わると、私たちの最繁忙期シーズンが終わり、ホッと一息をいれます。この年も納期遅れという事態を招くことなく、無事に終了することができました。

最もそれも僅かな間で、1週間か10日後には夏物の納品に向けた準備活動が始まります。入学と同時に採寸ができている新入生は比較的楽ですが、在校生は希望販売で、時には採寸も伴います。

本格的に忙しくなるのはゴールデンウィーク(GW)明けですが、デパートや専門店では新入学時の商品との入れ替え作業をGWまでに終わらせます。返品の受け入れもピークになります。
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そういう状況の中で、私は早くも7月からの新年度に向けての計画作業をスタートさせます。3月末の時点で今年度の最終着地点もかなり見えてきますので、見込み数字を頭に置いての計画作業です。

ベースには(再建)5カ年計画がありますが、これは年次計画ですので、最新データを元に月次計画に置き換えていきます。トータルが決まれば、月次に振り分けるのはマイツールを使えば至極簡単です。

給与などは個人別に細かい計算もしますが、余裕分を加味して最終的には1/12して書き込んでいけば、各科目の月次数値は完了です。単位は「万」、それで十二分です。

忙しい営業担当者にも、仕入の担当者にも、時間の合間を縫って月別データを出してもらいます。この頃には、集計の仕事はマイツールでやることが定着していました、たった1年で。

これは1日も早く「一人1台(のマイツール)」を実現しなければと、強く思いました。最初の計画よりも1年早めたいという思いを、当然ですが計画予算にも反映しました。

もちろんそれだけ経費(F)が増加していくわけですが、その額はたかだかしれている。そして必ずそれ以上の効果=成果を生んでくれることを確信していました。

5月の下旬に夏物納品もゴールが見えてきますと、いよいよ全員会議の開催です。かっこよく『新年度戦略会議』と名付けました。これはその後の年も継続し、時には泊まりがけで行ったこともありました。

商品別、得意先別の計画づくりは、私の手からは離れそれぞれの担当者に任せ、部課長がとりまとめをしたものが私の手元に届きます。個人別の面接チェックをすると、年次計画が確定します。

私の仕事はさらにそこから進めて、年間の資金繰り計画へと移っていきますが、これもマイツールを使えば丸1日あれば作ることができました。

さらに年間の行事計画、社員教育計画などは、年間カレンダーを作成し、そこに当てはめていくだけ。社員の意見も聴いて微修正をすれば、もう完成です。ここまで全部マイツールでの仕事です。

年間計画表と資金繰り計画表は、次年度が始まる寸前に取引銀行別に提出します。資金繰り表は銀行別に借入・返済計画を記してあります。

まだ期末に多額の借入金が残る状況ではありますが、これも10年後にはゼロにするという密かな目標も作っておきました。結果から言いますと、10年後にしっかりと実現できました。

なお、資金繰り計画書は銀行から大きな評価を受けました。年間の資金(繰り)計画書をあらかじめ出してくる企業はほとんどないということを聞き、誇らしい思いにもなりました。

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